脛に傷持つお二方…… その①
奨励賞を掴まされた悔しさか、はたまた純粋な興味から出たものなのか――それは定かでないものの、ともかくややこしい相手がこちらへやってきている、という知らせはすぐさま友浦、沼川、上田の三人へ伝えられ、夕暮れ時の迫るころ、急遽会議の席がもうけられました。
「というわけで、実にややこしいことになってるんだ。放送までにどうにかアフレコをし直すなりなんなりして、天地の追及をかわしてしまおうと思うんだが……」
例によって、冷房のよく聞いた頓珍館三階で、A氏をホストに、文字通り円卓会議が始まりましたが、今日に限って友浦や沼川も青い顔をするばかり、妙案が出てきません。
「やはり、わかる人にはわかったんだなあ。A氏、悪いことってのはできないもんだね」
お茶菓子のバタークッキーへひと口も手を付けず、膝に手をついてうつむいたままの友浦は、まるでしおれたほうれんそうか何かのような具合でした。
「何を言うんだ、そもそも、君が僕ンとこへ泣きついてきたんだろうが。今さら善人ヅラするんじゃないよ。こうなりゃいっそ、開き直ってハイさようです、替え玉ですというぐらいの根性はもっとけよォ」
「――中村くん、あまり責めないであげて。そもそもはといえば、わたしが蒔いた種なんだもの」
A氏に一方的にやりこめられる友浦がいたたまれなくなったのか、上田が声を上げ、友浦をかばいます。
「にしても、弱ったことになったもんだ。だいいち、相手が悪すぎる。天地千絵の親父は、県の教育委員会の文化委員なんだぜ。これが本人の胸の内を飛び越えて親のほうへ飛び火してみろよ、そもそもコンクールの存続が危うくなる……」
「A氏、そりゃほんとうかい」
友浦と上田の間に挟まれていた沼川がカン高い声で尋ねると、A氏は黙って頷き、知ってる人からもらったんだけどね、と、県教育委員会・文化振興委員会の会報をちゃぶ台の上で広げます――もちろんこれは、例によってトラブルシューター、情報屋である真樹啓介の提供によるものなのでした――。
「ほれ、ここにいるやせ型のおっちゃん、天地文吾が今度の天敵、天地千絵の親父さ。さーて、こうなりゃもう、八方ふさがりだぞ……」
神経を逆なでするようなA氏の物言いに、上田がなによっ、とヒステリー気味に声を上げます。
「あんなつまらない映画しか撮れないから、やっかんでるのよっ。駅のホームの、発車の合図の連絡放送を聞きながら、主人公が決心を揺るがせてモノローグが続くところなんか冗長で見てらんなかったわっ」
上田をなだめ、どうにか元の通りに座らせると、A氏は軽く咳払いをして、
「ま、それはさておいてだ。ともかく、NHKへ正式に納品をするまでに音を差し替えるかなにかしないとマズい。どうにかダビングルームで録り直しを――」
「それがなあ、弱ったことにあの部屋が使えないんだ」
「なにぃ」
沼川が伏目勝ちにつぶやいたので、A氏はのけぞって目を丸くしました。
「夏の間はほとんど制作するものがないっていうんで、防火設備の点検工事を先生が入れちゃったんだ。終わるのは夏休み明けだって話で……」
「なんってこった、それじゃ打つ手なしかよ……」
沼川が言い終わらぬうちに、A氏はへなへなと、座布団の上に溶けるように座り込みました。そして、焦点の合わない目を振り子のように右へ左へ動かしながら、ため息交じりに、
「ちょーっと、一人で考えさせてくれぇ。短い間にいろいろありすぎたせいで、頭がパーになりそうだ……。富士野くん、お三方がお帰りだ、送ってあげて……」
「う、うん、わかった」
壁に背を預けるA氏を横目に見ると、富士野に送られ、三人は頓珍館をあとにしましたが、帰る道すがら、揃いも揃って、A氏の不甲斐ないのを愚痴るばかりという、ひどい有様だったようです。
「――ひどいもんだよ、さんざん頼っておいて、こうなったら手のひら返しだなんて……薄情な連中だねえ」
「ま、そういうこともあるでしょ……」
映画部の三人が帰ってしばらくしてから、気分を晴らそうよ、という富士野の提案で近所の銭湯に赴いたA氏は、書き直されて間のない、ペンキのにおいが残る富士山をぼんやり眺めています。
「で、どうするの? このまま放っておくと、僕らにも火の粉が飛んでくるよ」
「まさかあ、何もしないわけはないさ。ただ、あの手、この手、と行くにはちょっと、問題がありすぎるので困ってんのさ。あ、これ持ってて」
頭の上にのせていた、棒縞の手ぬぐいを富士野へ預けると、A氏は湯船に潜りこんで、しばらくブクブクとやっていましたが、
「ぷはっ――よおし、これでスッキリ。富士野くん、サウナ行こうよ。汗をたっぷりかいて、コーヒー牛乳でも飲めば、なんか知恵が出るさ」
「そうしよう! 嫌なことはさっさと忘れるに限るね……」
友人がいつも通りの元気さを取り戻したのに安心すると、富士野は風呂から上がり、A氏ともども、スチームの効きだしたサウナの扉を開くのでした。
よく冷えたコーヒー牛乳で気分も晴れて、悠々たる気持ちで頓珍館へ戻った二人は、建物の前に見覚えのある立ち姿のあるのに気付き、おや、と顔を見合わせます。そこにいたのは、友浦と上田に挟まれていた、映画部の沼川少年でした。
「どしたの、なんか忘れ物?」
石鹸やシャンプーの容器が入った洗面器を抱えたまま、A氏が尋ねると、沼川は振り返って、
「やあ、ちょうどいいとこに。実は、ちょっと思い出したことがあって、引き返してきたんだよ。またお邪魔しちゃなんだし、歩きながらでもいいから、話を聞いてくれるかい?」
「別にいいぜ。富士野くん、湯冷めとかは大丈夫そう?」
友人への問いかけに、大丈夫だよ、と帰ってきたのを聞くと、さっそくA氏は、洗面器を抱えたまま、連れだって歩き出すのでした。
「えっ、上田さんが変なことを言ってる……?」
街灯のあふれる電車通りを離れ、赤提灯や麻雀荘が軒を連ねる裏通りを歩きながら話を聞いていた富士野が、沼川の言葉に首をかしげました。無理もない話で、彼が持ちこんできた話には、実に奇妙な点があったのです。
というのも、「赤いリボンの用心棒」の上映中、上田はあまりの筋の退屈さに眠気を催し、頭から終わりまでほとんど眠りこけていたそうなのですが、どうしたわけか、先刻の会議の席で、ここがつまらないという点を、かなり具体的に欠陥を指摘していたのです。
「沼川くん、たしかにその時、上田は堂々と寝ていたんだね……?」
襟足の水気を時折ハンカチで拭いながら、A氏が念を押しますと、
「――ああ、何度も見たから間違いない。さっき言ってた、駅の呼び出し放送でどうのこうの、って場面じゃ、上田は寝息を立ててたんだ」
沼川は組んでいた右腕をほどき、人差し指を宙にくるりと回して断言します。
「それなのに、なぜか彼女は、そのかなり重要なシーンのことを知っていた。ねえ、コンクールの参加作品を見るチャンス、その場以外にはないのかい?」
「ないない。制作にかかわったスタッフならいざ知らず、よその生徒が見ようと思ったら、あの表彰の場以外にないんだ」
「へえ、そいつは妙だな……。見ていないのに、見ていた。こいつは変だ」
沼川へ再度確認を取ると、A氏はくるりと踵を返し、
「ちょっとばかし、こいつは調べてみる必要があるなぁ。沼川くん、悪いがこの件、しばらくは君の胸の内にしまっといてくれ。もしかすると、意外なところから今度のトラブルが解決するかもしれないんだ。――富士野くん、今日はここで解散といこう。荷物は預かっとくから、風邪ひかないようにな。そいじゃあっ」
「あ、待ってよエーさん――」
手元から洗面器をひったくられ、富士野は慌てて友人の後ろ姿を追いましたが、その時にはもう、A氏の背中は夜の闇に消え、すっかり見えなくなっていたのでした。




