直親の屋敷
召喚された。
滅せられる!と目を閉じたその時、後ろで「わーっ!」と叫ぶ声が聞こえた。
振り向くと、直親が大きなリュックの下敷きになって、手足をバタバタさせていた。
直親の潰れた姿を見て、ああ、この手があったかと、今更ながらに思った。
「助けてください!」
目を白黒させて手足をバタつかせて叫んでいる姿は、まるで亀がひっくり返っているようだ。これまでの事を思うと、しばらくそのまま捨て置こうと思ったが、直親が涙ながらに「助けてください」と何度も頼むので、リュックを取って助けることにした。
「馬鹿者が、私を滅してどうする」と少々憤慨気味に手を差し出した。
立ち上がった直親は「滅する前に・・・」と言いかけて口ごもった。そして私を上から下まで何度も見返して、確かめる様に「あの~、『ほう』ですよね」と聞いた。
私自身『ほう』であるときの顔はあまり覚えていない。鏡を見ることがなかったので自分の顔を意識したことはなかったが、今の私は直親と初めて会った時とすれば、ずいぶん違って見えて当たり前だと思った。私は『ほう』であって、『ほう』ではないのだから。
「そうだ、私は『ほう』だ。が、お前が私を滅したので以前の『ほう』は消えてしまった。私は九百年先から戻って来たのだ」
「私が滅した?・・・消えた?・・・九百年先?・・・」直親は呆けた顔をして、ブツブツ呟き始めた。頭の上に?鳥が飛んでいるのが見える様だ。
まあ、直親に本当の事を話しても理解して貰えないだろう。
「そうだ、九百年だ。それに、今は『ほう』ではない、『たから』だ」
「たから・・・」
「そうだ」
目をクルクル回しそうな直親に説明していると、後ろから「あの~」と声を掛けられた。
振り向いて見ると、青白く光る所から童子が顔を出して私を見ていた。
「わっ!」直親が光を見て思わず後ろにのけぞった。そして再び呪文を唱えようとした。
また滅せられてはたまらないと、「まて!」と手を伸ばして止めようとした。その手がもろに直親の顔面にあたり、直撃を受けた直親は「ぐう」とのびてしまった。
のびた直親はほっておいて、童子に向かい「あなたはだあれ?」と尋ねた。
「おお、そなた私の声が聞こえて、姿が見えるのか?」
童子は目をキラキラさせて私を見た。
「ええ、声が聞こえて、姿も見えますよ」
喜んだ童子は「すまぬがこの壁の隙間が狭くて中に入れぬのだ。少し隙間を広げて欲しいのだが・・・出来ぬか?」と小さな手で、顔の横をトントンと叩いた。
「壁?」
私は童子がいる場所をじっと見た。そうすると薄い膜のような壁が見えた。その膜は屋敷全体を覆っているようだった。
「ちょっと下がっていてくださいね」
私が刀を取り出すと、童子は裂け目から顔を抜き遠ざかった。
「破!」
私は刀に念を込めて裂け目を童子が通れるくらいの大きさに切り裂いた。
裂かれた穴から童子が覗く、「おお!中に入れるぞ」童子は喜んで入ってきた。
初めの童子に続いて二人の童子が入ってきた。童子は三人いた。三人というのは相応しくなかった。なぜなら彼らは神様だったからだ。
初めに顔を覗かせていたのが、赤い水干を着た童子神、その次に入ってきたのは青い水干の童子神、青い水干の神様に隠れるように、三番目に黄色の水干の童子神が入ってきた。宝の前に童子神が並んで立った。
「何かいるのか?」
意識を取り戻した直親が怖々と私の後ろから顔を覗かせる。
「童子の神様がいらっしゃいます」
「神様?」直親はキョトンとした。
「直親殿には見えませぬか?」
「見えない。ただ淡い光がぼんやり見える」
「そうですか」私はため息をついた
「童子の神様すみません、この者には神様の姿が見えぬようですので、顕現していただけませんか?」
童子の神様は集まってこそこそ話し合った。
「わかった顕現しよう」
赤・青・黄色の神様が直親の前に現れた。
「えっ、神様ってこんなに小さいの!」
童子の神様を見て直親は思わず叫んだ。
「不届き者!」
赤の童子神が不敬だと直親に電気ショックを浴びせる。直親は痙攣しながら転げ回り、「すみません、すみません」と頭を地に付けて謝った。
「ふん、我らが見えぬのも、お前の精進が足りぬからだ」
童子の身体でも態度は大きかった。
「神様、この屋敷に何用でいらっしゃったのですか?」
私は神様の機嫌を損ねないよう、やんわりと尋ねた。
赤い童子神が教えてくれた。
「我らは昔この屋敷に住んでおったのだ。当時の家主は陰陽の術に長けた者で、我らの姿が見えた。我らは家主と何年も仲良く暮らしておった。あるとき、家主から温泉にでも行ってゆっくり遊んでおいでと言われた。家主は我らが出掛けている間、我ら以外の神が屋敷に入ってこぬよう、特別な結界をめぐらせておくからと言った。我らだけ入れる特別な結界だと言っていた。三年ほど遊んで帰って来たら、屋敷に入れなくなっていた。外から家主を捜してみたが、家主の気配は何処にもなく、屋敷には誰も住んでいないようだった。我らは家主が帰ってくるのを待った。しかし家主は帰ってこなかった。三十年ほどしてそこの者の家族がこの家に入ってきた。人が住めば入れるだろうと思ったが、我らは中に入ることが出来なかった。祀られなくなって数十年。我らは屋敷にも入れず、だんだん身体が小さくなって、そなたが気付いてくれなかったら、消えてしまうところだった」
「祀られないと小さくなって消えてしまうのですか?」
「そうだ、信心が私たちの糧だからな」
「そうなんですか」私は少し驚いた。
「我らは家に入れぬまま、近くの山に潜んで、この屋敷を見ておった。そしたら二月ほど前に、西門で陰陽師がお祓いをしているのを見た。お祓いの後に来てみたら、壁に少しだけ穴が開いていた。我らはこの小さな穴を広げて中に入ることにした。だが、神力を使うと体力をかなり消耗するので、休み休み少しずつ広げるしかなかった。隙間が広がらないまま力尽きるかと思っていたら、今夜お前と出会った」
「この界隈にはお屋敷が沢山有ります。他のお屋敷に移るという事は考えなかったのですか?」
「私たちはこの屋敷で生まれ育った」
「生まれ育った?」
「家にはそれぞれ神様が生まれる。その家の者が信心してくれたら、我らも大きくなる。反対に信心がなくなると、だんだん小さくなり消えてしまう。我らの家主はとても良い人だった。我らは家主とこの屋敷が好きだった。だから家主から遊んでおいでと言われたときは嬉しかった。我らが出掛けるときに家主は言った。もし留守の間に不測の事態が起きて私が居なくなっても、屋敷があればそこには新しい家主が来るはずだから、そなた達は生きて行くことが出来るはずだよ。だから安心して行っておいでと・・・。我らは家主がいなくなると思ってもいなかった。だから我らは安心して出掛けたのだ」
話を聞いていた直親は不思議な顔をしていた。
「ではこの屋敷にはいままで神様はいらっしゃらなかったのですか?」
「「「「いない」」」」
全員が口をそろえて答えた。
「ええーっ!」まさか!というように直親は目を見開いた。
「おまえ、陰陽師のくせにわからなかったのか?」
私はやや冷めた目で直親を見た。
「私は毎日神様にお祈りしていましたよ」
直親の顔が青くなった。
「「「信心が足りなかったのだな」」」
神様達は納得したように頷いた。
「私もさっき言っただろう、この家には何もいないと」
さっきと言っても九百年前だが・・・。
「神様もいなかったということか?」やや焦ったように直親が聞く。
「そうだ、家神様はこの屋敷にはいなかった。それにここには人の気配が少ない」
「この屋敷には、父と私と、父の身の回りを見る通いの者の数人しかいない」
「他の家族は?」
「この屋敷にいると気が滅入ると言って、兄が新居を構えたときに皆付いて行った」
確かにこの屋敷はかすかに陰の気を感じる。
「直親の父殿はどんな人物なのだ」
「優しい人だ、本当はもっと上位の職を頂いてもよいのだが、競争心というものがない方だ」
「優しい者なら、一人くらい神様が残っていても良いのだけど・・・」
私の呟きが聞こえたのか、赤の童子神が、「たぶん我らがいた頃の家主が何らかの理由でこの屋敷に封印をして出て行ったのだろう」と言った。
「封印!?」
「この家に張られている結界は守りの結界ではない。封印の障壁だ。お前の家族はいつ頃からこの屋敷に住んでいる?」
「兄が生まれる前からだから、もう二十年近く住んでいる」
「神様が温泉旅行に出掛けたのは?」私が口をはさむ。
「五十年以上前だ」と青の童子神が答えた。その後を赤の童子神が直親に尋ねた。
「どういう経緯でこの屋敷に住むことになったのだ」
「父上に聞かないとわからない」
「よし、父殿に会いに行こう」
私はそう決断をして、父殿がいると思われる寝所に向かおうとした。
「待ってくれ!こんな夜更けに父上に会いに行くのは止めて欲しい。明日の朝、私から父上に話しを通してからにしてくれないか」と直親は私を引き止めた。
「それもそうだな。神様、明日の朝に変更いたしますが、それでよろしいですか?」
「屋敷の中に入ることを許して貰えれば我らはかまわぬが、そこの者、屋敷にいても良いのだな」
神様は屋敷から追い出されるのではないかと心配している。
「はい、それは大丈夫です。この屋敷は広いので、父の寝所以外であれば何処にでもお泊まりください」と直親が即答した。
童子神達はそれを聞くと喜んで屋敷に入っていった。
「では、私も一度家に帰らせて貰うことにしよう」
私がリュックを背負って帰ろうとすると、直親が止めた。
「ほう、ではない、宝だったな。お前も明日立ち会ってくれるのだろう?」
直親の顔に不安という文字が見えた。
「もちろんだ」と返事をすると、安心したように胸をなで下ろした。
「じゃあ、明日必ず戻って来てくれ」
「わかった、じゃあな」
私は四日ぶりに家に帰ることができた。
家では母が待っていた。
「母殿」と声を掛けると、私の姿を戸惑ったように見た。
それもそうだろう。『ほう』は今の私より顔が丸かったし、背も低かった。外見はまったく別人なのだから、いきなり「母殿」と言われたら驚くだろう。
「母殿、ほうです。いろいろあって顔も身体もすっかり変わってしまいました。名前も宝と変わりましたが、ほうです」
「本当にほうなのかい?」
「はい、ほうです」
私は母に、これまでの経緯を全て話した。母は驚きながらも私の話を疑うことなく聞いてくれた。そしてそれを受け入れてくれた。
聞き終わると優しく私を抱きしめてくれた。
「大変な思いをしたんだね」
母の胸に抱かれて、やっと帰って来たという安堵感に涙が溢れた。
しばらくして、一がいないことに気が付いた。
「一は?」と尋ねると、母は困った顔をした。
「それが・・・十三月様が下の社に連れて行ってしまわれたんだよ」
やはり十三月様に見つかったのか。
「初めは隠れていたんだよ。でも私が一人で神様一行の相手をしているのを見て、母様一人では大変でしょうからと手伝ってくれたんだよ。顔が見えないように布を深めに被って、十三月様から少し離れた従者の方達にお茶を出していたのだけど、突風が吹いて一の被っていた布がハラリと落ちたんだ。慌てて被り直したけれど、十三月様は見ていたんだろうね。一の側に来て、被り物を取ってしまわれた。一と十三月様の目が会った途端、二人とも引き寄せられるように見つめ合ってしまった。そして十三月様は一をお社に連れて行ってしまわれた」
最悪の話しを聞いてしまった。
十三月様はお顔だけはいいからとてもおもてになる。神様でも人でも誰とでもお付き合いするけれど、十三月様にとってはすべて遊びだから困る。神様の間では十三月様とだけは付き合うな、というおふれが出回っていると聞いた。
一は恋愛に憧れているだけに、十三月様を見て一目惚れしたのは容易に想像できた。遊ばれなければ良いけれど・・・。
すごく心配だけど、私がいなかったことで、母が責任を感じてはいけないと思った。
「帰りに寄られるだろうから、その時に確かめましょう」と月替わりの日まで待つことした。
「それより、都に仕事を残してきました。明日からしばらく戻れないと思いますが、必ず帰って来ますので、心配しないでください」と告げる。
「仕事を残してきたとは?」
「成り行きで、陰陽師の方と『物の怪を見に行く』という仕事を契約してしまいました。一週間ほどで終わると思います。その間家を空けますが、留守をよろしくお願いします」
「大丈夫なのかい?」
「大丈夫です。仕事を完了させたらお金を頂けます。何か欲しいものがあれば買ってきます」と心配させないように笑顔を見せた。
母は私の手を取って「無事に帰ってきておくれ。それだけだよ」と目を潤ませた。
「必ず帰ります」私は母に抱きついた。
持ってきた大きなリュックから小さいリュックを取り出して、その中に水筒と携帯電話とちょっとした小旅行程度の荷物、そしてお菓子を入れた。
東の空が明るくなってきた。そろそろ出掛けなければ・・・。
大きなリュックは帰ってくるまでそのまま置いておくよう頼んで、小さなリュックを担いで山を下りた。
屋敷の正門の前で直親が待っていた。
私の姿を見つけるとホッとした様に近づいて来た。
「おはよう」
「よかった~。来なかったらどうしようかと思った」
「私は約束は守る」
「昨夜のやりとりを父上が遠目に見ていたらしい。今朝早くに私のところに来て、昨夜の事はどういうことかと尋ねられた」
「そうか、会いに行く手間が省けて良かったじゃないか」
「それはそうなのだけど・・・」
「なんだ、奥歯に物が挟まったような返事だな。何かあったのか?」
そこで直親は盛大なため息をついた。
「父上は、宝が消えたり現れたりしていたと言うんだ」
「ほう、あれが見えていたのか」
「それで、その現象を説明して欲しいと、私に問われた」
「話せばいいではないか」
「私にはわからないんだ。ほうが宝になって現れたことしか記憶にない。宝が現れたり消えたりしたのは見ていないんだ」
「なるほどね」
私を滅したことすら直親は覚えて無く、その後の事も気が付いていないようだった。
遠目に見ていた父殿は瞬間的に入れ替る私が見えていたらしい。あの怪異を認識出来るとはすごい目の持ち主だな。
「父殿も陰陽師なのか?」と聞いてみた。
「いいえ、父上の友人が私の陰陽寮の先生ですが、父上が陰陽師と聞いたことはありません」
「そうか、まあいいや、父殿に会いに行こう」
直親の父殿は寝所ではなく、西対で私を待っていた。
父殿は痩せて青白い顔をしていたが、伏せっていると聞いていたほどには弱った感じはしなかった。
私は父殿の前に座った。
「そなたが宝か?」
挨拶もそこそこに聞かれた。
「はい、御門野宝と申します」
「みかどの?そなたの名字か?」父殿が驚く。
この時代、貴族の娘は誰々の娘の某と名乗ることはあっても、自分の名字を名乗る者はいない。庶民だったらなおさらだ。庶民の娘が堂々と名字を名乗るのは解せないことだったのだろう。
「はい、御・門・野と書いてみかどのと読みます」
父殿はしばらく沈黙した後「そうか」と言った。
「ところで、直親に確認していたのだが、昨夜、そなたが何度か入れ替っているように見えたが、その説明をして貰いたい」
「父殿は私が入れ替っていたのが見えていたのですか」
「見えていたというより、直親の前で光が点滅していたと表現した方が当っているかも知れない。点滅する光の中に人の影が見えた。昨夜のそなたの姿が夕刻前に見かけた姿と違っていたので不思議に思い直親に聞いてみたのだ。そうしたら、そなたが突然別の姿になって目の前に現れたと言っていたので、もしかして入れ替っていたのかと考えた」
なかなか鋭い洞察力だと思った。
「はい、その通りでございます」
「ほう、やはりそうなのか?」
「私は今は人ですが、最初にこの屋敷に来たときは半分妖怪の血が入った半人でした」
「なんと!」これには父殿も直親も驚いた。
「先日こちらのお屋敷を訪ねた時、西門に怪しげな気配を感じ、直親殿と数日間見張っておりました。昨夜西門に青白い光が現れました。光を見た瞬間に直親殿が、私の背中越しに光に向かって「滅」と叫ばれたのです。先ほどお話ししたように私には半分妖怪の血が流れておりました。背中から「滅」の呪文をもろに浴びた私は滅せられてしまいました」
「!!」直親が言葉も無く驚いた。
「滅せられた後消えるかと思ったのですが、どうやら陰陽師の直親殿と『東の屋敷の物の怪を見に行く』という契約が成立していたため、強制的にここに戻らなければならないようになったみたいです。ところが、戻ってくる度に「滅」されるので、私は滅されないよう策を練らなければなりませんでした。幸い今回は荷物が「滅」を防いでくれました。今の私は九百年先の世界から戻って来てます」
私の話に父殿はたいそう驚かれたようで、「九百年先・・・」と呟いた後、しばらく口を開くことが出来なかった。
そこへドタドタと足音がして、童子神達が渡殿を通って西対にやって来た。
「あっ、宝だ、宝がいる」「宝がいる」「いる」
童子神達は私の姿を見つけると寄ってきた。
「おはようございます」神様に挨拶をする。
「宝、お腹空いた」「お腹空いた」「空いた」
口々に空腹を訴える。
父殿が怪訝な顔をするので、「見えませんか?」と尋ねた。
直親が「昨夜の神様ですか?」と聞いたので、私は頷いた。
「神様、すみません今日も顕現して頂けますか?」
「良いが、でも空腹では長い時間は無理だ」と赤い童子神が言う。
「後で朝の祈りをさせて頂きます。今はこのお菓子で我慢して頂けますか?」
リュックから袋菓子を出して封を開けて、小分けにされた小さな包みのお菓子を童子神の手に乗せた。
「お菓子」「お菓子」「お菓子」
お菓子を貰った童子神達は喜んで顕現してくれた。
私は父殿と直親にも同じお菓子を渡した。
「おお、力が沸いてくる」「沸いてくる」「くる」
お菓子を食べた童子様達はクルクルと回りながら踊り出した。
神様の姿に父殿は目を丸くして驚いた。
「この童子達が神様ですか?」
「ええ、この屋敷の家神様です」
「家神様・・・」
父殿は言葉を失ったように童子達を見ていた。
「神様達の言われるには、この屋敷には封印の障壁が張られているそうです。それで前の家主様の事を伺いたいのですが、ご存じではありませんか?」
「前の家主は、私の友人の賀茂冬晴の伯父上と聞いている」
「賀茂冬明!」赤の童子神が叫んだ。
「我らの良き家主の名前、賀茂冬明という名だった」
「そうです、友人の伯父上の名は賀茂冬明と言われました」
「その方はどうしてこの屋敷を出られたのですか?」
「詳しいことは聞いていない。私が家を捜しているとき、友人である陰陽師の賀茂冬晴がこの屋敷を教えてくれたのです。以前この屋敷に住んでいた伯父上が突然居なくなって長いこと空き家になっている。手入れはしているが、長く放置していれば屋敷が傷む、障りは感じられないから、良ければ住んでくれないかと頼まれたのだ」
「突然居なくなった原因は聞かれなかったのですか?」
「聞いたが、わからないと言っていた。友人は前の日に伯父上に会っていたそうだ。その時は元気で何処かへ行くようなことは言っていなかったと聞いている」
「そうですか・・・。そうすると突然何かが起こったということですね」
私はこれらのことから考えてみることにした。
封印の障壁を屋敷全体に張ったのは、何かを閉じ込めようとしたのだろうか。閉じ込めて滅しようとした。これだけ大きな封印を張ったのは、よほど強い妖怪が現れたのだろうか。神様が見えていたという家主はかなりの能力を持った陰陽師だったはずだ。
私は父殿に断りを入れて庭に出た。
屋敷前の広場の先には、中島のある大きな池、後方には築山もある。広い庭だ。
屋敷全体の中央に立ち精神を集中させる。
封印の障壁の中に漂う微かな陰の気。
微かな気に集中する。
陰の気の中に無念の念が残っている。これは賀茂冬明の念だろうか。無念が残っているのは、妖怪を退治できなかったのだろうか。
封印の障壁は破られていなかった。では妖怪は何処から逃げた。
庭に目を凝らす。池の角に微かだが何かを感じた。
地中に逃げたのか・・・。
その時背筋にゾクリと悪寒が走った。
誰かが見ている。何処から・・・。
気配を探る。そうすると、先日神様を入れる為に開いた裂け目から、怪しげな目が覗いていた。
目は笑っているようだった。そして誘うように気配だけを残して消えた。
私は気配を追って屋敷を飛び出した。気配は明らかに私を誘っていた。
気配をたどると、ある屋敷の前に出た。
屋敷の中から禍々しい気が流れて来る。
門の外側から屋敷を眺めていると、後ろから肩を叩かれた。
驚いて振り向くと直親が立っていた。
「急に走って出て行くからビックリするじゃないか」
「直親・・・この屋敷は?」
「宝に見て欲しいとお願いしてる東の屋敷だよ」
「そうか、ここが東の屋敷か」
もう一度屋敷を見ると、中から早くおいでと呼ばれているような気がした。
このまま勢いで入るのは危ないと感じた。
今日の所はひとまず戻ることにした。
直親の屋敷に戻り、父殿と直親に封印の障壁に関する推理と、怪しげな気配に誘われて追いかけていくと、その気配は東の屋敷の中に入っていった事を伝えた。
父殿は私の話を友人の賀茂冬晴殿に話してみると言われた。
一通りの報告が終わると、私はこの屋敷のことにふれ、封印の障壁を取り除くよう進言した。この障壁があるから、気が滅入り人が寄りつかないと思われると伝えると、父殿は私の好きにやって良いと言われた。
私は西門に立つと、刀に念を込めて障壁を裂け目から切った。障壁は二つに裂けてそして消えた。
障壁が消えた後は、再び妖怪に入られぬよう守りの結界を張った。これでこの屋敷にも人が戻ってくるだろう。
もちろん、賀茂冬明殿の無念も浄めて、これからは童子神と一緒に過ごせるよう、父殿にお願いして庭の隅に小さな祠を建てて貰った。