始まりの時
月明かりに照らされた夜の公園。
ブランコに乗り空を見上げると満月が見えた。
私の名前は御門野宝。今夜十六歳になる。
私は人には見えない神や霊や妖怪に鬼、魑魅魍魎などが見えるだけでなく、前世の全ての記憶を持って生まれた。だから十六歳の誕生日を迎える今夜、この時代から消えるという運命も知っていた。
それは生まれたときからわかっていたこと、未練などないと言ったら嘘になる。
そんな事を考えながらぼんやり月を見ていたら、公園の入り口から同級生の橋本蒼海と人ではない者の朔が歩いて来るのが見えた。
「御門野そんな姿でなにをしているの?」
私の格好が異様に見えたのか橋本は不可解な顔で私を見た。
確かに今時水干姿に刀を持つ私の姿は異様だ。警察の職務質問にあったら、銃刀法違反で間違いなく逮捕されるだろう。
「橋本と朔殿が一緒ということは、あの件はうまくいったのだな」
あの件というのは、見えない物が見える私は、橋本に生き霊が憑いているのが見えていた。その生き霊は特に害を与える者ではなかったが、ある出来事から瘴気を纏い害を与える状態になってしまった。私はその生き霊と巻き込まれた少年を助けるのに手を貸したのだ。
「その節はありがとうございました。無事にまひるも目覚め、オクリト君はあさひを連れて黄泉を渡ることが出来ました」
朔はあらたまった口調で私に礼を言った。
橋本も「ありがとう」と頭を下げた。
「旅立つ前にそれが聞けて良かった」私は安堵のため息をもらした。
「旅立つって、御門野、何処へ?」
橋本が驚いて聞いてきたが、話してよいものか迷っていると、朔殿が私を見て言った。
「御門野さん、私はあなたがこれから行かれる先を知っています。あなたはとても奇妙な運命を持っている。私はあなたのその運命に興味を持ちました。よろしければこれまでのことを話していただけませんか?」
確かに奇妙な運命だ。
私は十六歳になった瞬間にあるところに召喚される。
それが繰り返されている。私は人ではない者が見えるのと同じように、前世の記憶も持って生まれた。だからこれから起きる出来事を知っていた。
「朔殿はそれを聞いてどうされるのですか?」
「御門野さんには、今回の件で大きな借りが出来ました。その借りを返す為にはどうすれば良いか考えていました。それで、あなたについて少し調べさせて頂きました。私はあなたが今から行くあの時代から現在に戻る手助けが出来るかもしれないと考えました」
「この時代に戻ることが出来ると言われるのですか?」私は驚いた。
「確実に、とは言えませんが、手助けが出来ると思っています」
「そうですか。可能性はあると言うことですね。わかりました」
それが1%の希望でも良かった。戻れると聞いて私はこれまでの事を話す事にした。
私の繰り返される人生は、見えない物が見えるという体質が影響しているのだろうか、生まれてから十六歳の誕生日を迎えたその日に、何度も時を遡り、始まりの時代に召喚されることを繰り返している。そして、生まれ変わる度に経験した記憶は全て引継いで生まれ変わった。
始まりは平安京末期の京の都だった。
私は都の外れにある山の頂の小さな集落で生まれた。
その山は都からは少し離れたところにあった。外から見るとごく普通の小高い山なのだが、山の入り口に結界が張られていて、集落以外の者は入って来れない霊山だった。
山の頂きにある集落は、月神様の通り道にあたり、毎月月替わりに神様が地上の社に行かれるときと、帰られるときに寄られる休息処を主な生業としていた。
月神様は地上とは違い、月の満ち欠けの28日を目安に入れ替っていた。だから、その山の一年は十三月あり、十三の神様が月替わりの前後に寄ってお茶を飲んで休息をとって行かれた。二月様と六月様が地上の時間とずれが起きないよう調整していた。
年代わりで男神と女神が入れ違いで来ていた。
私の父はその集落の出身で、姉とその娘の三人で暮らしていた。
ある日、狩りの途中で激しい雨に降られた父は、雨宿りの場所を捜して山の中を歩いていたら、大きな木の幹に空洞を見つけて中に入った。その空洞は思いのほか広く、奥の方に誰かがいる気配がしたので近づいてみると、美しい女の妖怪がいた。
父が驚いて女の妖怪をじっと見ていると。妖怪は「お前は私の姿が見えるのかえ?」と聞いてきた。父は思わず頷いてしまったそうだ。
そうしたら、妖怪は昔々に陰陽師にこの地に連れてこられ、封印されて動けなくなってしまったと言った。誰とも言葉を交わすことなく数百年を過ごしてきた。人と話すのは久しぶりなので、雨の降っている間、話し相手になって欲しいと頼んだそうだ。
妖怪は昔、貴族の屋敷で働いていたらしいが、特に何もしたわけではないけれど、主人に妖怪であることが知られてしまい、主人は高名な陰陽師に依頼して自分を封印したのだと父に話した。
父は話しているうちに、女の妖怪を哀れに思い、それから時々話し相手として通ううちに恋仲になったと聞いている。
村の皆は反対したそうだが、父はその妖怪と一緒にいたいと言って村を出てしまった。
そして、一年ほど経ったころ、生まれたばかりの私を抱いて戻って来たそうだ。妖怪は私を産むとすぐに死んでしまったと言った。父は姉に私を預けたあと、自分も妖怪の後を追うと言って山の中に行ったっきり帰ってこなかったと聞いている。
父の姉は私の母となった。
私は「ほう」と名付けられ、母の子供と一緒に育てられた。
私は小さな頃からこの世に在らざるいろいろな物が見えたが、集落の人々は気にしなかった。
なぜなら、この村は特別な集落で、月替わりの神様達が立ち寄られるから、村人は人ではない神様が見えていたからだった。
私が神様以外の多くの物が見えても誰も気にする者はいなかった。
私には姉がいた。病弱な美しい人だった。
ある日、私は姉の側に死に神がいるのが見えた。
この村で死に神を見たのは初めてだった。
私は母には言えなかった。どうしたら良いかと思っていたら、その月の二月の女神様が、月替わりの帰りに姉を連れて行ってくれた。
二月様は私が死に神が見えているのを知っていた。だから「姉の事はもらい受けた。だから心配するな」と言って、姉を連れて帰られた。
月替わりの神様は、時々、村の者を連れて行く事があったが、私はこの時初めて月神様が死期の近い者を連れて行くのだと知った。
月替わりの神様は、男神様と女神様が年毎に交替で来られる。私は姉が仲の良かった女神の二月様に連れて行かれて良かったと思った。
それからも月神様は村人を連れて行かれた。一人減り、二人減り、私が十六歳になる頃には母と二人だけになってしまった。
茶屋の仕事は月に二日、来られる神様と戻られる神様が寄られるだけなので、二人でも何とかなっていた。
私の仕事は、茶菓子を作る材料を調達することだった。
村の山には四季の果物、畑には野菜ができたが、米はなかった。
私は一週間に一度、果物や野菜を都に売りに行き、米と代えていた。
米は毎日の食事のほかに、お茶菓子用に碾いて粉にして団子を作っていた。
その日も山で収穫した物を米に代えるため都に来ていた。
用事も終わり帰る途中、市女笠の女が道の端でうずくまっているのを見かけた。女の側にもう一人市女笠の女がいたが、その女が人でないことはすぐにわかった。でも、放ってはおけずに声を掛けた。
「具合でも悪いのですか?」
側に居た女が、「姫様が急にめまいを起こされたのです」と困った様子で言った。
私は、断って市女笠の中を覗き込んだ。
目を閉じて小さな口をグッと引き締めた色白の顔が見えた。年の頃は一四,五歳のとても美しい娘だった。
「もし、大丈夫ですか?」私の問いかけに小さく頷いたが、このままにしておくわけにもいかず側の女を見た。
「私が、屋敷まで戻って助けを呼んできますので、その間姫様をお願いします」
私の返事も聞かずに、女は慌てて物陰まで走って行くと、人の目に触れないところでスッと消えた。
女が消えたのを確認すると、今まで苦しんでいた娘が立ち上がった。
「さあ、逃げましょう」
私の手を引いて、女が消えたのとは反対の方向に走り出した。
私は驚いて「私は用事があります。あなたが何ともないのであれば、帰ります」と取られた手を離した。
「では、わたくしをあなたの屋敷に連れて行ってください」娘は再度私の手を取るとそう懇願した。
「それはできません」
断ると、娘は泣きそうな顔をした。
「このまま帰ると、好きでもない人と結婚しなければならないのです。わたくしはまだ結婚したくないのに、お父様が無理矢理結婚しろと言うので、逃げてきたのに…」
娘は私と一緒に行くと言って泣き出した。
仕方ないので、私は家に連れて帰ることにした。
山の結界を心配していたが、どうやら無事に娘を連れて帰ることが出来た。
事情を母に話して、少し落ち着いたら帰るかもしれないと、しばらく様子を見ることにした。
市女笠を取った娘は、美しい顔立ちとは思っていたが、想像以上に美しかった。毎月美しい月神様達を見て、美しい顔には見慣れていたのに、それ以上に美しい娘は初めて見た。
髪は白く艶やかで、瞳の虹彩は金色だった。肌は透き通るように白く、髪の色とは違い、人肌の淡い温かみのある白さにほんのり染まる頬、紅桃の唇。
娘の名前は一と言った。何でも唯一無二のたった一人の娘として名付けられたらしい。
一の父は都の東にある池の龍神で、母はその池の畔に咲いていた一輪の牡丹の精だと言った。
龍神はずいぶん長いこと牡丹の精に恋をしていて、あるとき牡丹の精も父に恋をしている事がわかった。二人は牡丹の精が子を授かると消えてしまう事を知っていたので、ずっと相思相愛でも結ばれることはなかった。何百年もそういう状態で二人は過ごしていた。父も母もそれでいいと思っていた。でも、龍神の池の周りに屋敷を建てる者が現れた。その者は綺麗に咲いた牡丹を気に入り、別の場所に移そうと考えた。それを知った牡丹の精は龍神と離れるくらいなら、自分の命をなくしても龍神の子が欲しいと願った。父は母の思いを叶えることが、母の愛に応えることだと思い二人は結ばれた。そして一が生まれたと教えてくれた。
だから、自分も両親の様な恋をして結婚したいのだと言った。
一は「わたくしは目の色以外は母にとても似ているそうです。この目の色は父譲りです。父の血を受け継いでいるので、母のように子を産んですぐに消えてしまう事はないと思うけれど、それだからこそ、好きになった相手と結婚をしたいと思うのです」と言った。
話しを聞いて母も私も一の言ってることは間違ってはいないと思った。
月神様は美しい物が好きだ。だから、美しい一の姿を見られるのは、良くないと思ったので、月神様が寄られる時は、一は隠れて出てこないようにと頼んだ。
一番危ないのは男神の十三月様で、十三月様は月神様の中でも一番美しい神様だけど、噂も多い神様だった。
幸い今月は、十一月の男神様と十二月の女神様だから大丈夫と思ったが、来月は男神の十三月様が寄られる予定なので、それまでに一が家に帰ることを願った。
一の存在を悟られることなく、無事に十一月様と十二月様の月替わりの接待も終わり、いつもの生活に戻った。
一は姫様なのに、私の真似をして良く働いてくれた。母の仕事も手伝ってくれた。
今まで、あれはダメ、これはダメで何もさせて貰えなかったから、楽しいのだと言った。
私が行商に出掛けるのには、さすがに付いて来なかった。都に出て父親に見つかるのが恐かったのだ。私もこの間の女に会わないよう、道をいろいろ代えて用心していた。
一が一緒に過ごすようになって一月近く過ぎた頃、私は十三月様が数日後に寄られるのに備えて、都に買い出しに出掛けた。
用事を済ませて帰る途中、その者と出会った。
「そこの娘、待ちなさい」
私の着物の袖を引っ張って止める者がいた。
振り向くと、元服を済ませたばかりだろうか、幼さが残る貴族と思わしき水干姿の少年が立っていた。
「私に何かご用ですか?」
急いでいたこともあり、相手が貴族とは思ったが、単刀直入に聞いた。
「そなた、一月ほど前、道の端で物の怪と話しをしていたであろう」
「物の怪ですか?」
一月前と言ったら、一と会った時だと思ったが、知らない振りをしてやり過ごそうと思った。
「そうだ、市女笠の女と話しておったであろう。一人はそなたと一緒に居たが、もう一人は離れると物陰に行き消えてしまった。顔は見えなかったが、物の怪ではないかと思った。そなた、もしや、物の怪が見えるのではないか?」
「いえ、私にそのような能力はありません」
「いや、そなたの後をつけたら、山の入り口で消えてしまった。だから、私は確信したのだ。そなたは物の怪が見えると」
少年は真剣な顔で私を見た。
誤魔化すつもりでいたけれど、私に何かを切望しているように感じたので、話しを聞くことにした。
「もし、見えたとして、私に何をして貰いたいのです?」
少年の顔がパッと明るくなった。
「私は、藤原直親と申します。駆け出しの陰陽師です」
「陰陽師…」
いやな響きしかなかった。私の母を封印したのは陰陽師と聞いていたからだ。
「その陰陽師の藤原直親様が私にどのようなご用があるのですか?」
「一緒に来て貰いたいところがある」
直親はそう言うと、私の手を取って歩き出した。
貴族というか身分の高い者は、一もそうだが、私の返事を聞かずに話しを進めてしまう。
「お待ちください、私はまだ行くと返事をしていません」
慌てて手を振りほどこうとしたが、直親は手を掴んだままどんどん歩いて行った。そして大きな屋敷の中に私を連れて入って行った。
「ここは?」
「私の父の屋敷だ。私はここに住んでいる」
「それで…」
「父が病で伏せっておられる。陰陽寮の先生にお伺いしたら、屋敷を移れと言われた。そしてその手配を私にやってみよと言われた」
「それで…」
「卜占で東に移ると良いと出た」
「それで…」
「東にちょうど良い屋敷を見つけたが、そこには陰の気が立ちこめていて、物の怪の気配がしたのだ。中に入ろうとしたが、遮る物があった。それは私には見えぬものだった。それで、そなたにどのような物の怪がその屋敷にいるのか見て貰いたい」
「もし、物の怪がいたらどうするのです
「祓う」直親は顔を引き締めた。
「見なくても祓うことは出来るのではないですか?」
「もしかしたら、理由があってそこに住み着いているかもしれぬではないか。訳もわからず祓ったら、後に何を残されるかわからないから、何の物の怪か知りたいのだ」
「そうですか」
私は直親の屋敷を見た。
病に伏している父のために家移りをすると言ったが、何故かその前にこの屋敷の中を見たいと思った。
「直親殿、このお屋敷の中を見せて頂けますか?」
「なぜだ?」
「この屋敷に何かいるかもしれません。それが父殿に悪さをしているかもしれません」
私の言葉に直親は驚いた。
「私は幼少よりこの屋敷に住んでいるが、この屋敷で何かを見たことはない。そなた、何か見えるのか?」
「中を案内してください」
直親は素直に私を案内してくれた。
大きな屋敷だ。父殿はきっと貴族の中でも上級なのだろう。
そんな事を思って屋敷の中を歩いていると、直親によく似た顔立ちの青年とあった。
「兄上、いらしていたのですか?」
直親が嬉しそうに青年に声を掛ける。
青年は笑顔で弟を見たが、隣の私に気が付いて怪訝な顔をした。
「兄上、この者は私より物の怪が見える様なので、東の屋敷に連れて行こうと思っています」
東の屋敷と聞いて、青年はイヤな顔をした。
「あの屋敷はどうもおかしい。お前の卜占を疑うわけではないが、あの屋敷は止めておけ」
「そうなのです。私も気になっております。だから、この者に屋敷を見て貰おうと思ったのです…」
直親は考え込んでしまった。
「まあ、お前の初めての仕事だ、気の行くまでやってみるが良い。どうしてもと言うときは私も力になるつもりだ、その時は声を掛けなさい。うまくいくことを願っているよ」
兄殿はそう言って去って行った。
私は二人が話してる間も部屋の中を見ていた。
さすがに父殿の寝所までは行かなかったが、屋敷の中を一通り見せて貰った。
「何かいましたか?」
直親が聞いたので、「何もいなかった」と答えた。
直親がホッとした顔をした。
「屋敷の中には何も居なかったのですが、西門の近くに何かの気配を感じました」
「西門ですか!」
直親が驚いたので、そのわけを聞くと、二月ほど前、西門に獣の死骸が置いてあったらしい。
誰が置いたかわからず気味が悪かったので、人を雇ってそれを片付けて貰った後、陰陽寮の先生を招いて、特に念を込めてお祓いをして貰ったそうだ。その後、特に変わった気配は感じませんでした。でも、それから程なくして父殿が病になり伏せってしまったと教えてくれた。
気配が残っているということは、最近、何かが現れたと考えて、とりあえず西門を見張ることにした。
私は一度家に帰って出直してくると直親に申し出た。直親が拒否をしたので、無理矢理帰ろうとしたが、何故か直親と離れることが出来なかった。どうやら、物の怪を見つけるという契約が暗黙の内に陰陽師の直親と結ばれてしまったらしい。しかたなく物の怪を見つけるという契約を遂行することになった。
一日目、二日目、三日目、昼夜通しで見張っていたが物の怪は現れなかった。
月替わりの日、私は家に帰ることが出来なかった。一は十三月様に見つからずに無事に隠れていられるだろうかと心配になった。
その夜も西門を直親と見張っていた。
ボーッと青白い光に包まれてそれは現れた。
「出た!」と思った途端、私の後ろで直親が「滅」と叫ぶ、と同時に私の意識がなくなった。
御門野はホッと一息吐いて、「直親は私の前に現れた光の正体を見ることなく、私ごと滅してしまった。これが始まりだった」と言った。