あやうし県大会……? その③
そんなことがあってから幾日か経って、その話をしながら富士野と家路をめざしていたA氏は、運よく行きつけの名画座「テアトル傘岡」の上映作品一覧に、これまたヌーベルバーグの名作といわれる映画「夜と霧」があるのを見つけ、さっそく売り場で切符を買い求め、座席へ収まりました。
そして、例によって映画の出来に興奮し、その足で富士野を連れて下宿・頓珍館の自分の部屋へと戻ろうとしたA氏は、ふと、路面電車の軌道と往復二車線をはさんだ向かいのアーケード下に、見知った顔が大勢の一団を従えて歩いているのに気づき、おやぁ、と目を細めました。
「エーさん、どうかしたの」
「いやね、向こうにいるのがどうも、例の友浦組の連中らしいんだが……」
本式の映画撮影よろしく、友浦少年の撮影隊のことを呼びながら、A氏はひとまず、一団がどこへ行くのかを見守って、場合を見てから追いかけることにしましたが、思いがけず、それらしい集まりは横断歩道をわたり、A氏たちのいるアーケードのほうへと移ってきたのでした。
「あれぇ、A氏じゃないの。富士野くん連れて、また映画の帰り?」
「例によってその通りさ。――しかしまあ、相変わらずの大所帯だねぇ」
「す、すごいねぇ、この人の量……」
友浦少年の後ろにざっと二ダースばかり続いている隊列を見ながら、A氏と富士野は驚きを超えて、どこか唖然としておりました。プロの映画でもこの頃は資金面の問題からあまり人数を割けないのに、アマチュアであるはずの友浦少年率いる傘岡一高の映画部は、それに近しいだけの頭数をそろえられているのです。
「まぁ、情熱だけで動けるのは、アマチュアの特権だからねぇ」
「そんだけじゃねえだろぉ、映画部は。聞くとこによれば、放送部とか演劇部も真っ青なくらい、OB・OGサマ方からの支援がすげーって噂じゃないの。大手のプロダクションとおなじ、ベーカムなんて使ってる部活は、おらァ君ら以外に知らねえぜ」
得意げな顔の友浦に、A氏はかるく鞘を当てます。履かせてもらっている下駄のことを意識していないのか、それともしていて平然としているのかはわかりませんが、A氏は彼らのそういう面だけが、どうにも好きにはなれずにいたのでした。
「あら中村くん、ひょっとして羨ましがってる?」
友浦の背後から出た、今まで何本もの作品で主役、ないしは主役級をいとめてきた俳優部の女子部員・上田かおるが、厭味ったらしい笑みを浮かべながらA氏へ尋ねます。
「いやぁ、別にィ? あいにくとオレは根無し草の帰宅部員なんで、あまり気にはならねえが……」
本心からどうでもいい、と言いたげにA氏が返すと、上田はやや不満そうに眉を動かしてから、
「ま、別にどうでもいいんだけどね。――さ、早いとこいきましょ。ダビングまでもう日がないんだから、急いで撮影しないと……じゃあね、お二人さん」
と、軽いウィンクをA氏と富士野に返してから、友浦やほかの面々を率いて、ロケ先目指して足早に歩き出しました。西の空に、ちょうどいい色味の夕焼けが広がっている、金曜日の夕方のことです。
「――上田のやつ、冗談はそのツラだけにしとけってんだ」
「まあまあ、エーさん落ち着いて……」
怒りに満ち満ちて、とまではいかずとも、多少なりと不満を抱くことになったA氏を気遣い、富士野は彼を二人のいきつけである喫茶店「ズンメル」へ引っ張り、アイスコーヒーをなめて機嫌を見ていましたが、なかなかどうして、A氏の怒りは収まりません。
「だいたい、ほかの部活が予算獲得に毎回苦労してるのにだぜ。同じようなジャンルの連中の予算アップのために知恵を貸すでも、応援するでもなく、のうのうとヨソから金をもらってるのは、ちょっとどうかと思うんだよなぁ。これだけがどうも気になって、やつらの活動を心から応援できねえのよ」
「難しいよねぇ、変につつくと倍返しされそうだし……」
さきほどよりは落ち着いてきたらしい、と、A氏の様子に一安心して、富士野はつけあわせにちょうどよさそうな、「ズンメル」自家製の小さなパウンドケーキを二人分頼んで、コーヒーの残りをすすりました。
やがて、そのケーキも無事に胃に収まり、機嫌を直したA氏がお礼がてら、この場のお茶代を払おうとレジのわきへ並んだときでした。
「おんやぁ……?」
代金の千二百円を小銭皿へ置くと、A氏はマスターへかるく会釈をしてから、出入り口のドアを薄く開けて外の音をうかがっていましたが、すぐに戻るなり、弱ったぜ、富士野くん、と、肩をすくめてこういうのでした。
「天気予報がハズレたらしい。夕立でひでえ有様になってる」
「あ、ほんとだ……」
いくらか風が出てきて、細い雨が点々と、出入り口のドアに挟みこまれた曇りガラスを打ち付けているのに気づいて、富士野も青い顔をします。予報をあてにしていたので、二人とも傘の持ち合わせがなかったのです。どうしたものかとA氏と富士野が顔を見合わせていると、間に挟まれていた「ズンメル」の白髪頭のマスターがこんなことを提案してきました。
「――二人とも、テスト中のコーヒーがあるから、その試飲がてら雨宿りしてきなさいよ。横殴りの雨じゃ、アーケードも意味がない。それに、お得意さんに風邪でもひかせたら罰が当たってしまうからね」
「や、マスター、申し訳ない……。富士野くん、お言葉に甘えて、もうちょっといようか」
マスターの粋な計らいに甘えることにすると、A氏と富士野はカウンターへ腰を下ろし、店内に流れるイージーリスニングと、ガラス越しにうっすらと伝わってくる、春の雨音に耳をそばだてながら、コーヒーへ舌鼓を打ったのでした。