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大潜入を挙行せよ! その②

 迎えたアフレコの当日、土曜日ということで普段ほどはひと気のない校内の、とくに文化部棟の一角には、実に異様な空気が漂っていました。

「おいおい、誰か大物スターでもくんのかい」

 クラスメイトの映画部部員がいたのに気づいた、自販機帰りの運動部員が友人へ声をかけると、彼はちょっと目をそらしてから、

「これから地下のダビングルームでセリフの録り直しがあるんだよ。部屋は防音だけど、さすがに振動があったりすると、マイクに悪いからさぁ。注意喚起のお願い、ってわけ」

 と、本当は微塵も影響がないことを、さも一大事、と言わんばかりにペラペラ話してみせました。これにすっかり騙されて、

「あ、そういうことか。わりぃ、邪魔しちゃいけねぇな……」

 そそくさとその場から離れていくクラスメイトの後姿を見送ってから、ズボンの尻ポケットへ突っ込んだトランシーバーのチャンネルを合わせ、地下のダビングルームを呼び出しました。

「――こちら六番、今のところ異常はなし。そちらは準備いかがですか、どうぞ」

『ハイハイ、こちらゼロ番、機材異常なし。まもなく「ミキサー」の来る頃。念入りに頼む、以上』

「了解ッ。順次連絡をいたします。以上」

 通話が終わると彼は袖をまくって、五十五分から先へなかなか進まない、腕時計の長針を焦りぎみににらみ、無事に録音が終わってくれることを祈りながら、番につくのでした。

「――中村くん、よくこんなものが手に入ったねぇ」

 そのころ、あちこちの継のあたったリヤカーを引きながら、校庭裏の通用口から入り込んだ沼川は、両隣で荒縄の様子をうかがうA氏と富士野に、あらためて荷物を眺めながらつぶやきました。

「天下のRCA社製の放送用マイクミキサー……によく似た、国産の偽物さ。ちょっとばかしワケありの品が転がり込んできたもんで、何かに使えやしないかと頓珍館の物置に突っ込んでおいたんだ」

 そういいながら、A氏がオフィス用のコピー機ほどの大きさがあるミキサーの、音量を見るためのVUメーターのあたりを三度ノックすると、どうしたわけか、中から二度、コンコンという音が帰ってきたではありませんか。

「にしてもA氏、きみは生まれた時代が時代なら犯罪者になれてるよ。よくこんな手を思いついたもんだ」

 様子を見ていた沼川が冷やかすと、A氏はちょっと困った顔をして、

「おいおい、犯罪とはいかずとも、学校の規則上はすれすれのことをしてるのに変わりはないんだぜ。バレたら謹慎、最悪退学とはいかんと思うが、しばらく校内を歩きづらくなるのは確かだろうよ」

「おお、怖い怖い……。富士野くん、なんか変なのはいないか?」

 リヤカーを引きながら沼川が尋ねると、右手に控えていた富士野はちょっとあたりを見回してから、

「大丈夫、みんな練習に夢中だよ。変にオドオドせず、堂々としていれば、きっと成功するはずさ。そうでしょ、エーさん?」

 と、親友譲りの名調子で返すと、A氏はニヤリと笑って、その通り、とだけ、実に意味深長なことをいってのけるのでした。ともかく、こんな具合にしていつも通りの、実に軽妙なやり取りを繰り広げながら、練習にいそしむサッカー部や野球部をかすめ、文化部棟の映画部部室までつくと、沼川やA氏の足音に気付いて、さきほどまで同級生と駄弁っていた部員がこちらへ手を振り、トランシーバーでダビングルームのゼロ番こと、ミキサーブースに引っ込んでいた友浦を呼び出しました。

「こちら六番、ミキサーは入電する模様。ミキサーは入電する模様。どうぞ」

『こちらゼロ番、近くにいるなら、すぐに中村君へ――』

「あいあい、こちら中村。無事到着、人員寄こされたしどうぞッ」

『相変わらず、手際がいいねぇ。何事もなかったかい?』

 割れたような音の通話越しに、友浦の声の弾むのがわかると、A氏はにやりと笑って、傷の一つもありゃしない、と、自信たっぷりに答えました。

 まもなく、階下に引っ込んでいた映画部の面々が、渡り廊下の汚いスノコの上に下ろされたミキサーを受け取りにぞろぞろと現れ、A氏や沼川、富士野の見守る中でダビングルームの中へと消えていきました。

「ほいじゃ、引き続き頼むよ」

「はいっ」

 トランシーバーを持った映画部の後輩へ声をかけると、沼川はA氏と富士野を先に行かせてから、周囲の様子をうかがい、部室の扉へ「録音中につき通過時は注意」という貼り紙を行ってから、ダビングルームへ続く薄暗い階段を駆け下りるのでした。

「――おい、もう大丈夫だ。早いところ、中から出してあげてくれ」

 沼川が入り口の戸に閂をかけながら伝えると、すでに電動ドライバーを手にしていたA氏と富士野、友浦がミキサーの至る所にあるねじを緩め、あれよあれよという間にRCAの偽物がバラバラになっていき、その中からは大小さまざまの電子部品――ではなく、水色のジャンパースカートを着た、小柄な少女が大学ノートほどの大きさの台本をながめながら、しきりに目をしばつかせて現れたではありませんか。

 その、あまりに現実離れのした出来事に、マイクロフォンの周囲に集まっていた主演・助演の面々からおお、という感嘆の声が上がります。

「ごめんな若尾さん、ずいぶん待たせちゃって。空気の通りが悪くて大変だったろ」

 A氏が自分の鞄のなかから、よく冷えたミネラルウォーターのボトルを出すと、ひかるはそれを受け取って飲み干してから、

「もー、ゆで上がるかと思いましたよぉ。まだ四月なのに、ずいぶん暖かくなりましたねぇ」

 と、実に呑気な、可愛げな笑みをこぼします。

「それにしても、まさかこんなミキサーの中に人が入っているとは思わないだろうねぇ、エーさん」

「まったくだぜ。ガワだけのモックアップ、レコード屋からもらったのを捨てずにいて大正解だったぜ」

 解体作業を終え、お互いの労をねぎらいながら、富士野とA氏はバラバラになり、壁際に立てかけられたミキサーの外板を一べつして満足そうに笑いあいます。ひょんなことからA氏の手元へ転がり込んできたRCAもどきのミキサー、それも真空管の一本すら入っていない展示用のモックアップが、思いがけず今度のアフレコにかかわる出来事で大きく役に立ったのでした。

 ですが、そんなこととはつゆ知らぬ俳優陣は動揺が隠し切れません。が、そのうちに、事態を収拾すべく友浦が注目! と叫んだおかげで、騒ぎはぴたり、と、水でも打ったように収まってしまいました。

「――みんな、こちらの方は今度のアフレコで、上田の代役として参加してくれることになった、越州女子の生徒で声帯模写の名人、若尾ひかるさんだ。ここにいる中村瑛志くんがあちこち尽力して探し出してくれた我々映画部の頼みの綱だが、この録音のために、僕たちはかなりあくどいことをしている。だが、これも芸術のためと思って、どうかみんな、秘密を守り、録音に挑んでほしい。いいね?」

 四本並んだマイクの前に控えていた主演・助演の面々が、アフレコ用の台本を持ったまま、しきりにうなずくのを見て取ると、友浦は満足そうな顔をしてから、

「それじゃ、あまり時間がないから、簡単な通しリハだけやって、本番にうつろう。みんな、本番中は足元のジャックに気を付けて動いてくれよ……!」

 と、近場にいた技術要員の面々やへ指示を出し、A氏や富士野を率いて、彼は録音担当の部員が待ち構えているミキサー室へ入り、部屋の中にぶら下がったビリヤードランプの明かりを落とすのでした。

 大潜入の果てに、いよいよ映画「赤い憂鬱」のアフレコが始まりだそうとしているのです。



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