キャスリン閑話①:私らしく
望まぬ結婚、望まぬ相手、望まぬ生活。
幼かった私はそれに耐えることが出来ず、スヴェンや使用人たちに当たり散らしていた。
本当は分かってはいた。このままでは駄目だということは――――。
木八洲 凛。
それがこの世界での私の名前。
キャスリン・フィグマール辺境伯夫人だったはずなのに、気が付いたら知らない世界の知らない部屋で、下着姿でベッドに寝転がっていた。
初めは夢だと思っていたけれど、鏡の中で凛と目が合って、自然と状況が脳内に流れ込んできた。
凛と私は鏡合わせのようだった。
色んなことに我慢し続け、それでも前を向くのが凛。
色んなことに我慢し続け、周囲に当たり散らすのが私。
凛と入れ替わって、驚くほどに自分の性格が変わったと感じた。
たぶん、この体が凛でありキャスリンになったからなのだと思う。ただそれは、凛と私が一つになっているというわけではなく、私の中に少しだけ凛の要素が混ざったような感覚。
それは、きっと凛も感じているはず。
『キャスリン、なんでそんなに馴染んでるのよ……』
「さぁ? それより凛! これ美味しいの!?」
鏡の中で口を尖らせて、プチプチと文句を言う凛。
見た目は私だけど、私じゃない。この変な感覚には少しだけ慣れない。
凛は文句を言いつつも、聞かれたことに真面目に返答する。本来の凛は、きっと何にでも前向きにチャレンジしていく性格。
私と入れ替わったことで、私の臆病な性格が少しだけ混ざってしまって、凛は部屋から出られなくなっている。
――――早く気付きなさいな。
私は優しくないから、教えてあげない。
でも少しだけ後押ししてあげようかしら?
『好きに過ごせばいいじゃない』
「その『好きに』ってのが、ヤバいんだって!」
凛が、私は好き勝手に生き過ぎだと言う。
『それは、こっちの世界で過ごして、なんとなくわかってきたわよ』
「ほんとにぃ? 王命で結婚したのに、離婚言い渡されるレベルなのに!?」
『うるさいわね。凛の貯蓄切り崩すわよ?』
「ちょ、それはやめて、まじでやめて……ほんとにっ」
顔面蒼白でそう言われたけど、たった二百万円ぽっちじゃないの。って、これを言ったら凛は物凄く怒りそう。だって、この世界でお金を稼ぐのって本当に大変だから。
「嘘よ。嘘だけど、それくらい好きに生きたって、あの男は眉間に皺を寄せる程度よ」
『皺、寄せられてるんじゃん……』
呆れ顔の凛。凛は表情をクルクルと変える。
鏡に映っているのは、キャスリン・フィグマール。
中身は凛だけど、身体は私。
不思議なもので、私ってこんな顔も出来たのね、なんて感慨深くもある。
――――ふふっ。
凛がキョトンとした顔で『急に笑って、どうしたの?』と首を傾げて聞いてきた。どうやら口から漏れ出ていたらしい。
「なんでもないわよ。ただ、この世界って楽しいなって思ってね」
『むーっ。満喫してる……』
「ええ、満喫してるわよ。だかろ、貴女も満喫なさい。元に戻れるかなんて分からないんだから、今を生きなさいよ! じゃあね!」
手を振って鏡に布を掛ける。そうでないと、四六時中繋がったままだから。
元に戻れるかなんて、誰にも分からない。
凛はその言葉で少し不安そうな顔になる。
それが分かっていながら、私は凛にそれを言う。
「希望も大切だけど、ね」
自分に言い聞かせるように、独り言ちた。
私だって不安はある。知らないことだらけの、技術が躍進した世界。
あの世界にこの世界のものがあったら、私は退屈せず、腐らず、人に当たり散らさずに生きれたろうか?
「…………無理ね」
自分の性格はよく分かっている。
あの日、スヴェンに呼び出されて長い長い前置きを聞いていて理解していた。
これで終われる。
愛なんてない、心の自由もない結婚から、やっと解放されるんだなと、ホッとした。
王命に逆らうことにはなるけれど、お父様がなんとかするだろうし。それくらいの甲斐性はあるもの。
「さて」
化粧をして、服を着て、凛の仕事場に向かう。
「おはようございまーす!」
「木八洲さん、おはよう」
「凛ちゃん、おはよー」
今日も楽しく、私らしく働こう――――。





