3:上から!
昨日のドタバタからすっかり疲れ果てて、夜はぐっすりと寝てしまっていた。おかげで、朝起きるとキャスリンとの通信の時間が迫っていた。慌てて着替えを終わらせて、目覚めの用のお茶を飲んでいると、コンコンコンと柔らかなノックが聞こえた。
やっばい、もう来ちゃったよ。
「はーい!」
扉を開けると、スヴェンが不機嫌そうな顔で仁王立ちしていた。背が高いのだ、それだけで威圧感があるのに、人を見下ろしながら凄まないでほしい。余計に怖いじゃないの。
「おはようございます!」
「…………で?」
笑顔で明るく挨拶したけれど、スヴェンの立つ廊下はブリザード吹き荒んでいる気がする。
やばい、ドア閉めたい。だけど、ここで引いたらダメだ。何が何でも、彼を味方に付けないと、生きていけない気がする。
「こちらに来てください!」
スヴェンの右手をがっしりと掴んでグイグイと引っ張り、むりやり鏡台の前に連れてきた。
「何だこれは。暇だからといって鏡に悪戯をするな! 子どもでもあるまいし」
「いたずら?」
「インクで鏡を黒く塗っているだろうが」
鏡を黒く塗るなと怒られたけど、普通に考えて塗る人とかいる? てか、なんでこんなにキャスリンは怒られてるのよ。
そもそもキャスリンって、鏡を黒塗りにしそうなくらいいたずらするの?
え、いったい他に何をやらかしてるのよ。
「ちょっと待っててくだ――――」
『ふあぁぁ。おはよー…………あら? ごきげんよう?』
スヴェンが立ち去ろうとしたので、慌ててまたもや右手首をがっしり掴んで、なんとか引き止めようとして「触るな」とか言われていたら、約束の時間になっていたらしい。私の姿をしたキャスリンがぬるーっと現れた。
ありがとうキャスリン!
いま初めて貴女に心から感謝したわ!
「なん、だこれは……鏡ではなかったのか」
『ちょっとぉ、リン! スヴェンを連れてくるなんて酷いじゃない!』
「だって! 私の味方いないのよ!?」
こんな大きなお城みたいなところで、たった一人でずっと部屋に籠もってるのよ!? 引き籠もり自体は、自分の選択だけども。
『私もいないし』
「っ、そりゃそうだけど……そもそもキャスリンの悪行で窮地に陥ってるんだから、協力してよ!」
『はぁ? この入れ替わりって、リンが原因でしょ?』
「っ、そうかもしれないけどっ」
私とキャスリンがワーワーと言い合っているのを、スヴェンはただ静かに見ていた。
「……お前たち、もしかして…………」
『あっ! もうこんな時間じゃない!』
スヴェンが何かを言おうとした瞬間、キャスリンが仕事に出ないといけないから! とか言いだして逃げてしまった。鏡はまた真っ暗。
仕事に出るのは八時半なのに。絶対に逃げただけだよね、あれ。
「ふむ……なんとなく解った。なにか不思議な力が働いているようだな」
「はい」
「未だに信じられないが。あの半裸の女は、キャスリンなのだな?」
――――半裸? あ!
初日からずっと当たり前のように下着姿で出てきていたから、気にもとめてなかった。そして、今日もそのまま話してた。何だこれ変に恥ずかしい。
「ちょ! あれは! わわわ忘れてぇぇぇ!」
「なるほど。そして、あの姿の中身が君だと」
「ちょ、脳内から消してって!」
「ふっ、ふははははは!」
急にスヴェンがお腹を抱えて笑い出した。
目が潰れるほどのイケメンが少年のように笑う姿は、なんだか胸がキュンとした。
スヴェンいわく、意味がわからなさすぎて面白かったらしい。意味がわからないのはこっちもだ。なんで入れ替わってるのよ。
あと、未だに私を見ながら笑ってるけど、ちょっと失礼過ぎない!?
「取り敢えずは、離婚は中止にしてやろう」
「上からっ!? でもありがとうございます」
「うん。中身が変わると、顔つきも変わるんだな。面白い」
さっきからずっと会話中に「ふむ」とか「面白い」とか言っている。何が面白いのか。こちとら全然面白くない。
「先ず、話し方だな。あの女とは全く違う」
「たしかに?」
「それに表情もかな」
「同じ顔なのに?」
「あぁ。あの女の、嫌になるほどの自信満々さが飛んでこない」
自信満々が飛んでくるってどういう意味よ? そも、顔というか表情からどうやって飛ばすのよ? そう聞こうとしてたんだけど、さっきから私のお腹がグルグルギョルルルルと音を出してしまっていて、会話の邪魔になりだした。
なんで今なのよ。
「とりあえず……朝食にするか。腹の音がうるさい」
「…………」
いや、朝イチでお茶飲んだから、腸内が動き出しただけだと思うのよ……ギョルッとね。いやまぁ、ちょっとお腹は減ってるけど。
「君もまだ食べてはいないんだろう?」
「あ、はい。まだ食べてないですね」
ついさっき起きちゃったから。
「ならばついてきなさい」
「どこに行くんです?」
「食堂だ。部屋で食事を取るのはやめなさい。迷惑だ」
「……はい。ごめんなさい」
そりゃそうよね。
全貌は把握してないけど、本の挿絵で見てた限り、ちょい大きめの旅館くらいの大きさのお城だった。そんなところで、部屋まで食事を運ばせるなんて、割と使用人泣かせだわ。
「っふ……」
「ん? なにかいいました」
「いや。とにかく、これからは食事は食堂で取るように」
「はい」
スヴェンが『これからは』と言った。ということはだ、ここに居ていいということなんだろうな。
どうにかこうにか安全に暮らせそうなので、ちょっとホッとした。
ホッとしたら、まためちゃくちゃお腹が鳴った。
「っははははは!」
またもやスヴェンに大笑いされてしまった。
世の中の女子って、どうやってお腹の音を抑えてるの? 気力とかなんかそんなんじゃ、止まらないんだけど?