キャスリン閑話②:悪巧み
「は? 木八洲さん、記憶喪失なんですか? それで働かせているんですか?」
「えぇ」
「ええって店長、そういうのは報告してもらわないと困りますよ」
「ですが、個人情報ですし――」
それを聞いたのはたまたまだった。ウジウジ言うリンに喝を入れて強制的に会話を終わらせて、面倒だからと早めに家を出たせい。
バックルームから漏れ聞こえた声で、店長様が黒ぶち眼鏡をかけたスーツの男性に叱責を受けているようだった。私のことで。
「店長様は悪くありませんわ!」
半分ほど開いていたドアを勢いよく全開にし、バックルームに乱入、というほど荒くはないけれど、店長様を守らねばという気持ちの勢いはあった。
「お話の邪魔をして申し訳ございません。店長様を責めないでいただきたいですわ」
「店長様……? ですわ? は? り……んんっ。木八洲さん?」
あら? いまこの男性、私のことを下の名前で呼びかけていませんでした? 誰なのかしら? リンから友人や家族のことはある程度聞いていたけれど、記憶にないわね。
「記憶喪失というのは本当なんですか?」
「ええ、そうですわ」
「そんなに胸を張って言われても……っていうかなんだよその口調は。あと、どの部分が記憶喪失なんだよ」
「全てですわよ」
「……は? すべて?」
リンと私は他人なので、厳密には記憶喪失でもないし、なぜか多少の記憶の混線があるので、微妙なところではあるけれど、そういうことにしておきたいのよね。
収入源の確保は大切らしいしね。
「お前……おっちゃんとおばちゃんには!?」
黒ぶち眼鏡の男性がパーソナルスペースを通り越して近付いてくる。なんというか失礼な方ね。
そして、両腕を横からガシッと掴まれて、ガクガクと揺らされた。脳震とうを起こしますわよ?
「おっちゃん様とおばちゃん様とはどちらの方で? それよりも、淑女に不躾に触れるのはどうかと思いますが? 手を離していただけません?」
「は!? ちょ、店長、マジでどういうことなんですか!?」
黒ぶち眼鏡の男性が慌てたように店長様に詰め寄っていました。店長様は黒ぶち眼鏡の男性より混乱したご様子。
「え……ええと、黒田エリアマネージャーのほうが、どういうことなのでしょうか? 木八洲さんの知り合いなんですか?」
「あ――――」
男性がしまった、とでも言いそうな表情で固まっていますね。なにか重大な失態があったようね。
あらあら、これは過去に何かあったパターンかしら? 男と女的な方向で。うふふふ、スヴェンの恋路の危機かしら? ざまぁみろですわね。
なーんて、期待したんだけど、流石リン。驚くほどに何もなかった。どう深掘りしても、何も起きていなかったし、眼中にもなかった。
眼鏡の男性は、リンの友だちのお兄様で、幼なじみのよう。名前は、黒田玲。
家に帰って聞いてみれば、リンが「玲くんモテるから、知り合いってバレるとなんか面倒で。特に話すこともないし」と、ただ単に知り合いだけど女のやっかみ的なものに昔から巻き込まれていたから、他人のふりをお互いにしていただけだとあっけらかんと話すリン。
黒田玲の方は、そうでもなさそうな言動だったのよねぇ。
「すっかり忘れてた、玲くんのこと」
「相手は貴女のこと――――」
好きそうよ。なんて言って、私は二人をどうしたいのかしら?
「私のこと? 心配してくれてたよねぇ。玲くん誰にでも優しいもんなぁ」
あぁ、これは彼の想いは全く伝わっていなかったようね。
あの後、彼を落ち着かせるのに酷く時間を要しました。
リンの友人や両親に記憶喪失のことを内緒にする代わりに、無理やり連絡先の交換をさせられましたし。
「玲くんと連絡先の交換? 話すことなくない?」
「っ、ふふふふふっ。ええ、ないわね」
――――貴女は。
「だよねぇ?」
あぁ、黒田玲、貴方ってなんて可哀想なのかしら。
「キャスリン、笑顔が悪役のソレなんだけど……」
「あら? 私、悪役令嬢でしょ?」
「そうだけど。私の顔でやらないでよぉ」
「うふふ。この体はもう私のものよ? 好きに使わせなさいよ」
そう言うと、リンは諦めたようにはいはいと返事し、キャスリンは自由よねぇと独り言ちていた。
お人好しのリン。そういうところが大好きよと言うと、顔を真っ赤にして照れていた。
この調子じゃ、スヴェンの恋路もかなり険しそうね?
黒田玲の恋路を応援して嫌がらせをするか、可能性のない恋路を歩む黒田玲を弄って遊ぶか、悩ましいところよね。
「ごきげんよう、黒田エリマ――玲くん?」
「っ、凜! 思い出したのか!?」
「いいえ。これっぽっちも」
あれ以来、頻繁にメッセージを送ってくるし、妙に店舗に顔を出すようになった黒田エリマネ。にっこり笑ってリンみたいに『玲くん』と呼ぶと歓喜したり、分かりやすく落胆したり。
あぁ、貴族たちもこれくらい分かりやすく感情を出してくれたのなら、あちらの生活も楽しかったでしょうにね。
リンは相変わらず黒田玲のことは眼中になし。
友だちには定期的にメッセージを送れと言うくせに、黒田玲からのメッセージの返事に関しては「え? キャスリンに送ってきてるようなものだしなぁ?」と、返事は私が適当にしておいていいんじゃないかと言う始末。
黒田玲、貴方って本当に可哀想ねぇ。そして、凄く可愛いわね――――。





