第6話 金山流の修行 其の参
魔狩り適正試験。
それは魔狩りを目指す者が受ける一年に一度、十二月に行われる試験。
その試験に合格する事で、ようやっと魔狩りになれる資格を得れる。
魔狩り適正試験に合格する為…彼女は今日も刀を持って走り続ける…。
●
彦之の下で修業を初めて二ヶ月が経ち、修業は三ヶ月目に入ろうとした。
「それじゃ、今回から新しい修業に入る」
日か昇り始めた早朝。彦之はマリを森に連れ出し、新しい修業に入ると伝える。
すると彦之は刀を放り投げ、両手を叩くと、再び何処からかとも無く黒髪で白い着物を身に纏う女性…光子が姿を現す。
「今回からはこの子と模擬戦をし、様々な条件下で勝ってもらう」
「宜しく御願い致しますわ」
「今回は一度でも光子の攻撃を受けたら貴方の負け。ただし攻撃は躱しても良いし、防いでもいい」
次の修業は木刀を使っての模擬戦。しかも一度でも攻撃を受けたら即負けと言う無茶な条件付き。
当然ながら、魔狩りになるからには相手は妖になる。妖の一撃をまともに受ければ最悪即死。なので極力躱し、好機を待つのがセオリー。
勿論相手になる光子は鬼ごっこをした時こそ手加減していたが、今回は本気。
マリと光子は互いに向かい合い、身構え…
「始め!」
彦之の掛け声と共に二人は動き出す!
初めこそ二人の木刀はぶつかり合い、マリは光子の攻撃を躱し、防いで攻撃を放つ。
だがほんの一瞬だけ油断し、光子の一撃を腹部に受けてしまった。
「はい、貴方の負け」
「口程にも御座いませんわ」
「もう一度。始め!」
とにかく攻撃を躱し、最悪防いで攻撃を当てるしか無い。マリは立ち上がり、木刀を構えて光子に立ち向かう。
しかし光子が振るう木刀に集中し過ぎたが為に、足元を掬われて倒れてしまったのだ。
更に光子は木刀を振り上げ、追撃せんと振り下ろす。
マリはすぐ様横に転がり、光子の攻撃を躱すと、体勢を極力低くしつつも突き上げる様に木刀を光子向けて放つ!
「くっ…!この子体勢を極力低くして…!」
(くそっ!躱された…!)
あと少しと言った所で躱された。
するとマリは攻撃の隙を突かれ、脇腹に木刀の一撃を食らってしまったのだ。
だが今の攻撃は確実に惜しい線を行っていた。次は無いかもしれないが、次の攻撃への好機に繋げる。
マリは木刀を手に取って立ち上がり…幾度と無く光子に立ち向かう…!
―…その翌日。
「魔狩り適正試験まで四ヶ月ちょっと。今日から一ヶ月、今迄行ってきた修業をしてもらう」
「はい!」
彦之から言い渡された修業内容。
それは過去二ヶ月に行われた修業を再び行うものであった。
基本に戻り基礎を鍛え上げる事は最も重要。その基本が次への段階に上がる為の遠回りであり、近道であるから。
それからと言うものの、マリはこれ迄行ってきた修業を行う事となった、
ある日は彦之の攻撃を全て躱す修業。
ある日は刀を持ちつつ攻撃を躱す修業。
またある日は刀の基礎練習。素振りや抜刀の稽古。
またある日は双子との鬼ごっこ。
またある日は彦之も入り交じった鬼ごっこ。
その合間に光子との模擬戦。
木刀に入り交じり、体術での戦闘も加わり、難易度はどんどん上がっていく。
しかも光子の攻撃速度に慣れた頃を見計らい、光子の攻撃はどんどん速さを増していく。
そのせいか最低限の動きで光子の攻撃を躱していたはずが、攻撃速度が上がる度に大袈裟に避けてしまい、その隙を突かれて攻撃を受けてしまう。
「私が着物で動きにくい服装だからと言って、油断してたら痛い目を見ますことよ!」
(確かに光子さんは動き辛そうな服装をしてるのに、私の攻撃を軽々と躱している…!)
大袈裟に避けて躱すマリとは対照的に、光子はどれだけ速くなるマリの攻撃でも最低限に動いて躱している。
その気になれば目を瞑りながらでも躱せてしまうのではなかろうか。
そう思えてしまう程に自分の攻撃が躱されるのだ。
だからと言って諦めるほど、ヤワでは無い。
斯くしてこれまで行われてきた復習をまるで基礎として叩き込まれつつも、修業と共に行われた光子との模擬戦は一ヶ月にも及び…
魔狩り適正試験まであと…三ヶ月と迫った。
●
翌朝。修業は四ヶ月目に突入し、より一層気合いを入れるマリ。…なのだが、これまで行ってきた修業を思い返してふとある事に気付く。
修業をするにあたって、全くと言っていいほど滝行をしていない。
こう言った修業では滝行が決まりの筈。その滝行を一切行っていない事が不思議と感じたマリは彦之にその旨を問い掛ける。
「あぁ、滝行?やらないよ」
「え、でも修業にならないんじゃ…」
「確かに滝行は精神統一に向いてて、穢れを生まぬ強靭な精神を鍛えるのに打って付け。だけど…」
「けど?」
「この山の滝、勢いがあまりに強過ぎて、常人は耐え切れず溺死する」
納得の理由だ。滝行をしない云々の前に、滝の勢いがまず強過ぎて話にならないのだ。
当然鍛えたとは言えど、マリは極普通の女の子。
非常に強い滝に打たれようものなら即座に水に沈み、重く伸し掛かる水で浮上する事が出来なくなる。
それを考慮して、滝行は行っていないのだ。
もし出来たとしても、神か常人離れした人間くらいだろう。
「滝行をやらないのはそう言う事。さ、修業を始めるよ」
すると彦之はマリの前に立ち、光子を呼ぶ訳でもなく体術の構えを取る。
まさかと思い、マリは
「きょ、今日は彦之さんと組手ですか…?」
と恐る恐る問い掛ける。
「あの子ばかり働かせて悪いからね。今日からは私も組手の相手になる」
「わ、分かりました…」
「私は素手で相手になる。貴方は木刀を持って挑んでくればいい」
すると彦之は一切攻撃をする事も無く、ただ身構え、マリが攻撃を仕掛けてくるのを待っていた。
何かある。だからと言ってこちらも攻撃せずにいては何も始まらない。
木刀を構え、彦之向けて振り下ろした…その時だ。彦之は振り下ろされる木刀を左手で払い、マリは払われた木刀の方へと身体が逸れた。
その勢いを利用し、背後に回り込んだ彦之はマリの左肩甲骨を軽く押し、彼女を突き飛ばす。
それからと言うものの、どれだけ攻撃をしようと、どれだけ不意を付いて仕掛けようと、どれだけ体術をしようとも軽々躱され、投げられてしまう。
(攻撃が当たらない…!光子さんでさえも当てるのに苦労するのに…!)
「一応言っておく。魔狩り適正試験前日までに私に攻撃を当てられなかったら、試験には行かせられない」
「そんな!」
「この程度で苦戦してたら足を引っ張っるだけ」
ぐうの音も出ない。が、真っ当な理由だ。このままで足を引っ張れば魔狩りの名を汚すだけ。
それだけは決してしたくない。そう心から決めたマリは木刀を握り締め、彦之に攻撃を打ち続ける。
だが彦之は彼女の攻撃を悠々と躱し、如何に戦おうと、まるで最初から分かっているかのように攻撃を器用に躱しては反撃として攻撃を繰り出していく。
「今日はここまで。明日はまた新しい修業に入るから、休むように」
「は、はい…!」
その日は結局、一撃も彦之に届かなかった。ボロ雑巾の様に服は汚れ、身体も彦之の攻撃で痣だらけ。
まるで修業初日を思い出す状態だ。
―…その晩、身体の痛みに耐えながらも薬草入りお風呂に入り、夕食を食べていたマリはある事が気になり
「あの、魔狩りって何か階級とかランクとかってあるんですか?」
と疑問を投げ掛ける。
「そんなもの、魔狩りには無いし必要無い」
「必要無い…?」
「階級があると出世欲や名声の為に他人を蹴落とす我の強い人間が出て、穢れを生んでしまうから」
魔狩りに階級やランクが無いのは出世による欲、名声を得たいが為に邪な感情を持つ者が出るから。
故に、この魔狩りには階級と言う制度が設けらていない。
しかしマリは引っ掛かることがあった。
やたら詳しく話す。と言う事は過去に前例があった、と言う事では無いか?
そうマリが言うと、彦之は深く溜息を吐き、話し出す。
「…今から九百五十年前、魔狩りには階級制度が設けらていた。しかし階級が上がれば名声も手に入り、傍らその姿を妬む者も居た」
「それじゃ穢れが生まれちゃうんじゃ…?」
「えぇ。妬み、嫉み、穢れ、やがて魔狩り同士で殺し合いも起きた。歯止めが効かなくなり、高天原機関は危険と看做し、階級制度を即廃止した」
「だから階級制度を必要としないと…」
納得しか無い理由だ。出世欲、名声を得たい、英雄視されたい。そんな感情が何時しか邪な感情になり、穢れが生まれる。
魔狩りから穢れが生まれれば戦力は大幅に減り、更に魔狩りと言う存在も危険視される。
それを防ぐべく、魔狩りを統制する高天原は階級制度を廃止したのだ。
「とは言え何も無いと魔狩りにはデメリットしかない。だから魔狩りになった者は幾つもの恩恵を与えられるようになった」
「恩恵?」
「魔狩りになった者は凡百公共機関、公共施設の利用が無償で使え、全大陸間の移動時に書類の手続きも必要無くなる」
「一応そこは保証してくれるのですね」
「勿論妖を一体も討伐してない魔狩りには資格剥奪の厳罰が下される」
魔狩りは穢れに近付けない神々に代わって人間がなり、妖を斬る組織。
その魔狩りが移動時に足を取られれば、人々への妖被害が更に拡大する。
だがデメリットが多過ぎるのも悪過ぎる。なので魔狩りを統制する高天原機関は全魔狩りへの保証として、公共機関や公共施設への利用が無償、手続き不要とされている。
当然ながらそれらを利用したいが為に権力を振りかざし、妖を討伐せず、他者を利用する者には厳しい罰が与えられる。
それは魔狩りの資格永久剥奪、及び逃亡の際は指名手配。
魔狩りとなった者は常に魔狩りとしての自覚を持ち、妖を殲滅する事を第一にされている。
「分かったでしょ?意味も無い階級は余計穢れを生み、その穢れを「空亡」に利用されるだけ」
「身分と穢れ…表裏一体で難しいんですね…」
どれだけ出世しようと、どれだけ階級が上がれど、それを妬む者が居れば穢れを生む要因となる。
故に高天原機関は穢れの原因となる要因を取り除き、魔狩りはただ只管に妖を斬る事だけを命じられる。
だから魔狩りは特殊なのだ。
「さ、ご飯を食べたらゆっくり休みなさい。明日はもっと厳しくいくから」
「はい!」
こうしてその日は終わりを告げ、マリは翌日への新しい修業への意気込みをより募らせた。
―…翌日。
マリは刀を携え、彦之に連れられて森の中へと入って行く。当然次がどの様な修業かは教えられていない。
「それじゃ、新しい修業に入る」
彦之はその場で立ち止まると木から飛び出す様に固定された巻藁を指差す。
「この森の中に百体の竹入巻藁を隠した。それを夕方までに全て斬る事」
「分かりました」
と快く答えたものの、彦之の事だ。必ず何かを仕掛けているはず。
また、簡単に終わらせる気も無いと言う事も見透かし、マリは腰に下げる刀を身構える。
「それでは、始め!」
そして彦之の合図と共に森を駆け抜ける!
(一見、簡単そうに見えるけど…確実に何か仕掛けてるのは分かってる…!)
(あの表情を見るからに、ただ竹入巻藁を斬るだけの修業では無いことは分かってる筈)
お互いが考えている事は双方どちらも当たっている。が、それでもマリには彦之がどう考えているかは深く分かっていない。
しかしそれを今考えても仕方無い。
今はただ言われた通り、この森に隠された百体の竹入巻藁を斬る事を考えるだけ。
そう思いながらも目の前の巻藁を斬った…その時だ。
巻藁を斬ると同時に草むらから勢いよくしなった竹が現れ、マリを力一杯叩き付けたのだ。
「きゃっ!いった…!」
突然の出来事に為す術なく竹による叩き付けを受け、その場に倒れるマリ。
一体何が起きたのか?全く頭が追い付かない。
だが叩き付けて来た竹の先端をよく見ると縄が括り付けられており、斬った巻藁にも同じ縄が巻き付けられていた。
この二つを見て、マリは何故巻藁を斬った直後に竹が叩き付けてきたかを理解する。
今さっきマリを叩き付けてきたこの竹。辿れば縄の結び先が竹入巻藁と繋がっている。
まず予め竹に縄を巻き付けた竹入巻藁を樹木や草木に固定し、もう片方の縄を同じく樹木に固定して限界まで引っ張ってしならせた竹に結び付ける。
そして縄が繋がっている巻藁を斬る事で、竹を引っ張る力が消え、引っ張られていた竹は強烈な一撃となって対象を叩くのだ。
修業の流れを把握し、一筋縄では行かない事を悟ったマリ。
(そう言う事ね…!ただ斬るだけじゃなく、斬った後にも攻撃が飛んで来る…それを見極めろって事…!)
そう理解しつつ叩き付けられた箇所を押さえつつ立ち上がる。
「妖は一体だけとは限らない。一体倒したその隙を付いて攻撃してくる事もある」
すると森の何処からか彦之の声が聞こえ、姿を見せる事もせずマリに語り掛ける。
彦之の言う通り、妖は決して一体だけとは限らない。倒したと思い、気を抜けばその場で命を落としかけない。
つまりこの修業は自身の攻撃後、追撃を受けぬ為の修業。追撃を受けぬには躱すか、先読みして攻撃するかの二択。
しかし躱すとなると、今迄以上に空気の揺らぎを感知せざるを得ない。
それを見越していたからか、彦之は
「言っとくけど、今迄の様に空気の揺らぎを感知させる暇は与えないから」
そう言い残し、マリを森に残してその場を立ち去った。
(例え空気の揺らぎを感知しても、竹のしなりが強くて速すぎる…!身体が速さに反応出来ない…!)
どれだけ竹の空気の揺らぎを感知したとしても、竹のしなりはとにかく強く、避けるのは至難の業。
しかも事前に竹が見えてたとしても、どの巻藁を斬れば向かってくるかも不明。
更に巻藁を斬ったとしても向かってくる竹に反応し切れず、躱せなければ強くしならせた竹の強烈な一撃を受ける。
確実に今迄よりも段違いに難しい修業とも言えるだろう。
こうしてマリは森に隠された百体の竹入巻藁を斬り、その都度竹の強烈な一撃を喰らい続ける事となった。
百体終わる頃には身体はボロボロになり、呼吸をするだけでも身体が悲鳴を上げ、自力で立つ事も出来ない時も屡々。
当然巻藁の位置や竹の位置を覚えた所で、翌日には別の位置に隠され、竹の位置も当然ながら変わる。
とにかく全力で躱すか斬って追撃を免れるしか無い。
かくしてマリは刀を握り、只管巻藁を斬り、追撃して来る竹を躱し続けた。
時には打ち所が悪く、一日中気を失う日もあった。
オマケにその晩に入る薬草が煎じられたお風呂は身体中激痛の日々。
薬草が入れられているので傷跡や痣はその日のうちに瞬く間に消えるものの、痛みは何時もの倍以上。
だがどれだけ困難で厳しかろうと、決して諦める事はせず立ち上がり、刀を振るう。
当然ながら行われる修行は森の中に隠された巻藁を斬るだけではない。巻藁を斬る修行に、彦之や光子との組手。
挙句巻藁から繰り出される竹の一撃によって身体の疲労が残っている日にする組手は特に攻撃が当たらず、ただ只管返り討ちにされるだけ。
そんな過酷へとなっていった修業は一ヶ月と続き、自ずとマリの心をへし折らんと続いた。
そして遂に、修業を初めて四ヶ月目が過ぎた…。
●
マリが魔狩りになる為の修業に入り、遂に五ヶ月目に入った。
しかしマリは一ヶ月前に始めたこの巻藁を斬る修業を始めてからと言うものの、組手では一度たりとも彦之と光子には攻撃が届かなかった。
それだけに、マリは焦っていた。
一度たりとも彼女らに攻撃が届かないと、彦之からは適性試験へ行く許可を貰えない。
このままでは本当に足手まといとして魔狩りになってしまう。
それから来る日も来る日も巻藁を斬ったとしても、不意に現れる竹を避け切れず、手痛い一撃を喰らう。
(竹が当たった所が痺れる様に痛い…!何で避けれないのよ…!)
当たれば痺れる様に痛み、酷い時は腫れる程の衝撃。
それを避けよとしても身体は追い付かない現実がマリを追い詰めて行く。
だがマリの足は竹による一撃で痺れ、痛みで震えるばかり。
立ち上がってもまともに立つ事が難しい。が、例えそんな足であってもマリは立ち、刀を構え、巻藁を斬る…!
すると巻藁を斬ると共にしなっていた竹はマリの顔を狙い、叩き付けんと迫り来る。
(あ…やば)
竹を顔に叩き付けられて顔が腫れるのを覚悟した。
その時だ。顔に当たる直前、震える足は力尽きるように力が抜け、身体が崩れる様に後ろに倒れて迫り来る竹を寸前に躱したのだ。
自分でも何が起きたか分かっていなかった。偶然躱しただけだが、マリ自身は今までの中で何かが違った。
(初めて躱した…。けど…何だろう…今の…)
今までにない感触。しかし何か引っ掛かる。だがまだ確証は無い。
その感触を確証させるべく、マリは深く深呼吸し、刀を構え、森に散りばめられた巻藁を斬り始める。
●
一週間後。外は夕暮れになり、暗闇に包まれようとしていた。しかし一向にマリは帰ってこない。
些か心配になり、迎えに行こうと彦之が戸を開けようとした時だ。ガタンッと、戸に伸し掛かる音と共に妙な重さを感じた。
何かが戸にもたれ掛かっている。まさかと思いゆっくりと戸を開けると、そこに居たのは…
「貴方…」
「ただいま…帰りました…」
身体は土埃で汚れ、クタクタに疲れ果て、戸にもたれ掛かるマリが居たのだ。
「今日の巻藁百体…全部斬って…終わりまし…た…」
マリはそう言うとゆっくりと目を閉じ、意識を失くした。
疲れがどっと来たのだろう。ぐっすりと眠る彼女を背負い、布団に運んで寝かせると、彦之はマリがつい先程まで修業を行っていた森に赴く。
しかし彦之は、そこで驚くべき光景を目の当たりにした。
何故なら、百体の竹入巻藁は全て斬られており、巻藁を斬ったと同時に現れる竹も全て斬られていたからだ。
その瞬間、彦之は眠りにつく前のマリの言葉を思い出す。
今日の百体の巻藁、全部斬って終わらせた。
言葉通り、マリは全ての竹入巻藁と竹を全て斬り、終わらせたのだ。
今思えばマリが帰って来た姿も、この一週間の中でこの日だけは全く違った。
身体は泥だらけだが、竹による傷や痣は何処にも見当たらなかった。つまり全て躱し、斬ったと言う事。
(まったく無茶をする…大怪我して適正試験出れなかったらどうするの…)
無理をするマリに思わず溜息を漏らし、斬られた竹を手に取る。
だがその日からと言うものの、マリは巻藁を斬る修業ではほぼ攻撃を受けずに帰ってくる事が多くなった。
同時に竹はほぼ全て斬られ、汚れはするものの、日に日にマリの怪我は少なくなり始めたのだ。
「ただいま…です…」
「お帰り。今日も怪我もせず帰って来たね」
「でも結構汚れたのでお風呂入ってきますね…」
「行ってらっしゃい」
巻藁を斬る修業の日だけは特にクタクタに疲れてはいるが、それでも怪我は痣以外しなくなった。
そう、”痣“以外は…だ。
「いっだあぁぁぁぁぁぁぁッ!」
すると、浴室からこの四ヶ月間で聴き慣れた悲鳴が響き渡る。
凡そ、桶に汲んだ湯船のお湯を身体に掛けた途端、青痣が染みたのだろう。
幾らここに来て四ヶ月余り過ごしたと言えど、薬湯における傷への痛みは全くと言って慣れない。
勿論慣れたくもないが。
「お風呂…上がりました…」
「今日もお疲れ様。ゆっくりと休んで」
「は、はい…」
その後…マリはその日、まるで誘われるかのように布団に潜って深い眠りに付いた…。
そしてマリが彦之の下で修業を初め、遂に五ヶ月が経った…。
目標である魔狩り適性試験まであと…
一ヶ月。