朔(さく)
一が行った後で、『朔』がリュックの中にいることに気付いた。
あの状況で一緒に連れて行くのは無理だとしても、一応「預かっておく」とか一言でも言った方が良かったのではないかと思ったが、もう後の祭りだった。
「宝、一は大丈夫だろうか?」
家の中から様子を見ていた母殿が、出てきて心配そうに聞いた。
「わからない。でも、とても異常な気配がしたから、父殿が言っていたことは、本当だと思う」
「無事でいてくれると良いけど」
母殿は一が去った方を見て両手を合わせた。きっと無事を祈っているのだろう。
「大丈夫だよ。『朔』を置いていったから、きっと帰ってくる」
「そうだと良いんだけどね」
母は一をとても可愛がっていた。私がいない間、母を励まして、手伝いも良くしてくれたそうだ。
私は母殿の肩を抱いて、家の中に入った。
今度都に行ったとき、龍神の池について、調べてみようと決心した。
後日、直親の屋敷を訪ねた。
用事の次いでと、一週間毎に寄っていたが、それ以外の日に屋敷を訪れることはなかった。
屋敷を訪ねると、庭園で打ち水をしている直親に会った。
「宝、今日は来る日じゃないけど、何かあったの?」
萬年人手不足の屋敷で、何でもやらないといけない直親は、本業の陰陽師の方は大丈夫だろうかと心配になるくらい、いつも屋敷にいた。
「直親、教えてもらいたいことがあって来た」
「どんなこと?」
「龍神の池の場所を教えて欲しい」
「龍神の池?」
水をまきながら直親が聞き返す。
「そうだ、龍神の池だ。都の東にあると聞いた」
「私は聞いたことがない。よって宝の質問に答えられない」
直親は考える間もなく即答した。
「では、賀茂冬晴殿は知っているだろうか?」
「どうだろう、聞いてみないと分らない」
そこへ、宝を見つけた童子神達が、屋敷の方からやって来た。
「何を難しい顔をしておるのだ」「顔しておるのだ」「おるのだ」
口々に話しかけてくる。
「童子神様は、龍神の池をご存じですか?」
念のために聞いてみる。
「龍神の池?」
小さな首を傾げた。考えているようだ。
「聞いたことあるかも・・・」
黄色い童子神が宝を見た。
「本当か?」
「昔賀茂冬明様が、東の池にいる龍神様は、とても美しい姿をしていると、話してくれたような気がする」
「それだ!場所はどの辺だと言われていた?」
「東の池とだけ聞いた」
思わず勢い込んで聞いたので、黄色の童子神は、それ以上は知らないとシュンとなった。
「ありがとう、あると分っただけでも嬉しいよ」
黄色の童子神の手を取ってお礼を言った。
沈んでいた黄色の童子神の顔がぱあっと明るくなった。
「宝の役に立てた?」
「ええ、役にたったわ。ありがとう」
「しかし、どうして竜神の池を探しているのだ」
赤い童子神が聞く。
私は先日の出来事を話して聞かせた。
「竜神が池に住めなくなると言ったのだな」
「ええ、それに竜神はとても禍々しい気配に追われていた」
「禍々しい気配か」
赤の童子神が腕を組んで考える。
「そういえば、先日微かに違った気配を感じた事があったような」
突然思い出したように、青の童子神が言った。
「それはいつのこと?」
「二日ほど前の午後、違う気配が近くを通った気がした」
「そういえば、そうだった。その後、急に雨が降った」
青の童子神の話しに赤の童子神が頷いた。
「雨は竜神が自分の気配を消すのに使ったと思うわ」
畑に来たときも雨が降った。あれは龍神が降らせたのだろう。
「そうか、あれは竜神の気配だったのか」
「その竜神を追って、とても禍々しい気配がしなかった?」
「それ以外の気配は感じなかった」
「そうか、じゃあ逃げ切れたのかもしれない」
私は少し安堵をした。
「禍々しい気配とはどんな気配だ?」
改めて赤の童子神が聞く。
「肌が粟立つような、狂気に満ちたような気配だった」
「それは鬼の気配じゃな」
確信したように赤の童子神が言う。
「鬼?」
「小さな鬼ではないぞ。妖怪鬼だ」
「妖怪鬼?」
「人の怨念を沢山喰って生まれた鬼だ」
「怨念を沢山喰った鬼?」
「人からでる負の感情を喰らうのだ」
「最近都の空気の中に、時々薄く紛れて感じることがある」
青の童子神も言った。
「この鬼には気を付けた方がいい」
「人に取り憑いて操るという噂も聞く」
赤と青の童子神が真剣な顔で忠告をする。
「そうか、鬼か」
童子神達と話しているのを、蚊帳の外で聞いていた直親が尋ねた。
「鬼がどうかしたのか?」
さすが陰陽師、直親が鬼という単語に反応した。
「先日感じた気配は、鬼の気配だと童子神達が教えてくれた」
「その鬼が、一殿の父上を追っているというのか?」
「そうなのだ。だから竜神の池に行って確かめたいと思っている」
「分った。先生に聞いてみる」
「お願いできるか?」
「次に来るときまでには調べておく」
鬼と聞いて、直親も見逃すわけにはいかないのだろう。。
「では、お願いする。三日後に市場に行く前に寄るので、その時までにお願いしたい」
「分った」
その日は竜神の池のことを直親に頼み、童子神達と別れて山に帰った。
山に戻り、龍神の池を捜すことにしたと、直親の屋敷で聞いた話を母殿に話した。母殿は「大丈夫だろうか?」と心配したので、龍神の池を見に行くだけだから心配いらないと言った。
三日後、心配する母に手を振って、『朔』リュックを背負って、畑の作物を持って都に出掛けた。
直親の屋敷に寄ると、直親だけでなく、直親の父殿と賀茂冬晴殿が待っていた。
賀茂冬晴殿は私の顔を見るなり、
「宝殿、お待ちしていました」と言った。
こちらから頼んだ用事はあっても、冬晴殿に待たれる用事は無いと思い、
「賀茂冬晴殿、何かございましたか?」と尋ねた。
「直親から龍神の池を捜していると聞きました」
「ご存じなのですか?」
「はい、都の東に昔から龍神池と言われている池があります」
「私が捜している池は、そこだと思います」
「ただ・・・」
冬晴は思案げな顔で言葉を切った。
「ただ?」
「ただ、最近池が濁ってきたのです」
「濁ってきた?」
「以前はとても綺麗な、底まで見える水の澄んだ池でした。それが底が見えなくなって、まるで沼のようになっていると聞きました」
「それはいつ頃からですか?」
「つい最近の出来事と聞いてます」
「最近ですか」
「この春までは、桜の花を池面に写していたとも聞きました」
「では、春以降なのですね」
「そうです」
「見に行けますか?」
「もちろんです。陰陽寮でも池の状態が急に変わった原因を調べるため、調査に行く段取りをしているところでした。そこに宝殿が龍神の池を捜していると聞き、出来れば宝殿のお力もお借りできるのではと思い、こうしてお待ち申し上げておりました」
「そうですか。助かります」
「いえいえ、助かるのはこちらの方です」
「父殿も一緒に行かれるのですか?」
直親の父を見て尋ねる。
「あの池の近くに、私の縁戚の屋敷がある。その屋敷の者に話しを聞くのに、直親よりも私の方が良いだろうと、冬晴殿が言われるので、一緒に行くことに致した」
なるほど、たぶん身分のある方の屋敷なのだろう。
私は山で取れた作物を直親の屋敷に預けて、『朔』リュックだけを背負って行くことにした。
龍神の池は都の外れの小高い山の中腹にあるらしい。
都の町外れから山道を歩き、林の中を抜けて行った先に、開けた一角があった。そこに龍神池があった。
池に近づくにつれて、微かに異様な気配が漂っていた。
池はドロドロと緑色の藻のような物に覆われていた。異臭さえする。
池の畔に点在する木々も茶色く枯れている。
枯れ葉が池の中にも落ちていた。
池の横に大きな屋敷が建っていた。
この屋敷の住人が、龍神と牡丹の花を引き裂こうとしていた人かもしれない。
父殿の縁戚の屋敷は、池を挟んだ反対側の、少し離れた林の中に建っていた。
聞いた話では、右大臣の別邸ということだった。
直親だけでは話しも聞けなかっただろう。
別邸の住人は、「池の畔の屋敷は、左大臣の縁の人が住んでいるようだ。姿は見たことがないが、変わった御仁だと聞いている」と教えてくれた。
私たちは、池の畔の屋敷に行ってみることにした。
丁度、門のところに、使用人らしき人を見つけたので、話しを聞こうと近づいた。
声をかけると、どんよりした顔の男が振り返った。
目の焦点が合っていないし、妙にフラフラしていた。それに黒い靄のような物が体中を纏っている。
「冬晴殿、近寄ってはなりません」
私は大声で冬晴殿を呼び止めた。そして、冬晴殿を掴もうとしていた男の手をはねのける。
手が当った途端、バチッと火花が散った。
男は驚愕の目を向けると、そのまま倒れてしまった。
私は刀を抜き、男の周りの靄を祓った。
しばらくして男は目を覚ますと、左大臣に様子を見てきてくれと頼まれて、屋敷に来たことは覚えているが、その後のことは、何も覚えていないと言った。
私たちは、この屋敷は怪しいと思ったが、中の人物に会うのは危険と判断して、一旦帰ることにした。
龍神の池に龍神の気配はなかった。たぶん一を連れて逃げているのだろうと思い、ひとまず安心した。
父殿は、右大臣の別邸の住人に、くれぐれも気を付けるようにと忠告して、冬晴殿と私がその場で作ったお札を屋敷に貼るように頼んだ。出掛ける時の護符も渡しておいた。
別邸の住人は驚きながらも、陰陽師の冬晴殿が申されるのならと、その場でお札を貼った。
私たちは直親の屋敷に戻り、もう少し人数を増やして、再び龍神の池に行くことを約束して別れた。
預けていた野菜を市場に持って行き、米に変えて山に戻ったのは、日が沈んだ後だった。
星明かりの綺麗な、月の無い夜だった。
母殿に米を渡し、『朔』リュックを下ろした。
中から卵をゆっくり出すと、卵の表面にヒビが入っていた。
孵るのには一ヶ月ほど早い気がした。
心当たりが一つあった。
あの屋敷の男の手に触った時に、バチッと火花が出た。あの時、『朔』の持つ神の力が働いたのではないだろうか。
卵でも神は神だから、あの男の穢れに反応したのかもしれない。
「良い子だ」
思わず卵をなでていた。
そうすると、卵のヒビが大きくなった。
「母殿、母殿!」
私は母殿を呼んだ。
ヒビはどんどん大きくなっていく。
私と母殿が見守る中、卵が割れて、小さな男の子が出てきた。
神様の子は生まれたときから、二歳児のように歩いた。
白い髪に大きな青い目をしている。とても可愛い男の子だった。
見た瞬間的に、この子は朔殿だと思った。
朔殿が私に興味を持った理由は、このことがあったからだと確信した。
私の思いを知らない朔殿は、私を真っ直ぐ見てる。
「私は宝だよ」と朔に笑いかける。
そしたら、朔は「たから」と言って、両手を開いて、よちよちと歩いて私の元にきた。
「可愛い」
思わず抱き上げていた。
横から母殿が「次は私に抱かせて」と催促している。
朔は本当に可愛かった。
龍神の池のことは、私の頭から完全に消えていた。