二.斬首戦略
そんな最中、中国指導部に隣国日本から思わぬニュースが飛び込んできた。それは沖縄の米軍基地を巡るイザコザであった。
アメリカは冷戦後の情勢変化と対テロ戦争の戦費の圧迫に対応するために世界的に展開した軍の再編制を進めていて、その一環として沖縄の海兵隊の縮小を考えていた。
沖縄には第3海兵遠征軍が駐留している。これは国外に常設されている唯一の遠征軍であるが、元々はアジア方面で活動する海兵隊の訓練部隊という側面が強かった。
主要な戦力は第3海兵師団であるが、第7艦隊にはその全力を輸送できる艦艇は存在しなかった。もし第3海兵師団の全力を作戦に投入するのならアメリカ本国から増援の揚陸艦部隊を派遣する必要がある。だったらアメリカ本国から海兵隊を運んでも同じと言う事になってしまうのだ。沖縄は海兵隊にとって安全な後方であり、訓練の適地ということなのだ。
ただ完全な訓練部隊というわけではない。東アジアは朝鮮、台湾という2つの危機要因を抱えている以上、沖縄の海兵隊が実戦を想定しないわけにはいかないのだ。沖縄には緊急展開部隊である第31海兵遠征隊が配置されていて、実戦任務を受け持っている。一個歩兵大隊を基幹とする小規模な部隊であるが、第7艦隊の持つ揚陸艦だけでも作戦行動が可能であり機動力はかなり高い。特に台湾有事の際には沖縄からであれば台北までヘリコプターで直接乗り込むこともできるので、緊急展開能力は十分備わっていると言える。
しかし近年の中国空海軍の著しい増強に弾道ミサイルの射程延長と数的増強は沖縄の安全を危ういものにした。もはや沖縄は“後方”ではなくなったのである。また訓練拠点として別の問題が浮上した。アメリカ海兵隊はアジア各国との関係を緊密化しつつあり協同訓練を行なう機会も増えたのであるが、その舞台として沖縄は不適であった。日本は集団的自衛権を認めておらず、各国が協同訓練をするには問題があったのだ。
かくしてアメリカ海兵隊は米軍再編を通して司令部や訓練部門をグアムまで後退させ、沖縄駐留海兵隊の完全な前線部隊化を図ったのである。
一方、日本側もこれを機会に沖縄の負担軽減のため米軍基地の縮小を狙っていた。特に市街地に近く住民が日夜危険に晒されている普天間基地の扱いが問題になった。しかし普天間に駐留する第1海兵航空団、特にヘリコプター部隊は前述したように極めて重要な役割を果たす故にグアム移転計画には組み込まれていなかった。
時の政権はアメリカを辛抱強く説得して辺野古沖埋立案を承知させた。沖縄に基地が残ることになったが騒音や事故対策の面で負担が軽減されることに変わりなく現地沖縄の首長たちも渋々ながら承認した。それと連動してキャンプ桑江や那覇港湾施設などの多くの在日米軍施設が日本に返還されることになった。
しかし日本で政権交代が起こったことで全てが変わった。新政権は普天間基地の辺野古沖移転計画を一方的に拒絶し、さらに沖縄県外への移設を求めたのである。当然、台湾有事の火消し役である海兵隊を遠くに移すというのはアメリカにとって受け入れられないことだ。しかし日本政府は県外移転を熱心に主張し、アメリカの要望をなかなか受け入れようとしなかった。こうなってしまえば日本の領土上の問題である。日本が頑固に要求するならばアメリカとしても受け入れざるをえない。次第にアメリカは日本の要求に屈するのではという空気が広がってきた。
北京もその空気を嗅ぎつけていた。
「それでアメリカは台湾の叛乱分子を見捨てたということなのかな?」
国家主席の問いに中国の情報機関である国家安全部の部長が頷いた。
「はい。アメリカの台湾援助作戦は普天間の航空部隊による迅速な展開があって成り立つものです。普天間基地の代替を沖縄県外に置くということは、台湾援助作戦そのものを放棄するということに違いありません」
前述したように普天間の航空部隊によってアメリカ海兵隊は即座に介入できる。故にその存在そのものが“台湾を決して見捨てない”というアメリカのメッセージであり、中国の武力侵攻を抑止しているのだ。
長年、台湾併合を狙っている中国にとって最も恐れていることはアメリカとの全面戦争に突入することである。しかし逆にアメリカの介入前に台湾併合を既成事実化してしまえば国連の常任理事国であり大国である中国相手に、アメリカも“1つの中国”を認めている手前、無理をして反撃をしてこないと考えていた。つまり中国が目的を達成するためには、アメリカに介入する暇を与えず電撃的に台湾を手中に収めて台湾が中国の一部を世界に認めさせることが必要であった。
中国は経済成長を背景に空海軍力を急速に増強していたが、正面から大規模な侵攻作戦を行なおうとすれば忽ちアメリカや台湾に探知され、迎撃作戦を展開するであろう。アメリカとの戦争状態に突入することは間違いない。そこで中国は1つの作戦を考案した。
「普天間が存在しなければ“斬首”作戦成功の確立は格段に上がります」
斬首戦略。それはソ連のアフガニスタン侵攻作戦を手本に考案した特殊部隊による電撃作戦である。
最終的には完全なる失敗に終わったと評価されることが多いソ連のアフガニスタン侵攻作戦であるが、アフガニスタン首脳部を排除して親ソ派傀儡政権を打ち立てるまでは極めて順調にことが運んだのである。このときに決定的な役割を果たしたのがKGBや軍情報部GRUのスペツナズ部隊である。スペツナズ部隊が大統領官邸を襲撃し大統領を連行・処刑し首脳部を失ったアフガニスタン政府が瓦解。かくしてソ連軍はアフガニスタンを制圧したのである。
中国がやろうとしているのは同じ事だ。特殊部隊により台北へ電撃的な襲撃を行い、台湾首脳部を排除する。そして傀儡政府を打ち立て“台湾の中華人民共和国への帰属”を全世界に発表する。アメリカに介入の暇を与えず既成事実化できれば、もはや阻止出来る者はいない。指揮系統を寸断された台湾軍は効果的な迎撃は行なえず、人民解放軍正規軍が上陸して台湾全土を制圧すればそれで終わりである。
台湾を制圧すれば、叛乱分子討伐という成果によって国内のインフレに対する不満を逸らし共産党の威光を高めることができるし、対外的には台湾周辺を通るシーレーン、特に南シナ海と太平洋を繋ぐ大動脈であるバシー海峡を手中に収めることができるので、そうした海域への圧力によって“ドル切り上げ”に対する圧力を相殺することができる。
この作戦の問題は沖縄の海兵隊の存在である。斬首戦略の肝はアメリカが介入する前に傀儡政権を打ち立てて中華人民共和国の台湾領有を既成事実化することにある。つまり台北にただちに地上部隊を介入させることができる沖縄の海兵隊こそ斬首戦略最大の弱点なのだ。
「うむ。まさに中国の威光を取り戻す絶好の時というわけだな」
主席は安全部長の言葉を受け入れて作戦発動に心が傾いていた。
「しかし、沖縄の海兵隊を撤退させるというのは噂に過ぎない。確定的なことではないのだろう?今は慎重に情勢を見極める時ではないかな?」
そこへ国防部長が慎重論を述べた。しかしすぐに安全部長が反論した。
「だからこそ恰好のチャンスなのだ。日米関係に亀裂が生じたのであるなら、アメリカは新たな戦略を用意する筈だ。その暇を与えてはならない。孫子も言うではないか。“兵は拙速を尊ぶ”と」
安全部長の主張に主席が屈した。
「よろしい。ただちに作戦を実行したまえ」
というわけで早々と第2話です。
(2014/10/23)
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