第2話 神住まう鍛冶屋の街
マリが魔狩りになりたいとカナミに会い、ボコボコに返り討ちにされ、彼女らと話をした翌朝。
この日マリは朝からウキウキと水色のスカートを履き、灰色の肌着と黄緑色のパーカーを着て髪の毛を梳かして身支度をしていた。
今日から念願の魔狩りとして修業が出来る。それだけでも胸が張り裂けそうなくらいに楽しみなのに、レンとカナミの紹介で修行を付けてくれる人も見つかる。
こんな巡り合わせに緊張をするなと言う方が無理がある。
(どんな人なんだろう…なんか二人共険しい顔をしてたけど、怖い人なのかな?)
また、一番楽しみでもあって待ち遠しいのが修業を付けてくれる人だ。
あのレンでさえ渋った顔を見せて悩んだ程。だとしたら余程厳しい人なのだろう。
そうマリが楽しみにしながら髪型を整えると、部屋の扉をノックする音と共に
「起きてるかー?そろそろ出る時間だぞ」
と、レンの声が聴こえた。
彼の声にマリは待っていたと言わんばかりに鞄を持ち、部屋を出る。
「お待たせ!」
「おはよ。んじゃ昨晩言った所に行くぞ。俺ら魔狩りにとっては最も死守すべき街…刀厳郷へ」
「刀厳郷…」
「途中まで列車乗るし、時間無いから行くぞー」
するとレンはスタスタと歩き出し、懐中時計を開いて時間を確認する。
乗車予定の列車の発車時刻を気にしているのか、そこそこ早足で歩き出す。そのせいかマリの歩幅ではレンの早足に追い付けず、駆け足で追い付く形となった。
暫くして二人は港の入口付近に位置する駅に足を運び、発車時刻を迎えんとする列車に駆け込む。
それと共に駅員が笛を鳴らす音がホームに響き渡り、列車は徐々に徐々に速度を上げ、線路の上を走り出す。
ふとマリは車内の客席に入るや否や、ある光景を目の当たりにする。
列車の客席に、人が殆ど居ないのだ。数人居るとしても、全員武器を持った者。
その光景にマリが呆気に取られて居ると
「何してんだ、早く来い」
レンが前方車両への扉に立ち、マリを呼び掛けた。
すぐ様レンの後を追い掛け、次の車両に移動して個室に入ると、レンは深く溜息を吐く。
「あんまジロジロ見んな。全員魔狩りで、ピリピリしてんだ」
「どゆこと?」
「そらお前、これから行くのは刀厳郷…鍛冶屋の街だぞ?んな所に行くつったら一つだろ」
何故乗車している魔狩りはそんなに空気をピリピリさせているのか?
そんな理由は単純明快。武器を破損させたから。
魔狩りにとって武器は命よりも守るべき物。その武器を破損させたが故に、時には苛立ち、時には落ち込んでいる。
だからレンはジロジロ見るなと釘打った。
なら何故わざわざ列車に乗って行く必要があるのか?
その疑問を持ったマリは
「飛空艇があるんでしょ?そっちで行けば良かったじゃない」
そう言って空を指差して彼に問い掛けた。
「あの飛空艇は天翔界に正式登録してる船だ。違法停泊なんかしたら一発で取り上げだ」
「成程…」
「あと街の奴らに飛空艇のエンジン音がうるさいてクレームが来る」
「な、なるほど…」
一つ目は良く分かるが、二つ目の理由の方が随分と具体的な理由だ。
恐らく過去にやらかし、多大な苦情があの船に対して来たのだろう。
それを察したマリは飛空艇持ちは大変だなと心の底から苦労を感じ、個室の柔らかいシートに座ってもたれ掛かる。
「それにしても列車で移動するって、そんなに遠いの?」
「刀厳郷は須旺港湾のほぼ真反対の位置だからな」
「かなり遠いのね…」
「隠してるって訳じゃないが、魔狩りにとっては重要な街だ」
また、移動手段として列車を選んだのも距離の問題もあるから。
徒歩で行くにも、これから行く刀厳郷は大陸の端から端と言う真反対の位置に点在する。
そんな距離のある街なのに、大陸を徒歩で横断移動するだけで日も暮れてしまう。
その為の列車移動だ。
しかしマリは余程この大陸が初めてなのか、彼女の質問攻めは止まらない。
列車の窓を開けて
「ちなみにどれくらいで着くの?」
そう問い掛け、レンは懐中時計を開くと
「ノンストップで三時間」
心做しか眠たそうに答え、腕を組んで目を閉じて顔を俯かせる。
「質問するのはいい事だが、悪いが少し寝かせてくれ…。寝てねぇんだ…」
「ご、ごめん…」
「この列車は妖も出ねぇから…他の魔狩りに…迷惑掛けない…程度に……」
次第にレンの口数は減って行き、ウトウトと船を漕ぎ、遂には深い眠りに入ってしまった。余程疲れているのだろう。
それだけ魔狩りと言う仕事は過酷と言うのが分かる。
しかし、だからと言って諦めますと言う訳にはいかない。
列車に揺られながらも、マリは車窓から流れる景色を目に焼き付け、終着駅に到着するのを待ち続けた。
●
―…須旺港湾を発車してから三時間が経ち、列車は徐々に速度を下げてゆっくりと停車する。
その振動で今の今まで寝ていたレンは目を覚ますと大きく伸びをし、寝ていたせいで訛りきった身体を叩き起す。
(ほぼ寝てたか…)
欠伸をし、完全に目を覚ましながら向かいに座っていたマリを探すも、彼女の姿が見当たらなかった。
どうせ何処かほつき歩いてるいるのだろう。そう思いながらレンが個室から出ると、マリがタイミング良く客室の車両の扉を開けて戻ってきたのだ。
「レン起きてたの?今起こしに行こうと思ってた所だったの」
「あぁ、今起きた。お前は何処ほつき歩いてたんだ?」
「お花摘み」
「列車の中に花なんか無ぇだろ」
「あ、あのねぇ…!」
デリカシーが無さ過ぎる。
あまりのデリカシーの無さにマリは顔を真っ赤にし、レンの腹部に思いっきり右肘を打ち込む。
寝起きでもあった為か、突然の一撃に躱す暇も無くレンはモロに喰らい、肘から崩れて倒れ込んでしまう。
「おっ…ふぅっ…!何すんだお前…!」
「バカッ!」
「何怒ってんだよ…」
「知らないわよ!」
結局最後まで何故マリが激怒していたのか分からなかったレン。
ちなみに…レンの辞書にデリカシーと言う言葉は欠片も無い。故に彼女が何故怒ったのかすらも分からないままである。
そんな彼を置いてマリは列車から降り、新たな土地…「刀厳郷」へと足を踏み入れる。
瓦屋根の建物で造られる街並みと、行き交う剣士と鍛冶屋達。鳴り響く鋼を叩く音と、鋼の匂い。そして焼き焦げる火の匂いが辺りを漂う。
この街こそ、鍛冶屋にとってまさに理想郷の街。
『刀厳郷』だ。
「凄い…」
そのたった一言だけしか出ないマリ。
するとレンが腹部を右手で押さえつつ、街並みを見渡して
「ここが刀厳郷だ。八百万の神、石凝姥が治める街だ」
と金属を打つ音が鳴り響く街を紹介する。
何処を見ても鍛冶屋ばかりで、何処を見ても剣士ばかり。鍛冶屋ばかりで周囲の熱気も異常に高く、真夏前にも関わらず暑い。
「ほら、待たせてんだから行くぞ」
街を見渡し、見惚れるマリの頭をレンが軽く叩く。ふと我に帰ったマリは先歩くレンの後を追い掛け、逸れぬように歩き出す。
「ところでこれから会う人ってどんな人なの?」
刀厳郷の街を歩く最中、マリはこれから会い、どんな人に修業を見てもらうのかと問い掛ける。
無論気になると言うのもあるが、強いて言えばあのカナミ推奨の人物。どんな性格なのかが大変不安で仕方ない。
その質問を受け、レンは考える間も無く答える。
「強いて言えば極度の刀オタク。ぶっちゃけめんどくせぇ奴」
「と言うと?」
「刀折ると掌底して来るし、遠回しに下手とか言ってくるしで精神的に来るものがある」
しかし蓋を開ければ、それは大層とんでもない性格の持ち主。
刀に対する愛情は人一倍。つまり刀オタク。しかもその刀を折れば怒り、更に遠回しに毒舌が飛んで来ると来たものだ。
この説明で不安にならない人が居るだろうか?青ざめた表情になるマリは
「そ、そんな人に私を預けると…」
と不安げにレンに問い掛けたその時だ。
「そんな人で悪かったね」
マリとは違った少女の声音が二人の真後ろから聞こえた。
「へ?」と言わんばかりにマリが後ろを向くと、そこに居たのは三つの鈴で水色の髪を三つに分けて束ね、蒼の着物を羽織るマリと差ほど身長が変わらぬ少女が買い物袋を抱えて二人の真後ろに立っていた。
「なんだ、珍しく町に出てんのな」
「珍しくは余計。少し買い出しをしに来た。…その子が手紙で言ってた子?」
「あぁ、魔狩り希望のマリ・ルヴァーシァだ」
「そう…貴女が」
すると少女はマリにググッと顔を近付け、まじまじとマリの顔を見つめる。
何を言う訳でも無く、表情も変えず、ただ黙って顔を見つめられている。それが辛くなってきたのか、マリは堪らず一歩引き
「え、えっと…レン…この子は…」
と彼に何者か問い掛ける。視線からして困っているのか分かる。
それもそうだ。突然出会って自己紹介も無しにまじまじと顔を見つめられれば困る。挙句に無表情と来たものだ。
何を考えているのか分からないので、余計反応に困る。
仕方ないと言わんばかりにレンは溜息を吐くと少女の着物の襟を引っ張り
「そんな見るから困ってるだろ」
困惑するマリから距離を置かせる。
「ごめん」
「あの…レン、この子は?」
「あぁ悪い、紹介する。コイツは金山彦之。俺ら『天使の子守唄』の準専属刀鍛冶だ」
水色の髪の少女の名は金山彦之。だが当の彦之は全く表情を変えず、 レンに襟を引かれながらも
「よろしく」
と、一言で挨拶を済ませ、襟を引っ張るレンの手を振り払う。
「ほら、昨日言ってたお前の修業を見てくれる奴だ」
「あ、え、この子が?!は、初めまして!よろしくお願いします!」
「…とりあえず、立ち話も何だから私の家に来て」
「そのつもりで歩いてたんだがな。まさか街中で遭遇するとは思ってなかったんだ」
「そう。じゃあ先に行ってる」
すると彦之は行き交う人々の中を進みだし、遂には二人の前から瞬く間に姿を消す。
心做しか対応が冷たい。まさか第一印象が駄目だったのか。なんて気を落とすマリにレンは
「あー、安心しろ。アイツはいつもあんななんだ」
と彼女の背中を静かに叩き、歩きながらも彦之についてフォローしだす。
「いつも…って、じゃあ四六時中あんな感じで無表情なの?」
「刀以外はまるで興味無いからな。まぁ刀の事になってもほぼ無表情だけど…」
「はぁ…私てっきり「そんな人」で第一印象悪かったのかと…」
「そんなんで悪けりゃ今頃声なんて掛けやしねーよ」
確かに。そんなつまらない事で機嫌が悪いのなら声なんて掛けてないし、無視して姿すら見せないはず。
それに頷くと、レンはマリの頭を軽くペシペシと叩き
「ほれ、彦之待たせるから行くぞ」
と行き交う人々の中を歩き出す。
「ま、待ってよー!」
レンに置いてかれまいと彼の後を追い掛けるマリ。
しかし彼の後を付いて行くと、先程まで行き交っていた人々の波は徐々に少なくなり、遂には刀厳郷から出て木々が生い茂る山道へと入っていった。
流石に不安になり、黙々と前を歩くレンに
「あのー…レン…?刀厳郷出てるんですけど…?」
と声を掛ける。
「あと少しで着くから黙って付いて来い」
「いやだって刀厳郷から離れてるんだよ?!不安になるでしょうよ?!」
「そらそうだ。彦之の家は刀厳郷の外なんだからな」
「え?」
するとレンは歩みを止め、目の前の古くて小さな木造建築の古民家を指差す。
人が二人までなら暮らせそうな程の小さな家で、玄関は木造の引き戸。そして瓦で造られた屋根。
そんなマリによる第一印象は…ボロっちい家。
だが敢えて口には出さなかった。もし聞き耳立てていて聞かれでもしたら、それこそ本当に不機嫌になって修行すら無かっとことになりかねない。
「ボロっちい家。って思ってるだろ」
「うぇ?!いやそれは別に…!」
まるで心を読まれているかのように、的確に、明確に当てられた。当然違うとも言えないし、本音も言えない。
だがボロい家なのは事実。しかも町外れの、そのまた小さい山の中に建てられた家だ。
「そんな遠慮すんなって。此処に来た奴は大抵そう言う顔すっから」
「そうなんだ…」
レンはまるで自分の家感覚で引き戸を開け
「待たせたな彦之」
と彦之の家に遠慮なく上がり込む。
恐る恐るマリも玄関を潜り、家の中へ入る。
家の中央には囲炉裏。玄関近くには台所。隣の部屋には工房と思わしき部屋。人一人が住んで仕事をするには充分過ぎる広さだ。
マリが物珍しそうに家の中を見ていると、奥の工房らしき部屋から彦之が一本の刀を持ちつつ
「いらっしゃい。改めてようこそ」
とマリの前に立ち、握手を求めるかのように右手を差し出す。
「よ、よろしくお願いします!」
頭を深く下げ、彦之の右手に握手をしようと握った…その時だ。
「ふぇっ…」
マリの身体がフワリと浮き上がり、視界はグルリと回転し、次の瞬間には地面に強く叩き付けられたのだ。
「ぐぎゃっ!」
地面に落ちると共にマリは悲鳴を上げ、放心した。
何が起きた?何をされた?今のは何なのか?
理解に苦しみながらも、マリは自身が何をされたのか必死に理解しようとした。
しかし幾ら考えても、理解出来るのはただ一つ。自分は今、彦之に投げられたのだと。
「手紙に書いてあった通りだね。警戒心が無さ過ぎる」
手厳しい一言が彦之から放たれる。それだけ今のマリは警戒心の無いという事。
もし警戒心があれば無闇やたらに握手をせず、投げられはしなかっただろう。これが人に化ける妖相手なら胃の中だ。
「ま、そう言う訳だわ。“打ち直し”、頼めるか?」
「良いよ。他ならぬ貴方のお願いだから」
「ありがとな。そんじゃあと頼むわ」
「待って。刀、暫く借りる。その代わりこれを使って」
レンが家を出ようと玄関を潜ると、彦之は彼を引き止め、持っていた刀をレンに手渡す。
「切れ味は“その子達”より劣るけど、重さは変わらない」
そう言うとレンが腰に下げている刀を半場強引に鞘事手に取り、自身の腰に下げ、マリの前に立つ。
「それじゃ、これからよろしく」
「は…はい!よろしくお願いします!」
倒れたままの状態だったマリはムクリと起き上がり、正座をしてお世話になる彦之に頭を深く下げる。
魔狩りになる為にどれたけの時間が掛かるか分からない。しかし今日この日を持って魔狩りになる為の修業が始まる。
気を引き締め、甘い考えを全て捨て、マリは気合いを入れる。
「マリ」
彼女の名を呼ぶレンの声にマリは彦之の陰から頭をひょっこりと出す。
しかしレンは背を向け、決してマリに顔を見せる事をせず立っていた。
「俺は先に行っている」
「…うん」
レンも魔狩りの人間だ。この場に留まり、マリが魔狩りになるのを待ってる暇は無い。
だから先に行くと告げた。が、マリからすれば自分は魔狩りでは無い故に、レン達はその先を進む。置いていかれる不安も芽生えた。
だがレンは一切顔を見せず、続けて口を開いて一言を投げ掛ける。
「お前は追い付いてこい」
「…うん!」
自分は先に行く。だから追い付いて来い。
傍から聞けば無茶苦茶な意味だ。しかし、レンには「マリは必ず魔狩りとなって戻って来る」と言う確証があるから追い付いて来いと言った。
レンなりの応援であり、約束の意味でもある。
その言葉を言い残し、レンは去って行った。当然ここまで来たからには諦めるつもりは毛頭無い。
必ず魔狩りになる。いや、なってみせる。
その決意を胸に、マリは魔狩りになる為の修業の日々に身を投じる…。