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曰く、「雨に唄えば……?」 ~A氏、映画撮影にまきこまれるの巻~  作者: ウチダ勝晃
第三章 大潜入を挙行せよ!

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大潜入を挙行せよ! その④

『それじゃあ、最後のシーンに入ります。長丁場なので、みなさん気を抜かずにお願いしますねっ』

 そして迎えた、問題のラストシーンのアフレコを前に、インカムからとどろく声を浴びた俳優陣は、顔にさっと青い色味を浮かべ、どこか落ち着かない様子でスクリーンのほうへ向かいました。無理もありません、なにせこのシーンだけは絵にあわせ、今までとは違う一切編集なしの一発録りなのですから……。

「センパイ、いよいよ本当のクランクアップですねぇ。僕、震えてきましたよ」

「ああ、オレもだ。なにせ、十分九秒という長丁場になるからねぇ。誰かが失敗すれば、そいつはNGになる。気の入れようが違うってもんさ――」

「友浦ァ、いよいよだなぁ……」

「ちょ、チョイチョイ……」

 プロジェクターを受け持っていた部員と友浦、沼川の会話に、A氏がおもわず口を挟みます。

「――おいおい、なにもここまでワンショットにしなくったってよかったんじゃないか? みんな、背中がガタガタ震えてるぜ」

 薄暗いダビングルーム内の、スクリーンに映る青白い画面と、台本を読むために置かれた、ほんの六十ワットしかない年代物の電気スタンドの明かり越しでもハッキリわかるほど、俳優陣の背中はかげろうのように揺らいでいました。この調子では、セリフを間違えるなどという技術的な問題より先に、誰かがヘッドホンのジャックを踏み抜くか、足の力が抜けてマイクへ倒れこむのが先、というような気もしましたが、A氏の心配をよそに、割合すらすらとセリフは流れていくのでした。

「なあに、これでいいんだよ。なんせ、この大詰めは画面に出ている全員が極度の緊張状態にあるわけだからね。そうなりゃ当然、役者のほうもそうしないと……」

 小声でささやく友浦がまるで悪びれていないのに気づくと、A氏はこれ以上何か言うのは無駄だろう、と悟って、コンソールの前に置かれたつぎはぎだらけのソファへそっと背を預け、こうつぶやきました。

「東洋のストラスバーグが、まさか同級生にいるとは思わなかったなぁ……」

 黙って顎をしゃくるばかりの富士野ともども、稀代のスパルタ演出家と言われたリー・ストラスバーグの引き合いに出すと、A氏はそのまま、手にしていた「赤い憂鬱」の台本をまるめて尻ポケットへと突っ込んだのでした。

 ……これで彼女がモンローみたいにおかしくなってみろ、おれはどの面下げて茜ちゃんへ詫びればいいんだ。

 ……中島さんに「うちくびごくもんですっ」、とか言われても擁護できないよ、エーさん……。

 真偽のほどはとにかくとして、こう言いたげな目線を交わす二人をよそに、台本はどんどん、ラストへと進んでいきます。A氏の心配をよそに、だれもセリフを間違えることなく、淡々と、しかし徐々に熱を帯びて画面は流れてゆきます。

『そうよ、たしかにエコーでみても、お腹の中にはなんの影もない。現実にはこの子はいない。でも、わたしには聞こえてくるしわかるのよ。お腹のこの子が小さな足でけとばす痛み、小さな口で羊水を飲む息遣いが……!』

 小さなモニタースピーカーから流れてきた美紀のセリフに、半分寝落ちていたA氏はハタと台本を引っ張り出し、あらためてその内容へ目を通しました。

 なんと、よくある学生の妊娠の話と思われた「赤い憂鬱」は、数々の男子生徒にもてながら、その実は誠実な愛を受け取れていなかった少女の見た、想像妊娠の物語だったのです。ラストへ至る過程で多くの人間たちが不幸な目に遭い、最後にただ一人、彼女へ片思いをしていた主人公の少年が真実へたどり着き、その真相を大勢の友人たちの前で明らかにする――そんな大詰めのシーンが、あの雨の中で撮影されていたシーンだったと気づくと、A氏はすっかり眠りこけていた富士野を起こし、こうつぶやきました。

「富士野くん、もしかしたらこの映画、ほんとに賞を取ってしまうかもしれないよ」

「え、ほんとかい……?」

 訳も分からず、寝ぼけ眼をこすって答える富士野へ、A氏は口をヘの字にしながらそうらしいよ、と返します。

「この尺で、未成年だけの製作陣でこれほどの内容を作れるのは、日本中どこを探したって、この映画部以外にはないだろうさ。いや、久しぶりにいいシャシンを見たかもしれない……」

 そういうと、A氏は丸めた台本のくせを直し、画面のタイムコードとすり合わせてから、姿勢を正してソファへ座りなおしました。そして、刻一刻と、ラストへ向けて白熱する、ひかるやほかの面々のセリフと、今度は体から湧き上がる熱気が見せているらしい、ぼんやりとしたかげろうを、じっと見守っているのでした。

 そしてついに、アフレコ台本の最後のセリフが、マイクロホンへ投げられました。

『――ねんねんころりよ、おころりよ……坊やのお守はどこいった……』

 雨に濡れるのもおかまいなしに、服の上から自分のお腹をさする美紀と、それを唖然と見守るギャラリーのシーンが、どんどん遠ざかっていく、じつに現実離れした光景がゆっくりと暗転すると、赤々と光っていた『録音中』のランプが消え、コンソールのマイクへ友浦がかぶりつき、こう叫びました。

『みなさん、お疲れさまでした! いまのでOKテイクですっ!』

 インカム越しの友浦の声を聞いて、それまで不安そうな面持ちで録音ブースを見つめていた俳優陣が、一斉に歓喜の声をあげます。

「みんなっ、これでやっと『赤い憂鬱』はクランクアップですっ! 今まで苦労かけたけど、やっと完成、って胸を張れるよっ。ありがとう、ありがとう!」

 録音ブースから飛び出すなり、芝居がかった調子で部員たちに向かう友浦にと、その後ろでうっすらと涙ぐむ沼川を皮切りに、すさまじいまでの感情のたぎりがその場を支配しました。抱き合って泣き叫ぶもの、固い握手を交わすもの――。

 そんな思い思いのなかでただひとり、主役用にと画面の中央に置かれたマイクロホンの前で、ヘッドホンを首にかけたひかるだけが、茫然と立ち尽くしていました。

「若尾さん、お疲れ様。長丁場だったけど、よく乗り切ったね」

 例によって、真新しいミネラルウォーターのボトルを渡しながらA氏が声をかけると、ひかるはわあっ、と、ストップモーションが解けた映像のように跳ね上がり、邪魔っけだったヘッドホンを取り払い、ちょこまかと二人の前に躍り出ました。

「すっごく緊張しましたよぉ。でも、この脚本を読んで、上田さんの演技にあてているうちに、だんだんわたしも引き込まれていったんです。まるで、このお話の中の美紀さんとひとつになっていったみたいに……。なんか変ですかね、わたし」

 気恥ずかしそうに、赤鉛筆をはしらせた台本をめくるひかるへ、A氏はいやぁ、そんなことないさ、と自信たっぷりに答えます。

「ひかるちゃん、ドラマの『刑事コロンボ』って知ってるかい?」

 往年の名作ドラマ「刑事コロンボ」の名前を出すと、ひかるはにこやかに、

「はい、知ってますよぉ。うちのかみさんがね……って、あのおじさんのやつですよね」

 と、近くにたてかけてあった三人分のパイプ椅子を組み立て、二人へすすめながら答えます。礼を述べて、富士野とひかるを先に座らせて、引き続き、A氏は話を継いでいきます。

「あれでコロンボ警部の吹き替えをやっていた俳優さん、小池朝雄さんっていう人は、こんなことを言っていてね。『コロンボの一挙一動や元のセリフを聞いているうちに、だんだんとノッてきて、すらすらとセリフが出てくる。おおもとの演技がいいからこそ、こっちの力がどんどん引き出されてくるんだ』って。つまり――」

「そうやってどんどんのせられて引き出されるだけの、若尾さんの人間観察の賜物が、あの長丁場のセリフだった、ってわけだよね、エーさん」

「このぉ、いいとこ持っていって……!」

 最後の締めを横取りされてくやしいのか、じゃれつくように富士野へからみつくA氏に、ひかるはあの日ズンメルで見せたような、鈴のような笑いをあげ、すっかり緊張のほぐれた顔をのぞかせています。

「やあ、若尾さん。お疲れさまでした」

 そこへ、遅ればせながら姿をみせた友浦たち映画部の面々に気付くと、三人は慌てて立ち上がりましたが、沼川がいやいや、そのままで、と制したので、しぶしぶ、椅子に収まりなおしたのでした。

「若尾さん、それにA氏。僕たちの無理なお願いを聞いてもらって、本当にありがとう。おかげで映画はお蔵にならずに、僕らの無理な撮影も無駄にならずに済みました。ほんとうに、ほんとうに……ありがとう」

 友浦が目元をぬぐいながら頭を下げるので、A氏と富士野はどうしたものかと困惑しきりでしたが、意を決したひかるがパイプ椅子から離れ、友浦へ真新しいハンカチを差し出したので、おそるおそる、後について椅子から立ち上がるのでした。

「こちらこそ、貴重な機会をありがとうございました。友浦さん、沼川さん……いいえ、映画部の皆さん。この映画、きっと素晴らしいものになると思います。だから、絶対に、賞を取ってくださいね!」

 ひかるの純真無垢な笑顔にあてられたのか、友浦たちは涙をひっこめ、すっかり上機嫌になって、背筋を伸ばしこう返しました。

「もちろんですっ! このあとの劇伴、効果音のダビングで、この映画の持ち味をもっと引き出して見せます。きっと、きっと、最優秀賞をとってやりますよっ!」

 その一言で調子づいたのか、友浦はやおらにひかるの左手を握ると、彼女の手の甲へそっと、尊敬の念のこもったキスをし、周囲を驚かせました。

「こらあっ! 変なことしたら承知しねえぞっ」

 突然の出来事に、これ以上不埒なことをされてはならぬと間へ入ったA氏が、首根っこを揺らしながら怒鳴ります。

「お、落ち着いてくれっ! おれはあくまでも、彼女へ尊敬の念からだなぁ……」

「この野郎、この子に何かあったらなぁ、僕もどうにかなっちまうんだよっ! このこのぉっ!」

 実に滑稽な、ひどくばかばかしい小競り合いでありましたが、緊張のほぐれた俳優陣やひかるたちはゲラゲラと笑うばかりで、誰も止めてはくれません。むしろ、この実に平和なやりとりをほほえましく眺めている節さえありました。

 やがて、とっぷりと日の暮れたころになって、元通りに組み立てられたRCAのにせものの中へおさまったひかるは、大勢の部員たちに見送られて、A氏や富士野ともども、夕闇迫る傘岡一高の裏門から、ラッシュアワーの往来へと繰り出しました。

「――中村さん、お迎えの車、まだ現れませんか?」

 車の通りが激しいのをいいことに、やや大胆にひかるが尋ねると、A氏は腕時計をちらりと見てから、もうそろそろだと思うんだがな……、と、リヤカーのハンドルの上で右手の指をおどらせながら答えます。すると、

「あ、エーさん、来たよっ」

 富士野が指さすほうへA氏が目をやると、東へ続く電車通りの中から、あちこちガタガタになった年季の入ったミニバンが姿を現し、乱暴に路肩へと乗り上げました。そして、助手席の窓からひょっこりと、見慣れた顔が飛び出て、二人へよぉ、と声をかけたので、A氏は待ってました、とばかりに、伸びた右手を固く握りしめるのでした。

「おいおいっ、あまり強くやるなよ。これでもさっきまで、蛍ちゃんと荷造りしてたんだからよ……」

 エンジンを切り、助手席のほうから降り立った懇意の古書店・真珠堂の若き店主・真樹啓介は、A氏と握手を交わした右手を吐息でさますフリをしてみせながら、ミキサーへそっと、おまっとさん、とささやきました。A氏に頼まれ、何から何まで事情を知った真樹は、行きと帰りの輸送を請け負っていたのです。

「わあ、真樹さんですね。帰りもお願いしまぁす」

「はいはい、仰せのままに……。ほいじゃ、野郎ども、お姫様のお輿入れの時間だ、せいぜい働けェ……」

 鉄板越しのひかるに元気をもらうと、真樹は二人の尻をたたき、三人がかりでミキサーと、折り畳み式であったリヤカーをすっかりばらし、後部座席へ押し込んでから、刻一刻と暗くなっていく、四月の傘岡の夕空の下を、ほかの車の列に交じって走りだすのでした。

 桜のつぼみがすっかり開いて、遅まきながら春らしい香りが、傘岡の街に漂いだす、ある晩のことです。



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