8:市場で思う。
ちょっと気まずいような空気で走ること五分、目的地に到着したらしく馬車が止まった。スヴェンに手伝われつつ馬車を降りると、何やら人の賑わいがある場所だった。
大きな噴水を中心とした丸い広場には、外枠に沿って食べ物や衣類、雑貨などの屋台が円形状に所狭しと並んでいる。少し冬の装いになりつつある人々が楽しそうに話しながら歩いたり、屋台に並んだものを手に取り店員さんと楽しそうに話していた。
内側の噴水の側には木製のベンチやテーブル席みたいなものが並んでいて、好き好きに使っているようだった。
「ここは?」
「市場だ。今の時期は冬に備えるための店が多く出ている」
「へぇ。凄く賑わっていますね」
「あぁ」
そこからどこかに移動するのかと思ったけど、そうじゃないらしい。
「市場を視察するんですか?」
「ん? あ、あぁ」
妙に言葉を濁すスヴェン。市場視察の理由とか目的は教えてもらえなかった。
そもそも視察ってどんなことをするんだろうか、と首を傾げつつ辺りを見回していると、スヴェンが右肘をくいっとこっちに差し出すような仕草をしたけど、それがなんなのか分からずにジッと見ていると、クスリと笑われてしまった。
スヴェンに右肘の内側に左手を添えるように言われたのでそうしたら、これがエスコートのスタイルなのだと教えられた。
そもそもエスコートっていうのがよくわかんないけど、軽く腕組んで歩く的な感じでいいのかな。なんか恋人っぽいね。
「領主様、本日は何かご用で?」
「今年も盛況のようだな、ゴージュ」
「はい、おかげさまで。お連れされているのはどこのお嬢――――ヒッ!? 奥様でしたか……これはこれは…………」
スヴェンと歩き出したところで、毛皮のコートっぽいものを着た初老の男性に話しかけられた。どうやらスヴェンはとても慕われているらしい。周りにいる人々が『領主様』だと言ったり、姿を見て微笑んで近づいてくるのだ。
私はというと、キャスリンだと認識された瞬間に怯えられ、距離を取られた。
初老の男性も同じで、挨拶もそこそこに引きつった笑顔を貼り付けて、逃げるように立ち去ってしまった。
「おっ、領主様じゃないかい! 今日はどうしたんだい?」
果物を所狭しと並べている屋台の中から、恰幅のいいおばさんが手を振って話しかけてきた。
「視察だ。オルガ、冬に向けて対策はできているか?」
「大丈夫だよ! 保存食も薪も十分に行き渡って…………奥様!? っ、しししし失礼いたしました」
おばさんも『奥様』の存在に気付いた瞬間に、大慌て。なぜだ。
スヴェン自身はそんなに気にしていない雰囲気だから、キャスリンを連れているとこういう反応をされるのは分かりきっていたんだと思う。
それにしても、スヴェンはよく話しかけられる。市場に来て数分で五人を超えた。基本的にスヴェンを見つけて笑顔で話しかけて来て、私を見て顔を青褪めさる。なんか情緒不安定にさせて申し訳ない。
私がいないほうが視察が捗りそうだなと思い、噴水のそばにあるベンチで少し休憩したいから、スヴェンは視察を続けてと伝えると、なぜか眉間にシワを寄せられてしまった。
「体調がすぐれないのか?」
「あっ、いえ、違うんです。ただ、この賑わった雰囲気を少し眺めていたいなって」
嘘じゃない。それも本当の気持ちだ。
元の世界でもこういう場所があった。服装や売っているものこそ違えど、クリスマスマーケットみたいな雰囲気で、ただ眺めているだけでなんとなく落ち着くのだ。
「そうか。それなら少しだけ挨拶を済ませてくる」
スヴェンが一緒に連れてきていた従僕の男性に、私に付いておくよう指示していた。男性の顔は青褪めきっているんだけど、本当になんでそんな反応されるかなぁ。キャスリンは一体なにをやらかしていたのよ? 聞くのも怖いわ。
少しこちらを気にしつつ歩き始めたスヴェンを見送り、従僕の男性にベンチに座るか聞いたけど、脂汗ダラダラに必死に断られた。なんでそんなに死刑宣告を受けたみたいな反応になるのやら。
「……はぁ」
従僕の男性は私の後ろに立っているらしいので、市場内を歩いていくスヴェンに視線を戻した。
数歩進んではいろんな人と話し、屋台の中を覗いて商品を指さしながら何やら話し込んだりしている。噴水のベンチからは市場全体が見回せるから、スヴェンを見失うことはなかった。
スヴェン側からも私はしっかりと見えているようで、時々視線が合う。あれは私がちゃんといるか、何かやらかしてないかとかの確認の視線なのだろうか?
大丈夫ですよー、本物のキャスリンみたいな行動はやろうと思っても出来ないですよー、空気のようにここに座って賑わいを楽しんでますよー、と目を細めて無害感を醸し出して微笑んでおいた。
出来てるかはわからないけど、気持ちだけは。
スヴェンは本当にいい領主なんだと思う。
噴水近くにいた子どもたちが、「あー! りょーしゅさまだ!」とか叫んでスヴェンの方に走って行くのだ。そして駆け寄られたスヴェンは幼い子を抱き上げて何やら話を聞いてあげている風だった。
ほんと、いい人なんだよね。
キャスリンはスヴェンの何が不満だったんだろ?