絡めとる肢体に、
※
ハヤトがサナの家に向かった頃。
家にはルエとゼロの2人きり。
庭ではゼロが、やれ腹筋だやれ背筋だのと身体を鍛えている。休憩の為にお茶にしようと、台所へ向かう途中。
台所から、ズリ、ズリ、と何かが這うような音。時折、何かが滴るような音もする。昨日、ちゃんと布巾は絞って吊るしたはずだが。
見てみようか。でもそれで危ないものだったら。
庭にいるゼロを呼びに行こうか。しかしそれには、開いたままの台所の扉の前を通らなければならない。早足で行けば見つからないだろうか。それとも音を立てずに静かに行くか。
少し迷い、ルエは中の様子を覗き見てから決めることにする。
そっと息を潜め、扉へ近づいていく。
這う音と滴るような音とは別に、何かを啜るような不気味な音も聞こえる。ぶるりと体が震えだすのを無理矢理抑え、ルエは中を覗き込んだ。
「あ、れ……?」
そこには何もいなかった。
強いて言うなら、蛇口から水が滴っているくらいか。きちんと締めなかっただろうかと思いつつも、ルエは辺りを警戒しながら入っていく。
特に何もなく、ルエは安堵し息を零すと、蛇口を締めようと手を伸ばし。
「……!?」
その手にいきなり巻き付いてきた何かによって、ルエは蛇口を締めることも出来ず、身動きが取れなくなってしまう。大声を出そうと口を開けたところ、その何かが口内に侵入し、声を出すことも叶わない。そのままルエは、何かに手足を巻きつかれ、天井近くまで持ち上げられてしまう。
「ん……ぁ……」
微かに漏れた吐息は虚しく響くだけであり、これではゼロが気づくはずはないだろう。目だけで周囲を見ると、自分に巻きつく何かは、茶色の触手であり、それは腐ったかのように、ジュクジュクと所々爛れている。
一体どこからこんなものが、と台所をよく確認する。
隅に置いた紙袋から、それは出ていた。あれは、この間店主からおまけしてもらった分だ。よく確認していなかったが、こんな危ないものが入っていたのかと泣きそうになる。
自分の口に入ったままの触手に、涎がだらしなく伝い床にぽたりと染みを作っていく。恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだと、僅かながらも抵抗を試みるが、もちろんビクともしなかった。
「……ゃ、んぅ……」
触手がスカートの裾から太ももを撫であげ、意思に反して身体はびくりと反応する。それを面白がるように、触手は何度も太ももを擦る。
ぽた、ぽた。
床に涙も落ちる。
「ふ……ぁ……」
もう諦めようか。ふ、と体から力を抜き、もう好きにすればいいと思いかけたその時。
「ルーちゃーん!お茶出来てるー?」
休憩に戻ったゼロの声。
それはルエの意識をはっきりとさせ、そして、ルエは思いきり口に入っているそれに噛みついた。本当はこんな腐ったような気味の悪いもの、噛りたくは無かったが、もうこの際言ってはいられない。
触手にも痛覚はあるようで、すぐさまルエの口から抜き出ると、しばらく床にのたうち回りだす。げほげほと咳込み、息を整える間もなく、ルエは枯れた声を必死にあげる。
「ゼロ……、ゼロ……!」
思ったように出ない声に、また咳き込んでしまいそうになる。落ち着いた様子の触手が、まるで怒りを伴うかのようにふらふらと目の前に現れ、その先端を口のようにパカリと開けた。
無数に並ぶ歯とチロチロ動く舌が気味悪い。ルエはごくりと唾を飲み込み喉を湿らせ、最後の力を絞り、また名前を口にした。
「ゼロ!」
それが聞こえたのは、最初は気のせいだと思った。
しかし、すぐに悲鳴にも近い声が聞こえ、ゼロは腰の剣に手を掛けつつ台所へ急ぐ。誰も入った様子はなかった。自分以外家には誰もいないはずだ。
ならば一体何が。
開いたままの扉から中を見ると。
「こりゃなんだ……」
口をぱっくり開けた茶色の触手のようなもの。
「ん、冷た!」
突然自分の頬に落ちてきた水のようなものに顔をしかめ、ゼロはふと顔をあげる。そこにある光景に、ゼロは怒りが膨らんでいくのを感じ、気づいた時には剣を抜いていた。
「ゼロ、ゼロぉ……」
触手に持ち上げられ、泣く姿のルエを見て、落ち着けというほうが無理である。
握った剣を薙ぎ払い、すぐさまルエに絡みつく触手を斬る。支えを失った体は重力に逆らうことなく、すとんとゼロの腕の中へと収まった。
「ルーちゃん!しっかりしろ!」
軽く頬を叩いて意識をはっきりさせようとする。触手は斬られた箇所をうねうねとくねらせ、そこから新たな触手を生やす。さらにその先端をぱっくりと開け、みるみる内に口は増えていった。
意識を朦朧とさせるルエを尚も叩くが、目は虚ろなままであまり反応がない。よく見れば、肌が土色に変化してきている。体内に無理矢理神力を入れると、拒否反応が出ると聞いたことがある。神力のないゼロから見てもわかる程に、それは正にそれだった。
抱えて外へと出ようとするが、いつもなら軽々持てるはずのルエの体が重い。
「くっそ……」
仕方がないとばかりに剣を床に突き立てる。傷つくのも今は致し方なしである。
「退けよ、断絶。我が手に守護を!」
詞を紡ぐ。2人を囲むように黒い光が溢れ、それは触手が吐き出す液体を弾いていく。飛び散った液体が床や天井にかかる度、そこは焦げた臭いを発し溶けていった。
ゼロは口笛を吹き、さて、と辺りを見回す。触手を辿ると、それは隅の紙袋から出ていた。あれは確か、ルエが店主からもらったと言っていたものだ。そしてこれは、恐らく神機と同じもの。
ならばと、ゼロは床に転がっていたフォークを手に持ち、その紙袋に向かって力任せに投げつけた。触手はそれに反応し、紙袋を守るように一瞬ゼロから注意が反れる。
「もらったぜ!」
その隙きを逃さず、ゼロは剣を引き抜くと、下段に構え詞を紡ぐ。
「轟け、雷光。我が手に刃を!」
刀身が淡く黄色に輝きだす。ゼロは大きく踏み出し、剣が紙袋に届く距離まで詰めると、上に剣を振り上げた。それは紙袋を真っ二つにし、さらには斬られた箇所から電気が走り、触手の先端まで行くと、それは弾け消えていく。全て消えた触手を確認し、ゼロは胸を撫でおろしつつ剣を戻す。
「ふー……、あ!ルーちゃん無事か!?」
振り返り、慌てて駆け寄る。ルエは力無く倒れ、相変わらず顔色は悪いままだ。
さすがに自分ではどうしようも出来ず、ゼロはハヤトを呼びに行こうと玄関へ向かい。
「お、ひ、さ」
茶髪黄目の少女がウインクし、仁王立ちする姿に、頭が痛くなってきたとゼロは呆れ顔で立ち尽くした。