一(いち)
山に戻り、いつもの暮らしに戻った。
日の出とともに起きて、畑に行き作物の世話をする。日の入りとともに作業をやめて、夕餉を食べて寝る。
以前と同じように、週に一度、作物と米を交換に都に出掛ける。
違っていたのは、用事が終わると真っ直ぐ山に帰っていたのが、直親の屋敷に顔を出して、童子神や直親と会って帰るようになったことだった。
時には、直親の陰陽寮の先生である賀茂冬晴殿に頼まれて妖怪退治をすることもあった。
もちろん報酬はしっかり貰う。
十二月三十一日、一年の終りの日、夕暮れせまるなか、一月様御一行が山の茶屋に立ち寄り、先ほど麓の社を目指して出立された。
明日は正月、一は帰ってくるだろうか。
考えても仕方ないと思いながら、一月様の一行を見送った。
いつもなら夕日が落ちたら、夕餉を食べて寝るのだが、一月様が社に着かれたら、交替で、役目を終えた十三月様御一行が天界に帰る途中に、ここに寄られる。夜更け過ぎに寄られるので、起きていなければならなかった。
ましてや大晦日、年の瀬である。母殿と二人で、無事に年を越せた事を祝う日でもあった。
夜も更けて、年が明けた。
もう少ししたら、十三月様御一行が立ち寄られる。
私はお茶と茶菓子の用意をしていた。
後ろに気配を感じて振り向くと、寒いのに唐衣も羽織らず一が立っていた。
「一!」
私は驚いて、思わず叫んだ。
一は私の姿を見て、戸惑った顔をした。
「ほう?」
「ええ、ほうよ」
私は一に笑いかける。
「なんか違うけど、気配はほうだわ」
一は少し焦っているように感じる。
「十三月様は一緒ではないの?」
「私一人、先に来たの」
「どうして?」
「社を出たところから、お父様の気配が、ずっと付いて来てるの」
一は後ろを気にするように振り返った。
「それで先にここに戻って来たの?」
「ええ、見つかると連れ戻されるから。ほうお願い、お父様に見つからないように、匿って欲しいの」
匿ってと言われても、せまい家だ。そんな場所はなかった。
それに匿うにしても、一はとてもひどい臭いをしていた。
「一、その匂いは?」
「お父様は、私の匂いをたどってると思うから、唐衣は輿に残して、皆が付けている香を少しずつ貰って、全部を振りかけたら、こんな匂いになってしまったの」
とても良い考えと思うが、それにしても酷い匂いである。
一の匂いではないにしても、この匂いではすぐ見つかってしまう。
考えたあげく、一を裏手にある古い物置に隠すことにした。
ぼろぼろで隙間も空いている。普通に隠れたら見つかってしまうだろう。
「この物置に結界を張って、姿や匂いが漏れないようにするから、一は動いたり、声を出したりしないで、じっとしていてくれる?」
「わかったわ」
「最悪、十三月様と一緒に行けないかも知れないけれど、それでもいいの?」
一は一瞬「えっ」と目を見開いた。
「十三月様は、きっと待って下さるわ」小さな声で、一が言う。
「一の父殿が、ずっと十三月様の側にいたらどうする?十三月様も長い時間ここに留まっていないわ」
一は俯いて考えていた。
「いい・・・、そしたら、次に十三月様が来られるまで待つ・・・」
消え入りそうな声で答える。
「二年後になるけれど、それでもいいの」
念を押して聞いた。
「連れ戻されるよりいい・・・。ほうと待っていれば、寂しくない・・・と思う」
寂しさを押し殺すように、下を向いたまま一は言った。
「わかった。じゃあ納屋の中に入って。絶対動いたり、声を出したりしてはダメよ」
一を納屋に入れると、二重に結界を張った。
程なくして、十三月様の一行がやって来た。
十三月様は見慣れぬ私に声をかけた。
「そなた見ぬ顔だな」
「いえ、ほうにございます」
十三月様を見て答える。
「ほうだと?」
「はい、少し旅に出ている間に、容姿が変わったのでございます」
淡々と答える私を、十三月様はじっと見ていた。
「少し旅に出た・・・。そなたから、時渡りの気配がする。ほうおまえ時を渡ったか?」
さすがに神様、良くおわかりで・・・。
「いろいろありまして」とにっこり笑って誤魔化す。
「ふーん、そうか」
十三月様はそれ以上は詮索してこなかった。
というより、その時一人の青年が私に近づいて来たので、話しを中断したというのが本当のところだ。
見たことのない青年だった。青い髪に、金色の目。とても若く見えるが、もしかして、この青年が一の父殿だろうか。顔は十三様とタメを張るくらい綺麗な顔をしている。
「そこの娘」
一の父殿と思われる青年から声をかけられた。
その時、母親が十三月様にお茶を運んで来たので、その場から逃げようと思い、「はい、今お茶を入れてまいります」とお茶を口実に立ち去ろうとした。
私の様子を察したのか「いや、茶ではない」と呼び止められてしまった。
「家にはお茶しかございませんが・・・」と仕方なく返事をする。
「娘を捜している」
あちゃー、やっぱりそうだ。
「娘ですか?ここの娘は私しか居ませんが・・・」ととぼける。(父殿ごめんなさい)
「おかしいな、娘の匂いを追ってきたのだが・・・」
チラリと横に座っている十三月様に目をやる。
十三月様は、話しは聞こえているはずなのに、我関せずと、そ知らぬ顔でお茶を飲んでいる。
(このタラシめ)と思うが、口には出さない。
一の父殿は、十三月様を疑っているようだ。十三月様から離れようとしない。
そういえば十三月様から、微かに一の匂いがするような・・・。
そうこうしてるうちに、出立時間になった。
十三月様は一度周りを見回して一行の元に戻った。
出立の時、私の顔を見て何か言いたそうにしていたが、私はにっこり笑って「またいらっしゃるのを、お待ちしております」と見送った。
十三月様御一行は、天界に向けて出発した。
一の父殿も距離を取って、十三月様御一行の後を追って行った。
私は一行の後を複雑な気持ちで見送った。
神様達が見えなくなるくらい離れたのを確認して、茶屋の周りに結界を張った。そして、一を納屋から出した。
「十三月様行っちゃったよ」と言うと、一は涙を流した。
次に会えるまで二年ある。その間にあの父殿がまた来ないともかぎらない。無事に二年待てるだろうか。そんな事を考えていたら、一が自分を元気づけるように言った。
「二年なんて『あっ』という間だわ。次に会えるまで待つわ」
けなげに泣きたいのをこらえている一に、思わず聞いてしまった。
「十三月様って、そんなに良い方だった?」
「ええ、ステキな方だったわ」
一の目にハートが見える様だ。聞くだけ野暮なので、もう聞かないことにした。
山に梅や桃の花が咲き、春が訪れようとしていた。
十三月様と別れて二ヶ月、しばらくは寂しそうにしていた一も、最近は少し元気になって、冬の間休んでいた畑仕事も、手伝ってくれるようになった。
一もやっと落ち着いたと、母殿と喜んでいたら、ある日、一がビックリすることを言った。
「子どもが出来たらしいの」
「!!」
私も母殿も驚きすぎて、言葉も出なかった。
「もうすぐ、生まれるわ」
「生まれる!?」
そういえば、最近一は少し太った感じがしてた。冬の間餅をよく食べていたので、そのせいだと思っていた。まさか子どもが出来ているとは思わなかった。それに生まれるってどういうことだ。十三月様と別れてまだ二ヶ月しか経っていない。計算が合わない!
「十三月様の子ども?」
念のため聞いてみた。
「そうよ」
一が頬を染める。
やっぱり、思わず十三月様を殴りたくなった。
それから程なく、月の無い夜に一は卵を産んだ。
卵・・・。
そう、一は卵を産んだのだ。
「母は花の精だったから、自分の身を散らせたけれど、私はお父様の血が濃かったのね」
一が卵を見つめてそう呟いた。
そうだった、一は龍神の子どもだった。
卵は初めは小さく細長かったが、だんだん丸くなってダチョウの卵くらいの大きさになった。卵も成長するのだと初めて知った。
「今夜は朔だわ。この子の名前は『朔』にしましょう」
卵を見ながら一が言う。
「朔・・・」
妙な符合を感じたが、『まさか』と思いをはねのけた。
「卵からいつ頃生まれるの?」
「六ヶ月くらいかな。卵は放っておいても大丈夫なはずよ」
母になった一はこともなげに言う。
「六ヶ月も放っておくのはかわいそうだよ」
卵とは言え、ほったらかしはいけないだろう。
「じゃあ宝が面倒見てくれる?」
私はそういう訳で、ダチョウの卵ではない、卵の『朔』を育てることになった。
太陽には当てた方がいいというので、畑仕事の時は畑の横に置いた。
一は過保護だと言うけれど、卵にも胎教は必要だろう・・・と思い、話しかけたり、出掛けるときはリュックに入れて出掛けた。
『朔』をリュックに入れて直親の屋敷を訪ねると、童子神達が珍しい物を見るように寄ってきた。
「宝が卵を持ってる」「卵を持ってる」「持ってる」と騒ぐので、この中に子どもが居るのだと伝えると、「いつ生まれるの」「生まれたら連れてきて」と口々に言う。
直親の屋敷に行くたびに、童子神がうるさく言うので、生まれたら連れてくると、毎回同じ約束をして山に帰った。
『朔』も神様の子だから、生まれたら、童子神達と遊ぶことは良いことだと思えた。
何事もなく月日は流れ七月になった。
卵は不思議なことに、少しずつ成長して、ダチョウの卵から三倍くらい大きくなっていた。
一曰く「一月もしたら孵るだろう」と言うことだった。
最近はすっかり重くなった卵をリックに入れて、畑仕事をしていると、急に空が曇って雨が降ってきた。
慌てて作業を止めて、家の中に戻ろうとする私の前に。一の父殿が現れた。
「そこの娘」
睨みつける目が怒っているように感じた。
「はい」
「以前、ここに娘は居ないと申したな」
「はい、申しました。それが何か」
まずいと思ったが、動揺は見せたくなかった。
「ここに私の娘が居るであろう」
「あなたの娘ですか?最近来た娘が一人居ますが、あなたの娘かどうかはわかりません」
父殿は家の中に一が居るのを確信しているのだろう、ここで居ないと嘘をつくのはまずいと思った。
もっと早く気配を察していれば、何とか出来たのだが、もう手遅れだった。
父殿は家に向かって歩いて行く。
一も父殿の気配を感じたのだろう、隠れることもなく家から出てきた。
「一!」
父殿は、一を見つけると、抱きしめた。
「心配したぞ」
「お父様・・・」
「さあ、帰るのだ」
父殿は一の手を引いて連れて行こうとした。
「イヤです!」
一が父殿の手から逃れようとする。
「帰るのだ。もうあの池には住めなくなった。お前を連れて他の場所に行かないといけない」
一が父殿の言葉に驚く。
「あの池に住めないって、どういうことですか?」
「あの池はもうすぐ無くなる」
「池が無くなるなんて嘘です。そう言って私を連れて帰りたいだけでしょう」
「嘘では無い。とにかく一緒に来るのだ」
「イヤです。戻ったら結婚しなければならないのでしょう?」
「結婚は無くなった」
「本当に無くなったのですか?」
一が猜疑的な声で聞く。
「あいつが、あいつが現れて、お前の婿を食べてしまった」
「食べた・・・」
一は信じられないという顔をした。
「あいつはお前を嫁に欲しいと言った。あんな奴にお前を渡せない」
「あいつって、誰ですか?」
「お前の母を池の畔から移そうとした男だ」
「お母様を?」
「とにかく、急いでこの場を去るんだ。あいつもここを嗅ぎつけたみたいだから、見つかる前にここを出るのだ」
その時、異様な気配が、すごい勢いで、遠くから近づいているのを感じた。
肌が粟立つような、ゾワゾワとした異常な気配だ。
一も気配を感じたようだ。
「一、父殿について行きなさい!」
私は咄嗟に叫んだ。
ハッと、一が私の顔を見た。
「この気配は異常だ。今は父殿と逃げた方がいい」
「宝・・・」
「後は何とかする。早く逃げなさい」
「かたじけない」
父殿は頭を下げた。そして、戸惑う一を抱くようにして、連れて去った。
私は一と父殿が去った後、匂いを追われないように、上空広く結界を張った。
結界の効果があったのだろうか、異常な気配はしばらく山の近くを彷徨っていたが、やがて、来た方角に戻って行った。
鼻が効く者で無くて助か異常なほど異常なほど禍々しい気配だった。あの気配は何だろう。
私は一と父殿の去った方角を見ながら、無事を祈るしか無かった。