在るべき者。
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物心ついた時から、詞は常に自分の周りにあった。手を伸ばせば、それらは呼応するように光を取り戻し、ある時は盾に、ある時は刃となって、いつも共に在るものとして感じていた。
ある日、それらは当たり前に在るものではないと知った。
詞は視えない者がほとんどで、そして自分のように慕われている者はさらに少数だという。母親は悲しんだ。なぜ、と問われると答えられない。
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「ルエ……!」
その光景は、ハヤトの脳裏に嫌に焼き付いた。
何も纏わず押し倒されているルエと、黒髪の白衣の男。潤んだ瞳がハヤトを捉え、その口から切なげに名前が零れていく。
ハヤトはゼロの神機を抜き、その切っ先を男、リンドーへ静かに向ける。あまり剣は得意ではない。しかしここにいない親友ならば、きっとこの剣をこうして向けただろうと確信を持って。
「リンドー殿下だとお見受けします。ご自分が何をしているか、理解されていると思いますが……」
一見すると丁寧な物腰だが、その冷たい視線は決して平和的ではない。リンドーは立ち上がり、白衣についた埃を払う仕草をしてのけ、
「わかっているだろう?依代の儀式だよ、我輩の。やり方を知らないわけじゃあないだろう?出ていくがいい」
そう言って手を振るが、リンドーはハヤトの顔を二度見し、それから面白いとばかりにニタリと笑みを深くした。
「君ぃ、アリアの子供だな?アリアの記憶から察するに……次期神官、いや神柱か……?これはいい!欲しい!貴様が欲しい!」
「なんでお前がその名を……っ」
ルエの元から1歩でハヤトの前に跳んだリンドーは、ハヤトの首に向かって回し蹴りを放つ。それを後ろに倒れる形で避け、ハヤトは下から剣を振り上げた。しかしリンドーには届かず、さらに迫る蹴りを脇腹に受け吹き飛んでいく。
「ハヤトくん!」
手から離れた剣が虚しく床に転がっていく。それをリンドーは拾い上げ、倒れたハヤトの元へ行き、その中心目掛けて剣を振り下ろした。
「やめて!」
ルエの位置からだとよく見えず、剣はハヤトを貫いたかに思えた。が、ピタリと動かなくなったリンドーに疑問を持ち、痛みが残る身体を起こし立ち上がると。
剣が触れるか触れないか、そこから剣ごとリンドーは凍りついており、瞬きひとつせず氷像のようにして立っていた。
「……っ、ハヤトくん!」
足を引きずりながらも歩み寄ると、ハヤトはひと息つき立ち上がり、ルエの体を優しく抱きしめる。その暖かさに力が抜けそうになるが、ルエは力を入れ直すようにハヤトを見上げた。
「すまない。宿で無理にでもやるべきだった」
「大丈夫です、大丈夫ですから……」
綺麗なハヤトの表情が歪む。なぜそんなに歪んでいるのかと疑問に思い、ハヤトの視線の先をなぞっていくと。
胸元につけられた紅い痕が見え、ルエは隠すように羽織を握りしめる。この様子だと胸元だけではなく、首、背中、脚、全身に似たような痕がついているに違いない。ハヤトには見られたくなかったのに。
「……本当に、すまなかった」
苦しげに呟かれた言葉に、ルエは首だけ振って否定する。ルエは固まったままのリンドーをちらりと見、それから剣に視線を落とす。
「そういえば、なぜリンドー様は凍ったんですか?」
「あぁ、これは剣に神力を入れておいたんだ。俺以外が握るとこうなるように」
もし先に、ゼロが握っていたらどうするつもりだったのだろうか。いや、この部屋に入った瞬間に込めたならその心配はないのかもしれない。
ゼロの文句を言う顔が浮かび、ルエは思わず笑みを零す。それにつられるようにハヤトも薄く笑みを浮かべ、それから真剣な眼差しでルエに向き合う。
「ルエ、ここにアリアという女がいたんだな?」
その言葉にルエは肩を震わせ、一瞬ハヤトから視線を外すと、静かにこくりと頷いた。
「……リンドー様が。いえ、アリアさんがリンドー様になって……」
「それはどういう……」
言いかけたハヤトがはっとしたようにリンドーを見、ルエを連れて距離を取る。何事かとルエもリンドーに目をやり、その有り得ない現象に目を見張る。
氷が溶け始め、リンドーの顔が半分崩れアリアの顔が出てくる。苦痛に歪むアリアと、怒りに震えるリンドーが見え、ルエは思わず小さく悲鳴を上げた。
「おの、れ……アリアぁ!まだ抵抗するかぁああ!いい加減に諦めろぉ!」
そう言ってリンドーはアリアの顔を掴む。さらに歪んでいくアリアは、しかし強い意思を持った瞳でリンドーの掴む手を睨み返す。
「貴様ぁああ!いいだろう!そこまで望むなら消してやる、消してやるからなアリアぁ!」
リンドーは拳を床に叩きつける。崩れていく足場と共に落下していき、ハヤトが底を覗こうと身を乗り出すが、闇に染まったそこは何も見えず。羽織に手を通したルエも並び覗くが、下から吹き上げる風が髪を揺らしていくだけ。
「……ルエ」
名前を呼ぶハヤトの瞳には、迷いが感じられた。だからルエは彼の頬を両手で優しく包み、いつものようにふわりと笑う。
「行きましょう?神柱も、哀しい神機も……アリアさんも、全部解放する為に」
「……あぁ」
ハヤトはゼロの剣を拾い腰に差すと、そっと周囲に目を向ける。次第に視えてきた詞の中から、薄い緑色のそれに手を延ばすように言葉を紡いでいく。
「風の詞、3の章。我が声に応え、疾風と成りて舞い上がれ」
ハヤトの足元から風が吹き出し、それは軽々と体を浮かせていく。ハヤトはルエに手を伸ばし、優しく抱き留めてやると、ゆっくりと闇の中へと降りていく。
「手を離すなよ?落ちるぞ」
「はい……!」
決意を前にしたその瞳に、ハヤトは自身の迷いを捨てるかのように首を振り、足元に広がる闇を静かに見据えた。リンドーの自分に対する神柱の言葉が、やけに頭から離れずに。
※
スピカが目を覚ますと、見慣れない天井が広がっていた。寝ていたのかと理解し、それからすぐに飛び起きると、隣に寝かされていたゼロの姿を見て驚く。その顔色は、かつての父親の姿を思い出させ、スピカを不安の渦に呑み込んでいく。
少し高い寝台から飛び降りるようにして降りると、スピカはゼロに駆け寄り、手を握って必死に身体を揺する。スピカの目線からはゼロの様子がよく見えず、不安はさらに膨らんでいくばかりだ。
「おにぃちゃん、おにぃちゃん」
何回か呼びかけたところで、その手が動いたのを見て安心したのか、スピカは揺することをやめた。
「おにぃちゃん」
「スピ、カ……?」
ゆっくり体を起こしたゼロは、不安げに見上げる瞳を安心させようと頭を撫でてやり寝台から降りる。周囲に転がる兵に少しの罪悪感を覚えつつも、仕方がないことだと言い聞かせ、スピカを抱き上げた。
「スピカ、無事だな?ここから出るぞ」
震える体を優しく抱き締め、背中を軽く叩いてやる。スピカはこくりと頷き、ゼロに縋るように手を回した。
神機も何もない自分がどこまでやれるのかはわからない。それでもスピカや、あの部屋にいた子供たちだけでもなんとかしたいと決意を新たにし、ゼロは扉に手をかけた。




