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曰く、「雨に唄えば……?」 ~A氏、映画撮影にまきこまれるの巻~  作者: ウチダ勝晃
第三章 大潜入を挙行せよ!

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大潜入を挙行せよ! その③

『じゃあ、セリフと流れの確認からいこう。四十五分、ばっちり頼むよ』

 友浦がコンソールに取り付けたインカムへしゃべりかけると、プロジェクターに張り付いていた部員が真正面のスクリーンへ「赤い憂鬱」の編集がすっかり済んだ映像を映写し、それを合図に録音担当の部員がミキサーのフェーダーを上げ、技術陣のマイクチェックと、俳優陣のタイミングの確認を兼ねたリハーサルが幕を開けました。ことに俳優陣の場合は、画面に出ている時分秒のタイムコードと台本のセリフ、出だしを正確にするために用意された、撮影時に録られた本来のセリフを聞くためのヘッドホンを相手にする必要があるのですから、神経の使いようと言ったら、普段の撮影の倍以上という、なかなかに強烈なものでした。

「――富士野くん、きっと君のことだからおなじ映画を思い浮かべてると思うが……」

 真剣な面持ちのスタッフや友浦をよそに、大袋で持ち込んだ五〇〇円玉くらいのサイズのコインチョコをほおばりながら、A氏がつぶやきます。

「こんなシーン『雨に唄えば』にあったよね。ぼくも、おんなじこと考えたよ」

「だろうねぇ……」

 奥歯で二、三等分にチョコをかみ砕き、ろくろく味もみないままに飲み下すと、A氏は富士野の耳へそっと、こんなことをささやくのでした。

「――まさか、あの映画みたいに上田が若尾ちゃんをオドして声の代役にしたりしないだろうな」

「まさかぁ、サイレントの時代じゃあるまいし……あ、一個もらっていいかい?」

「どうぞどうぞ……。ま、その通りだもんねぇ。いらねえ心配だったかも……?」

 映画がセリフのないサイレントから音のあるトーキーへと移ろうとする時代、美人ながらもひどい悪声のスター・リナのトーキー第一作をめぐっておきる往年の名ミュージカル映画「雨に唄えば」の中で、いままさに目の前で繰り広げられているような声の吹き替えのシーンがあったのを思い出しながら、映画マニアである二人の少年は、これから始まるアフレコの顛末を見届けようとほんのちょっとだけ、居住まいを正してからスクリーンを眺めるのでした。

 やがて、本編ときっかり同じ長さのリハーサルが終わり、いよいよ本番が始まりました。録音ブースの窓の上に据え付けられた「録音中」という赤い表示のランプが煌々と輝き、スクリーンを前にして、俳優陣による声の演技が幕を開けます。

「――たのむよ美紀、いったいお腹にいるのは誰の子なんだい」

「――だめ。言えない。絶対に人には言わないってきめたんだもの」

「言えない相手の子供がいるのかい、まさか美紀、無理やり……」

 が、肝心の話のほうはと言えば、ヌーベルバーグといえば聞こえはいいものの、今時あまりウケのよくない学生の妊娠の話で、録音が始まって五分もしないうちに、A氏はウツラウツラと舟をこぎだしてしまいました。こんなベタな展開の話は、今日日インターネットの掲示板にだって書き込まれていないのですから、無理もない話です。

『――ハイッ、OK! ちょっと休憩にしましょう。今から十分、オフですっ』

 コンソールのマイクへ叫ぶ友浦の声に目を覚ますと、自分の右肩へもたれていた富士野を起こしてから、A氏は軽く背伸びをし、すっかり明るくなったスタジオの中へと躍り出ました。

「や、お疲れさん」

「あ、エーさん、お疲れ様です」

 片耳だけのヘッドホンをはめたひかるは、足元のジャックボックスから延びたコードで文字通り紐づけになったままぴょんぴょんと跳ねて、近寄ってきたA氏と富士野へ手を振ります。

「さすが若尾さん、なかなか上手いじゃないの。本物よりイイんじゃないか……?」

「そんなぁ、照れちゃいますよぉ。――そういえば上田さん、今日はいらっしゃらないんですねぇ」

 いちおう、写真を見て上田の顔を知っていたひかるは、スタジオの中で思い思いにくつろぐ映画部の面々を見渡しましたが、どこを見ても上田の姿は見当たりません。どうかしたんですかぁ、と呑気にたずねてくるこの無邪気な少女へ、A氏はちょっと困ってから、こう返しました。

「――奴さん、友浦の提案に不貞腐れて家で寝てるらしいぜ。自分の熱演がみんな吹き替えられちゃうんだから無理もないが、元はと言えばあいつが元凶なんだ、恨むのはお門違いだよ……」

「あらあ、そういうことでしたか」

 それを知ってか、ひかるはちょっとだけバツの悪そうな顔をしましたが、引き受けた手前、最後までやりきらねば、という意思があるのか、台本を握ったままかわいい鼻息を鳴らし、

「上田さんの代役、最後までがんばりますっ」

 と、ちょっとズレた返事をして微笑み、ヘッドホンの具合を確かめるのでした。

「――この子の健気さ、ちっとばかし上田のやつに分けてやりたいねぇ」

「ハハハ、難しそうだけどね……」

 いないのをいいことにボロクソいうと、二人は時計の針が休憩時間の終わりをさすのに気づいて、慌てて録音ブースに戻るのでした。

 そこから先は、音のないシーンは省いての録音、ということになり、昼の休憩の後に行われた俳優陣によるOKテイクのチェック、それを踏まえての録り直しなどを挟みながら、アフレコはあれよあれよと順調に、ラストへとさしかかりました。


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