チワワと笑顔と魔王
魔王と正義が世界を分かつ時代の話。
魔王は火に呪いをかけた。従って、火や炎は悪魔の力が宿るものとなった。人々が火を起こせばたちまち悪魔の力が暴れ出し、悪事を働く。そうして世界を業火で焦がし、人の住めなくなった地には魔人が住み着いた。
やがて火が使えなくなった人類は、みるみるうちに衰退し、魔人の暗がりが取って代わって広がりを見せた。闇に追いやられ、人々の世界は縮小する一途を辿った。
やがて、人々の中に救世主の力を持つ双子の兄弟が誕生した。
その名は、カインとアベル。
広大な世界のほぼ全てを魔人が支配し、人が住む国という国も残り一つとなった時代に、カインとアベルは元鍛冶屋の家に双子として生まれた。
黒髪で火の色を瞳に宿した兄カイン。そしてアベルはその反対、白髪で空の水色を瞳に宿していた。顔も体格も瓜二つのその二人は、見る物にその正確過ぎる対の様を強烈な印象として植え付ける。
剣術と「時を進める魔法」の使い手カインと、弓と「時を戻す魔法」の使い手アベル。
僅か十歳で大の大人兵士を容易く蹴散らす程の剣豪カインは、その剣を振る鳴りで魔人が恐れ跪く程だと、その強さを謳われた。
アベルはというと十キロ離れた木の実を射抜く程の弓の名士として讃えられていたが、アベルの心は魔人を含めた生物を狙う事、つまり殺生を強く拒絶していた。生き物を殺せないアベルの弓は、世界一安全でひ弱な弓だと揶揄されていた。
そんな二人は僅か十歳という幼さで国王から命を下された。
その命は、魔王討伐。
こうして、人々の救世主は誕生した。
畑ばかりの平地にぽつぽつと、木製の小屋が乱立している。熱を使えず鉄工が絶え、とは言え、切れない石を研いだとて狩猟もままならず、そうして失いゆく文化性に農耕一筋の様式で落ち着く人間達。それ以外の選択肢を、人間達は持ち合わせていなかった。
丸太を付けたり貼ったりした様な無様な家が畑の中に建ち並ぶ。国としての様相は存在するそれらのみであった。
城も持たない人類最後の国、クロム。そのクロムが魔王達の手によって落とされれば、人類は絶滅する。
そんな国を奇跡的に守り続けているのが、魔法を奇跡的に扱える、カインとアベルの双子だった。二人は誰に頼まれた訳でもなく、幼い頃から時の魔法で国を守り続けていた。特異的な対象の色を持つ二人は、物心ついた頃からその力を備えていた。通常、魔族と契約を交わして初めて扱う事の出来る魔法が、一体何故二人に備わっているのかを説明出来る者は居なかった。
ただ、その二人がそうである、という事実に頼るしか、人類に術は無かった。
早速と、国民全体に促されて出発せざるを得なくなった二人は、まるで遠足に出かける様な軽いトーンで国に別れを告げ、外界に繰り出した。
「だから!魔王って言われたって分かんないってのにさ!魔王を倒せ倒せって。そいつを倒せば良いのは分かったけど、どんな見た目の奴なのか、誰も見た事無いなら分かるわけないじゃん、な」
カインが頭を掻きながら、後ろから付いてくるアベルに同意を求める。
「う、うん」
アベルは怯えた様子で周囲を気にしながら応えた。
「いちいち見かけた奴に、魔王ですか?って聞くの?そんなのバカじゃん。なぁ」
カインが無邪気に笑い飛ばす。
「ま、まあ」
アベルはまだキョロキョロとしながら、苦笑で返した。
「片っ端から倒して、とりあえず世界の裏側にでも行ってみるか、なぁ」
「あ、うん」
カインがアベルの体に触れると、二人の姿がその場から消えた。
時を進める魔法、それはカインが自身や触れたモノの時間への抵抗を最大化させる、つまり必要以上に時間の流れの影響を受ける事で、異なる速度で先へ到達する、というものだった。
カインは魔法を使い、緩やかに進む世界の中で、周囲の魔人を見つけては容易く打ち倒していった。
「この鉄の剣も、毎度毎度使い物にならなくて不便だよな」
カインが手に持つひしゃげた剣へ軽蔑した目を向けて言った。
「うん、でも仕方無いよ、魔人の骨は鉄よりも硬いんだから」
アベルはそう言って、カインの剣に触れる。すると、剣が瞬く間に元の真っ直ぐなそれに戻った。
時を戻す魔法、その作用はカインの逆であり、時間の抵抗を最小化させる。抵抗が最小化となったモノは途端に、その流れの方向への推進力を失い、時を流す源にある「万物の理」の引力に引き寄せられる。万物の理とは、形あるものは形あるものと成る、という理であり、それが時の逆行という現象を引き起こし、形のみを戻すという魔法だった。
「しっかし、最近はこんなとこまで魔人も来る様になったんだな、ちょっと調子に乗りすぎだよな?」
「うん」
カインの言葉にアベルは少し俯き、暗い声色で答えた。
「ああ……、ごめん、久しぶりだったから、つい倒しすぎちまった。もう、魔人は倒さない様にするよ。魔王っぽい奴だけにする、倒すのは」
カインは申し訳無さそうに、アベルに伝えた。
アベルは魔人の亡骸の前で跪き、亡骸へ手を合わせて瞳を閉じた。
「早く生まれ変わってね、魔人さん」
カインは静かに、アベルと亡骸の方へ剣を構える。目線は鋭さを宿し、剣を経てアベルの方へ到達している。
──アベルは怖いからな。この前、兵士が魔人を狩って帰ってきた時なんか、魔人の亡骸を見て酷く怒ったあいつは魔人を生き返らせて、それだけじゃ無く兵士を赤ちゃんに戻してすっきりした顔してたし。正直、何をしでかすか分からない。全ては、母さんが病気で死んだ時からおかしくなった。死んで動かなくなった母さんを何度も戻して、そうしてまた死ぬ度にその亡骸を抱えて、アベルは泣いていた。まるでおもちゃの様に弄ぶアベルを、俺が叱って母さんから引き離すと、アベルが暴走した。俺が魔力で相殺し続けながら、病気だからと説得しても止まらなかった。アベルは母さんを救うためなんだからと言って、世界を作り替えようとした位だ。ぎりぎりアベルの魔力が底をついたから防げた、あとほんの僅かでも長引いていたら、今の世界はもう無いだろう。
「どうしたの、お兄ちゃん」
アベルは立ち上がりながら、静かな顔をしてそう言った。
「いや、またお前が生き返らせるんじゃないかと思って、構えてたんだよ」
カインはすぐさま面倒そうな面持ちに変え、背に付けた鞘に剣を収めた。
「あはは」
アベルは無邪気に笑った。
「さあ、とりあえず魔王を倒しにでも行こうぜ」
カインの目はアベルを一瞥し、近くにある山の頂へと向いた。
♢
魔王が鎮座する魔王城は常に業火を纏う。炎の波が城壁に当たっては消えを繰り返し、入ろうとする者を拒んでいる。
城内では、石の壁や床の継ぎ目で不規則に生まれる火が、小刻みに震えながら灯火としての役目を果たす。王に近づく程にそれらは業火へと飛躍し、溢れ出る炎のカーテンとなった。
魔王の間では、下僕である魔人達が、人間二人分は優にあるその巨体を縮こませ、ひしめき合いながら魔王へ跪いていた。
魔王はしかし、肌の色や大きさもまるで人間と同じであった。容姿は若過ぎず老い過ぎずであり、整った顔つきの男顔であった。唯一異なる点は、額から生えた大きな二本の、赤と青の角だった。赤と青、それぞれが一つずつ生えている。
魔王は玉座に堂々と足を広げて座り、手摺りに片肘を突いて、その拳の先に顎を凭れ掛からせながら、大きなあくびをしていた。
「魔王様、こちらはいかがでしょう」
魔王へ跪いていた魔人のうち一匹が立ち上がり、その頭程ある大きな丸い石を足で蹴り、魔王の方へ転がした。
「何だお前、無礼だな」
「す!すみませ……」
魔人はそう言いながら、舞っていた火の粉によって体を燃やされ一瞬で灰となり、言い終える前に消えた。
火の粉は魔王の口から常に排出されており、浮遊する塵の様に空気に漂っている。
「他、面白いものは無いのか、退屈で仕方無い。このままこの部屋で、誰が一番最後まで燃えずに残れるか、度胸試しをしても構わんが」
「ま、魔王様!こんなのは……」
魔人達は悉く魔王を白けさせ、次々に灰となっていく。
しかし半分程の魔人が燃やされた頃、漸く事が動いた。
「魔王様、ご覧ください!これは犬というやつで、人間共はよくこいつで遊んでいるそうです!チワワ、という種族らしく、とても賢くて、懐こい動物でございまして……」
魔人の足の平よりも小さいチワワ。真ん丸の目とその近くにあるちょこんと小さな鼻と口。ちょこちょこと小さな足を必死に動かしながら魔人の後をついていく。魔人達がそれを見てざわついた。可愛いという声が目立つそのざわつきを、魔王が咳払いをして鎮めた。
「ほう、チワワとな。どうやって遊ぶのだ?」
「さあ、どうやるので……」
魔人が言い終える前に足元で火が生まれ、一瞬にして炎の柱となった。勢い良く燃えながら叫び、たちまち灰として消えていった。
「調べてから来い、くだらん」
魔王は体勢を変えずに、その冷めた目だけをチワワに向けた。
「お前も燃やすか」
「キョン!」
チワワはキョンと吠えると、ふさふさした毛を纏った尻尾を素早く横に振りながら、舌を出してはぁはぁと魔王を見つめ続けた。
「なんだ、アホみたいな顔をして」
すると、チワワが石の床を前足の爪でカリカリと掻き始めた。そして何かを訴える様に何度も魔王へ吠えた。
「キョン!キョンキョン!」
「ん?その下に何かあるのか」
魔王が顎を漸く拳から離し、魔人に目で指示する。
魔人が床に拳を振り下ろすと、石がかち割れた。
すると、石の中から一本の白い骨が出てきた。
「キョン!」
チワワは早速骨を口に加えて、重たそうに引き摺りながら少しずつ進み、魔王へ到達した。
「どいつかの骨だが」
魔王は犬から骨を受け取って、つまらなそうな顔で呟く。
「ハッハッ……キョン!」
前足で体を小さく跳ね上げながら、チワワは目を輝かせている。
「ただのゴミだ」
魔王は骨を宙に浮かせ、中心から爆破させた。
骨の大半は砕け散り、端の部分だけがゴロッと転がりながら部屋の隅へ吹き飛んだ。
チワワはその骨の方へ向かい、また口でそれを咥えると、今度は少し身軽そうに魔王の手元へ急いだ。
「キョン!ハッハッ」
チワワが魔王の足元でくるっと回ってはっはっとしている。
「いらぬ」
魔王は手に取った骨の屑を、今度は投げて飛ばした。
そうすると、チワワはまたそれを咥えに行き、また戻ってきた。
「キョン!キョン!」
「お前はこれの、何が面白いというんだ?」
魔人達はそのやり取りを、固唾を飲んで見つめていた。
チワワは、今度はお腹を見せる様にして仰向けに横たわり、首を魔王へと傾げながら魔王を見つめた。
「そうか、お前は丸焼きにされてみたいのか」
チワワは暫く横たわっていたが、起き上がると大きな声で鳴いた。
「キョン!!」
「こんなに嬉しそうにして、焼かれるのを待つ奴も珍しい。はっはっは」
魔王が天井を向いて高笑いした。
「ハッハッハッ、キョン!」
魔人達は魔王の高笑いにざわつき、後ろの方では出口から逃げ出す者もいた。
魔王は指でチワワの首の後ろを摘み上げ、目線の高さまで持ち上げて言った。
「お前に名前をやろう、犬っころ」
「キョン!」
「キョンか、良いではないか。キョン、我に退屈を与えるでないぞ」
「キョン!」
魔人達は更にざわついていた。
「魔王様、犬がお好きだったとは」
「魔王様、何か妙な呪いでもかかってしまったのだろうか」
それからは、魔王の相手はもっぱらキョンが行っていた。魔王が骨を投げてはキョンが走って取りに行く、ただそれだけの事がひたすらに続く。
「最近、魔王様機嫌がいいな」
魔王とキョンを遠目に見ながら、魔人達がひそひそと会話する。
「魔王様も、かれこれ200年程生きていらっしゃるからとうとう焼きが回、ギャァ!」
魔人の一人が瞬時に灰となった。
「キョン!」
骨を足元に置いて、魔王が取るのを待っているキョン。
魔王は犬の前で屈み、一人呟いた。
「お前は良いぞ、幸せものだ。そんな意味の無い事で喜べるのだから」
「キョン!」
「我は、意味のある事に甚だ疲れてしまった。意味の無い事の方が楽で良い。世界を支配すればする程、そう思うのだ。意味のある事は、程々にしないと疲れて仕方がないものだ」
「キョン」
キョンは返事をすると、近くにある山の頂を見て吠えた。
「キョン、キョキョン!」
「なんだ、あの山に行ってみたいのか」
「キョン!」
「では散歩するぞ、ついて来い」
魔王はそう言って一飛びで頂に着地した。
キョンはそれを見て急いで向かった。
「良い景色だな、何も無いというのは」
魔王が山の麓から広がる永遠の黒焦げ大地を見ながら、悦に入る。
黒い世界の真ん中に存在する様に堂々の一座として君臨する黒焦げの山の上で、唯一無二の存在である魔王だけが肌色を晒していた。周囲の黒は風の蠢きも生まず、とても静かなものだった。まるで、母親にあやされて眠りにつく赤子の様に。
魔王も静かに佇んでいるだけであった。
しかし、風の動きが何の前触れも無しに訪れると、静かな時はまたどこかへ旅立って行った。
「……来たか」
魔王は背後に突如現れた二つの存在に気づき、見向きもせず驚きもせずに呟いた。
現れたばかりの二つの存在はとても小さな体だった。何らかの正しさを纏わせたその者らの瞳は、黒い世界を見渡した後、魔王の存在に気づいて止まった。
「何だ人間か、強そうな気がし……何だあいつ!頭に魔人みたいな角が生えてる!」
黒髪に火の色をした眼の少年が、魔王の背を指差しながら騒いだ。
「あ、魔王、かな、あれ」
白髪に水色の眼をもつ少年が、一歩身を引きながら不安そうな顔を浮かべる。
「ああ、我は魔王だ」
魔王は素早く振り返ると、片手を肘まで地面に突き刺した。地はすぐさま轟々と唸り、赤い煌めきの炎をそこかしこで漏らし始めた。漏れて出来たそのひびから、天へと登る真っ直ぐな炎の柱が飛び出す。
二人の少年は瞬きの速さで移動し、悉く炎を交わした。
「良い動きだな、人間の子。名は?」
魔王が地面から腕を抜き、笑みを浮かべながら問う。
「カインと、弟のアベルだ。宜しくな、魔王さん」
黒髪のカインもまた笑みで返した。足元の残り火の灯が消える間際、カインは動き出した。
瞬きの速さで左右に所在をずらしながら魔王へ寄る。
魔王は手の平に火を生み出し、目の前をその手で薙いだ。すると、魔王から扇状に火の大波が放たれた。
カインは波を剣で防いだ。波はそれによって割れたが、カインの剣も赤く爛れる。
波の余韻に火の粉が舞う中、カインとアベルは華麗な身のこなしで火の粉を避けた。二人は魔王を挟む様にして対に陣を張った。
鉄の剣は溶け、グニャッとしながら半分が地に溢れる。
「やっぱり鉄じゃ溶けちゃうよね。アベル!」
カインの号令に、「うん!」と勢い良く答えたアベルは瞬時にカインの傍に現れ、鉄の剣に触れる。鉄の剣が元の姿に戻った。
「先程から消えたり、戻したり。面白いな。だか、無駄だ」
魔王はまた火を放つ体制をとる。
アベルは弓を構え引き絞った。剣を片手に持ち替えたカインがもう片方の手でその弓の矢を握った。
「行くぞ、アベル」
「うん!」
アベルが弦から手を離した。その一瞬で、矢が消えた。カインと共に。
魔王は、消えたそれに気づくのと同じくで、体に感じたものの所在を察知し始めていた。
弓に触れて魔王まで瞬時に移動したカインが、鉄の剣を魔王の胸深くまで突き刺していた。
カインは弓の推進力を以て、その勢いと速さをのせた鉄剣の一撃とし、魔王の体を貫いたのだった。
魔王は胸に熱さを覚え、胸に刺さった剣を漸く目にする。魔王の口角は静かに、ゆっくりと上がっていった。
膝から崩れ落ちる魔王は、その胸の傷をひびとした内の炎を漏らす。
炎は味わう様に、魔王をゆっくりと飲み込んでいった。
「キョン!キョン!」
漸く山頂に到達したキョンが、その魔王に気づき駆け寄った。
炎の中にある、魔王の手を見つけ出したキョンは、その手を目掛けて体を突き動かした。
炎はすぐさまキョンを飲み込んだ。それでもキョンは、手を加える。
「犬が、燃えてる!」
アベルがそう叫びながらその炎へ向かった。
「おい、アベル、何する気だ」
カインの制止を無視し、アベルは力を使う。
炎は魔王の内に戻り、その炎に飲まれたキョンと、カインの一撃を食う前の魔王がそこで横たわるだけの状態となった。
「馬鹿!魔王も生き返っちゃったじゃんか」
「けど、犬が……」
「犬なんかほっと……」
カインがそう言い終える前に、カインの体は炎に包まれた。
カインが黒く成っていくその後ろで、魔王が指をカインへ向けていた。
「魔王という宿命は、こういう事だ」
そう言い放つ魔王のつまらなそうな面が、カインだったものを見つめるアベルの瞳に映る。
アベルの瞳孔はきつく絞られ、喉は誰へとでも無い咆哮を上げた。
そして、手を地面につけた。
地面は黒から土の色へ戻り、所々に緑を宿しながら、その変化の輪郭を広げていく。
輪郭がカインの足元に触れ、カインも元の姿へ戻った。
「何なんだ、この力は」
魔王は訝しげに輪郭を睨む。
意識を取り戻したカインが、アベルの様子に気づいて、アベルの肩を掴んで揺さぶる。
「おい、アベル!駄目だ!世界に魔法をかけたら!全てが無くなっちまう!」
カインの言葉を聞き入れず、アベルは地面にひたすら力を注いでいた。
「駄目だ!アベル!」
「悪いな、少年達よ」
魔王の手に火が宿る。
だが、その火はとても小さく、勢いも弱まっていった。
「これは……、小僧、まさか」
「うん、もう、貴方は魔王じゃない」
そう堂々と述べるアベルの額からは、少しずつ角が生え始めていた。
「何故だ」と驚く元魔王に向かって、アベルは「貴方はさっき死んだから、世界が呪いの契約者を失ったんだ。だから、僕がさっき契約したんだ」と流暢に答えた。
「何でだ、アベル!何で魔王なんかに!」
「僕が魔王になれば、時間に呪いをかけられる。だから、悲運な死が世界から無くなるんだ、もう、誰も悲しまない。僕はずっとこうしたかった」と、清々しい顔でアベルが答えると、カインは「まあ、お前らしくはあるな」と、弟の喜ばしい顔に満足気に笑う兄となった。
それを聞いた元魔王が大笑いした。
「とんでもない奴等がいたもんだ、なあ……キョン」
元魔王は初めてキョンの頭を撫でた。
「キョン!」
「さあ、魔王よ、我を打ち倒せ。これも魔王の宿命ぞ」
元魔王はアベルの前に跪く。
「だから、出来ないよ。確かに貴方のせいで沢山の人が死んだから、僕は貴方を許せない。そしてきっと、貴方を倒すのは簡単だよ。けど、貴方が死んだらキョンだけは悲しむから。それは悲劇だよ」
そう言ってアベルは微笑んだ。
「そうか……。では、我は意味の無い事に惚けても構わぬか?魔王よ」
「ああ、もちろん」
「はっはっはっ、そうか!そうか!そうか!それほど嬉しい事は無い!」
「ハッハッハッ、キョン!キョキョーン!」
元魔王は一入の笑いが過ぎて、涙を垂らしていた。
それを見つめるカインとアベル。
「さてと、アベル。兄ちゃん、ちょっと言ってくるわ」
「え?どこに?」
「国さ。時の呪いがかかったなら、魔王になったのはアベルだっていずれ分かっちまうだろうから、俺は国の皆に、魔王アベルは俺が倒したよって伝えて、皆に安心して暮らして貰える様に、時の呪いが無い様に振る舞う。魔王の存在を皆が忘れた頃には、また会いに戻ってくるよ」
カインはそう言って、アベルに背を向けた。
そして、キョンの頭を撫でてこう言った。
「ありがとうな、キョン。お前のおかげでアベルは綺麗なままのアベルだ」
アベルは世界に呪いをかけた。
世界から悲劇や悲運な死を起こさせない呪いを。
そして、もう一つ。
世界の始まりにかけた呪いがある。
それが、カインとアベルという双子にだけ、時の魔法を扱えるという呪いだった。