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曰く、「雨に唄えば……?」 ~A氏、映画撮影にまきこまれるの巻~  作者: ウチダ勝晃
第五章 脛に傷持つお二方……

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脛に傷持つお二方…… その②

 それから二日ばかりたった夕方、家で夏休みの課題をちまちまと片付けていた富士野は、A氏からの電話に呼び出され、夕飯を前にして家を飛び出しました。

「待ち合わせは傘岡駅の東口、藤娘の銅像の前、今すぐに――」

 というけたたましい声で一方的にけしかけられては、さすがの富士野もあまりいい気はしません。

 出会ったら少しは文句も言ってやろう、という不満にみちた顔で市電にゆられ、ざっと十数分ほどで藤娘の銅像の前に来た富士野でしたが、台座の下でしきりに時計を覗くA氏の隣に見知った顔のあるのに気づいて、あれっ、と、怒りも消えていつもの調子に戻ってしまいました。そこには、先日二人へ上田の奇妙な発言をもたらした沼川がいたのです。

「あれっ、沼川くんも……」

「やぁ、こんばんは。――A氏、彼も呼んでたのかい」

 富士野が現れるとは知らなかったらしく、沼川が驚きながら尋ねると、A氏はまあね、といたずらっぽく笑ってみせます。

「急に呼び出してごめんよ、富士野くん。実は、例の件でちょっとばかし不思議なことがわかったから、そいつの確認をする証人が欲しかったんだ。じゃ、行こう」

「エーさん、行くってどこに?」

 一歩踏み出した左足を軸にしてくるりと返すと、A氏は富士野の問いに答えます。

「特急銀座の六番ホームさ。『やしま』『西海』『ゆきぐに』、JRご自慢の長距離特急華やかなる……な」

 どことなく喉に小骨の引っかかるような感じこそありましたが、先にA氏が買っておいた人数分の入場券を受け取り、そのまま改札をくぐると、富士野と沼川は訳も分からぬまま、傘岡駅の六番線ホームへと降り立ちました。

『――六時七分発、金沢経由大阪行き『西海』66号、まもなく発車いたします。お見送りのお方は、お手数ですが黄色い線の内側までお下がりください』

 トランペット型のスピーカーから鳴り響く、ガラガラとした音質のアナウンスに押されるように、新型車両を昔ながらの国鉄色に塗った大阪行きの特急「西海」が出て行くのを、三人はしばらく、ぼんやりと眺めていました。そのうちに、今度は鉄琴のチャイムが鳴って、呼び出し放送がホームいっぱいに聞こえだしたのですが、その呼び出しの内容に、富士野と沼川はすっかり驚いてしまいました。

『お客様のお呼び出しを申し上げます。市内からお越しの中村様、富士野様、沼川様。至急、改札脇、在来線事務室までお越しくださいませ……』

「エーさん、いったい何がどうなってるんだい」

 目をまん丸にして尋ねる富士野へ、A氏はまたも、

「なあに、来ればわかるさ。ちょっと逆戻りになるが、改札へ行こうか」

 はぐらかすような一言ののち、二人を手招きして、元来た階段を上がりだすのでした。

 そして改札へ戻り、そばにいた駅員に二言三言ささやいてから事務室へ入ったA氏たちの前に、ダブルの制服を着こんだ、恰幅の良い中年がらみの紳士が姿を現しました。

「――やぁ、お待たせしました。お連れの方もお揃いのようですね」

「こんばんは。ご無理を言って申し訳ありません、いちおう証人が入用なもので……。二人とも、こちら、JR傘岡駅長の太田黒さん。昔ちょっとしたことで知り合いになったもんで、無理を言っていろいろ融通をしてくださったんだ」

「えっ、この人駅長さんなのかい」

 驚く沼川に、太田黒駅長はちょっとお道化た手つきで、これこの通り、と、JRの社章が入った名刺を手渡してみせ、さ、ここじゃなんですから……と、三人を応接室へ通すのでした。

「いちおう電話で事情を聞いて、資料のほうは持ってきましたよ。もっとも、機密になるような部分は線を引いてあるんだけれども、かまわないかな」

「なに、そこはもちろん重要事項ですから仕方ありません。僕はただ、当日、その時間に誰がいたのかさえわかればいいんですから……」

 出されたお茶をすすると、A氏は太田黒駅長からうやうやしく、B4判の封筒を受け取り、ところどころに黒い線の引かれた、ダブルクリップで留めた資料をぱらぱらとめくりだしました。

「――あった! で、こっちのほうは……」

 あるところでめくりを止めて、今度は一枚きりのある紙を上から下まで食い入るように眺めていたA氏は、なにか面白いことでも見つけたのか、にやりと笑って太田黒駅長のほうへ向き直ります。

「駅長さん、この日の、この時間帯にアナウンスをしていた駅員さんは今日は非番ですか」

「――どれどれ」

 ある個所を指さしながら尋ねるA氏に、太田黒駅長は老眼鏡をかけながら資料を覗き込んでいましたが、やがてソファから立ち上がって、一人の駅員を連れて三人の元へと戻ってきました。

「――高岡くん、この少年が君に尋ねたいことがあるそうだが、質問に答えてやってくれないか」

「はぁ、私でよければ……」

 制帽の合間からところどころ白髪の見える、駅長よりも年かさを食っていそうな高岡という駅員が、けげんそうに三人を見ながら頭を下げます。すると、待ってましたとばかりに、A氏はある質問を彼にぶつけました。

「高岡さん、ちょっとお尋ねしますがね。四月の末の、ゴールデンウィークが始まろうとするぐらいに、この駅で映画のロケがありましたね。大手の撮影所じゃない、アマチュアの映画のロケーション撮影で……」

「――ああ、ありましたありました。覚えてますよ、越州女子の映画研究会さんでしたっけね」

 白髪まじりの駅員の言葉に、富士野と沼川は顔を見合わせます。どうやらA氏は、「赤いリボンの用心棒」にまつわる何か重大な事実を掴んでいるようなのです。

「そうそう! そちらが撮ってた『赤いリボンの用心棒』っていう、県大会の参加作品なんです。残念ながら、大会のほうは奨励賞のみだったようですが……惜しかったですなぁ」

「おや、そうだったんですか。ずいぶん熱心に撮影をしてましてね。あまり長い場面じゃあないが手は抜けない、と、監督さんらしい生徒さんから聞いてたんですが……。私のホームにいる時間中、ずっとカメラが回ってましたっけね」

「そうでしたかァ、いや、こうして応援してくださる人がいるんだから、あちらも幸せでしょう。ときに、ちょっとくどいですがね……」

 一気呵成に話したせいか、渋茶をなめてから口もとをぬぐい、A氏はさらに質問を投げます。

「その日、その時間帯で、何か用事があったりしてホームを離れたようなことはありましたか? これがちょっと重要なことにかかわってくるんですよ」

 すると、高岡駅員は少しむっとした顔で、

「いいえ、そんなことは一度もありませんでした。番に回る前は念入りに用も足してから行きますから」

 と、長年の習慣らしい、熱心な鉄道員らしい態度で返事をしてみせます。

「――なるほど、そうでしたか。いやいや、どうかお気を悪くしないでください。何分、どうしてもこのことを立証しないと気が済まなかったのです。高岡さん、太田黒駅長、今日はどうも、ありがとうございました」

 資料の入った封筒を小脇にかかえ、二人の鉄道員へ握手とあいさつをすると、A氏は戸惑う友人二人を率いて、ラッシュアワーの混雑具合がいくらか抜け出した改札の外へ飛び出すのでした。

「――二人とも、さっきの話、しかと聞き届けたね?」

 集合場所であった藤娘の像をかすめ、ロータリーからタクシーに乗り込んでしばらく走ったところで、A氏がおもむろに口を開きました。

「エーさん、いったいあれが、今度の件とどう関係あるんだい。教えてくれよ」

「まあまあ、そう急くなよ。ときに沼川くん、話は『赤いリボンの用心棒』に戻るがね……」

 昭和通を北へ進み、軌道敷のすぐ隣をかすめるタクシーの車窓から、ネオンサインのまばゆい光が車内へ差し込みます。

「上田がなぜか知っていたという例の駅のシーン、君が会場で見たとき、発車合図の放送はどんな声だった?」

「どんな声って、そりゃ……あっ」

 何かに気付いて、沼川がびくり、と身を震わせてA氏の顔を覗き込みます。

「変だよA氏、僕が会場で見たときは、たしか発車合図をやってたのは女の声だったよ」

「えっ、じゃ、さっきの高岡さんの言ってたのと、全然違うじゃないか」

「な? 僕はあの証言を君らに聞かせたくって、わざわざこんな時間に呼びつけたってわけさ」

 驚く沼川と富士野の間に挟まれていたA氏が、腕を組んだままにやり、と粘っこい笑みを浮かべます。

「わけあってアフレコになったこっちと違って、越州女子の映研の作品は同時録音のはずだ。ところがどうだ、こうしてそろった証拠と例の場面はものの見事に食い違っている。そして、なぜかそのシーンについて、会場で舟をこいでいたはずの上田はいやに詳しかった……」

「ま、まさか」

 何かに気付いたのか、A氏の横顔を食いつくように見たまま、沼川がわななくように声を上げます。

「もっとも、これはあくまでも状況証拠だけだ。決定打になるようなものは、目下のところ僕の有能なる両足が追っかけてるから、そっちを待ってから結論をつけようや。――運転手さん、もうちょっと行った先で止めてください」

 ちょうど、三人の家の中間地点にあたるところでタクシーを降りると、支払いを済ませたA氏は二人に市電の回数券を握らせて、

「ほいじゃ、また……」

 と、いつものような調子で、大通りの歩道の上をのっそりと、闇に溶け込むように歩いてゆくのでした。

 うだるような暑さの消え、肌寒いくらいの冷ややかな夜風が二人の顔を撫でる、七時過ぎのことです。


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