第9話 高天原統制機構
―…魔狩り適性試験から十六時間が経過した。
マリが目を覚ますと、この半年で見慣れた天井が視界に入る。
そう、彦之の家の寝室だ。しかし目を覚ますや否や、外の明るさで目を見開き、勢い良く起き上がる。
自分は何故此処で横になっている?
魔狩り適性試験はどうなった?
マリがそう焦っていると寝室の戸が開き、彦之は彼女が目を覚ました事に安心してマリの側へと座る。
「やっと起きたね」
「彦之さん私…!」
「焦らないで。傷に障る。まずは水をゆっくり飲んで落ち着いて」
「は…はい…」
彦之から湯呑みに注がれた水を受け取り、ゆっくりと飲むと、落ち着いたのか深呼吸して息を整える。
「あの…どれくらい寝ていたのですか…?」
「十時間ちょっと」
「そっか…私、彦之さんに止められて、それで気を失って…」
「無理をし過ぎ。素手で折れた刀身を持つなんて、指を落としたら大怪我では済まされない」
「……ごめんなさい」
全く持って正論だ。折れた刀身を素手で握るなど、一歩間違えていれば指を全て落とし、二度と刀を握る事は出来ない。
マリが左手の掌を開くと、痛々しく包帯が巻かれていた。
「深く入っていなかったし、薬草も効いて跡は残らないから不幸中の幸い。でもね…」
「彦之さん…?」
その時だ。彦之はマリの痛々しく包帯が巻かれた左手を両手で優しく握り、摩るように撫でる。
「私は打った刀を折られるのは嫌だ。でも打った刀で怪我をされるのはもっと嫌だ。お願いだから、もうあんな真似はしないで」
今までに見せたことも無く、心の底から心配する様な表情を見せたのだ。
こんな顔をする彦之を見るのは初めてだ。が、刀の造り手である彦之には嫌な思いと心配をさせてしまったのは事実。
マリは優しく握る彦之の手を握り
「…はい…ごめんなさい…」
彦之を不安にさせた事。そしてこれからも不安にさせぬ様に、謝罪の言葉を口にした。
「いいの。もう過ぎた事だから。今後はやらないと言うのなら、咎めない」
「はい……。あ…そうだ…!彦之さん、適性試験は…私の結果は…?!」
ふとマリは魔狩り適性試験の事を思い出し、彦之に詰め寄りながらも結果がどうなったかを問い掛ける。
あの後自身は力の全てを出し切り、彦之の顔を見た途端気を失ってしまった。
そのせいで未だマリに焦燥感を与えている。
すると彦之はマリの肩を掴み、額を合わせ
「落ち着いて」
と焦り呼吸を荒らげるマリと共に呼吸をし、落ち着かせ、ゆっくりと彦之は顔を遠ざける。
「マリ、貴方の適性試験の結果は…合格」
「…えっ」
「魔狩りの資格、取れるよ」
「合格…?本当に…?合格…?!」
「うん。アイツ、嘘だけは絶対に言わない」
合格。その言葉を耳にした途端、マリの胸の鼓動は早く、目頭が熱くなり、自然と涙が流れだした。
この半年間…長かった。辛かった。泣きたくなる程に辛くて厳しい修行だった。
でもようやっと…ずっとずっと夢見ていた魔狩りになれる。そう思うだけで涙が溢れ出る。
「おめでとう、マリ」
「彦之さん…。いえ…こちら…こそ…!ありがとう…ございました…!」
そして彦之の手を握り、感謝の言葉を述べると、その声は何時しか泣き声に変わり、家中に響き渡るように泣き出した。
そんなマリに彦之はその喜びを分かち合うようにマリを抱き寄せ、頭を撫で、優しく背中を摩る。
本当に頑張った。良くやった。
そう褒める様に彼女の背中を優しく摩り、撫でた…。
言葉にこそ出さなかったが、彦之のその表情には自分の様に嬉しいのか、微かながらに笑みを浮かべながら涙を流していた…。
●
―…二週間後。日が沈み、月が昇り始めた大晦日。
世は一年の終わりを告げ、また新たな一年を迎えようとしていた。
「あの、本当にこんな忙しそうな時に行くのですか?」
「当然。大晦日こそ合格者資格授与の時に向いているから」
「向いてる…?」
「除夜の鐘と共に前年の厄を断ち切り、新年では天照大御神様が照らす初日の出と共に魔狩りとして新たな気持ちで赴く」
納得だ。除夜の鐘は凡百煩悩や厄を断ち切り、初日の出はこの世の大いなる慈母神である天照大御神が照らす日輪。
これ以上無く魔狩りの人間になるには絶好の日だ。
そう説明すると、彦之は草履を履き
「さぁ、そろそろ行くよ」
と言って玄関を潜り、マリは彼女の後を付いていくように歩き出した…。
―…刀厳郷。
二人は刀厳郷に足を踏み入れ、何処も彼処も騒がしく賑やかな街中を通り抜けると、刀厳郷の中で一際目立つ大きな屋敷の前で立ち止まる。
だが彦之はまるで自分の家の様に屋敷の戸を開け、ズカズカと入ったその数秒後…
「くぅおらァッ!彦之テメェ!また我が物顔でズカズカと入りやがって!」
(この声…魔狩り適性試験での…)
屋敷の外まで聞こえる男気溢れる女性の声。
魔狩り適性試験で試験官を務め、闘った石凝姥の声だ。
察するに、この屋敷は石凝姥の屋敷。
だが、「また」と言う事は彦之は何度も我が物顔で勝手に入っているのだろう。
マリは恐る恐ると戸を潜り
「お、お邪魔しまぁ~す…」
と顔を覗かせると、石凝姥は眉間にしわを寄せて彦之を睨みつけ、片や彦之は何食わぬ顔で石凝姥を見ていた。
まるで今すぐにでも殴り合いが始まるのではないかと言う雰囲気にも関わらず、二人の傍に立つ小間使いはニコニコと笑みを浮かべていた。
ふと睨んでいた石凝姥の視線がマリに気付くと、先程までガン飛ばしていた表情が柔らかくなり、手を振って歩み寄って来た。
「ん?おぉ!お前は適性試験の時の小娘じゃねーの!」
「こ、今晩は!その節はありがとうございました!」
「んな堅苦しくしなくてもいいっての」
「で、ですが石凝姥さんは八百万の神様ですし…」
「それ言ったら彦之もだろ?」
「……へ?」
その時、その場は今までにないくらい凍り付き、ニコニコと笑みを浮かべていた小間使いでさえも目を見開いていた。
何かとてつもない地雷を踏み抜いたかもしれない。マリがキョトンとしてそう思っていると、石凝姥は彼女の肩を掴み
「お前、念の為聞くがこいつが誰か分かってて修行受けてたんじゃないよな?」
と迫る様に問い掛ける。
「え、えぇっと…あんまり?」
「……彦之…お前…」
「別に私が誰かなんて問題無いでしょ。その子が魔狩りになれるかどうかが余程問題」
「ですよね!知ってたよ!そんなんで良く信仰が集まるのが不思議だよ!」
「照れる」
「褒めてねぇよ!」
何がなにやらサッパリ分からない。しかし唯一分かるのは、彦之が八百万の神と言う事。
「あ、あの…では彦之さんは…」
そう恐る恐るとマリが彦之が何者かを問い掛ける。
「あ?あぁー…こいつは金山神。金山彦と金山姫の二柱が合わさってこの姿になってんの」
「金山神様って確か金属加工や鉱山の神様…。私…そんな凄い方の下で修行を…」
「いやぁ半年間一緒に居て気付かないお前も凄いだろ」
ご最もなお言葉だ。半年間も一緒に居たにも関わらず、修行を見てくれた人が八百万の神だと気付かない方が可笑しい。
これにはマリもその場でしゃがみ込み、恥ずかしいのか申し訳ないのか分からず両手で顔を隠し、このまま魔狩りになっても大丈夫なのかと不安に襲われる。
そんなマリに石凝姥は高らかに笑い
「はっはっはっ!大丈夫大丈夫!私に合格を言わせたんだ!」
とマリの背中を叩いて慰める。
しかしその慰めは今では逆効果。むしろ合格を貰ったことが申し訳なくなる。
「さて…そんじゃそろそろ行くかね。どうせ私んとこの”道“を使う気で来たんだろ?」
「正解」
「ツッコむ気力も失せるわ…。まぁいい、時間も無いし行くぞ」
「ほら、貴方も上がって。あぁ土足で良いから。屋敷の者達が掃除するし」
「だから私の屋敷だつってんだろ!」
(仲良いなぁこの神様達…)
喧嘩するほど仲がいい。とは良く言うが、この二柱の神はその言葉を良く体現している。
なんてマリは思いつつ彦之の後を追い掛けると、先頭に立って歩いていた石凝姥は通路の先に建てられた小部屋にポツンと立て掛けられた鏡…それも身の丈もある大きな姿見の前で立ち止まった。
「鏡…?」
「先行くぞー」
見た目はごく普通の大きな姿見。石凝姥が鏡に向けて右足の足先を伸ばした…その時だ。
足先が鏡に触れると表面が微かに波打ち、石凝姥の身体を鏡が飲み込むように入っていった。
その異様な光景にマリが目を見開いて驚いていると、彦之は
「ほら、さっさと行く」
とマリの背中を力強く押し、鏡に押し込まんと鏡の前に立たせる。
「ちょ!待って!まだ心の準備が…!」
「いいから行く」
「のわ!」
すると彦之に思いっきり蹴飛ばされ、鏡へと飛び込んだマリ。
鏡に写る自分の顔が迫り、思わず目を瞑ってしまう。だが鏡にぶつかった衝撃は無く、飛び込んだ故かその場で転んだのだ。
地味に痛い。しかし何故鏡にぶつからずに転んだのか。
マリは閉じた目を開けつつ、起き上がる。そこで彼女が目にしたのは…
「あれ…ここ…」
「ようこそ、我ら八百万の神が住まいし神の国へ」
「石凝姥さん…?じゃあここって…!」
「そして天照大御神様が統制せし国であり、私達八百万の故郷。高天原」
「彦之さん…。ここが…高天原…」
番号が振られた無数の鏡が円形の広場を囲うように浮かび、目の前には巨大な鳥居がそびえ立っていたのだ。
夜にも関わらず街は明るく、賑やかであり、妖と言う存在すら忘れる絶対浄土の都。
鏡を潜り抜けた先の場所こそ、全ての始まりの地であり、この世界の遥か上空に浮遊する八百万の神々が集う国。
その名も「高天原」。
降り立った直後からマリは感じていた。
地上とは空気が違う。非常に爽快であると言うべきか、穢れを一切感じないのだ。
「空気が綺麗…」
「そらそうだろ。この高天原は木花咲耶姫が御守りしているんだ」
「木花咲耶姫様は穢れを一切寄せ付けない退魔の波長の持ち主。高天原は木花咲耶姫様が守っているも等しい」
そう、この高天原には地上に蔓延る穢れが一切無い。何故なら、八百万の中で絶世の美女と言われる木花咲耶姫が守っているから。
その木花咲耶姫には穢れを一切寄せ付けない特殊な体質…退魔の波長を持っている。
勿論その力は木花咲耶姫自身に穢れを寄せ付けないだけ。
しかし高天原に高く聳える富士の山を木花咲耶姫の器にする事で、高天原全土に亘って穢れを寄せ付けぬ結界を張っているのだ。
だからこの高天原は千年間も穢れの脅威を受けず、清浄な空気が漂っている。
「ボーッとしてんな。遅れるからはよ行くぞ」
「マリ、感動するのは後にして。早くしないと資格授与式典に遅れる」
「は、はい!」
呆然と高天原の景色に見惚れていると、マリは彦之の言葉にハッと我に返り、彼女らの後を追い掛けるように歩き出す。
巨大な鳥居を抜け、高天原城下町に降り立つと、様々な建物から聴こえる神々の宴の声が街を賑やかせていた。
中には酔いに任せて衣服をはだけさせて舞う女神や、お酒の飲み比べをし合う神なども居る。
八百万の神々は宴が好き。と良く聞くが、まさかここまで宴が好きとは思ってもいなかった。
そんな八百万の神々の一面をマリが目の当たりにしつつ歩いていると、何時しか高天原城下町を抜け、巨大な城壁の門を潜る。
「大きいお城…いや、神殿?」
「此処は高天原の中枢。天照大御神様が住まわれ、職務を行われている城」
「またの名を日輪城って呼ばれてんな。正直私にはデカすぎるから、ここに住めと言われても落ち着かんがな」
「私も」
「アンタら神でしょ…」
「神でも住み心地は重要」
「これから祀られるっつー所なのに迫っ苦しいとこにぶち込まれてみ?作った奴祟ってやりたくなるから」
なんとも言えない目で語る彦之と石凝姥。過去、余程住み心地を問うような事があったのだろう。
などと三人が話していると、彦之と石凝姥は城門の前で止まり、二柱の門番に札を見せる。
「石凝姥様!金山彦之様!お待ちしておりました!」
「遅くまでご苦労さん。この小娘は今年適性試験に合格した一人だ」
「は、初めまして!お疲れ様です!」
「御意。間も無く式典が始まります。謁見の間へとお急ぎ下さい」
「ありがとう。マリ、行くよ」
「はい!」
そして、マリは天照大御神こと帝が住まう日輪城へと遂に足を踏み入れる。
その瞬間すぐに空気が変わったのが分かった。荘厳で、でも最高神の城であると言う圧迫感が感じられない。
二人の後を追いつつ、目に入る全ての斬新な景色に感動していると
「ったく、ガキじゃねぇんだから落ち着けっての」
石凝姥に怒られた。恥ずかしい。
だが今足を踏み入れているのはあの高天原を統べる天照大御神の住まう城。落ち着けと言う方が無理がある。
しかし謁見の間がある階層への階段を上がる最中、彦之は
「でもいい加減落ち着いた方がいい。他の合格者と顔を合わせるのなら尚更」
と言って階段を上がりきる。
それもそうだ。これから魔狩りとして活動すると言う事は、今回合格した者達とも仕事をする事にもなる。
第一印象が阿呆の子なんて印象づけられれば仕事をする所では無い。
一理あると察しついたマリは先程までの興奮を落ち着かせ、深く深呼吸し、階段を上がりきると…そこには恐らく今回合格した十人程の男女の剣士が魔狩り資格授与式典を今か今かと待っていた。
「この先が謁見の間…」
そうマリが呟くと、石凝姥は彦之と共に謁見の間の扉の前に立ち、入れ槌で床を二回軽く突き、視線を集める。
「今年の合格者共、集まったな。改めて自己紹介する。私は八咫鏡を創った石凝姥。そしてこっちのちっこいのが金山彦之」
「これから貴方達には帝様直々に魔狩りの資格を与えられる。決して無礼の無いよう心掛けるように」
唯ならぬ緊張感がその場の空気を包み、全員表情には出さないものの、緊張の素振りを見せていた。
ある者は手が震え、ある者は息を飲んでその時を待つ。
そんな合格者の心の準備など待つ事もせず、石凝姥が扉を開くと共に部屋の襖が開く。
その奥には閉じられた襖が一枚。更にその襖が開くと、次々と襖が開かれて行ったのだ。
開かれた襖の前には天照大御神の使いと思われる神々が正座をし
「石凝姥様!金山彦神様!お待ちしておりました!」
石凝姥と彦之をお迎えするかのように深々と頭を下げていた。
この先にこの世の最高神にして、魔狩り統制機関最高責任者である天照大御神様が居る。
その緊張感にマリは心臓の鼓動を高鳴らせつつ、開かれた襖の道を進む。
そして…一同は遂に広い大部屋に足を踏み入れる。
空気は今まで以上に変わった。暖かくて、しかし何処か懐かしい匂い。その時だ。
「我が高天原へようこそ、今年の合格者達よ」
静かな声であるにも関わらず、透き通るような女性の声が部屋の中に響き渡る。
マリと合格した剣士達は声が聴こえた方…東の方角を向くと、薄紫の長髪にやや露出の多い和服の上に紫色の羽織を身に付け、頬杖を付く女性が椅子にもたれ掛かる様に座っていた。
また、眼はとても美しく、まるで夜明けを思い立たせる様な瞳。
その女性こそこの世の大いなる慈母神てあり、天照大御神の名を持つ神。
「紹介する。このお方こそ我ら八百万の神の筆頭にして最高神」
「そしてお前らが今後魔狩りになる事で事実上、直属の上司にもなるお方…帝様だ」
「紹介に預かった、余が天照大御神こと帝である」
ある者は天照大御神と呼び…
ある者はこう呼ぶ。
帝…と。