第78話 異界?タイムスリップ? その二
さてさて、なんでこうなったかはサッパリわからないのだが、俺は19世紀末のロンドンに居るようだ。
いつものように渋谷の事務所で仕事をこなし、ほぼ定時に帰宅途上にあったはずなんだが・・・・。
問題は、どうやったら、俺は元の21世紀の日本に戻れるかなんだが、この帰還方法については俺の居候達にも全く分からないという。
但し、居候の一人でもある自称薬神の孫の承朗が妙なことを言っていた。
「良くはわからぬが、これはもしかすると、夷狄の神々の仕業かも知れぬ。
主が異界に落ち込んだ時に、何とのう、神気らしきものを感じ取ったのじゃ。
倭国の神々の仕業なれば、その痕跡を辿れるやも知れぬが、流石に夷狄の神々の痕跡は儂では辿れぬ。
仮に、夷狄の神々の仕業であれば、何事かそれなりの理由があろう。
夷狄の神々は、倭国の神々とは物事の捕らえかたや考え方が違うはずじゃから、儂にも確実なことは言えぬが、まともな神であれば、左程不条理なことはせぬじゃろう。
まぁ、邪神に近いものは居るようじゃから、しかとは断言はできぬがのぉ。
気休め程度の話にしかならぬが、主に与えられた使命らしきものが達成できれば、主は元の世界に戻れるような気がするぞ。」
「だが、その使命とやらは何なのだ?
俺は、少なくとも神のお告げやら天使のお告げなんぞは一切聞いていないぞ。」
「そんなことが儂に分かろうはずも無い。
主が自分で探すしか無かろう?」
まぁな、承郎は医療関係の能力は持っていて自称薬神の孫とは言いつつも、時空間を操るような能力を持っているわけでは無いだろうから、ここで承朗を責めても仕方がないだろうな。
何せ承郎の外見は、中学一年生程度の体格を持つ痩せた小鬼にしか見えぬからな。
医療や薬事以外のことで、彼を当てにするのは本来無理なんだろうな。
まぁ、それでも、彼の言ったように多少の気休めにはなるかな。
取り敢えずは、俺の居候達が色々非合法な動きをしながらも、身分証明と当座必要な金銭を用意してくれたから、最寄りの宿には泊まることができそうだ。
生憎と19世紀末のロンドンの地理なども俺は知らない。
確かサヴォイ・ホテルは19世紀からあったとは聞いているが、今俺が居るホワイトチャペル近辺からはかなり距離があるし、予約もなしに泊まれるかどうかはわからない。
泊まるにしても出来れば快適なホテルが望ましいんだが、既にかなり遅い時刻だと思うので、下手に動き回って強盗やら警官に捕まるよりは、早めにどこか最寄りの宿を取った方がいいだろう。
そんなわけで最寄りの霊に色々と聞きまわって、フォードハム通りにある”Smith’s Inn”というところを訪ねたよ。
フロントの呼び鈴を押すと、かなりくたびれた様子の親父が出て来て、相手をしてくれた。
この時代のロンドンは、キングスイングリッシュには違いないんだろうが、場所によりかなり訛りがあるようだ。
その辺は、『マイフェア・レディ』という古い映画を見たことのある人なら分かるかもしれないな。
そんな訛りの上に、やっぱり21世紀の英語とはかなり違う言い回しがあるんだ。
まぁ、俺は中国系の外国人という設定だから、お互いに6割から7割程度の理解でも、何とか会話が成立して、無事に部屋に泊まれたよ。
ここは宿屋であるが、食事は出ないそうなんで、結局夕食抜きになったぜ。
念のために時間を聞くと、もう午後10時近くらしいので、普通の宿泊施設なら食堂も閉店しているのだろうな。
此処がフランスならば、或いは24時過ぎまで開いているレストランがあるかも知れないが・・・・。
いやいや、今は19世紀だからな。
20世紀後半や21世紀のパリ辺りを思い起してもダメなんだろう。
まぁ、パリで最も古いレストランは、16世紀から貴族達の御用達だったらしいけれど、それ以外は、1900年代に入ってから創業した店が多いんだ。
19世紀末はフランスも激動の時代で、産業革命が勃興し、都市化が進んだ時期でもある。
従って、レストランなどが安定して商売できるようになるにはもう少し時間が必要だったはず・・・・。
此処は英国なんでフランスとは違うんだけれど、産業革命により貧部の差が激しくなった時代でもある。
だから紳士然とした富裕階級も居るんだが、貧しい肉体労働者も多いんだ。
世界的に有名なのは産業革命に必要な石炭を、子供に掘らせていたことだったかな。
坑道が小さいので体格の小さな子供が便利だったんだそうだ。
まぁ、19世紀半ばには法律で10歳未満の子供の鉱山での就労を制限する法律ができたんだけれど、工場では相も変わらず子供を労働力と見做す経営者が多かったんだ。
子供だからと言って、経営者に容赦はないんだぜ。
10時間労働なんてのは当たり前。
大人以上に危険な職場でこき使われていた。
一番の原因は賃金の安さなんだろうな。
多少、非力であろうが、大人が入れないような場所に入ってそれなりの仕事ができるなら経営者としては御の字なんだ。
そんなこんなで19世紀末の英国やその周辺国の歴史を思い起しながら、俺は安宿のベッドに転がり込んだ。
因みに、余り綺麗な部屋じゃないんで、俺の居候達にお願いして病害獣や虫の駆除をお願いしたよ。
この時代の伝染病にでも罹ったら大変だからな。
まぁ、承郎がいるから、俺が多少の病気になっても何とかしてはくれそうなんだが、だからと言って無策ではやっぱり拙いだろう。
いずれにしろ、19世紀末のロンドン第一日目はこうして終わった。
翌朝、俺は腹を空かせて目を覚ましたぜ。
二日や三日は食べずとも死なないだろうが、余り無理をすると老いてから後遺症が出てきそうな気がするから無理はしない。
俺は、宿を出て、最寄りの食堂に向かったよ。
勿論、俺に周囲の地理が分かるはずも無いから、周辺の霊に教えてもらいながらだぜ。
場末の食堂は、色々物騒でもあるから、広い通りに出て比較的安全そうな食堂を目指したよ。
途中の路上で屋台?キオスク?があり、Daily Telegraphという新聞があったので、それを購入して食堂に入ったよ。
朝食は、英国風だからフランス風よりもましかな?
21世紀のフランスのホテルでは、フランスパンが二切れに牛乳とコーヒーだけが普通だったなぁ。
19世紀のロンドンも似たようなものだが、卵料理にサラダも頼めば出て来るし、場所によっては最初からセットになっているところもあるようだ。
一方で、俺が入った食堂は一品ごとに料金がついており、朝食セットみたいなものはない。
もう一つ、俺はコーヒー派なんだが、この時代のロンドンは紅茶が主流なんだ。
というより、コーヒーが無いんじゃないかな。
少なくとも食堂のメニューには無かったぜ。
慣れない紅茶を交えた朝食でも、腹を空かせていれば美味い料理に化ける。
腹ごしらえをしつつ新聞を広げると、切り裂きジャックの記事が載っていたな。
その日、1988年11月10日付の新聞で、「またも切り裂きジャック?」という見出しで、イーストエンドのホワイトチャペル近辺で女の切り刻まれた死体が出てきた旨の記事があった。
場所は、スピタルフィールズのドーセット・ストリートの外れにあるアパートメントの一室で、その部屋の住人であるケリーの遺体らしきものが発見されたとある。
三日後の新聞では、より詳細な記事が掲載されていたが、顔が見分けが付けられないほど切り刻まれていたことから「ケリーの遺体らしき」の速報だったものが、身体特徴からメアリー・ジェーン・ケリーと断定された旨報じられていた。
但し、犯行現場の詳細な内容は、余りに凄惨なために報道では伏せられていた。
俺が二日後の12日に同アパートの近傍に行って、アパートの居付き霊から聞いたところでは、ケリーの遺体は喉が深く切り裂かれた上に、腹部から内臓全てが取り除かれ、臓器の大部分は遺体の周辺で見つけられたものの、心臓だけは犯行現場から持ち去られていた。
居つきの霊は、犯人が解剖紛いのことをして、心臓を持ち帰った様子を克明に見せてくれたが、ありゃぁスプラッターだよな。
俺は医学生でもないんだから、解剖?の全部を見せてくれなくても良かったんだが、見せられてしまうと止めようがなく、後の祭りだった。
その日、俺は昼飯を食えなかったぜ。
で、次に俺がやるべきことは犯人の特定な。
犯行現場から犯人の足取りを順次追ったよ。
結構面倒だったが、何とか犯人の塒を突き止めた。
場所は、イーストエンド?いや、少し外れるかも知れないなぁ?
リバプールストリートの一画にある医院だ。
チェダー様式というのかな?
一階部分は、レンガ造り、二階部分と屋根裏部屋的な三階部分が、むき出しの柱と漆喰構造になっている造りだ。
結構古そうなんで、当時の古民家に当たるのかもな。
居つきの霊に確認すると、此処に居住している犯人は、ジェームス・ローデンという39歳の独身外科医のようだ。
で、色々情報収集をしたなら、少なくとも1988年に起きた喉を切り裂いた事件5件に関わっているようだな。
概ね、週末若しくはその近辺で午後11時過ぎには家を出て、南東方向に向かい、ホワイトチャペル周辺で犯行を繰り返していたようだ。
さて、こいつはどうすべえか。
指紋鑑定は、1874年に学問的にはほぼ確立していたけれど、捜査手法としてはまだまだ未成熟なんだよね。
おまけにこの切り裂きジャックことジェームス君、犯行時には手袋をしているから指紋は出ない。
凶器はメスなんだが、普段彼が使っている奴だから、こいつを使って血液反応が出たにしても、DNA鑑定はこの時代難しいな。
おまけに自宅に戻ってから過酸化水素で痕跡を消し、なおかつ煮沸しているからな。
ジェームス君を訴追できるだけの証拠はない。
彼は、夜11時ごろ、フロックコートに帽子、おまけに眼鏡と黒いマスクをかけて人通りの少ない裏道を通っていどうしているので、ほとんど人目についていないから、霊はしっかり見ていても、目撃者も居ないしな。
数少ない証拠物件らしきケリーの心臓も、奴がその夜に食べちゃったようだぜ。
何ともいやらしい奴だが、頭は回るようだな。
色々考えて、良い方法が無かったから、密かに粛清することにしたよ。
ダイモーンにお願いして、寝ているジェームスの心臓を止めてもらった。
他の事件はいざ知らず、少なくともジェームスが引き起こしていた連続切り裂き事件はこれで終了だ。
何か良い方法があれば、警察に届け出たんだが、俺みたいな東洋系の怪しげな男の言うことを警察がどれだけ信じてくれるかわからないからな。
霊感商法ならぬ、此処では実績の無い霊感探偵をおいそれと信じてくれるとは思えんのだよ。
いずれにしろ、これで取り敢えずの俺が気にかかる調査はジ・エンドで、今日の泊まりの宿に戻ろうと思ったら、またまた歩道の石畳に大穴が空いて、俺の身体が闇に落ち込んだ。
そうして気づいたら、俺は渋谷の帰り道に戻っていた。
時計を見たら、穴に落ちたであろう午後7時10分ごろ、日付も落ち込んだ日そのままで変わっていなかった。
俺の時計は、ソーラー電波時計だからな。
電波を受信できていれば、日付も時間も正確なんだ。
どうやら俺の19世紀ロンドンでの仕事が終えて、無事に元の日本に戻れたようだ。
どこの神様なのか知らないけれど、ちゃんと事前に目的や理由を教えてくれよな。
もし切り裂きジャックの一件が戻るための誘因でなかったなら、俺はずっと19世紀のロンドンに残っていたかもしれないんだぞ。
本当に直に会って、一言文句を言ってやりたいもんだな。
主人公がとうとう時間を超えて探偵稼業を始めちゃいました。
この後も続きが何となくありそうですけれど、今回はこれで打ち止め、また別の機会にお目にかかりましょう。
長らくご愛読ありがとうございました。
来週からは、同じ時間帯に、仮題ー「幽閉王子」を投稿したいと存じます。
By サクラ近衛将監




