かくて紳士協定は……②
「――ところがドッコい、今度のあんたの訴えは、あんたら越州女子の映研のやらかした不始末が原因で、両者共倒れ、ってなことになりそうなんだな」
「そうなんですな、というわけでして……」
「――誰だっ」
十二畳と思った広間のふすまがするりと開き、現れた二つの人影に天地は目をしばつかせました。奥で控えていたのは、ラッパ飲みしていたコーラの瓶を携えたアンツルと、移して飲むために出してもらった、小ぶりのグラスを持ったままの茜でありました。
「おい、これはいったいどういうことなんだ。説明してくれたまえよ中村くん」
勝利は決まった、とばかりに構えていた天地は、訳も分からず、自分の主宰する越州女子映研が「不始末をしでかした」という事実を突きつけられ、すっかり狼狽しています。
「なあに、簡単な話よ。天地さん、あんたが『赤い憂鬱』の上田かおるの科白に疑問を持ったのと同じように、おたくの『赤いリボンの用心棒』のある部分に疑問を持った人間がいたってわけさ。――沼川さん、あんただったね、そこにいる上田かおるが、居眠りを決め込んでたはずのシーンのことを、やたらと詳しく知っていた、って瑛の字にタレ込んだのは」
アンツルの鋭い目つきに、沼川はカミソリでもあてられたように縮み上がり、隣でしきりに汗を拭く上田を横目でみつめます。
「――で、そこンとこがなんとなく気になった僕は、知り合いである傘岡駅の駅長さんに頼んで、ロケーション撮影のあった日、時間帯に発着の構内放送をしていた駅員さんに合わせてもらったんだが……同時録音なら、男の声が入っているはずの構内放送のシーンは、誰だかわからない女の声に変わっていた。そして、その女の声というのは……」
「もうやめてっ!」
A氏が言い終わらなうちに、青い顔をして上田が立ち上がりました。額から首筋、ノースリーブの両腕の至る所に、大粒の汗がにじんでいます。
「――声がうまく出るようになったころに、あなたのところの映研にいる友達から泣きつかれて、アナウンスの代役をやったのよ。あとからモニター・スピーカーで聞いたら、ノイズだらけでろくに使えない音になってしまった。怒られたくはないから、どうにか誤魔化すのに協力をしてほしいって……」
汗に交じって、二筋の涙を流す上田の告白に、天地はバットで殴られたような、ひどい衝撃を受け、立っているのがやっと、というテイでした。
「なんだって、それじゃ、あの映画には……」
「『赤い憂鬱』同様、よその学校の生徒の演技が混じっているってわけさ。――ちなみに天地さん、あんたがにらんだ上田の声の代役、結構身近にいたんだぜ? だろう、若尾さん……」
アンツルの指さす方向、自分の隣にちょこんと控えて、小動物のようにオドオドとしているひかるの姿が視界に入ると、天地は額に手を当てて、気でもふれたようにケラケラと笑いだしました。
「そうかぁ――君だったのか。そういえば若尾くん、君は物まねクイーンとして有名だったね。どうしてこんな簡単なことに気付かなかったんだろう」
「ま、灯台下暗し、ってやつでしょう。ねえ?」
壁に背を預け、半ズボンのポケットに手を突っ込んだまま、A氏がしゃがんだままの富士野へ話をふると、彼は赤べこのように首をしきりに振って、ようやっと立ち上がりました。
「――まあつまり、こういうわけなんです。天地さん、あなたが僕らの学校の映画部のことを告発しようとすると、同時にあなた方越州女子の映研の、不本意ながら実行されたよそからの出演も明るみに出る。双方にとって、実に具合の悪い状態になっているわけです」
「んで、このことを知った僕としてはですねぇ……君らの間にひとつ、紳士協定を結んでもらいたい、と思うわけですよ」
カブリを振るA氏の口から出た「紳士協定」という言葉に、友浦や天地は首をかしげます。
「ほれ、キリストさんだって言ってるでしょ、『今までに一度でも悪いことをしたことがない者だけがこの女へ石を投げよ』って……。ひとつ、お偉いさんから石よりでかいものを投げつけられる前に、手を打ちましょうや、ということですよ。――双方、自身の非は認めつつ、相手の非は責めることなかれ。そして、双方の非を決して、他者へ漏らすことなかれ……。お分かりかな?」
A氏が指を鳴らすと、待ってましたとばかりに、二組の万年筆と便箋、朱肉を持った茜が、友浦と天地の元へとやって来ました。
「これから言う文面を、お手数だけどこのレターペーパーに書いて、拇印をついてもらいたいんだ。双方に利益をもたらす、紳士協定の協定書というわけ。どうする、書くか、書かないか……?」
ぎょろりと目をまわして、友浦と天地をにらむと、A氏の柄に似合わぬ迫力へ気おされて、二人は茜から道具一式を受け取り、A氏が口頭で伝えた文面を、一字一句違えずに書き写しました。
そして、所定の箇所へ各々の署名と拇印をすませ、割印代わりに二枚の間に二人の拇印を押すと、そこへすかさず、A氏が宅配用のシャチハタで「中村」と押印し、両方の署名欄に「見届け人 中村瑛志」と、一気呵成に書き添えるのでした。
「――ほれっ、これで書類は成立だ。何かあれば、双方僕へ申し立てるように。異論はないね?」
一連のやり取りで神経をすり減らし、もうろくにしゃべる気力を持ち合わせていないらしく、友浦も天地も、ただ首を縦に振るばかりです。
「よろしいっ。それでは君たち、封筒を渡すから、そいつに書類を入れて、後生大事に持ち帰りなさい。中村瑛志による、傘岡一高、越州女子映研間の紳士協定締結会合は、以上を持って終了とする。各自、解散ッ」
それを合図に、いたたまれない表情を隠すようにサングラスをかけると、天地はひかるを連れて、頓珍館をあとにしようと玄関へ出ましたが、何を思ったか、へばっている友浦の元に駆け寄ると、そっと右手を差し出したではありませんか。
「――こんなことはあったが、やはり君たちの作品が傑作であることに間違いはない。来年こそは、正々堂々と、映画人精神に則って勝負しようじゃないか」
「――ああ、受けて立つぜ」
同じ道を競い合う二人の間には、どうやら友情にも似た何かが芽生えたようでありました。
天地が市電に乗り込んだのを窓から見届け、ひかるが戻ってきたのを確認すると、A氏は座敷の座布団の上でヘバっていた――はずの、いたって元気な友浦や沼川、上田たちのほうへピースサインを送り、
「クランクアップっ!」
と、実に愉快そうな顔で、その場に集った一同を見渡すのでした。
「いやぁ、なかなかにみんな、役者だったねぇ。奴さん、すっかり安心して出て行ったよ。どうにかこれで無事に、明日のオンエアを見届けられそうだ」
「――にしてもA氏、君から天地の脛の傷を聞かされた時は驚いたよ。しかも、上田さんがワクチン代わりになっていたとはねぇ……」
「言い方! でもほんとに、申し訳ございませんでした……。泣きつかれて、つい断れなくって」
上田が深々と頭を下げると、A氏はそれをなだめて、
「なに、気にしなさんな。結果的に、双方手打ちという形で解決したんだ。あまり責めないでやってくれよ、お二方……」
と、友浦と沼川へ念を押します。そして改めて、この出来事の解決のために奔走してくれたアンツルや茜、そして、心の支えとなった富士野へ礼を述べるのでした。
「――ま、これで万事解決、となったわけだ。あのやり取りを録音したテープも、厳重保管の手筈は出来た。ひとつ、この『紳士協定』というシャシンのクランクアップを祝して、のんびり昼メシでも食いに行こうじゃないの――」
「いいねぇ。映画式に言えば、中村組の解散祝い、てなわけだ。盛大にパーっとやろうや、パーっと……!」
A氏の誘いに、友浦が子供のようにはしゃいで見せますと、A氏はにやりと笑って、
「ハハハ、中村組はよかったなあ。じゃ、どこにしようかさっそく決めるとしよう。みんな、候補はあるかい……」
と、座卓を囲んでの小さな会議の議長をつとめることとなったのでした。
雲一つない、真っ青な空がどこまでも広がる、八月のある昼下がりのことです。




