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最期の詞。

 ※



 身に纏っていたはずの服は、最早視界の隅に写る布切れへと変わってしまった。

 口応えをする度に殴られ、口内に広がる鉄の味も、次第によくわからなくなっていき、今では何も感じなくなった。

 抵抗しようとした際に右腕を折られ、それも最初は痛みで声を上げたが、煩いと殴られ声を上げなくなった。

 がむしゃらに自分を欲するリンドーに対し、最早何も感じなくなってきた頃。何も反応を示さなくなった自分を嬉しげに見下ろし、

「今からが本番だろう?もっと我輩に噛みついてみせるがいい!」

 微かに動く首でリンドーを見る。初めて見る生々しいそれに、ルエは一気に血の気が引いていき、弱々しくも首を振って拒絶の意を示す。

「や、めて……くださ、い」

「まだ言うか!そんなに殴られたいか!?」

 リンドーは嬉々としてルエの首に手を回し、ゆっくりと力を込めていく。

「ぅ……ぁ……」

「いいねぇいいねぇ!きっといいんだろうなぁ最高だよぉ!」

 苦しさで視界でぼやけ、息もままならなくなり、それでもルエは必死で言葉を、その名を形にしようと息を発しようとする。

「ぁ……ゃ……ん……」

「なんだいなんだい?聞いてあげるよ?」

「ハ、ヤ……ト……く」

「君ぃ」

 穏やかだったリンドーの顔が再び歪んでいき、首から手を離すとルエの左耳に平手打ちをする。それはルエの頭の中まで響き、視界を一瞬にして白く染めていく。

「ぁ……」

 飛ばしそうになる意識をかろうじて繋ぎ止める。ルエはリンドーを見ようとするが、視界はぼやけたままで、音も酷く聞き取り辛い。リンドーの口が何かを言っているが、それすら上手く聞き取れず。

 しかし慌てた様子のリンドーは、ルエから離れると、立ったままの兵に駆け寄っていった。それをゆっくりと目で追うと、氷漬けにされた兵の姿が見え、ルエは安堵の表情を浮かべる。

 彼が来たのだ、きっと。

 自分を後ろから優しく抱き起こす手は暖かく、しかしいつもより小さいことに疑問を持ち振り向こうとして。

「動かないで?怪我、酷いから。水の(スペル)、4の章。生命(いのち)の囁きよ、我が声に応え()を導け」

 その優しい声は彼ではなく。

「あの時、の……」

「ごめんね。今の私では、貴方を治しきることは出来ないみたい」

 彼と同じ髪色の彼女は優しくルエに笑いかけ、羽織を脱ぐとルエに被せた。

「アリアっ、どうやってっ、なんでっ」

 怒りからか上手く言葉が出ないリンドーを可笑しそうに笑い、彼女、アリアはルエを庇うように間に立つ。アリアの足元から漂う冷気は、見間違えなどではないのだろう。

「だって私、神柱(じんちゅう)だもの」

 当たり前と言わんばかりに自信に溢れ、アリアはくるくると回ってみせる。それは余裕に満ち溢れているようだが、ルエは知っていた。その笑みが少し曇っていることに。

「何が何が何が何が神柱だ!大人しく従えばいいんだ!」

 地団駄を踏むリンドーは、まるで我儘を言う子供だ。アリアはあまり興味がなさそうで、伸びをひとつし、

「私、子供の相手はあまり慣れてないの。だから、早く大人になろうね」

「この……我輩を、馬鹿にするつもりか……!」

「うん」

 そう薄い笑みを浮かべたアリアに腹を立て、リンドーは血眼になってアリアを、ルエを睨みつける。羽織を小さく握り締め、ルエはアリアに呼びかける。

「ア、アリアさん。早く逃げて下さい!」

「うん。ありがとう。でも無理なの」

 背中を向けて放たれた言葉からは、アリアの心情を読み取ることはできず。凛とした佇まいは、全てを流してしまいそうな、静かな空気を作り出している。

 それは一瞬だ。

 リンドーがアリアの首に手刀を払う。それを寸でのところで凍らせて止め、アリアはその手を掴む。掴んだ箇所から凍っていき、リンドーは舌打ちと共に氷を力づくで割ると再び距離を取った。

「アリア!わかる、わかるぞ!貴様、我輩の力を抑えつけてるな!それでは満足に術も使えまい!」

「……」

 肯定も否定もしないが、ルエにはそれが肯定だとわかった。彼と同じ術を紡いでも同じ効果はでず、そして先程からアリアの顔色が悪くなってきている。

「アリアさん、私に構わず早く……!」

 それまで黙っていたアリアが苦笑し、そして両手を前に広げる。

「昔、同じことを誰かに言ったんだけどね。私、自分より弱い人に守ってもらうつもりなんてないの。せめて私より強くなってから言おうね」

 広げた両手から青い光が溢れていく。

 それは瞬く間に手から零れ足元に広がっていき、床を埋め尽くしていく。光はまるでシャボン玉のようで、その虹色に光る玉をルエはぼんやりと見つめる。

「なんだこれは……。離れない!?」

 リンドーの足に、重りのようにそれらはまとわりついていく。す、と目を細めたアリアの口から、(うた)のような言葉が紡がれていく。

「水の(スペル)(しゅう)の章。月下へ渡る永久(とこしえ)の、在りし有りして氷面鏡(ひもかがみ)。冷たき息吹は誰が為。咲きし銀花は我が為。果てへと続き、風花と舞え」

 アリアを中心に氷の粒が舞い始め、それらは時が止まったかのように、その動きをぴたりと止める。誰しもがその幻想的な光景に目を奪われ、そしてそれらは無数の刃へと形を変えていく。動くのさえ忘れるほど美しいそれらは、リンドーに狙いを定め。

「う、おおおお!」

 全身で浴びるようにしてそれらを受け止めたリンドーは、刃が貫いた部分から凍り始め、そして全身がその形のままで動きを止めた。全てが凍るとヒビがあっという間に入り、リンドーは粉々に砕け散っていく。

 唖然とするルエを振り返ったアリアは「ね?」と笑みを見せる。頷くのも忘れ、ルエはただ羽織の端を強く握るだけだ。

「じゃあ、ちゃんとそれ、着ようか。傷痕、残っちゃうかもね」

 そう言って優しく手を伸ばすアリアの背後に。

 黒い瞳の入った氷塊が見え。

「アリアさん!」

「え?」

 その氷塊はアリアの胸を貫いた。

「アリアさん!アリアさん!」

 倒れたアリアの胸からドス黒い血が流れていく。その血はアリアを呑み込むように包み込んでいき、やがてその顔はアリアではなく、リンドーのものへと変化していく。

「ぁ……ぁ……」

 身体も変化していき、やがてそれは完全にリンドーへと姿を変えると、座り込み震えたままのルエに笑いかけた。

「やぁ、驚いたかな?これで邪魔者はいなくなったね」

「あああああ……!アリアさんっ!」

 アリアの名前を呼び続けるルエに苛立ち、リンドーは再びルエの頬を殴りつけ、頭上からその小さな体を冷たく見下ろす。そこには、アリアの面影は見られない。

 ルエは殴られた頬を押さえ、涙を溜めながらもリンドーを負けじと睨み返す。その瞳に憎悪が滲むのを見、リンドーは湧き上がる興奮を覚えた。

「その目だその目!さぁ早く続きをやろう!」

 リンドーはルエを組み敷こうとルエの腕を押さえつける。

「いやあ!はなして!」

 声が枯れるほどにリンドーに言葉を浴びせた時。

 勢いよく出入口の扉が開き。

「ハヤ、ト、くん……」

 静かな怒りを湛えた彼が、立っていた。

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