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過去と現在の痕を。

 ※



 さすが王族の屋敷というべきか。風呂場も広く、つい泳ぎたくなる衝動を抑えつつ、ゼロがまったりと湯船に浸かっていると。

 扉の開く音と、ハヤトが体を洗おうと隅に行くのが見えた。ゼロからはその背中しか見えないが、腰あたりにはっきりと見える線のような痕が嫌な記憶を想起させる。恐らく腹のほうにもあるのだ、あの痕は。

 あの日、強制的に巻き戻したハヤトの身体は、やはり自分では力不足だったのか、その痕が生々しく残ってしまった。あれを見るたび、正しかったのかと自責の念に駆られる。

「……お前は男の身体を見て楽しいのか?」

「んなわけねーよ」

 洗い終わったハヤトも、ゼロから少し離れた場所で湯船に浸かる。薬湯らしい湯は白く濁っており、先程の傷痕は全くと言っていいほど見えない。しばし沈黙が続き、ゼロは兄として確認したいことがあったと思い出し、おもむろに口を開いた。

「ハヤトはさー、ルーちゃんのことどう思ってんの」

「牢での続きか?それならどうも何も、嫌いだと言われたが」

「そっかー、嫌いかー。って、はぁ!?言われた!?」

 つい立ち上がってしまい、何も纏っていない姿をハヤトに曝け出してしまう。ハヤトは心底嫌そうにため息をつき、

「座れ。見たくないものを見せつけるな」

「そんなんより、嫌い?ハヤトを?んなバカな」

「煩い。座れ。黙れ」

 言葉を全く聞いていないゼロは、湯飛沫を上げつつハヤトに近寄りその隣に座り込む。ハヤトはさらに顔をしかめるが、ゼロはお構いなしである。

「じゃーさ、嫌いって言われたのに、お前馬車ん中でキスしてたわけ?どゆこと」

 ハヤトはしばし何かを考えるように視線を彷徨わせ、

「拒まないということは了承の意だろう?」

「アホかー!」

 勢い余ってお湯をハヤトに思いきりかけてしまう。しまったと思った時には、頬をぴくりと動かし、薄く笑うハヤトの姿が。次の瞬間、ゼロの視界は真っ白なお湯で埋め尽くされた。




 余程騒がしかったのか、見回りに来た兵に怒られ、ハヤトとゼロはお互い不完全燃焼のまま戦いは幕を降ろした。体力のあるゼロは先に戻ってしまったが、ハヤトは長風呂でふらつく足を引きずるようにして部屋への道を歩いていた。

「ハヤトくん!」

 声をかけられ振り向く前に、ルエが背中に優しく手を添えて支えてくれた。微かに濡れている黒髪から、爽やかな柑橘系の香りが溢れ、それをもっと感じたいと、ハヤトは無意識に顔を髪に寄せていた。

「どうしたんですか……?」

「……なら」

「え?」

「嫌いなら、なんで拒もうとしない……?」

 ルエが身体を強張らせる。視線を伏せたルエから距離を取り、ハヤトは手すりにもたれかかりながら、その黒髪を一房手に取る。

「……です」

 ぽつりとルエが何か零し、それを聞き返そうとし。

 ハヤトに抱きつくように飛び込んできたルエを、反射的に抱き留めてやる。

「ずるいです、ずるいですよ。私は、こんな醜い気持ち、持っちゃいけないのに。貴方が、他の誰かといるのを見るだけで、また闇が迫ってきて怖くなる……!だから嫌いって。自分に言い聞かせて、嫌いって思おうとしたのに」

 溢れる涙がハヤトの服を濡らしていく。小さく震える身体をさらに強く抱きしめ、ハヤトは髪に顔を埋めるようにして言葉を紡ぐ。

「なら、俺はお前に何を誓おうか」

「……私に?」

 ルエは深く息を吸い、そしてゆっくり吐き出し。

「貴方の私を見る瞳は、私だけの為にしてくれませんか?」

「疑問系か?」

「意地悪ですね」

 頬を膨らませたルエの頭を撫でてやり、軽く耳に触れてやる。ぴくりと震え、真っ赤に染まった耳をもっと見たくなり、そっと髪を耳にかけてやった。ルエの視線がハヤトと絡まり合い、ルエはその願いを口にする。

「私だけを見てください」

「貴方様が決めたのなら」

 ふたつの影はどちらからともなく重なり合い、やがてそれはひとつに溶けていった。



 ※



 それはいつか見た夢だった。

 若かりしジェッタ、その隣に立つ幼いハヤト。2人の視線の先にいるのは……アリアだ。その姿はルエが知っている姿のままで、彼女が年を取っていない、いや取れていないことがわかった。

「本当にいいのか?」

 ジェッタの問いに、小さく、だがはっきりと頷いたアリアは、泣かないようにと作り笑いを浮かべる。

「約束、ちゃんと守ってね」

 その表情(かお)に、ジェッタは悲しげに視線をハヤトに向ける。その小さな空色の瞳は、ジェッタに対し不安と恐怖の入り混じった視線を送っている。

「それが君の願いなら、俺は迷わず叶えてみせる。何、惚れた弱みというやつさ。最初に言っただろう?俺は君を自由にしたいと、願いを叶えたいと。まぁ……結局、自由には出来なかったがな」

 そう自嘲してみせるが、今のルエにはわかっていた。アリアはこれから先も、水の牢獄でジェッタを、ハヤトを想い続けていくことを。ふざけるようにジェッタが表情を崩し、膝をついてハヤトと視線を合わせると、その頭に優しく手を置いた。

「必ず。この子を立派に育ててみせるさ」

「子守りしたことないくせに?」

 意地の悪い笑みを浮かべながら、アリアもまた屈んでハヤトと視線を合わせてやる。アリアが両手で頬を包んでやると、ハヤトは気持ちよさげに目を細める。彼は知らないのだろう、母親がどうなるのかを。

 名残惜しそうにアリアが立ち上がり、ハヤトの手をジェッタに握らせる。

「早く行って。父と母を撒いてきたから、もう時間がないの」

「……アリア、これを」

 ジェッタがズボンのポケットから青いイヤリングを取り出し、それをアリアの手に握らせる。それはあの正八面体のイヤリングだ。

「贈り物くらい、ちゃんと包んで。もう、ホントに気が利かないんだから……」

 そう微笑むアリアから涙が一筋流れ、それを隠すようにアリアは背中を向け走り出す。追おうとするハヤトを引き留め抱き上げると、反対方向へジェッタは走り出す。ハヤトの母を呼ぶ声を抑えるように、自分の胸に強く抱え込んで。



 ※



 隙間から吹き込む爽やかな、けれど肌寒い夜風で、ルエはうっすらと目を開けた。隣に寝ている空色の彼からは、先程までの色香はなく、むしろ夢で見た幼い彼の姿が映り、ついその頬に手を伸ばしてしまう。

 少し冷たい彼の頬は、けれどルエに先刻の行為を思い出させるには十分な熱を帯びており、ルエはついそれを誤魔化すように頬をつねった。

「……ひゃんだ」

「あ、起きました?」

 彼、ハヤトはつねっている手を少し煩わしそうに掴むと、代わりにその手を自分の背に回すようにし、ルエの肩口に顔を埋めてしまう。体が触れた部分が熱を持ち始め、ルエは離れようと身をよじる。

「起こしたのはお前だろ……」

「それはそうなんですが……」

 肩口にかかる甘い吐息に、また頭がおかしくなりそうだ。只でさえ、先刻のことを思い出すだけで溶けてしまいそうなのに。

 一瞬ハヤトの力が弱まり、ルエはその隙に背を向けるように寝返りを打った。ハヤトが小さくため息をつき、そして掛け布団を力任せに剥ぎ取ってしまう。

「やっ……」

 微かに入る月光に照らされ、ルエの白い肌が露わになる。その背に残された傷痕を見て、ハヤトは申し訳なさげに目を一瞬細めるが、すぐに覆い被さるとその傷痕に舌を這わせた。

「ん……見な、いで……」

「見てはいない」

「っ、いじ、わる……!」

 抗議の声を上げるも、再び上がる熱には逆らえそうもなく。

 隙間から入ってきた蛍が、ふわりふわりと、ルエの頭に止まり。髪飾りのように光るそれは、確かにゼロの言う通り、清らかな光なのかもしれないとハヤトはふと思った。

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