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影を追う者

作者: 山手順平

かなり久々に小説の執筆(作成?)をしたのは、テキスト生成AIを使ってみたかったからです。

小部分ずつ場面・人物・ストーリーを指定→AIがテキスト作成→そのテキストを自分が修正・編集という手順で作りました。

鉄のような灰色の空の下、細い獣道が荒れ地を横切っていた。ロイガー・アストヴェインは馬の手綱を引き、ゆっくりと道を進んでいく。赤褐色の髭が冷たい北風に揺れ、その頬や手の肌は風雨にさらされてなめした皮のようにも見えた。


町から町へと渡り歩き、時に傭兵として、また時に商人の護衛として、あるいは農場の手伝いとして、その日の糧を得ながら生きてきた彼だが、今では目的地も決めないまま、旅を続けている。腰に下げた剣と革袋の中の銀貨が、今の彼の全財産だった。


日が傾きはじめ、宿を探さねばならない頃合いになったとき、一軒の農家が目に入った。そこで休ませてもらおうと馬を進めると、畑仕事をしていた老人が身を縮めるように家の中へ逃げ込んでしまった。軒下には不思議な文様が刻まれており、渦を巻くような曲線と鋭角的な直線が組み合わさっていた。古い時代の名残のような模様だった。


「おや...」


さらに進むと、小さな村が見えてきた。ネーベルタールと呼ばれるその村は、深い森に囲まれ、炉の煙が立ち昇る民家が数十軒ほど集まっていた。中央の石造りの井戸の傍らには「白馬亭」という看板を掲げた宿屋があり、各家の軒先や門柱には、先ほどの農家で見たのと同じ文様が刻まれていた。この地域特有の古い装飾のようだった。


夕暮れ時だというのに、通りには人影がほとんど見えない。時折、カーテンの向こうで動く影があり、その度にカーテンが素早く閉じられる。ロイガーは立ち止まり、村の様子を見渡した。道端の雑草は伸び放題だ。


白馬亭の前で馬から降り、扉を押し開けると、中は薄暗かった。暖炉の火が壁に揺らめく影を投げかけている。カウンターの向こうにいた太った女主人は、彼の姿を認めると言葉を詰まらせ、何度も視線を泳がせた。


「一泊させてもらいたい」


女主人は小さく頷くと、急いで鍵を取りに立ち去った。その足取りには、何かに追われるような慌ただしさがあった。


部屋に案内される間も、ロイガーの目は宿の様子を確かめていた。壁や天井には他の家々と同じような古めかしい文様が刻まれ、床には埃が積もっている。かつて賑わいがあったであろう食堂には、今は数人の客が黙々と食事をするだけだった。


食堂の壁際の席に腰を下ろすと、金色の髪を後ろで束ねた若い娘が、温かいスープを運んできた。


「お待たせしました。寒い夜には、これが一番です」


立ち去ろうとする娘の後ろ姿に、ロイガーは一瞬、故郷の記憶を見た。十年前、ノーズマークの宿で、同じように優しく微笑んでスープを運んでくれた妻のリューナ。彼は慌てて視線を落とし、目の前の湯気に目を凝らした。


エーダという名のウェイトレスは、まるで沈んだ村とは別の世界から来たかのように、明るく振る舞っていた。客の表情を見ては、さりげなく温かいスープを勧め、時には黙って席を離れ、時には軽い冗談を交わす。その立ち振る舞いに、ロイガーの目が留まった。


「随分と静かな村だな」


エーダの動きが一瞬止まった。彼女は周囲を見渡してから、声を落として言った。「夜が近づくと、みんな早めに家に入ってしまうんです。ここ数週間、夕暮れから朝方にかけて、奇妙なものが現れるようになったんです」


エーダは仕事の合間を縫って、少しずつ話を続けた。夕暮れとともに訪れる霊や怪物たちのこと、透明なものもいれば実体を持つものもいること、それが村人たちが見知らぬ者を警戒する理由であることを。淡々とした口調で、まるで日常の出来事を語るように。


「だから、アストヴェインさんが村に入ってきたとき、みんな怖がっちゃったのよ」エーダはテーブルを拭きながら言葉とは裏腹の屈託ない笑顔を見せた。それは村に入ってからロイガーの感じていた圧力を随分和らげた。


ロイガーは黙ってスープを飲み干した。これまでの旅で、人々の温かさに触れることは確かにあった。老いた旅籠の主人が分けてくれたパン、怪我の手当てをしてくれた村医者、道に迷った時に方角を教えてくれた樵。そして今、この娘。


「今夜、俺にも見えるだろうか」


暖炉の火が揺らめき、壁に映る影が歪んで見える。本来なら、こんな話には首を突っ込まないところだった。しかし、エーダの落ち着いた物言いと、村人たちの怯えた様子が気にかかった。


「見えます」エーダは窓の外を見やった。その瞬間、彼女の表情から少し普段の明るさが消える。「でも、気をつけてください。彼らは穏やかとは限りません」


夜が更けていく。食堂から客が一人、また一人と姿を消していった。ロイガーは暖炉の近くに座り、剣を手の届く位置に置いて待った。エーダも、何やら用事があるとかこつけて、食堂に残っている。意外なことに彼女の手元は少し震えていた。


やがて、村の外れから鐘が鳴り、その音が闇の中に溶けていった。


窓の外に、青白い光が揺らめき始めた。


暖炉の火が揺らめく中、ロイガーは窓辺に立っていた。通りには、これまで見たことのないものたちが現れ始めている。月明かりの下、薄い影のような人影が建物の間を漂い、巨大な角を持つ獣が低く唸りながら歩き、まるで子供の絵本から抜け出してきたような奇怪な姿の怪物たちが、それぞれの場所をうろついていた。


獣の姿をした怪物は、鍛冶屋の家の周りを執拗に回り続け、透き通った幽霊は村長の家の窓辺で泣き続けている。それぞれが、まるで決められた場所から離れられないかのように。


エーダが小さな声で言った。「あの透明な子供たち...パン屋のニーラの家の前にいるの。彼女の子供たちが森で迷子になった時から」その声は震えていなかった。ただ、静かに事実を述べるように。


次の日、夜が明けると、存在たちは薄れていった。宿の食堂には、目の下に隈を作った村人たちが集まっていた。保安官のザラン・ドゥームは、テーブルに地図を広げている。宿の女主人であるヴェリアが温かい茶を注ぎながら、それぞれの家で起きている出来事を語り始めた。


「もう三週間になります」保安官は地図から目を上げた。「最初は子供たちが見る悪夢のような...」彼は言葉を途切れさせ、また地図に目を落とす。各家の位置を指でなぞりながら、何かを探るように。


ロイガーは黙って茶を飲んでいた。旅を続けるつもりだったが、この村の様子が気になった。保安官の疲れた表情、村人たちの怯える様子。どこかで見たような光景だった。


「私にできることがあれば」ロイガーは茶碗を置きながら言った。保安官は一瞬、驚いたように彼を見つめ、それから深くため息をついた。「村人たちは外からの手助けを警戒しますが...確かに、もう私たちだけでは」


夕闇が村を包み始めた頃、ロイガーは保安官のザランと若い助手のサラスとともに、白馬亭の階上の窓から通りを見下ろしていた。月明かりの下、巨大な獣がエラン家の前をうろつき始めた。


灰色の毛並みを持つその獣は、狼にも熊にも似ているが、どちらでもない。赤く光る目と鋭い牙。時折、低い唸り声が通りに響く。保安官は無意識に剣の柄に手をやった。


「あれを倒せば、何か変わるかもしれない」ロイガーが静かに言った。獣の動きに何か規則性があるように見える。保安官は顔を引きつらせながらも頷き、腰の剣に手をやる。


三人は宿を出て、建物の影に身を隠しながら獣に近づいていった。不思議なことに、通りにいる他の存在たちは彼らに全く関心を示さない。獣との距離が縮まるにつれ、その巨体の存在感が増していく。


獣が彼らに気付き、振り向いた。サラスの手の松明が揺れる。ロイガーと保安官は剣を構えた。


戦いが始まった。獣の爪が空を切り、その体当たりは三人の男たちを吹き飛ばすほどの威力を持っていた。しかしロイガーの動きには無駄がなかった。獣の動きを読み、一歩先に身を置き、剣を振るう。保安官は目を見張った。普段は物静かな旅人の動きとは思えない。


時折、獣の様子に奇妙な特徴が見えた。エラン家の周囲を離れようとせず、まるでそこに縛り付けられているかのように。剣が獣の体を捉えても、傷は瞬く間に癒えていく。松明の火に怯えはしたが、決定的な効果はない。


やがて保安官が肩を負傷し、サラスも松明を落として後ずさる。獣が二人に迫る瞬間、ロイガーが割って入った。剣を振るう腕に迷いはない。


「家に逃げろ!」


保安官とサラスは近くの家の扉を叩き、返事を待つ。扉が開く音、中に滑り込む足音。ロイガーは最後まで獣の注意を引きつけ、扉が開くのを確認してから跳躍し、家の中へ飛び込んだ。


室内には、夫のカイロスと妻のセリア、そして二人の子供たちがいた。そのうち上の子のリエンは病に苦しんでいるようで、ベッドに横たわっていた。


「息子が具合を悪くし始めたのは...」カイロスが言い、セリアが言葉を継ぐ。「獣が現れ始めた頃からです」


窓の外では、獣がまだ家の周りを徘徊している。朝を迎えるまでの長い夜、彼らは敗北感と共に過ごした。


翌朝、ロイガーは逃げ込んだエラン家の玄関を調べていた。そこで彼の目に留まったのは、梁に刻まれた不思議な印だった。渦を巻くような曲線と、鋭角的な直線が組み合わさった模様は、この地域独特の装飾のように見えた。


「これは何だ?」ロイガーが指差すと、保安官は当たり前のものを聞かれたような表情を浮かべた。


「ああ、これですか?古代からの文字ですよ。この地域では各家の戸口に刻むのが習わしでして」ザランは肩をすくめた。「他所から来た方には珍しく映るでしょうが」彼の声には、地域の伝統に対する誇りが感じられた。


ロイガーは黙って頷いた。旅の途中で似たような装飾を見かけたことはある。美しい模様だとは思ったが、それ以上の関心は抱かなかった。


その日の昼過ぎ、白馬亭に集まった彼らは作戦を練り直していた。エーダも時折様子を見に来ては、客たちの様子を窺っている。彼女の存在が、重苦しい話し合いの場に僅かな安らぎをもたらしていた。


「あの獣は強すぎる。まずは手頃な相手から始めるべきだ」ロイガーが提案する。「昨夜、老婆の姿をした存在を見かけた。あれなら...」その言葉に、エーダは一瞬、何かを言いかけたように見えたが、結局は黙ったまま立ち去った。


夕暮れとともに、彼らは再び街路に出た。老婆の幽霊は、織物屋の前をふらふらと歩いている。痩せこけた姿は、一見すれば容易に取り押さえられそうに見えた。しかし、その姿には奇妙な威厳があった。まるで、時の重みそのものが形を取ったかのように。


しかし現実は違った。老婆の姿は霧のように揺らめき、掴もうとすれば消え、油断すれば別の場所に現れる。追いつ追われつの末、若い助手のサラスが背後から飛びつき、ついに老婆の体を捕らえた。その瞬間、恐ろしい変化が起きた。


「うわああ!」サラスの悲鳴が夜の闇を引き裂く。彼の顔にしわが刻まれ始め、茶色の髪が白く変わっていく。まるで加速された時の流れに飲み込まれたかのように、若者の体が老いていくのだ。


「放せ!早く!」ロイガーが叫び、保安官とともにサラスの体を引き離す。彼らは老いた姿のサラスを抱えるようにして、最寄りの家の扉を叩いた。扉を開けたのは、月光のように白い肌を持つ美しい女性と、背の高い男の夫婦だった。女性は窓から外を見やり、顔をしかめた。


「早く中へ」彼女は声を潜めながら言った。「あの醜いもの、見たくもない。早く」その優美な姿に、ロイガーは一瞬、言葉を失う。夫婦は躊躇なく三人を家の中に招き入れた。


安全な室内で息を整えながら、ロイガーは再び梁に刻まれた文様に目をやった。それは他の家のものと僅かに異なっているように見えた。より古い印象を受ける。


「この印について、もう少し詳しく教えていただけないだろうか」ロイガーは若い夫婦に尋ねた。


「ああ、これは遥か昔からの伝統です」夫が答える。「聞くところによれば、このあたりには魔術師の学び舎があったとか。私の祖父は、この文字も魔術師たちが残したものだと言っていました」その言葉には、古い知識を語り継ぐ者の誇りが感じられた。


ロイガーは黙って考え込んだ。窓の外では、老婆の幽霊が消えることなく、なおも徘徊を続けていた。その姿は、まるで時間そのものの重みを背負っているかのようだった。


朝になるとやはり老婆の幽霊は消えていき、ロイガーは宿に、保安官らはそれぞれ家に戻った。宿の一室で、ロイガーは落ち着かない仮眠を取った。閉じた瞼の裏に、あの女性の姿が浮かんでは消える。月光のように白い肌、しっとりと艶めく黒髪、都の貴婦人のような立ち振る舞い。彼女は相当な努力であの美貌を保っているのだろう、その努力は確かに報われている。リューナがいなくなってから、あんなにも艶めかしい肢体に魅入ったのは初めてだ。一方で、エーダの野花のような自然な明るさが、不思議な対比として心に浮かんでは消えていった。


午後、白馬亭の一階で保安官たちと対策を練る最中、女主人のヴェリアが青ざめた顔で駆け込んできた。


「信じられないことが...」彼女は震える声で話し始めた。「ブラーデル家が、あの存在を家の中に入れているというのです」その言葉に、集まっていた村人たちの間から驚きの声が漏れた。


三人は互いの顔を見合わせた。ヴェリアの案内で向かった先は、村一番の商人、トメラス・ブラーデルの邸宅だった。その立派な門構えは、この貧しい村にあっては異彩を放っている。門柱には他の家と同じように古い文様が刻まれていたが、より手の込んだ装飾が施されていた。


「毎晩、決まった時刻にやって来るのです」ブラーデルは、疲れた様子で椅子に深く腰掛けながら話した。日中の陽光の中でさえ、彼の顔は青ざめ、目の下には深い隈が刻まれている。「青白い顔をした紳士でね。礼儀正しく玄関を叩き、私の書斎で一杯の酒を飲み、金貨を一枚置いていく」


その言葉とは裏腹に、彼の容体は明らかに優れなかった。豊かな肉付きはしているが、それにもかかわらず今はやつれ、視線は落ち着きなく部屋の中を彷徨っていた。指先は微かに震え、時折、何かを求めるように虚空を掴もうとする。


「その金貨を見せていただけませんか?」保安官が尋ねると、ブラーデルは一瞬たじろいだ。しばらくの沈黙の後、彼は渋々三人を地下の金庫室へと案内した。階段を降りる間も、ブラーデルの足取りには奇妙な興奮が見え隠れしていた。まるで、大切な宝物を見せびらかす子供のような、そして同時に、暗い秘密を抱える者の後ろめたさのような。


薄暗い室内に、十数枚の金貨が並べられている。それらは確かに本物の輝きを放っていたが、その光には何か不自然なものがあった。まるで月下の幻のような、儚い美しさを帯びている。ブラーデルは彼らがそれに触れることを頑なに拒んだ。


「これは...」ロイガーは眉をひそめた。他の怪物たちが人々を襲う中、なぜこの青白い紳士だけが礼節を保ち、しかも金貨までもたらすのか。ブラーデルの衰弱は明らかだった。


「私にはもう、これしかないのです」ブラーデルは掠れた声で呟いた。「商売は上手くいかず、借金は増える一方で...でもあの方が来てくれる。私の話に耳を傾け、理解してくれる」


三人が立ち去る時、ブラーデルは金庫室の扉に手をかけ、まるで愛しい人を見るような目で金貨を見つめていた。その姿に、ロイガーは不意に自分自身の姿を重ねていた。かつてリューナを病で失った時の、あの深い喪失感と、失ったものを取り戻そうとする必死な執着を。


「あれは...」保安官が階段を上がりながら言った。「まるで、人の弱さに付け込むかのように...」


ロイガーは黙って頷いた。村を覆う異変の本質が、少しずつ見えてきていた。それは単なる怪異の出現ではない。人々の心の闇が形を取り、そして時にはその闇が、恐怖や甘美な誘惑となって現れるのだ。


白馬亭の一室で、ロイガーたち三人は過去三日間の出来事を振り返っていた。テーブルの上には、保安官が記録した怪異の記録が広げられている。村のおよその地図に、それぞれの幽霊や怪物の出現場所が書き込まれていた。


「気づいたことがある」保安官が指摘する。「奴らはそれぞれ、決まった家の周辺から離れようとしない」


「それに、こちらから手を出さない限りは...」サラスが言葉を継ぐ。老婆の呪いで一時的に老化した彼の姿は、幸いにも夜明けとともに元に戻っていた。


議論の最中、エーダが軽やかな足取りで部屋に入ってきた。「お食事の注文をお伺いしに」彼女は柔らかな微笑みを浮かべる。その姿は、重苦しい空気を一掃するかのようだった。


ロイガーは思わず彼女を見つめた。エーダの屈託のない様子には、まるで野原に咲く野花のような清々しさがあった。しかし、彼の表情は相変わらず険しいままだ。


「まあ、そんな怖い顔をして」エーダが茶目っ気たっぷりに言う。「怪物たちも今はおとなしいんでしょう? みなさん、三日も休まず働いているのだから、今夜はゆっくり休んだらどうですか」


その提案に、疲れを抱えた三人は素直に頷いた。しかし、ロイガーの心に一つの不安が湧き上がる。エーダのこの明るさが、あの怪物たちによって損なわれることがあるのかもしれないと考えると...


「お前の家の前には、何か現れるのか?」彼は思わず尋ねていた。


「私の家? 何も出ませんよ」エーダは首を傾げた。


三人は驚きの表情を交わした。今や村のどの家の前にも、一体や二体の怪物が出現するというのに。


「では、明日また」保安官が立ち上がる。まだ昼を過ぎたばかりだが、彼らには休息が必要だった。


「では、夕方にはアストヴェインさんのお部屋に、特別な夕食とお酒をお持ちしますね」エーダはロイガーに向かってウインクする。「私の村の英雄さんですから」


その言葉に、ロイガーの頬が赤く染まった。長年、人との温かい交流を避けてきた彼にとって、エーダの屈託のない親しさは、心地よくも戸惑わしいものだった。


小窓から差し込む陽はまだ高かった。だが今は休まねば。明日からは、この村の謎に、新たな視点で挑むことになるだろう。


部屋に戻ったロイガーは、戸枠に目をやった。そこにも確かに、あの古い文様が刻まれている。彼は受付に立ち寄り、街を含むこの地域一帯の地図を探してほしいと頼んだ後、疲れた体をベッドに横たえた。


まどろみの中で、かつての故郷の景色が断片的に浮かんでは消えた。リューナとの思い出、疫病の暗い日々、そして旅立ちの朝。しかし今、それらの記憶は以前ほどの痛みを伴わなかった。


目を覚ました時、部屋には夕陽が差し込んでいた。エーダが静かにテーブルに食事を並べ、地図を置こうとしているところだった。立ち去ろうとする彼女を、ロイガーは思わず呼び止めていた。


「申し訳ありません、お休みを妨げてしまって」エーダが柔らかく微笑む。


「いや...」言葉に詰まりながらも、ロイガーは彼女に席を勧めた。地図を広げながら、自然と会話が弾んでいく。村の歴史、人々の暮らし、そして近くの森の古い塔の話。その塔こそが、かつての魔術師たちの学び舎だったという。


「この塔は、もう誰も近づかないの」エーダは地図の上で一点を指差しながら言った。「子供の頃、友達と探検に行こうとして、親に叱られたわ」


ロイガーは黙って頷いた。彼の視線は地図から、エーダの指先へ、そして彼女の横顔へと移っていた。夕陽に照らされた横顔は、まるで絵画のように美しい。


「見つめすぎよ」エーダが茶目っ気たっぷりに言う。「そんなに怖い顔で見られたら、私も怖くなっちゃう」


「怖い顔か...」ロイガーは思わず自分の頬に手をやった。確かに、長年の旅の生活で彼の表情は険しくなりがちだった。「昔は、こんな顔じゃなかったんだがな」


「ふーん」エーダは身を乗り出し、彼の顔を覗き込むように近づいた。「どんな顔だったの?教えて」


その仕草に、ロイガーは思わず身を引こうとしたが、彼女の眼差しに引き込まれるように止まった。


「髭もなくて...もっと若かった。妻は、私の笑顔が好きだと言っていた」


言葉が口をついて出た瞬間、ロイガーは息を呑んだ。亡き妻のことを、他人に話したのは初めてだった。


エーダは静かに彼の腕に触れた。「きっと、素敵な笑顔だったんでしょうね」


彼女の声には、からかいの色は消えていた。しかし、思慮深げな柔らかさがあった。


「俺には似合わない」ロイガーは呟いた。「もう、昔の...」


「似合うわ」エーダは遮るように言った。そして、彼の髭に指を伸ばし、優しく撫でる。「だって、今だってたまに、柔らかな表情を見せる時があるもの」


「俺が?」


「ええ。今みたいに」彼女はくすりと笑った。「私と話している時」


その言葉に、ロイガーの胸の奥が熱くなった。エーダの指が彼の頬から顎へと移る。その感触は、まるで凍った湖面に春の陽射しが差すような、そんな温かさだった。


「お前は...不思議な娘だ」ロイガーは掠れた声で言った。


夕暮れの光が部屋を朱に染め、二人の影を長く伸ばしていく。エーダの指先が彼の顔を探るように触れる度、十年の歳月が作り上げた堅い殻が、少しずつ溶けていくような気がした。


話す程に、二人の距離は縮まっていった。エーダの髪から漂う草花の香り、柔らかな吐息が、彼の心を静かに揺らす。気がつけば二人はベッドに横たわり、彼女は戯れるように彼の髭に触れ、ごつごつした顔の輪郭をなぞっていた。

その仕草には、不思議な親密さがあった。それは単なる誘惑とも違う。長年の孤独が、ゆっくりと溶けていくような感覚。エーダの指先が彼の頬を撫でる度に、凍てついていた何かが、少しずつ温かさを取り戻していくようだった。

窓の外では、夕暮れの空が深い紫色に染まりつつあった。やがて闇が訪れ、村には再び得体の知れない存在たちが現れるだろう。しかし今のこの部屋には静かな時間が流れていた。


地図を片付けながら、ロイガーは森の古い塔のことを考えていた。あの建物こそが、この村の謎を解く鍵なのかもしれない。明日は早朝のうちに調査に向かおう―そう心に決めながら、彼は蝋燭の火を消した。

深い眠りに落ちる前、窓の外から聞こえてくる怪物たちの物音を無視しようと努める。しかし真夜中、激しい吐き気と寒気で目が覚めた。体が火照り、同時に冷や汗が背中を伝う。

「まさか、食事が...」そう思いかけて首を振った。エーダの作る料理が原因であるはずがない。彼女の心遣いは、むしろこの村で最も信頼できるものだ。

ベッドから起き上がろうとした時、窓の外に人影を見た。月明かりに照らされたその姿に、ロイガーの心臓が止まりそうになる。

「リューナ...?」

かすれた声が漏れる。そこにいたのは間違いなく、十年前に失った妻だった。髪は月の光のように白く、顔色は青ざめているものの、確かに彼の最愛の妻の姿をしている。その姿は、記憶の中の彼女そのままに、優しく、そして儚げだった。

理性は叫んでいた。これは怪物だ、近づくな、と。しかし体は既に動いていた。階段を駆け下り、宿の玄関へ向かう足音が、静まり返った館内に木霊する。その音は、十年前、疫病に冒されたリューナの部屋へと走った時の足音と重なっていた。

がたりと扉を開けると、そこに彼女は立っていた。青白い顔で、しかし優しく微笑みかけている。これは幻なのだ、怪物の仕業なのだ。だが、心は制御を失っていた。

十年分の想いを込めて、彼は妻を抱きしめた。その体は冷たく、かつての温もりはない。それでも、懐かしい香りと柔らかな髪の感触は、彼の記憶そのものだった。まるで、失われた時間の一片が、実体を持って目の前に現れたかのように。

「部屋に...入れて」リューナが囁く。その声は遠い井戸の底から響くように虚ろだったが、ロイガーには抗う力が残っていなかった。

階段を上がり、自室へと彼女を導く。月明かりの中、リューナの姿が揺らめくように見える。あるいは、自分の意識が揺らいでいるのかもしれない。頭に鈍い痛みを感じ始めていた。それは現実と幻想の境界が溶け始める感覚でもあった。


夜が明け、朝日が窓から差し込んだ時、ベッドの上で目覚めたロイガーは一人だった。リューナの姿は消え、代わりに激しい頭痛と胸焼けが彼を襲っていた。体の震えは収まらず、寒気と熱が交互に押し寄せる。それは単なる体調不良ではなく、魂を蝕む何かが体内に入り込んだような感覚だった。

窓の外では、朝の光が村を照らし始めていた。その光は容赦なく、現実の世界の存在を主張するかのように、彼の部屋に差し込んでいた。


エーダが部屋に朝食を運んでくる気配がした。ロイガーは布団を被り、顔を見られないようにした。彼女が部屋に入ってきても、彼は起きなかった。幻想に溺れる自分の姿を、彼女に見せたくはなかった。


真昼の陽射しが部屋に差し込んでいたが、ロイガーは重たい頭を上げる気力もなかった。保安官のザランが訪ねてきた時、彼は枕に顔を埋めたまま、かすれた声で「塔を調べてくれ」と告げただけだった。その声は、普段の落ち着いた調子を失っていた。


その夜もリューナは彼を訪れた。彼の心は深い葛藤に引き裂かれていた。村の異変を解決すれば、おそらくリューナの姿も消えてしまう。それは分かっていた。理性では、これが本当のリューナではないことを理解している。それでも、夜の彼女との時間は、失われた十年を取り戻すかのように愛おしかった。それは毒を知りながら、その甘美な味に溺れていくような感覚だった。


青白い顔をしたリューナは、かつての面影そのままに優しく微笑み、彼の手を取る。その指先は氷のように冷たいが、それでも彼女の仕草の一つ一つが、記憶の中の妻と寸分違わなかった。夜ごと繰り返される逢瀬は、現実とも幻ともつかない甘美な夢のようだった。まるで、時間の裂け目から覗く、失われた幸福の一片のように。


昼になると、エーダが食事を運んでくる。彼女の明るい声が部屋に響くたび、ロイガーは罪悪感に胸が締め付けられた。まるで不義を働いているかのような後ろめたさに、彼は素っ気ない態度を取らずにはいられなかった。エーダの存在は、今の彼には直視できないほどまぶしかった。


「顔色が悪すぎます」エーダは声を落として言った。その目には、何か言いよどむような翳りが浮かんでいた。「何か...あったんですか?」


ロイガーは視線を逸らし、答えなかった。エーダの足音が遠ざかっていく。その後ろ姿に、申し訳なさが込み上げてきた。


三日目には、彼の容体は明らかな衰弱を見せていた。寝汗で寝具は湿り、震える手は杯を持つことすらままならない。エーダは頻繁に部屋を訪れ、額の熱を確かめ、薬草を煎じた飲み物を持ってきた。彼女の手が彼の額に触れる度、その指先が震えているのが分かった。


「こんなことじゃ...」エーダが彼の手を取りながら言った。彼女の手のひらは暖かく、夜に感じるリューナの冷たい手とは違っていた。その違いが、ロイガーの心を深く揺さぶった。


窓の外では、日が傾きはじめている。やがて訪れる夜の帳と共に、リューナがまた現れるだろう。ロイガーは震える手で額の汗を拭った。甘美な毒と知りながら、彼にはもう逢瀬を断つ勇気が持てなかった。


夕暮れが近づく頃、保安官のザランが息を切らせて白馬亭にやってきた。彼はロイガーの部屋に入るなり、探索の結果を急いで報告し始めた。


「あの塔は、中に生えている灰白樹の力を借りて他の地域では『木の人』とも呼ばれる魔術師達の学び舎になっているということは前に話しましたね。中には、古い魔術の遺物が数多く残されていました」ザランは、埃だらけの服のまま椅子に腰を下ろす。「そして最上階に...巨大な鏡があったのです」


保安官の話によれば、その鏡は本来、頑丈な石の箱に封印されていたはずだった。しかし今は、その箱は壊され、鏡は露わになっている。たまたま通りかかった旅人か、あるいは子供たちが探検をするうちに壊してしまったのだろう。薄く青みがかった光を放つその鏡は、明らかに魔力を帯びていた。


「石板にその鏡の記録が残されていました」保安官は声を落として続けた。「古代の魔術師たちが修業のために作ったものだそうです。人の心の中にある恐れや執着を映し出し...そしてそれを現実の世界に送り出す」


ロイガーは震える手で額の汗を拭った。それは発熱のせいばかりではない。この三日間、彼の前に現れていたリューナの姿が、自分の執着心が生み出した幻であることを、はっきりと理解したからだ。


その夜も、リューナは彼を訪れた。ロイガーはふらつく足で階段を降り、玄関まで彼女を迎えに行った。リューナの冷たい手が彼の頬に触れる。その感触は毒のように甘美で、彼の意識を蝕んでいく。


翌日の昼下がり、いつもの時間になってもエーダは姿を見せなかった。心配になったロイガーがヴェリアに尋ねると、エーダもまた体調を崩してしまったという。


そして夕方、保安官が重い足取りで再び訪れた。「エーダの家の前に...」彼は言葉を選びながら続けた。その目は、ロイガーの顔を真っ直ぐに見据えていた。「昨夜、あなたの姿をした何かが立っていたそうです」


その言葉に、ロイガーの喉から低い呻き声が漏れた。エーダの家の前には何も現れないと聞いていたはずだ。


「まさか...」


ロイガーの頭の中で、断片的な記憶が繋がっていく。エーダが彼の部屋に朝食を運んでくる足音、さりげなく差し出される温かい茶、そして彼が冷たくあしらった数々の場面。彼女の中に芽生えていた想いに、気付かないふりをしていたのは、むしろ彼の方だったのではないか。


窓の外では、また日が傾き始めていた。今宵も、リューナが彼を訪れるだろう。しかし今、その甘美な逢瀬は、エーダの命さえも危険に晒すことを意味している。ロイガーは震える手で扉を開け、階段を下りていった。


月が雲に隠れる頃、リューナは再びロイガーの元を訪れた。彼は震える手で扉を開け、彼女を部屋に招き入れた。リューナは優しく微笑みながら、いつものように彼に寄り添おうとする。その姿は、十年前の幸せな日々そのままだった。しかし今夜、ロイガーは一歩身を引いた。


「話がある」彼の声は掠れていた。「エーダの家の前に...俺の姿をしたものが現れたそうだ。それを消す方法を、お前は知っているだろう?」


リューナの表情が曇った。月明かりに照らされた彼女の青白い顔に、深い悲しみが浮かぶ。その表情は、疫病に冒された最期の日々に見せた表情と重なって、ロイガーの胸を締め付けた。


「どうして...」リューナは問いを避けるように呟く。その声は、まるで遠い記憶の中からこぼれ落ちてくるようだった。彼が再び尋ねると、彼女は切なげな眼差しを向けた。「なぜ消したいの?それでそのあなたを消したら、次はだれを消すの?」彼女はしていないはずの息をのんだ。「私?」


その言葉に、ロイガーは言葉を失った。静寂が部屋を満たす。窓から差し込む月の光が、二人の影を床に落としている。その影は、現実の世界と幻想の世界の境界線のようにも見えた。


ロイガーの耳に、エーダの咳込む声が蘇った。彼女の明るさ、優しさ、そして今や病に伏してしまった姿を思い浮かべた。それは幻ではない、確かな命だった。現実の命が、彼の執着のために危険に晒されている。ロイガーはベッドから離れ、背を向けて立ち上がった。その足取りは、まだ震えていた。


「辛いが...去ってくれ」


その言葉とともに、リューナの姿が風に揺れる炎のように揺らめいた。ロイガーは思わず手を伸ばしたが、すぐに引っ込めた。そして、自分自身に言い聞かせるように言葉を重ねた。


「お前は...去らねば。俺たちの時間は、もう終わっているんだ」


リューナの姿が大きく揺らいだ。耐えきれなくなったロイガーは、思わず振り返って彼女を抱きしめた。冷たい体に、最後の温もりを伝えるように。それは同時に、過去への執着から自らを解き放つための儀式のようでもあった。


「愛している」彼は囁いた。その言葉には、深い感謝と、永遠の別れの意味が込められていた。「だからこそ、お前は去らなければいけないんだ。俺たちは、もう違う世界の者なんだから」


リューナは、かつてロイガーが最も愛した笑顔を浮かべた。それは彼女が生前、幸せだった日々に見せた、あの優しい微笑みだった。しかし今、その笑顔には諦めと受容が混ざっているように見えた。


「幸せになって」リューナの最後の言葉が、かすかに響く。その声は、もはや遠くから聞こえてくるようだった。そして彼女の姿は、その表情のまま、月光の中に溶けるように消えていった。


今度の別れは、十年前よりも穏やかだった。愛する者を自らの意志で手放すことを選んだのだから。東の空がわずかに明るさを帯び始めている。ロイガーは窓辺に立ち、朝を待った。


夜が明けると、ロイガーの体から重たい熱が去っていった。窓から差し込む朝日が、新たな日の始まりを告げている。彼の心には、深い悲しみと共に、何か清々しいものが芽生えていた。


朝日とともに体調が回復したロイガーは、すぐに保安官を訪ねた。早朝の空気が冷たく頬を打つ。


「見つけたんだ、怪異を消す方法を」彼は身を乗り出して説明した。「あの存在たちに触れ、去るように命じれば消えていく。村中に伝えてくれ」


保安官とサラスは顔を見合わせ、すぐさま各家を回り始めた。しかしロイガーの足は、迷うことなくエーダの家へと向かった。


病床のエーダは、肩まで布団を引き上げ、小さく身を縮めていた。かつて宿で客に声をかける時のような明るさは影を潜め、まるで叱られる子供のように、ロイガーの顔を直視しようとしない。彼は静かに近寄り、彼女の額に手を当てた。


「夜に来るのは、本物の俺じゃない」ロイガーは穏やかに告げた。「あれは、お前の心が呼び出した存在だ。お前が『去れ』と言えば、消えていく」


エーダは布団の中で身じろぎし、長い沈黙の後、かすれた声で言った。「その人が消えたら...あなたも、いなくなるのよね」


その問いかけに、ロイガーは答えることができなかった。確かに彼は旅を続けるつもりだった。しかし今は、目の前のエーダを救うことだけを考えていた。


夜が訪れ、月が昇る頃、窓の外に人影が現れた。ロイガーの姿をしたそれは、まるで恋人を待つように佇んでいる。


「一緒に行こう」ロイガーはエーダの手を取り、玄関まで導いた。


扉を開けると、もう一人のロイガーがそこに立っていた。エーダの手が震え、頬を伝う涙が月明かりに光る。

「いや」

彼女は顔を背け、現実のロイガーからも、幻のロイガーからも目を逸らした。


その時、ロイガーは彼女の手をより強く握った。「俺はこれからもここにいる」彼は強く、しかし優しく言った。「いや...いたいんだ」


その言葉に、エーダの震えが止まった。彼女はゆっくりと顔を上げ、幻のロイガーに向き直る。そして震える手を伸ばし、その存在に触れた。


「消えて」彼女の声は小さかったが、確かだった。


幻のロイガーは、穏やかな微笑みを浮かべながら、夜の闇に溶けていった。残されたのは、本物のロイガーと、彼の腕の中で震えるエーダ。そして、二人を見守る満月の光だった。


翌朝、ロイガーは保安官のザラン・ドゥームと共に魔法の鏡のある廃墟へと向かった。崩れかけた石段を上り、塔の最上階へ着く。錆びついた扉を開くと、埃まみれの部屋が現れた。薄暗い空間に、壁一面を覆う古めかしい書架。その中央に置かれた台座には、青白い淡い光を放ちながらも黒ずんだ鏡が立てかけられていた。

かつて魔術師たちの研究室だったこの部屋で、幾多の実験が行われ、そして失敗したのだろう。床には焦げ跡が残り、壁には判読不能な文字が走っている。天井からは細い光が差し込み、空気中を漂う埃を淡く照らしていた。


「残念ですが、私たちにはこの鏡の魔力を封じる力はありません。でも、もともと石壁に覆われていたものですし、ここから出た存在達も石壁を通り抜けることはできなかった。だから、石で覆えば鏡の影響は遮断できると思います。もしまた問題になるようなら、その時はよそから専門家を呼びましょう」


彼らは村の若者を集め、一日かけて沢山の岩を塔の鏡の部屋に運び上げた。そして鏡はすっかり外から見えなくなった。


「これで村は安全になる」ザランは深いため息をつきながら言った。ロイガーは無言で頷いた。


その後、村人たちは次々と自分たちを苦しめていた存在に向き合っていった。織物屋の前で徘徊していた老婆の幽霊も、パン屋の息子を脅かしていた獣も、人々の声かけによって闇へと消えていった。ブラーデルは青白い紳士を送り出した翌朝、金庫室で枯れ葉となった金貨を前に嘆き続けていたという。


秋の陽射しが保安官事務所の窓から差し込んでいた。ロイガーは机に向かい、村の巡回記録を整理している。正式な保安官にはならなかったが、必要な時には力を貸すことにしていた。その傍ら、白馬亭でも働き、村の生活に少しずつ馴染んでいった。


とはいえ、これが最終的な形ではないことを、彼も村の人々も知っていた。ロイガーは自分の商売を始めるか、あるいは畑を持つことを考えていた。旅人が、土を耕す農夫になる。それは彼にとって、新しい人生だった。


日が暮れると、彼の足は自然とエーダの家へと向かう。それは今や彼の家でもあった。扉を開けると、エーダの声が響いてくる。以前にも増して快活になった彼女は、時にロイガーを手玉に取るように、軽やかに暮らしを取り仕切っていた。


「また机の上に書類を散らかしっぱなしでしょう?」エーダは茶目っ気たっぷりに言う。「明日、片付けに行かなきゃ」


ロイガーは苦笑いしながら頷くしかない。かつての旅人が、若い娘に尻に敷かれ、村人たちの笑い話にもなっていた。


しかしエーダは、真剣な表情で語ることもあった。「あの出来事で、私は自分の弱さを知ったの」彼女は静かに言う。「あなたは私の弱点であり、同時に私の強さなの」


その言葉は、ロイガーの心にも深く響いた。彼もまた、エーダという存在によって弱くなり、そして強くなった。妻の死後、世界への絶望から逃れるように旅を続けた男は、今や確かな帰る場所を持っている。


窓の外では、夕暮れの空が茜色に染まっていく。もう誰も恐れる必要のない、穏やかな闇が村を包み始めていた。二人の影が、一つに重なって壁に映る。それは今や、誰かの心が生み出した幻ではなく、確かな現実だった。


書いてみると、自分の問題もわかります。テーマが他の作品と似通っているとか、伝統的な男女像に縛られているとか…。ちょっと古臭い。

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