あやうし県大会……? その②
その日、姐御肌の少女、映画仲間のアンツルこと安藤千鶴の運転するオートバイの側車におさまって、武蔵川を越えたニュータウン・旭ヶ丘まで流行りの外国映画を見に出かけたA氏は、帰る道すがら、エンジンの音をはねのけるように、アンツルと映画の感想を実に楽しく語り合っていました。夕闇迫る、四月半ばのある土曜日のことです。
「やっぱり瑛の字も、あのシーンはお気に召したらしいなあ。あんた好みだとは思っていたんだよ」
武蔵川の鉄橋を超えて、電車通りである大手通りを東へ向かい、南北に延びる昭和通りの方へラッシュ・アワーの急行電車に気を付けながら入る道中、アンツルは速度のゆるやかなのをいいことに、首を側車の中のA氏に近づけてつぶやきます。
「なんだなんだ、おれが分かりやすい趣味してるような言い方してくれるじゃないの。――ま、そうなのかもしれねえけどな」
A氏が答えると、アンツルは赤信号に気づいてブレーキをかけてから、
「瑛の字、性格ねじまがってるようで、案外見方は素直だものねぇ」
と、実にいたずらっぽい笑みを、鋭い目に似合わず浮かべてみせるのでした。
「こいつめっ! ――おい、そろそろ信号変わるぜ」
「おっとと……」
ライダージャケットに身を包み、ヘルメットの中へウェーブのかかった長い髪を押し込んで、航空兵のようなゴーグルをはめたアンツルは、慌ててアクセルを入れ、背後に迫る自動車の列から、いの一番に青信号の交差点を突っ切りました。
「おいおいっ、飛ばしすぎじゃねえのかっ」
あっという間に速度が上がって、スピードメーターは五十キロへ差し掛かります。一般道の制限速度を超えるのは時間の問題でしたが、スピード狂いのアンツルがA氏の忠告を聞くわけがありません。
「これくらい飛ばさないと、オートバイは味気がないじゃないかっ」
「そういう問題かよぉっ」
うっかりすると、側車があるのも無視してウィリーや、宙に浮かした片輪走行などをやりかねないアンツルのことです。A氏はヘルメットを深々被り、同時に自分の体も、入るだけ側車の中へ押し込んでわなわなと震えるのでした。
「――あ、そういや、今日はこの辺でネズミ捕りやってるんだったねぇ。瑛の字、ちょいとルート変えるよ」
「あ、こらっ、いきなり右折は……ぎえええっ」
昼間聞いた交通情報を思い出したのか、アンツルはA氏の叫びをよそに、側車のタイヤが浮きかけるような急な右折をかけ、坂東医院とA氏の下宿・頓珍館の中間にある踏切の方へと進路をかえました。
「よし、これで問題なし」
「――バカヤロウっ、おれには問題大ありだよっ」
遮断機が下り、列車の通過待ちの踏切でようやく止まったアンツルに、危うく側車から飛び出しそうになったA氏は、ズレたゴーグルを直しながら抗議します。が、運悪く下りの貨物列車と、上りのN行き特急「ゆきぐに」がすれちがったせいで、A氏の声は一向に伝わりません。
「――あン、なんだって?」
「だからなあっ、たまにはサイドカーの中身のことも考えろっての!」
「サイドカーの中身ィ? そりゃ瑛の字、あんたのことじゃないかい。なにピンボケなこと言ってんのさあ」
「ピンボケはどっちだっ」
くだらないやり取りをするうちに上り下りの列車も過ぎ、のっそりと遮断機が上がったので、アンツルは釈然としないままにアクセルを踏み、一気呵成に踏切を超え、遠回りになりながら、武蔵川支流の農業用水沿いの桜並木をゆっくりと走り出しました。冬の長い傘岡は、桜が咲くのはほかの雪国同様遅く、ついこの前になってようやく、三分咲きまで手が届いたところでありました。
「乙なもんだねぇ、夜風に桜、か。花札みたいだ」
ヘッドライトをつけ、並木端の細道を走るアンツルは、夜風に漂う三分咲きの桜の芽や、どこかで青々と茂りだす樹々の香りを吸い込んで、ゴーグルの鼻より下に、実に穏やかな表情を浮かべてみせます。
「ケッ、緋牡丹博徒じゃあるまいに、ちったぁほかに例えがねえのかよォ……ン?」
と、アンツルにけんか腰で話しかけていたA氏が、ゴーグルを外して前方をにらみました。
「どうした瑛の字、なんか見えるのか」
「いんやぁ、今、家と家の間から、サンスポットの光が見えたような気がしてなあ」
「なんだって――あ、あれかっ」
映画の撮影に使うサンスポット、いわゆるスポットライトの明かりに気付いて、アンツルはアクセルを緩めつつ、家の隙間からちらりと見える、宵闇迫る時間に不似合いな、燦燦とした明かりへ目を向けました。
「あの辺はボロ家ばらした空き地か、公園ぐらいしかないはずだがねぇ。――ロケーションだとすると、かなり地味な感じになりそうだけど……」
「どうするアンツル、見ていくか」
ゴーグルをはめなおしながら訪ねるA氏に、
「野暮だね瑛の字、こういうのに乗らないのはうちの家訓に反するんだよっ」
といって、アンツルは勢いよくアクセルを踏み、側車のA氏を吹っ飛ばしそうな勢いで並木を駆け抜け、例の公園か空き地しかないような路地裏へ、前輪を軸足にして滑り込みました。
「何度言ったらわかるんだっ、もうちょっと丁寧に運転しろってのっ」
「ガタガタうるさいねぇ、あんまり抜かすと、グルグル回して油をとってバイクの軸にさすよっ」
などと言い合いながら走るうちに、二人はようやくサンスポットの光の輪のおおもとへ差し掛かりましたが、その様子があらわにならきらないうちに、徐行しかかっていたアンツルのオートバイの正面へ、一人の少年が後ろ向きに躍り出ました。
「――か、カットカット! すいません、今撮影中でして……」
カチンコを握った、ネズミ色のパーカーを羽織った眼鏡の少年が、振り返るなり二人の元へ近寄ってきたのですが、彼は側車におさまっているA氏の顔を見るなり、アッと叫んで、こいつめェ、と苦い顔をしてみせました。
「困るなあA氏、こっちゃあ大会に出す映画の撮影中なんだよ」
「ありゃ、誰かと思えば……友浦くんじゃないの。悪いことしちゃったなぁ」
ヘルメットを脱いで側車を降りると、A氏はおなじ傘岡一高の生徒で、映画部の副部長である同級生・友浦総一郎ひきいる撮影隊の面々へ深々と頭を下げるのでした。カメラマンや俳優陣、その他大勢のスタッフたちがじっとりとした目をA氏に浴びせています。
「申し訳ない、つい好奇心に負けて通りかかってしまってね……」
「困るなぁ、さっきから雑音がひっきりなしに入ってくるもんで、六分あるロングショットが尻切れトンボになって、テイク10まで行ってるんだよ……。みんな、いったん休憩にしよう!」
友浦の叫びに、カメラを担当していた、同じくA氏の顔なじみである沼川という男子生徒が、サンスポットを浴びていた数人の俳優陣――もちろんこれも学生なのですが――にペットボトルのお茶を渡します。撮影がうまく行かないことへのぼやきや怒りのようなものが、口々に彼らから飛び出しているのを見て、A氏は珍しく青い顔をして立ち尽くしました。
「弱っちまったなぁ、そんな大ごとになるとは……」
「そう青いカオすんなよ、瑛の字。このあたりの道は、大通りが混んでる時の抜け道になるから、騒がしいのばかりはしょうがねえよ……」
「なんだってェ。弱ったな、それじゃいつまでたってもオーケーテイクにならないわけだ」
アンツルの言葉にすっかり驚いた友浦は、沼川や、暗がりに引っ込んでいた照明などの担当らしい生徒を集めてしばらく話し合っていましたが、そのうちにポンと手を打って、
「みんな、ちょっと聞いてくれ。どうやらこの場所だと、いつまでたってもノイズ地獄になってしまうらしい。日を改めて別の場所で撮るから、また連絡します。今日はもう、これで解散にしましょう!」
それを聞いた俳優たちは、やれやれ、やっと解放されたよ、とか、早く帰ってテレビ見よっと、などと口々に言ってから、空になったペットボトルを沼川へ預け、荷物片手に公園から立ち去って行きました。あとには、湯気がたつサンスポットとカメラ、疲れ切った友浦たちスタッフが残され、実にしまらない顔を浮かべています。
「――監督ゥ、だから僕は反対だったんですよ、順撮りなんて」
誰かのつぶやきに踵を返した友浦は、ちょっといらだち気味に何をいまさら! と叫びます。
「これは芸術映画なんだ、普通のドラマや安い映画みたいに別撮りでポンポン撮るなんて、ほかのやつが許しても、オレは許さないぞっ」
「友浦くんっ、落ち着きなさいっ。ほれほれ、ドウドウっ」
サンスポットの影へ飛び込もうとした友浦を羽交い絞めにすると、A氏は沼川へ未開封のお茶を持ってくるように伝え、半ば強引に、友浦の口へお茶をあてがわせたのでした。
「どうだ、ちょっとは頭ァ冷えたかい」
途中から自分でボトルを持ち出した友浦をそっと離すと、A氏はズボンのポケットへ手を突っ込んだまま様子を見てました。
「……すまなかった、どうかしていたよ」
「ならばよろしい。まァ、間接的とはいえ我々が邪魔したようなもんだからなぁ。ひとつその怒りは、僕のほうにだけ頼むよ。テイク10まで付き添ってくれてるみんなに向けちゃ、バチがあたるぜ」
A氏の言葉にハタと我に返った友浦は、振り向くなりスタッフのほうへ深々頭を下げ、つい先ほどの激昂を詫びたのでした。すっかり日も落ちて、あたりは黒いペンキでもひっくり返したように暗くなっています。さすがに、撮影を続けるにも厳しい時間のようです。
「ごめんよみんな、焦ってるのはおればっかりじゃあない、みんなも同じだもんな。ひとまず、来週の今頃には再撮影ができるように準備をしよう。それじゃあ、各自忘れ物に気を付けて解散!」
友浦の喜怒哀楽の激しい、プチ映画人ぶりにはまわりも慣れているのか、まぁ、しょうがないねぇ、とか、ひとまずクランクアップが先だな、と、口々に彼を励ましてから、あれほど大きかったサンスポットや、それに差し込む電源、十円玉ほどの径があるケーブルをあっという間に撤収させ、それこそ「どろん」という効果音でもつけたほうがよさそうな勢いで、宵闇の公園から姿を消していったのでした。
「――いやァ、あいかわらずヌーベルマニアの友浦くんにゃぁ頭が下がるぜ」
「あの友浦っての、あたしらと同類なのかい」
ネズミ捕りの済んだのを見計らい、ようやく公園を離れたオートバイの側車で、A氏は頭の後ろへ腕をまわしたまま、アンツルへ友浦少年のことを話し始めました。
「彼はオレやアンツルと違って、作るのも、見るのも好きなほうだからなぁ。それこそ、テープをおしめ代わりに生まれてきたといっても言い過ぎじゃあない、チビっ子のころからの映像マニアなのさ」
「けどさぁ、ヌーベルバーグってのはちょっと古すぎやしないかい。まあ、やるもやらないも、あたしらからしたら『勝手にしやがれ』ってとこなんだろうけどさぁ……」
「へへへ、それが出るあたりオメーも大概だよ。まぁしかし、ちょっと流行から遅れてる感じはしないでもないが、バカが審査をしてるわけでもあるまい、きっと次席入選ぐらいはらくらく行くだろうよ。そうでなきゃあ、『大人は判ってくれない』ってボヤくしかないわな」
フランスで巻き起こった映画表現の潮流のひとつ、「ヌーベルバーグ」の代表的な作品の名前を合間合間に混ぜながら、A氏とアンツルの会話は、オートバイのエンジンともども、夜の街に染み入るように続くのでした。




