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僕を忘れた君へと紡ぐ。東編  作者: とかげになりたい僕
儚き楽園から死園へ。
30/51

哀しみの思いと、今と。

 ※



 荷馬車の隅に丸くなるように乗っていた3人は、急停止したそれに異変を感じ、お互いの顔を見合わせた。異変を確かめようとゼロが顔を出すも、特に何もないようで、眉を下げ首を横に振った。

「出て確認してみますか?」

「そう、だな……。ゼ」

「はいはい、わかってますよ!」

 半ばヤケクソ気味に返事をし、ゼロは慎重に外へと出る。こういう役回りは大抵自分だ。だからといって、ルエにやらせるわけにはいかず、ハヤトはあまり打ち合いが得意なほうではなく。何かあっても対応出来るのは自分なわけだが。

「王子使い荒すぎだろ……」

 小声で文句を言うも、もちろん誰にも届いてはいない。いや、聞かれてもそれはそれで、ゼロにとって都合はよくない。

 御者(ぎょしゃ)に様子を聞こうと、荷馬車をぐるりと回り込む。困り顔で顎に手をやっていた御者は、ゼロに気づくと「あぁ、すまないねぇ」と話を切り出してきた。

「昨日までは大丈夫だったんだけどねぇ」

 御者が示す先には、切り立った崖。はるか下には川が流れているのが見える。こちら側と対岸にある壊された橋を見るに、どうやら誰かが悪戯をしたようだ。

「おっさん、あっちには行けないのか?」

「回り道があるにはあるが……、ここからだと、一旦南下して違う領地に入ってからになるなぁ。あとは、あれだな」

 指差す先を辿ると、確かに崖に沿って降りる道が続いている。しかしそれは1人がやっと通れる程で、しかも所々崩れている箇所がある。足を踏み外せば下に真っ逆さまなことは、いくらゼロでもわかるほどだ。

「南下すると、結構かかる?」

「そりゃそうさね。急ぐならあれを降りていきな?金は返すからさぁ」

「ちょっと待って」

 再び後ろに回り、今聞いたことを2人に説明する。ハヤトは渋ったが、それでも早く着くならということで3人は崖を降りる道を選んだ。

 対岸に渡る為の道のりを御者から聞き、出発するという荷馬車を見送り、3人は改めて崖下を覗き込む。川はあまり深くないらしく、下まで着いたら川を渡って反対に向かい、また同じような道を登ればいいとのことだが。

「ほんとにこれ、南下するより早いのかな……」

「頑張りましょう?私が1番足引っ張りそうですが……」

 見ていても仕方がないと、先頭をやはりゼロに任せ、次いでルエ、ハヤトの順に降りることにし、3人は不安定な道を進み始めた。




 半分まで降りた頃か。

 意外なほどに、ルエはゼロの通った足場を器用に渡り、このまま行けば日が沈み始める前には対岸に行けそうな早さだ。しかし問題はハヤトのほうで、足を踏み外すのも、次で2桁を超えそうな勢いである。

「ハヤトー。お前、ルーちゃんより運動音痴だなー……」

 余裕の表情どころか、最早呆れを通り越し、欠伸をするゼロが振り返る。ゼロの少し後ろで、ルエが心配そうにハヤトに視線をやる。よくこの狭い道で振り向けるもんだと感心しつつ、ハヤトもなるべく急いで降りていく。

 このままでは自分のせいで日が落ちてしまう、しかもこの狭い道で、だ。それは避けたいと思うが、焦れば焦るほど、上手く足が進んではくれない。

 さらに言えば目眩が酷い。気を抜けばすぐにでも意識を飛ばしそうだ。もちろんそれは、崖下コースへの片道切符になってしまう。

「ハヤトくん……!?」

 ルエの焦る声が聞こえた次の瞬間。ぐらりと傾いた視線の先、必死で手を延ばすルエがおぼろげに揺れた。



 ※



「ハヤト、まだ読めないのか」

 机の横に立ち、自分の持つ本に目を落としつつそう言うのは、若かりし頃の父親ジェッタだ。期待外れだと言わんばかりについたため息は、まだ幼いハヤトの心を嫌というほど締めつけた。

 第一に、中央(セントラル)で字を学び始めてまだ1週間やそこらだ。普通なら6、7歳で学ぶことを自分は3歳で覚えさせられている。しかも強制的に。

「……とうさん、あの、あの」

「父さんと呼ぶなと何度言えばわかる?」

 鋭く冷たい瞳は、母親と過ごした生活の中では向けられたことのないものだった。

「ごめんなさい……」

「謝罪の言葉は簡単だな。言えば終わると思っていないか」

 本を持つ手が震え、涙が零れそうになるのを堪えつつ、ハヤトは力無く首を横に振る。ここに来て気づいたことがある。ジェッタは、口先だけの言葉には意味を持たず、行動を示してこそ意味があると考えている。

 ハヤトに出来るのは、毎日言われた通りの日課をこなし、昨日の自分よりも成長した姿を示す以外なかった。

「明日までに読んで、内容をまとめておけ」

「でも、まだはんぶんもあって……」

「それくらい出来ないのか?全く、母親は何を教えていたんだ」

 ハヤトの瞳から、堪えていた涙が溢れていく。自分のことをなんと言われても構わないが、大好きな母親を悪く言われるのは我慢ならなかった。

 持っていた本をジェッタに投げつけ、無我夢中で泣きながらジェッタに掴みかかる。もちろん、子供の力でジェッタがどうにかなるはずもなく、簡単に床に抑え込まれてしまった。

「はなせ、はなせぇえ!かあさん、わああん!おまえなんか、しらないやつだ!わああ!」

 両手足をばたつかせてみるものの、頭上からはジェッタのため息が漏れるだけだ。視界は涙でよく見えないが、ジェッタの苦い表情は、後にも先にも、この時だけだった覚えがある。



 ※



 額の冷たい感触が、ハヤトに覚醒を促した。瞼を持ち上げ、はっきりしてきた視界に映ったのは、自分の額にハンカチを置くルエだ。

「ル、エ……?」

「よかった、気がついたんですね」

 ふわりと笑うルエに支えてもらい身体を起こすと、服の上に、水分をたっぷり含んだハンカチがべたりと落ちてきた。どうやら絞っていないらしい。それを絞って礼と共にルエに返す。

「急に驚いたんですよ?私がハヤトくんの手を掴んで、私をゼロが掴んでくれて。あ、ゼロがハヤトくんを背負って降りてくれたんです」

「まぁ、そうだろうな……」

 むしろルエに背負われるよりマシだ。ルエに背負われたら、それこそ精神的に立ち直れない。

 どうやらここは谷底に見えた川らしく、対岸には上に登る細い道が続いている。その中腹あたりに、茶髪が揺れているのが見え、ゼロは先を見てくれているのだとわかった。

 それにしても、とハヤトは違和感を覚える。左目がいつまで経ってもぼんやりしている。靄がかかったような視界は、擦ってみても変わらず。

 そんなハヤトに気づき、ルエが顔を覗き込むようにしてかがみ、

「ハヤトくん……?その目……」

「目?」

 よろよろと川の近くまで歩き、恐る恐る自分の姿を確認する。

 右目の空色に対し、左目が闇のように暗いダークブルーに染まっている。怪我とは明らかに別のそれは、自分の神力に異変があるからだと推測した。

「おーい、ハヤト起きたかー!」

 濡れるのも構わず川を渡ってきたゼロも、ハヤトの瞳に気づくと、ただ黙って顔をしかめた。

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