かくて紳士協定は……①
「――おいA氏、時間通りやってきたぜ」
「――わ、涼しい」
「ひでえ暑さだ、溶けっちまうぜ」
「よぉお三方、時間ぴったりだな。ま、しばらく好きにしててくれや……」
いよいよ明日が「赤い憂鬱」のNHKローカルでの放送当日、となった正午過ぎ、A氏は
電話で呼び出した沼川、上田、友浦の三人をフラットの中で一番大きな、六畳が二つ、継の間になった座敷へ通すと、富士野にその場の面倒を任せてから、何食わぬ顔で台所――と、見せかけて、自分の書斎のある、玄関わきの六畳間へと滑り込みました。
「万事OK。あとは細工を御覧じろ……というわけだ。大人しく頼みますよ、天地さん」
ウィンドクーラーのうなる、ひんやりとした六畳間でパイプ椅子の背もたれへ腹ばいになり、隣に控えているひかる共々、A氏の所有品である年代物のテープレコーダー――もちろん、それには座敷に据え付けた隠しマイクが接続されているのですが――から延びたイヤホンを耳にはめていた天地は、くわえていたストローをレモネードのグラスへと落としました。
「――中村さん、ご苦労様でした。とくと拝聴させていただきましょう。若尾くん、君もよろしく頼んだよ」
サングラス越しににやりと笑う天地に、ひかるはぎこちなく、ヘヘヘ……と右ほおをひきつらせます。
「じゃ、あとは手筈通りに……では」
慌てて書斎を抜けると、A氏は忍び足で台所へと向かい、沼川たちのレモネードをお盆にのせて、おまっとさん、と気軽な調子で部屋へと戻りました。
「しかし、笑っても泣いても明日がオンエア日か。結局、どうにか越州女子の映研の連中には露見せずには済んだようだが……ヒヤヒヤしたねえ」
ストローの封を切らず、グラスのままでレモネードをなめながら、友浦は沼川へ話をふります。
「どうにかこうにか、『なんとなく怪しい』っていう程度のギモンのうちに収めたのは幸いだったな。よっぽど、明日の放送を声紋鑑定なんかにかけない限りはバレやしないよ」
「――ほんとうに、あの代役の子には感謝してるわ。おかげでグラン・プリももらえたし……」
つられて上田も頷いてみせると、すっかり気の緩んだ三人の、勝鬨のような笑いがその場にとどろきます。その様子を見て取ると、A氏は背後の柱に据え付けられた竹細工の花瓶の中の隠しマイクへ、合図とばかりに三度、軽く咳込んでみせました。すると、それを引き金にA氏の書斎のふすまが勢いよく開き、一高映画部の面々が控えている大広間の中へ、肩へ革ジャンをひっかけた天地が、ひかるを連れて飛び込んできたではありませんか。
突然の出来事に、三人はのどにレモネードが絡んでしまい、しきりに肩をゆすってむせかえっています。見知った顔、しかも自分たちに疑いのまなざしを送っていた天地本人が現れたのだから、無理もないことです。
「君たち、今のやり取りしかと聞かせてもらったよ。録音もあるんだ、これを持ってしかるべきところへ行けば、僕の疑いが本物だったということが証明できる――!」
サングラスを外して胸ポケットへ突っ込むと、天地は得意げに微笑んで、A氏と、お盆を抱きかかえたまま唖然としている富士野のほうへ向き直りました。が、そんな彼女の得意げな表情は、ものの数秒とたたないうちに崩れ去ってしまったのでした。




