あやうし県大会……? その④
そんなことのあった金曜日も終わり、いよいよ明日から平日という日曜日、のんびりと自宅のある下宿・頓珍館の三階フラットで朝食をとっていたA氏は、学生服のポケットに入れっぱなしの携帯電話が鳴っているのに気づき、食事を邪魔されたことを忌々しげに思いながら、しぶしぶ電話に出るのでした。
「ハイハイ、中村でござい……。あれえ、君かぁ」
『ごめんよ、休みの日に早くからかけちゃって……』
液晶に出ていた相手の名前も見ないで出たA氏は、聞こえてきた声ではじめて、電話の主が映画部の部員である友浦少年だと知りました。それにしても、土曜日の朝十時にもならないうちから、いったい何の用件だというのでしょう。
『実はねA氏、ほかならぬ顔の広いきみに頼みがあるんだよ。これが解決しないと、映画部は今後、どえらいことになるかもしれない』
「なにぃ、どえらいことぉ……? どんなことよ?」
頬についたベーコンエッグのかすを指ではじきながらA氏が尋ねると、友浦はこう答えました。
『それがなぁ、おとといの夕方、雨の降る中でロケーションを強行したせいで、上田のやつがひどい風邪をひいちまってなぁ。ただ寒気がする、鼻水が出るっていうなら話は違うんだが……』
「まさか、声がかれちまったってのか?」
『そのまさかなんだよォ』
友浦が電話越しに泣き崩れたのを悟り、A氏は驚いて電話から耳を離しました。
「落ち着けよ友浦くん、治らない風邪はねえだろう、まだまだ望みはあるだろう……」
『それがなA氏、どうもそんなに甘い問題じゃなさそうなんだよ……』
どうにも雲行きが怪しいのに気づき、とうとうA氏は金曜日、何があったのかを突っ込んで聞くことにしました。そしてそのおかげでA氏は映画部が、
「撮影中に雨が降り出し、一度は撮影をやめることも考えた。が、友浦と上田の合意の上で撮影は強行され、一部調子の悪いセリフはあとからの録音で処理することとなり、クランクアップとなった。ところが、雨の中で何テイクも重ねたせいで、上田は声もろくに出ないようなひどいのど風邪と、声帯炎のようなものを患ってしまった。そのために後録りができず、映画の音楽や効果音のダビング作業へ移れない状態にある」
という、実にまずい状況に陥っていることを知ったのでした。
「おいおい、どうしてオンリー録りでやっちまわなかったんだ。その場で録れば解決だろうがよォ……」
映画の用語で、芝居をしたあとで、感覚の残っているうちにセリフだけをその場で録音する方法をさしながらA氏がぼやくと、友浦は苦々しく、
『それも考えたんだが、雨の中でさらしたせいか、マイクに雑音が乗り出してさぁ。仕方なく、金曜は解散となったんだ。せめてもう一本用意しておけば……』
と、やむを得ない状況であったことをA氏へ打ち明けます。
「あーあー、それじゃあ処置なしじゃあねえかよぉ。大人しく、上田のやつのノドが治るのを待つしかないなぁ……」
『それがなあ、よりによってあまり時間がねえんだよ。ダビングの時間や、最終調整から逆算すると、治るのを悠長に待ってるわけにはいかないんだ。A氏、どっかにノド風邪をぴたっと治してしまうような名医、知らないかいっ?』
「むちゃくちゃ言うねぇ……」
とは言いつつも、ここで何もしないのも気の毒に思ったA氏は、しばらく考えてから、
「わかった。どうにかワタリをつけてやるから、明日の放課後が上田や沼川くんたちに時間を空けておくよう伝えてくれよ。とっておきの名医を手配してやるから……じゃ、またな」
といって、淹れたコーヒーのややぬるくなったのを渋い表情で飲み干すと、A氏は携帯電話をちゃぶ台の上に放り投げてから、使い慣れた黒電話のダイヤルを回して、ある番号を呼び出したのでした。
「――もしもし、おはようございます。バンユー先生、ちょっとお時間よろしいですか? 込み入った患者の話が来ちゃいましてね……」