天災は忘れたころにやってくる……? その②
そのうちに、お盆前の登校日がやって来ました。いつものように学校までやってきたA氏と富士野は、おそるおそる、入賞記念の幕などが出る玄関上の窓を見上げて、
「えっ」
「おうっ」
と、そろって変な声を上げてしまいました。なにせそこには、白地に赤くでかでかと、
「映画部 N県学生映画コンクール高等学校部門 最優秀賞受賞」
という実に長ったらしい文句が出ていたのですから、無理もないことでした。
「なあるほどねえ、そりゃあ、あんな勿体つけた言い方をするわけだ」
「さすが学生名女優、おそるべし……」
互いに顔を見合わせ、ハァ、と盛大なため息をつくと、二人はそのまま、下駄箱へ向かってそろりそろりと歩いていくのでした。
登校日の全校集会では、案の定入賞の件が触れられ、県の審査委員会から送られた表彰状とメダルが友浦や上田、そして劇伴を担当したジャズ研の代表それぞれへと送られました。監督賞、主演賞、音楽賞……上位三拍子を総なめしたうえでの最優秀賞というのは、映画部始まって以来の快挙ということで、彼らはずらりとならんだ生徒たちから盛大な拍手で祝福されましたが、A氏はいっこうに面白くありません。
――ケッ、上田のやつ、てめーの演技の半分以上は若尾さんが作ってるんだぜ。その賞状とメダルを半分にちぎって、若尾さんにくれてやったらどうだ……!
奥歯をかみしめ、壇上でほほ笑む上田の面の皮をにらむと、A氏は渋々、力のない拍手をむけてやるのでした。
「ほーお、それで瑛ちゃん機嫌が悪いのか。ま、無理ねぇ話だわなぁ」
「にしても、ちょっとひどいですよねぇ。影の功労者のその女の子に、何のお礼もないなんて……」
昼前に学校が終わり、その足で探していた本を受け取りに真珠堂へ来たA氏は、富士野からわけを聞いた真樹と、午後からのバイトのために現れた蛍に慰められ、店の奥で一緒に、お中元でもらったという更科の干しそばをご相伴にあずかり、いくらか機嫌を戻しました。
「思い切ってゲロっちまえばいいんじゃないか? タカビーな主演女優のメンツ、丸つぶれだぜ」
せいろ代わりのざるからそばを手繰り、麺つゆへくぐらせながら真樹が言うと、A氏はかぶりを振って、
「それが出来たら苦労しないですよ。だいいち、落ちた作品ならいざ知らず、受賞作じゃあわけが違いますよ。作ったスタッフに、選んだ審査員、はてはほとんど顔ォ出さない顧問……。影響がでかすぎるんです」
と、実に困った顔をして見せます。
「それもそうねぇ、ちょーっと波紋が大きくなりすぎますもんねぇ。店長、高校生にたしなめられるなんて、大人げないですよ」
富士野へ麺つゆの入ったそば徳利を手渡そうとしていた蛍が、眉をひそめてたしなめると、真樹はのどにひっかかりかけたそばを無理やり飲み込んで、そりゃあないよ……と慌てて発言を取り消します、
「ハハ、真樹さん、青くなってますよ。うかつな言葉には注意注意……だっけ? エーさん」
「その通り。あんまり軽口ばっかり言ってると、そのうち誰かさんに逃げられちゃうぜ、真樹さん……」
富士野とA氏が茶化すと、真樹はこのォ、と叫んで、
「放っておけばツケあがりやがって……そばは没収! 没収!」
水気を含んだざるを取り上げると、真樹は蛍の近くへ座りなおして、実に子供じみた顔をしてみせます。二人もちょっとだけ付き合って、わあ、どうしよう、などとからかいながら、時々自分たちのほうへ寄せられるざるの中身をたぐり、実に心地よく、そばをすするのでした。
ともかく、こんな展開があったということを伝えないわけにもいかず、帰宅早々、アンツルと茜、そして茜経由でひかるを呼び出したA氏は、クーラーの効いた頓珍館の客間へ五人分のアイスコーヒーを支度して、後から来た三人へすすめるのでした。
「――てなわけで、上田のやつはホクホク顔で賞をもらった。が、オレを通して若尾さんへお礼を言いたい、という申し出は今のところないっ、以上」
イライラがピークへ達しているのか、噛み跡だらけになった縞のストローをグラスの中に浮かべたまま、A氏はかいつまむことなく、頭から終わりまで事のいきさつを語ってみせます。
「ひどい話だねぇ、礼の一つもないのかい」
赤いアロハシャツに薄手のデニムといういでたちで、横すわりをしていたアンツルが顔の隅へ青い筋を浮かべます。
「ねえのねえの。礼を欠いてる、ってまさに文字の通りよ」
角氷のあらわになったグラスの残りをすすり、ストローを二つに折って屑籠へ放り投げると、A氏は背後の土壁へもたれ、深いため息をつきます。
「どうする若尾さん、いざとなれば大々的に打って出るとは行かなくとも、ちょっとばかしやぶ蚊に刺された程度の仕返しはできるぜ。このまま黙って、上田の手柄にしておくのは……ねぇ?」
「どうしましょう……それくらいはしてもいいのかもしれないけれど、なんだか、あの映画にけちをつけちゃうみたいで、ちょっと気が咎めるんですよね」
「うーむ、言われてみりゃぁ……」
ひかるの言葉に、A氏もちょっと顔を曇らせます。いくら舞台裏が面倒なことになっていたとしても、あくまでもそれは制作側の都合で、作品という虚構の世界そのものには決して踏み入るようなことではない、と常々考えていたA氏には、そうした事情から物言いがつくことだけは避けたい、という思いがあったのでした。
「弱ったなァ、ここと思えばまたあちら、か……世の中、うまいようには出来てないねぇ」
そんなことをつぶやき、ホーローびきのポットへ入れたお代わりをグラスへ入れると、A氏はグイと一息に飲み干してから、手の甲でけだるげに口元をぬぐうのでした。
「ま、とにかくこういうことがあった、というのだけはまごうことなき事実です。今後どうなるか、どうするかは目途が立たないけど、いざとなればまた僕は協力しますよ、若尾さん」
「ありがとうございます。なんだかごめんなさい、私がきっかけを作ったみたいで……」
と、薄緑色の夏物のワンピースを着たひかるが頭を下げたところへ、ひかるが肩から下げた小さなポシェットの中からは風鈴のような着信音が、そして、A氏の部屋に置かれた、年代物の四号黒電話がほぼ同時になりだしたので、二人は慌てて、電話口へと向かったのでした。
「――はい、中村でございますが……」
「あ、もしもしアーちゃん? どうかしたの?」
ひかるが玄関先へ出て、A氏が書斎と客間の真ん中にある、茶の間のほうへ向かったのを見送ると、アンツルは富士野と茜のグラスへコーヒーを注いでやりながら、
「面白い偶然もあったもんだねぇ、同じとこへかかってくるなんて……」
と、電話越しなのにしきりにジェスチャーを交えるA氏の、ふすまのへりから覗く一挙一動を眺め、少しばかりぬるくなったアイスコーヒーをちびりとなめます。そのうちに二人の会話が済んで、かろやかな足音が廊下から、そして、畳を踏みしだく派手な足音が近寄ってくると、ほとんど同時に、こんな文句が二人の口から飛び出したのでした。
「大変だよぉ、茜ちゃん。うちの映研の部長が、受賞作の『赤い憂鬱』に怪しいとこがあるから中村さんに調べてほしいって……」
「おうおう富士野くん、アンツル、大変だよ。『赤い憂鬱』が休み明けに、県内ローカルでテレビ放送されるらしいぜ……」
そして、言い終わらないうちに、ひかるとA氏は顔を見合わせ、
「えっ」
と、実に処置に困った、と言いたげな顔をして、互いを見やります。
「……千鶴ちゃん、前途多難っていうのは、こういうことを言うのかなぁ?」
「そんな気がするねぇ」
茜とアンツルの冷ややかな反応が、事の深刻さを暗に物語っているようでした。




