第40話 防衛省の依頼
例の占い師が持ち込んだ失せ物事件から三か月ほどが過ぎたんだが、依頼主の大本である木村何某さんが俺の事務所を訪ねて来たよ。
用件はあくまでお礼ということなんだが、最終的に小切手を置いて行った。
木村さんが約束をしていた美術館に例の曼荼羅の巻物二幅を収めたことで、報酬があったようだ。
元々この手の骨とう品というものは、値段があって無きが如きものなんだが、美術館からの礼金は何と二幅で12億円なんだそうだ。
俺はてっきり無料で提供するものと思っていたんだが、どうやら違っていたようだ。
まぁ、国宝級で値段をつけられないもののようだから、美術館側も購入ではなくってお礼という形で金子を渡してきたようだ。
俺はよく知らんが、そんな慣行になっているのかもしれんな。
で、落し物を拾ってくれた際の礼金の例に倣って礼金の5%相当額を二分して俺と鳴海の婆さんに支払うために某銀行振出の小切手を持って来たわけだ。
その額なんと三千万円だぜ。
俺に失せ物探しの依頼を振っただけで大したこともしていない鳴海の婆さんにも三千万円、下手をすれば命を失っていたかもしれん俺にも三千万円。
正直なところ、何だか納得できないような割り振りなんだが、礼金をもらう方の俺としては、ちゃんと依頼料は正規に頂いているから文句も言えん。
まぁ、とんでもない臨時収入が入って来たわけで、一応はそんなにたくさんの礼金はいただけませんと辞退してみたんだが、木村何某さんの話では鳴海の婆さんは普段からそんな大金に慣れているのかすんなりと受け取ったそうだ。
そんなこんなのやりとりがあって、最終的には、高額の礼金を受け取っちゃった。
探偵事務所としては、滅多にない高額報酬ではあるんだが、税金対策で会計事務所が大変かもしれないな。
何しろ探偵稼業の一環とは言いながら、本来の料金テーブルにない一時所得(不労所得とも言えるかもしれん。)だ。
俺はよく知らんが、俺自身が個人事業主でもあるし、仕事と結びつけられるかどうかについてはこんな風な一時所得の扱いが結構面倒らしいぜ。
料金表に乗っている範囲の金額なら何も問題は無いらしいがな。
ただまぁ、うちの従業員二人は高額の臨時収入で事務所が安泰だと喜んでいたぞ。
◇◇◇◇
ある日、うちの事務所に妙な角刈り男がやってきた。
背広は着ているんだが、目つきの鋭い男だった。
男が出した名刺には、『防衛省情報本部総務部長 一佐 長嶋義信』とあった。
自衛隊にある諜報組織と思っていれば間違いないかもしれんな。
総務部とはいえ、管理職であればおそらく防大卒の自衛官なのだろう。
自衛官というのは公務員なんだが普通の公務員とは違い、特別職国家公務員の身分を持っている。
俸給は普通の国家公務員に準じているはずで、一般職よりもほんの少し高いかもしれないがさほど高いわけじゃない。
最近では危険地帯などに派遣される際の手当てなんぞも支給されるようになったから、さほど悪い職場じゃないんだろうが、一朝事ある時は自らの命を懸けなければならないこともあるんだろうな。
日本という国は長らく戦争を経験していないから平和ボケしているのは確かなことなんだが、諸外国ではあちらこちらで紛争や戦争が起きているな。
俺も中米辺りを旅行している時に何度かテロ・ゲリラの類に遭遇しそうになったよ。
その都度コンちゃんに助けられて無事に済んでいるんだが、生半可な気持ちで開発途上国を訪問するのはやめた方がいいな。
日本と異なって治安も悪いし、反政府勢力と犯罪組織がそれこそごちゃまんといるんだ。
普通に街を歩いていても銃で脅かされたり、車に引きずり込まれて誘拐されることが起きる。
周囲に人が居ても関わり合いになると怖いから滅多なことでは手を出さない。
特に観光客であれば現地人にとっては知らない外国人なわけだから、「Help」、「Ayudame」、「Me ajude」と叫ぼうがあまり意味はないな。
旅行に行く人は十分注意をすることだな。
南米では、一時期日本法人の重職につく者が誘拐されて身代金を要求される事件が頻発していたよ。
余計な話になったが、この角刈りの長嶋一佐が持ち込んで来たのはものすごく面倒そうな話だった。
で、またまた、人探しの用件のようで人探しの話じゃないんだよな。
うちは行方不明者の人探しをメインにしているとネットにも掲げているのに、どうして日本語を無視する奴が多いのかねぇ。
第二次大戦中に南洋で戦死したお爺さんの亡骸を探してほしいというような依頼の方がよほど俺に相応しいような気がするんだが、生憎とそんなことができるとは吹聴していないからそんな依頼は来ないだろうなぁ。
仮にそんな依頼があって亡くなった島がきちんと分かっていれば、意外と簡単に遺骨や遺品を見つけることができるかもしれんのだが・・・。
まぁ、俺がそんな場所に出向けば、きっとほかの英霊がまとわりつくだろうから、積極的に行きたいとは思わんがね。
長嶋一佐の持ち込んだ依頼は、人探しと言えば言えないこともないが、少し毛色が違う。
防衛省には統合幕僚監部というものがある。
そこの長が統合幕僚長と言って、まぁ、自衛官の最高位に当たる職責がある。
現職は原田陽一陸将(61歳)がなっているが、62歳が定年と決まっているので、残り1年ほどで辞職することになるはずだ。
その統合幕僚長の元に脅迫メールが舞い込んだようだ。
内容は、防衛省が〇〇重工と共同開発研究を進めているとある新兵器に関わる機密文書を寄越せというものだった。
当然に防衛省や統合幕僚長は、そのような脅迫メールに臆することなく無視していたのだが、強迫メールが犯罪予告に変わったのだ。
最初に統合幕僚長の家族が狙われたのだった。
脅迫メールに対して無視を続けていると、最初のメールから三日目に犯罪予告メールが入り、そのメール着信からわずかに15分後に原田陽一陸将の長男原田壮一氏(39歳)の長男である原田隆司君(11歳)が小学校からの下校途中に狙撃されたのである。
幸いにして隆司君に怪我はなかったんだが・・・。
その後の警察の捜査により、狙撃ポイントは、隆司君が狙撃された地点から200mほど離れた廃屋工場の屋根と判明した。
おそらくは消音装置を付けたライフルを使用したものと思われ、周辺に住民が居たにもかかわらず銃の発射音に気づいた者は誰もいなかったし、不審者の目撃証言も得られなかった。
弾丸は隆司君が被っていた野球帽をかすめて傍の街路樹にめり込んでおり、警察の鑑識により7.62ミリのNATO弾であると断定された。
野球帽のつばに当たる部分が半分ほども吹き飛ばされて、野球帽そのものが宙を舞い、隆司君も一緒に下校していた同級生も異変に気付いたのである。
その事件の10分後には再度のメールが幕僚長の元へ配信された。
曰く、
「今回の狙撃は、飽くまで脅迫のための試し撃ちで有って、殺害や傷害を狙ったものではない。
我らが本気であるとの意思表明のために挨拶を行ったものにすぎない。
次回は必ずしも脅しにはならないかもしれないことに留意せよ。
次回の予告は五日後に行う。
それまでに機密文書の開陳の用意ができたなら、防衛省のホームページの最新ニュース欄末尾に<JSD Accepted>の文字を入れろ。
文書受け渡しの手続等については別途知らせる。」
俺はそのメールのプリントアウトを見せてもらった。
メールのあて先は原田陸将ではあるのだが、所謂プライベートなアドレスではないらしい。
防衛省内部に限定されたものであって、幹部クラスにしか開陳されていなはずのメールアドレスのようだ。
おまけにメールの発信元を手繰ろうとして、防衛省も警察もともに失敗しているようだ。
典型的な例では、海外のサーバーを多数使って飛ばされたり、セキュリティに無警戒なPCを足台にして利用されたりすると追跡ができなくなるのだ。
で、高島一佐の依頼はこの犯人を突き止めることはできまいかということだった。
俺はため息をつきながら、念のために訊いた。
「犯人の狙いは新兵器の機密事項だと思いますけれど、これって犯人は絶対に日本人には見えませんが違うのですか?」
「いや、我々も犯人は我が国に敵対する国、若しくは武器輸出等に関してライバルになり得る国または武器商人の犯行ではないかとみている。」
「あのぉ、私はここに事務所を構えている一介の私立探偵にすぎません。
活動範囲も非常に限られます。
何しろ、うちの探偵事務所での実動員は私一人ですから・・・。
そんなところに外国の勢力が関わっていそうな刑法犯の犯人捜しの依頼をしても、そんなことができると思います?」
「そこのところは、我々もよくわからないでいるんだが、・・・。
あなたのことは内閣調査室、および警視庁からも種々の情報をいただいている。
もう一つ言えば、鳴海恭子さんという政府に協力的な人物からの推挙も得たのでここにお願いに来たのだが、依頼を受けること自体が無理かね?」
「いや・・・。
依頼が犯人捜しであるとして、私にどうしろとおっしゃるのですか?
例えばその小学生を狙撃した犯人であるならば、未だ日本に居るかもしれないので探し出すことも可能かもしれません。
でも、強迫や犯罪予告のメールを送信してきた相手を探すとなれば一筋縄で行かないと思いますけれど、その辺はどうお考えですか?」
「確かに我々の防諜班や警察のIT犯罪部門でも相手を突き止めることができなかったから、犯人捜しはかなり難しいだろうということはわかっているつもりだ。
だが、お宅は、環境保護団体の過激派が都内で引き起こそうとした爆破事件を解決した立役者と聞いている。
その際は、海外の関係者のメールアドレスまで短時間で解明したとも漏れ聞いている。
そのおかげで、ICPO経由で現地警察が動き、関わった過激派メンバーの半数以上を外国官憲が捕まえたとも聞いている。
更に他の二、三の事件解決に関連して、君もしくは君の事務所が、IT関連の情報にかなり詳しいのではないかと推測しているんだ。
我々としても警察庁を含め公安関係機関や在外機関とも連携して、情報収集に努めてはいるんだが、現段階では何の手掛かりもなく、藁にもすがりたい状況なんだ。
今回は原田陸将のご家族を狙っての犯行声明だったが、徐々にエスカレートした場合、我々には手の打ちようがなくなる恐れもある。
環境団体過激派のように都内の繁華街で爆発物でも仕掛けられて、15分後に爆破すると予告されれば、まず防げないことになる。
今回はライフルによる威嚇射撃だったが、次もライフルとは限らないだろう。
仮に懸念しているような外国の軍事組織や武器商人の類であれば、ジャベリンなどの簡易ロケット弾まで十分に用意できるはずだ。
むろん、水際での検挙によって違法な武器の密輸を防止するよう努めているが、限界はある。
正直なところ長大な海岸線を持つ我が国に小型船で密輸を企まれると防ぎようがない部分もあるんだ。
核爆弾ですらトランクに収まるほど小型化しているから、金と時間さえかければ爆発物を含めてかなりの武器は搬入可能だろう。
従って、早いうちに犯人を特定しなければ、相手の要求に従わざるを得なくなりかねない。
我々のお願いとしては、次の予告があるであろう四日後の正午までに犯人たちに関する何らかの手がかりを得てもらえまいかと思っている。」
タイムリミットが四日後ってのは、事件があってからもう一日は過ぎてるってことか・・・。
俺としてはそんな面倒な事件に関わりたくはないんだが、軍事に関わっていそうもない小学生を脅しの標的にするような奴らだからな。
長嶋一佐の言う通り、何としても新兵器の情報を得たいのであれば、徐々に犯行声明はエスカレートするだろうし、見せしめのために人殺しもしかねない相手のようだ。
そうしてそのことがマスコミに知れれば、防衛省そのものが叩かれ、国も防衛省も何らかの決断を迫られることになるだろう。
仕方がないから約束はできない者の依頼を受けることにした。
何の力も無い無辜の一般市民に被害が出てからでは遅いからな。