奏でる詞と、闇夜の光。
「で、少し見えづらいくらいなのか?本当に?」
疑いの眼差しを向けるゼロと、心配そうに眉を寄せているルエ。ハヤトは再度頷くと、遅れを取り戻そうと1歩進み、派手に足を滑らせ尻餅をついてしまう。
ド派手に飛ぶ水しぶきが2人を濡らし、ルエは思わず笑みを零した。
「ハヤトくん、私隣歩きます。そうすれば、少しはカバーできますよね?」
「いや俺は」
「大人しく歩かれとけよ。神術は使えそーなんだよな?」
悔しげに顔を歪めるも、実際見えづらく、足元もよく見えないのは確かである。距離感も掴みづらいことこの上ない。
「術なら問題ない。その……すまない」
左側に立つルエから視線を背ける。足手まといになりたくはないと思っていたのに、まさか自分がそうなってしまうとは。恥ずかしさやら情けなさやら、色々混ざり合って、ルエの顔をまともに見ることができず。
「ハヤトくん」
優しく呼ぶ声は、とても甘く耳に響いた。
「謝るんじゃなくて、こういう時はありがとうって言えばいいんですよ?だって、私がそうしたいって決めたんですから」
ルエに視線を戻すと、少しぼやける先にふわりと笑う姿が見えた。それは包み込むような、いつもの暖かさをまとっており、
「……ありがとう」
と、はにかみつつも言葉が自然と出た。ルエはこくりと頷くと、ゼロに少し先を歩いてもらい、ゆっくりと川を渡りだした。
再び崖を登っていき、上へ着く頃には日は沈んでいた。遠くに見える明かりは、恐らく目的の領地だろうか。
「さて、お2人さん。どーする?」
振り返るゼロは余裕そうで、その言葉は2人というより、主にハヤトに向けられているものだとわかる。ルエはちらりとハヤトに視線をやった。
あまり顔色がよくない。倒れたから、というよりも、それは彼の神力が原因だということは、あまり勘が鋭くないルエにもわかっている。
「大丈夫だ、行こう」
「……」
不安な表情を浮かべるルエが、ゼロに判断を委ねているのが伺える。ゼロとて早く向かいたいところではあるが、なにぶん神力についてはさっぱりな為、本当に大丈夫なのかもわからない。
「本当に行けるんだよな?倒れるのはなしだぜ?」
「わかっている。無理だと感じたら伝える」
「……じゃ、行くかー」
努めて明るく振る舞い、ゼロは2人に背を向ける。最悪、自分が2人を守ればいい。それが出来るはずだと、ゼロは自分の右手を見つめ、小さく握り締めた。
半分ほど歩いた頃か、何かがついてくる気配に気づきゼロは立ち止まった。それはハヤトも同じで、そっとルエを自分の前に立たせ、殿に自分がなるようにする。
「なんだと思う?」
「野犬か、熊か……。人ではないが、微かに神力を感じる」
「いやーなあれだな」
言葉とは逆に、楽しげな表情でゼロは剣を抜く。それを構えるかと思いきや、そのまま右に薙ぎ払った。鈍い悲鳴と、何かが切れるような音、地面に落ちる嫌な響きが広がっていく。
「火の詞、2の章。我が声に応え、爆炎と成せ」
ハヤトが詞を紡ぎ両手を広げる。すると、周囲を取り囲んでいた何かが爆発したような音と共に、その何かが燃えて明るく照らしていく。次第に見えてきた何かを見て、ルエが小さく息を呑む。
「神機、だよな、これ……」
「あぁ。その辺りの野犬を元にした、な」
真っ黒い毛並みのそれは、一見すると犬だが、白目を剝いており、舌は異常なほど口から伸びている。尻尾は二股になっており、それぞれに意識があるのか、気持ち悪く小刻みに動いている。
「そんな……酷い……」
燃え盛る火を見つめ、ルエが祈るように手を組もうとして。
「ルーちゃん、安心しないほうがいい。まだいる」
今度こそ剣を構え、周囲に気を張り巡らす。暗闇に浮かぶ目と、獣の嫌な臭いが鼻につき、あまりいいものではないと舌打ちをする。
明るくなったとはいえ、いつまでも燃えているわけではない。数もどれほどいるかもわからない。体力は続くだろうかと不安になり、ハヤトに視線をやる。
「ゼロ、向かってくる奴だけ切り捨てろ」
「んあ?え、あぁ、わかった」
何を考えているかわからないが、何かしら策があって指示を出したに違いないと信じ、ゼロは2人を後ろ手に庇いつつ剣を握り締めた。
暗闇から飛び出した野犬を下から切り上げる。飛び散る血がかかるのに顔をしかめつつも、ゼロはさらに向かってくる野犬を串刺しにする。剣を振って野犬を地面に落とすと、服についた血に「うへー」と舌を出した。
さらにルエに飛びかかろうとした野犬の首を切り落とし、そのままハヤトの近くにいた野犬に向かって詞を紡ぐ。
「吼えろ、業炎。怒りを我が手に!」
赤く染まった刀身から炎が上がる。それを薙ぎ払い、野犬が灰になっていくのを見、ゼロはふうと息を吐く。まだいる。いや、違う、これは。
「時計……?」
そう、切り捨てた野犬をよく見ると、小さな時計が浮かんでは野犬の身体を戻している。それは、ゼロやルエがハヤトに使ったあれとよく似ているものだが、よく見ると、その時計は古びており、巻き戻る時間も短くなっている。
「ハヤト、これじゃキリがねー!」
あの時計がそもそもどういう理屈なのかわからないが、野犬を切り続ければ時計が壊れるのか、それすらも見当がつかない。弱音と共にゼロがハヤトを振り返る。
「ハヤト……?」
彼の足元から風が舞い出している。
それはルドベキアの屋敷で見た光景と重なっていた。
ゼロはルエの手を掴みなるべくハヤトから離し、それでも離れすぎないようにして剣を振るい続ける。
「風の詞、3の章。重奏、火の詞、3の章、複合。疾風と成すは業火の鉄槌。舞い散る韋駄天、飛翔する不死鳥、灰に還りし木枯らし。我が声に応え、舞い散らん」
足元から竜巻のように発生した風と、それに巻きつくように火が現れ、それは鳥の形へと姿を変える。鳥が息を吸い、炎を吐き出し辺りを火の海へと変貌させた。
炎に焼かれる野犬は、消えることのない炎の中でもがき続ける。時計が現れ形を戻していくが、また焼かれては灰になり、また戻るを繰り返す。それを続けた後、現れた時計にぴしりとヒビが入り、それは粉々に砕けていった。同時に野犬は戻らなくなり、黒い塊となって地面に転がった。
「重奏って、また無茶すんなぁ」
剣を振って血を飛ばしたゼロが苦笑いをしつつ、腰に剣を戻す。獣臭いのはこの際我慢だ。
「無茶、だったんですか?」
ルエの頭に手を置き、ゼロは「いや」と頭を振った。
「違う元素を組み合わせる時、詞を2つ視るから疲れるんだよ、確か」
特に水以外を使ったのだから、それは顕著なはずだ。実際、ハヤトは頭を押さえ深く息をついている。左目で視えているのかはわからないが、様子を見るに不自然はなさそうだ。
「行けそうなら行こうぜー。オレ、流石にこれで野宿は無理」
乾きつつある服と、ウィッグにまでついた血に嫌な顔をしたゼロが歩き出す。心配げにルエはハヤトを見上げる。
「大丈夫だ、行こう」
「はい……」
ルエは気づけなかった。
左目が、さらに暗く染まっていることに。




