1:はいぃぃぃぃ!? 本の中なの?
「君とはもうやっていけない。離婚して欲しい」
――――はい?
「え? あれ? え、ええ?」
目の前には、銀髪碧眼の目が潰れそうなほどのイケメン。
さっきまで読んでいた小説の挿絵にそっくりな……そっくり…………はいぃぃぃ?
慌てて辺りを見回すけれど、どこもかしこも見たことがないのに見たことあるような、謎の空間。いや、豪華な洋館の大広間って感じの場所ではあるんだけどね。
何だか脳がバグってるような感覚が消えない。
目の前にいる人物の視線があまりにも鋭くて、目をスイーッと逸らしたら、窓ガラスに派手な盛り髪の金髪女性が映っていた。
『キャスリン・フィグマール辺境伯夫人』
読んでいた本の登場人物で、いま私を睨みつけている目が潰れそうな程のイケメン――スヴェン・フィグマール辺境伯の妻。
そっと自分の頬に触れてみる。
窓に映ったキャスリンも同じ動きをする。
――――はいぃぃぃ?
気分が優れない。
少し時間がほしい。
きちんと話し合いはするから、と必死にお願いして、とりあえず目の前で起きている『悪役令嬢断罪』の瞬間を先延ばしにしてみた。
全速力で自室に逃げ込み、ウロウロ。
考えをまとめよう。
ここは本の中の世界?
私は木八洲 凛。
だけどキャスリン・フィグマール辺境伯夫人になってる?
やだ、名前が被ってるじゃん……とか思いつつ読んでいた本の登場人物である悪役令嬢に? え? 情報過多すぎない?
キャスリンは、辺境伯が国王からむりやり押し付けられた妻、って書いてあった。
国境の要として武功をあげている彼のもつ軍事力は計り知れない。反逆とまではいかなくとも、独立などの離反を国は恐れた。王族と縁続きにして裏切られないようにするため、二人は結婚させられたのだ。
辺境伯はそういった国の考えも理解できたので、仕方無しに受け入れていた。
しかし、たまたま手頃な年齢だったからと白羽の矢が立ってしまったキャスリンは猛反発。元々甘やかされて育てられていた、直系ではないものの王族の一員であるワガママ令嬢だった。
キャスリンはここで、ワガママにワガママを重ねていた。
辺境伯の財産を湯水のように使い、宝石やドレスを王都から取り寄せていたし、使用人たちを不当に扱うどころか、体罰も行っていた。
そして、主人公であるスヴェン――辺境伯には、白い結婚を強要していた。
面倒だと感じていたスヴェンは自由にさせていたものの、キャスリンが些細な失敗をした幼いフットマンを鞭で打つ姿を目にして、これはもう無理だと悟った。
そして、離婚を言い渡そうとしていた瞬間がさっき。
「まじか……どうしよ…………」
さっき読み始めたばっかりだったから、このあとの展開とか知らない。
表紙にいたピンクゴールドゆるふわウエーブの女の子が可愛いな、ヒーローめっちゃイケメンって思って買っただけだった。
有名ブランドショップの店員という、気を張りつづける接客業に、疲れまくって癒やされたかっただけだった。
「……取り敢えず脱ご」
先ずは盛り盛りに盛られた頭と苦しいドレスをどうにかしたいと思い、鏡台に向かった瞬間だった。
鏡面がグニャリと歪み、ぼやぁと浮かび上がってきたのは、さっきまで居たはずの私の部屋。
そして、半裸――下着姿で部屋を荒らす私。
「は? ちょ!? 何して…………」
『え? あっ! ねえ! この体って貴女のよね!?』
「は!?」
鏡のむこう側で、半裸の私が何やら楽しそうに話し始めた。
『ねぇねぇこの下着もっとないの!?』
「え、あ……後ろの白いキャビネットの二番目に」
『あら! 黄色もいいわね!』
「あのー」
『なに?』
「いえ、何してるのかなと」
たぶん、中身はキャスリン。
そしてキャスリンは、なんだか自由な子供といった感じだった。
よくよく聞けば、キャスリンは十八歳で嫁いで、今は二十歳。辺境伯は三十二歳。
「結構年が離れてたのね」
『あんなおじさんと結婚させられて、本当に最悪だったのよ! 呼び出されてまた説教されると思ってたら、こんな夢の世界みたいなところに来られるなんて! ねぇねぇねぇ――――』
キャスリンは私の部屋をガンガンに荒らしながら、下着や服を取り出しては着替えて一人ファッションショーをしていた。
『オバサンになってしまったのは最悪だけど、黒い髪って素敵だし、この簡素なドレスも素敵! 私、ずっとここで暮らすわ!』
「え……」
いや待って! と、説得しようと思ったものの、仕事に疲れ果てて転職を本気で考えていた私は、少しだけこっちの世界で休暇のようなことをしてみたくなった。
だって、明日は休みなのだ、ちょっと時間がある。
そもそもどうやって元に戻るかもわからないし、とりあえず双方の情報交換をすることにした。……んだけど、徹夜で元の世界や日本のことをキャスリンに教え込むハメになるとは思わなかった。
よくよく考えれば分かることだったのに。目の前の餌に釣られすぎよね、私。
電気ガス水道の説明は、直ぐに理解した。この世界に電気ないのによく分かるわね? ガスもないのに、コンロで火をつけてなぜかキャッキャと楽しそうにしていた。そして水道はこっちにもあるらしく、お湯が出るのは便利ね、くらいの反応だった。
電化製品の使い方も教えた。チンしていいもの、チンしたらだめなもの。とくにアルミホイルや生卵なんてものをした日には大惨事だ。ペットはいないけど、生き物も絶っっっっ対に駄目だと言い聞かせた。
お金の使い方も教えた。コンビニやスーパーの説明、レジの使い方。その他諸々、説明をした。しまくった。
「ね、ねぇ、ちゃんと覚えられてるの? メモってよ?」
『貴女、馬鹿なの? 一度言われたら覚えるでしょ?』
そこはかとなくイラッとはしたものの、クイズ形式で質問したら、本当に覚えていたからぐぅの音も出なかった。
キャスリン、頭っていうか記憶力がいいのね。
キャスリンは、本気で日本に住む気らしい。
一人暮らしとか、大丈夫なのかときいたら、それがいいのだと言われた。
誰にも何も言われず、見られず、気にせず、食べて飲んで笑って、眠りたいんだとか。
少しだけ、令嬢も大変なんだなぁ、とは思ったものの、その大変な令嬢に私がなってるのよね? 大丈夫なの?
『大丈夫じゃない? 好きにしていいわよ! じゃあね!』
「えっ? ちょぉぉぉぉ!?」
今までビデオ通話みたいに鮮明に映っていた鏡面が、真っ黒になってしまった。
新連載開始☆
日3回で更新予定です!