第49話 山での捜索?
大学時代の友人であり、弁護士である高尾が持ち込んだ一件は、橋野健作さんという人物で生きていれば66歳(失踪当時は64歳だった)の男性を探してほしいという依頼だった。
高尾の務めている事務所に相続問題で相談に来た本来の依頼人は、山岡由美子さん38歳、行方不明者の第一子で長女だが、嫁いでいるので姓が異なる。
橋野さんの妻は四年前に亡くなっており、橋野さんの法定相続人は、彼女とその弟の橋野達雄36歳の二人だけのようだ。
法定相続人の二人が、相続財産を一旦共有して問題の土地が売れたら折半すれば良いようなものだが、弟さんが経営している会社の資金繰りが怪しいので、売却予定の宅地造成地全部の相続を頑強に要求しているらしい。
姉である山岡由美子さんも、虚偽の遺言状まで出して利益を得ようとする実弟には腹を立てて、争う覚悟を決めているようだ。
遺言状なるものが本物で有れば問題は無いんだが、仮に偽物であれば私文書偽造行使という問題が発生するな。
その辺は高尾に任せるとして、今の段階で分かっていることは、橋野健作さんは都内の某山岳会に所属しており、そのまとめ役には南アルプス縦走の計画を出して出かけたようだ。
健作さんはベテランの山男で有り、南アルプス縦走とは言いながら、所謂ロッククライミングのような崖上りは無い。
ヒルクライムの少々ハードな奴だと思えば間違いはない。
山岳会に出したプランでは、赤石山脈と呼ばれる塩見岳(標高3047m)~間ノ岳(標高3190m)~北岳(標高3193m)をソロでの縦走である。
このコースは中級者向けで有り、初級者は避けた方が良いらしい。
特に健作さんが出かけたのは6月も初旬であり、三千メートルを超す高山地帯では雪渓が残っていることも多い。
健作さんのプランでは、自家用車の軽SUBで相模原市から移動して長野県下伊那郡大鹿村にある赤石荘で一泊、翌日に鳥倉登山口第一駐車場まで車で移動、そこから第一日目は、鳥倉登山口~三伏峠小屋~三伏峠まで移動し、三伏峠でテント泊の予定だったようだ。
第二日目は、三伏峠~本谷山~塩見小屋~塩見岳~北荒川岳~新蛇抜山~安倍荒倉岳~熊ノ平小屋の予定であって、この熊ノ平小屋に泊まったことは記録から明らか(所属の某山岳会調べ)である。
予定では3日目に熊ノ平小屋~三峰岳~間ノ岳~北岳肩の小屋となっているのだが、この北岳肩の小屋に泊まった記録が無いようだ。
山男たちは宿泊した山小屋には記帳して行くものだから、この山小屋に記帳が無いという事は、三日目に何事かの異常があったとみなさざるを得ない。
因みに四日目は、北岳肩の小屋から広河原に下山する予定であったようで、そこから公共交通機関を使って、最終的に鳥倉登山口第一駐車場にもどり、そこから相模原市の自宅に戻る予定であったようだ。
相模原市を出発した時から数えると足掛け6日の旅なんだが、いずれにせよその途中で消息を絶ったことに間違いは無いようだ。
こんな時にどうするかというと、自分の足で確かめるしかないのが辛いところだな。
俺の居候達は仲間内では仲が良いんだが、外向けには土地の精霊なんかと折り合いが悪いんだ。
向こうはどうしても縄張りに入ってきた余所者という思惑がついて回るから、少々の事では情報がもらえないんだ。
力業なら得意な奴も多いんだが、仮に土地の居付きの霊ともめ事を起こしては後が大変だから、余程のことが無ければそんなことはさせられない。
そんなわけで、前回の山登りと同じく俺自身が山登りをしなければならないわけだ。
前回の雲取山は標高2269mだったから、それと比べると流石に三千メートル越えは、ちょっと大変だ。
この縦走は初心者には危険という事なんだが、何とかなるだろうと安易に考えてソロで行くことにした。
現地でガイドならぬ山の霊に案内をしてもらうから、迷う心配はないんだが、問題は体力だよな。
山男に山女という連中はとにかくタフな奴が多いんだ。
チャラチャラした気分では上れないことは重々承知だが、天候に十分注意して登れば大丈夫と踏んだ。
因みに今は健作さんの登った6月じゃなくって、9月の初旬な。
色々と準備や下調べをしていたんで、高尾から依頼があって一月ほどかかった。
コースは、念のため健作さんと同じコースを辿ることにしたよ。
資材は結構多くなったが、非常用食料なんかはウチの居候が肩代わりしてくれているんで、例え一カ月のキャラバンになっても大丈夫なぐらい資材や食料には余裕がある。
ウチの居候で、ラノベに出て来るインベントリに近い能力を持っている奴が居るんだ。
車までも収納できそうなんだが、流石にそれはやめておく。
その代わり、連絡用にイリジウムの携帯電話は必需品だな。
新婚の孝子を置いてあの世に行のだけは勘弁だ。
何かあれば山岳パトロールにも連絡できるだろう。
渋谷を出発して長野県下伊那郡大鹿村にある赤石荘までは中央高速を使って270キロ程度、一般道も走るのでおよそ四時間で着く。
早朝に出ればそのまま三伏峠小屋までは行けそうなんだが無理はしない。
健作さんと同じく赤石荘で一泊、翌日に鳥倉登山口第一駐車場に車で移動、そこから登り始めた。
高山では気象が変わりやすく、突風も吹いたりするから要注意なんだが、幸いにして第一日目は何事もなくキャンプ地についた。
ガイド役は、駐車場から赤石山脈の山の精霊にお願いした。
汗だくになりながら三伏峠に辿り着いたよ。
ここは日本一高い峠(標高2580m)なんだそうだが、山小屋があり、すぐ近くにテントを張るスペースもあるので、そこで一泊。
健作さんの後を追う旅だから同じことをする。
流石に周囲の霊に聞いても、二年前のキャンパーのことを覚えている霊はいなかった。
第二日目は尾根を歩いて行く感じだが、絶景が広がっていたぜ。
景色は素晴らしいんだが、やっぱり山登りはきついぜ。
デカいザックを背負ってはいるんだが、重量物は俺の居候に預けているから実はかなり軽い荷物にしてズルをしているんだが、それでもキツイ。
瓦礫というか岩でゴロゴロとした足場の悪い坂道を上るのが、これほどきついと思ったことは無いぜ。
何とか若さだけで乗り切った二日目だった。
この日は熊ノ平小屋で山男たちと一緒に寝たわけだが、彼らは元気だったねぇ。
因みに二年前の記録に確かに健作さんの記帳がなされていたのを俺も確認している。
翌朝、早めに山小屋を出発、ガイド役の赤石山脈の霊にお願いして、道の途中の居付きの霊たちに健作さんの事を覚えていないかどうか聞いてもらいながらの山歩きだった。
最終的に三峰岳(2999m)の近傍で、二年前に南東の突風にあおられて峰の西側に滑落した男が居たことが確認できた。
運の悪いことにその時は周囲に人が居らず、目撃者はいなかったようだ。
で、滑落したご本人はどうかというと、滑落の途中で岩に頭をぶつけたようで意識が無かったようだ。
何しろ1500m程も滑落して南東側の沢に落ちたようだ。
そこがちょうど雪渓の切れ目になっていて灌木に引っ掛かって止まったようだが、簡易なヘルメットを装着していなければ間違いなく死亡していただろう。
丸々一日気を失っていたようだが、そのあと目覚めた健作さんと思しき男性はそのまま沢を降り始めたのだった。
確かに急峻な崖を登るよりも沢伝いに降りた方が良かったのかもしれないが、健作さんの背負っていたザックは転げ落ちている途中で外れてどこに行ったか分からないようだ。
それよりも、健作さんが頭を強く打ったために一時的な記憶喪失に罹ったような言動をしている。
「俺は誰だ?
ここはどこだ?」
そう言っているのを沢の霊が聞いているようだ。
念話で直接教えてもらったから間違いはないぜ。
当時の映像を念話で送ってもらって、その映像から健作さんが雪渓を滑落したのは間違いが無い。
今は雪も無いんだが、ここを俺が降りるのは相当に難しいと思うし、この谷のような沢から抜け出るのが大変だ。
下手をすれば俺も遭難者になる。
降りたら最後、元のルートに戻るのがかなり難しそうなんだ。
仕方がないんで、赤石山脈の霊にお願いしまくって、何とか健作さんの足取りを追ってもらったよ。
何しろ二年も前の事だから、覚えていなくてもおかしくは無いんだが、流石に尾根から落ちてきて沢を歩く登山者は極めて珍しいらしく、各地の沢の精霊が足取りを覚えてくれていた。
健作さんは、沢伝いに下流域に向かい、西の巫女淵に達して更に進み、全体としては南北に蛇行しながらも西へ西へと進み、三峰川上流に辿り着き、最終的に長野県伊那市長谷杉島に達してようやく人家を見つけたようだ。
沢下りというのは、山登り以上に危険だと聞いたことがある。
そこをロクな装備も持たずに生き抜いたのだからすごいと言わざるを得ないよな。
地図で見る限り道路が三峰川のすぐそばを走っていたり、ダムが有って発電所が有ったりしたのだが、川端を進めないときは、藪の中に入り込んで川沿いに歩いたためと、記憶喪失もあって注意力散漫になっていた健作さんは気づかなかったようだ。
多分地図上では35キロか40キロ前後なのだろうけれど、ロクな道も無いところを三日で走破し、滑落した日から数えると5日目には、長島地区の人に救助されたのだった。
実は、長島橋の袂付近で健作さんは疲労と腹ペコでほとんど気を失っていたのだった。
その彼を助けてくれたのが近くに住む金丸良子さんだった。
彼女は寡婦の一人住まいだった。
服装から山男と推測はしたけれど、死んだ夫に似た顔立ちが愛おしく、そのまま家に泊め置き、誰にもそのことを話さなかったのだ。
かくして二年もの間、健作さんの世話を焼いたのが彼女だった。
健作さんも記憶の無い状態だったので、その親切に甘えたようだ。
健作さんが長島地区にいることを知った俺は、一応、北岳を経て、広河原に下山、広河原から甲府行きの市営バスに乗って、甲府へ移動。甲府で一泊した後、伊那市へ移動して、タクシーで鳥倉登山口第一駐車場まで移動した。
赤石荘で相乗りを頼めば、あるいは登山者に第1駐車場まで載せてもらえるかもしれんが、俺は小金持ちだからそこは安易な方法を選ぶ。
最終的に6日目夕刻には自家用車のSUVで伊那市へ戻った。
伊那市で一泊して、翌日は伊那市長谷杉島にある金丸良子さんの家に向かった。
金丸さんのお宅にお邪魔して健作さんの無事な姿を確認した。
居付きの霊の話では、健作さんと良子さん、いつの間にか男女の関係になっていたようだ。
健作さんも男寡だし、良子さんも寡婦だから不倫がどうのという問題は発生しない。
健作さん年の割に元気だから、二回り年の違う女性を相手に頑張ったようだ。
もう一つ、記憶喪失にあった健作さんだが、一年余りが過ぎたころには記憶を取り戻していたらしいのだが、良子さんのところが居心地が良くてそのまま居付いたようだ。
健作さんは、今後とも、彼女とこのまま同棲をするようだが、相続問題を片付けるために相模原市に一旦は戻ることになった。
問題の土地と自宅は、彼が売り払い、その金の三分の二を子供たちに生前分与するそうだ。
山岡由美子さんに三分の一、橋野達雄氏に三分の一、残り三分の一を自分が受け取り、他の残りの山林は姉弟の名義に移すことにしたようだ。
因みに、橋野達雄氏が言い出した遺言とやらは、偽物のようだ。
その辺の問題は俺が感知するところではないから、高尾にお任せだな。
結局、俺が渋谷の自宅に戻ったのは出発してから八日目の事だった。
今回は色々経費がかかったが、弁護士からの依頼でもあるんで、タクシー代を含めてしっかりと請求したぞ。
もう一つ気が付いたことは、俺は山男には向かんようで、やっぱりシティボーイのようだということだな。