桜舞う記憶
春。桜並木が淡いピンク色に染まる季節。
舞い散る桜のように、美しく、儚く……。
そんな願いを込め、両親がつけてくれた私の名前は、小林舞桜。大好きな名前だ。
毎年春になると、あの日の記憶が鮮やかに蘇る。
そして、あの日の出会いが、きっと私の原点。
家族で訪れた隣町の公園は、あたり一面、息をのむほどに満開の桜で彩られていた。
小学一年生になったばかりの舞桜は、空からひらひらと舞い落ちる薄紅色の花びらを追いかけるのが楽しくてたまらなかった。
小さな手で懸命に桜を追い、無邪気な笑い声が風に乗って遠くまで響く。
気づけば、賑やかな家族の声は遥か遠くになり、舞桜は一人、見慣れない場所に立っていた。
少し心細くなったけれど、目の前の光景に、たちまち不安は吹き飛んだ。
公園の奥まった場所、人影もまばらなそこに、ひときわ小さく、けれどその分だけひっそりと、しかし信じられないほど鮮やかな桜の木が立っていたのだ。
舞桜は思わず足を止め、その可憐な姿に見入った。
強い風にも負けず、一心に花を咲かせている桜の木。
その生命力に、幼い舞桜の心は強く惹きつけられた。
「ねぇ、君もその桜の木、好きなの?」
不意に、後ろから優しい声が聞こえた。
振り返ると、舞桜と同じくらいの背丈の男の子が、にこやかに立っていた。
くるくるとした瞳が、舞桜の心を射抜く。
男の子もまた、目の前の桜の木を見つめながら、「僕も好きで、よく見に来るんだ!」と続けた。
その言葉に、なぜか舞桜は胸の奥が温かくなるのを感じた。
「君の名前は?」
男の子が尋ねる声は、まるで木漏れ日のように柔らかかった。
舞桜は少し照れながらも、精一杯の笑顔で答えた。
「わたし、舞桜。漢字でね、舞う桜って書くの!」
一瞬、男の子は目を丸くして、それからふわりと笑った。
その笑顔は、舞い散る桜の花びらのように美しく、舞桜の幼い心に深く刻まれた。
「とっても素敵な名前だね!」
自分の名前を褒められたことが、こんなにも嬉しいなんて。
舞桜は顔が熱くなるのを感じながら、彼の笑顔をただ見つめた。
そして、次に尋ねる言葉は決まっていた。
「あなたのお名前は?」舞桜がそう言い、「僕は……」と男の子が言葉を紡ぎ始めた矢先だった。
遠くから焦ったような女性の声が聞こえてきた。
「〇〇ー! どこにいるのー!」
男の子はハッと顔を上げ、声のする方を見た。
彼の母親らしき人が、こちらへ向かって駆け寄ってくるのが見える。
「ごめん! もう僕、行かなきゃ!」
そう言い残すと、男の子はくるりと踵を返し、来た道を駆け戻っていった。
舞桜は、あっという間に遠ざかっていく小さな背中をただ見送ることしかできなかった。
彼の名前すら知ることはできなかったけれど、あの桜の木の下で出会い、そして彼の「素敵な名前だね!」という言葉と、その時の笑顔は、舞桜の心に深く、深く刻み込まれた。
それが、舞桜にとっての運命の出会いであり、初恋だった。




