冷たい雫と、名残り雨。
ぽつん。
目の前を足早に通り過ぎる人の波は、ルエの目的の人を探すには多すぎた。それでも見慣れた空色を探そうとふらふら歩き出し、時に人とぶつかっては煙たそうに睨まれ、次第に心細くなってきた頃。
それは茶髪の中にあって、とても目立つ色をしていた。見失わないように慌てて追いかけ、声が埋もれてしまわないように、なるべく大きな声で彼の名前を呼ぶ。
「ハヤトくん!」
声に合わせて振り返ったのは、彼と同じ髪、同じ瞳の色をした、女性だった。
「ぁ……」
間違えたと気付き、ルエは恥ずかしさで赤くなる。俯き小さく「ごめんなさい」と呟くと、彼女は優しく笑い、ルエの頬を優しく撫でた。
「気にしないで?私、お友達にでも似てた?」
薄く笑うその表情は、彼が照れた時に見せるそれと同じもので。ルエは首を横に振り、
「はぐれてしまって……。私が遅いから……」
「ねぇ、このお茶屋さん、入りましょう」
「え?」
話が上手く繋がらないが、彼女はそう言うと、ルエの手を優しく引いて店の軒先の椅子に座る。同じようにして座ると、彼女は店員に何か注文を済ませ、ぼうっと空を見上げた。
「あ、あの……」
「雨が降るの。濡れたくないでしょう?」
その青い瞳は、全てを見透かしていそうで、ルエは逃げるようにして足元に視線をやる。店員が持ってきた団子を彼女は2人の間に置く。
「どうぞ?」
勧められるまま団子を口にし、そしてルエは顔を輝かせる。
「これ、美味しいです!」
ルエを眺めていた女性はくすりと笑い、
「よかった。私も食べたことなかったから」
その笑顔に悪意はないようで、女性もまた団子を口にすると「美味しい」と顔を綻ばせた。お茶を口に運ぶ頃、ぽつりぽつりと地面に染みができ、それは瞬く間に滝のように空から落ちてきた。
「本当に雨が……」
「ね?」
そこで改めてルエは彼女をよく見る。
東でよく見る、着物に身を包んだ彼女は、肩より少し長めの髪を風に揺らしている。耳につけた水色の正八面体のイヤリングが、なぜかとても印象に残った。見つめていることに気づいたのか、可笑しそうに笑い、彼女はルエに問いかける。
「お友達、ハヤトって言うの?聞かせてくれる?私に似ているお友達の話、聞きたいな」
悲しげな、それでいて愛しいようなその表情は、ハヤトが南を思い出す時のそれにとてもよく似ていた。
「ハヤトくん、は……」
ルエはハヤトを思い出そうとするが、彼の好きなもの、嫌いなもの、なぜ騎士になろうとしたのか。どんな子供だったのか、よく知らないことに気づく。
「……わからない、です」
「難しいのね」
人通りがほとんど無くなった道を、勢いよく馬車が駆けていく。跳ねた水がかかりそうになるが、それは不思議と2人を避けて地面に落ちていく。
「同じ、なのかわからなくて……。ハヤトくんは、私が決めたなら進めばいいって言ってくれました。でも私は、それが私と同じ気持ちで言ったのかわからなくて」
握り締めた手が震える。彼にそれを聞くのは、今の自分には怖くて聞けなかった。だからといって、こんな初対面の彼女に言うべきことではないと、ルエは謝ろうと顔を上げ。
「おんなじ、じゃないかなぁ?」
彼女は柔らかい笑みをルエに向ける。
「おんなじよ、きっと。お友達も、おんなじことに不安を持ってるの。だから、貴方が迷って不安になることはないわ」
その青い瞳は、不安や恐れを流すように、ただただ静かにルエを見つめている。雨の落ちる音だけが静かに響き、どれくらいか経った頃。ふと立ち上がり、店員に支払いを済ませた彼女が、雨の中に出ていこうとする。
「待ってください、まだ雨が……」
「ありがとう。でも私、好かれてるから」
何に、とは聞かずとも、それはすぐにわかった。雨の中でも、彼女は濡れることなく歩いているのだから。しかしそれは、雨に好かれているというよりも。
ルエの目には、雨が彼女を避けているかのように見えた。
軒先にて雨宿りをしていた2人は、目の前を走り抜ける馬車の水しぶきに顔をしかめた。後ろの扉に張ってある閉店の紙は、今にも剥がれそうにぱたぱたと風になびいている。
「ハヤト、いつになったら上がるんだよ」
「あと10分もすれば上がる」
人気の無くなった通りは、まるで世界に誰もいなくなったような錯覚をしてしまいそうなほど、しんと静まり返っている。あんなに煩かった呼子の声すら、今では聞こえてきやしない。
あと10分とハヤトは言うが、未だに勢いは収まるどころを知らず、本当に止むのかと不安にも駆られる。灰色の重い雲は、風で流れることもなく2人の上にかかったままだ。
「こんにちは」
それは鈴の鳴るような、透き通った声だった。2人の後ろから聞こえたそれは、しかしすぐにおかしいと気づく。
誰もいないことは、軒先に入る際に確認済みだ。この人通りが少ない中、他に雨宿りに来た人間もいない。ならば後ろに立つのは誰だというのか。振り向こうにも、背中に押し当てられた冷たい感触がそれを許しそうにない。
「……何が目的だ」
絞り出すようにして声を出す。後ろの人物はくすりと笑い、
「雨が綺麗だから」
意図の読めないそれは、ともすれば聞き逃してしまいそうな小さな呟きで、思わずハヤトは振り返りそうになってしまう。
「駄目」
「……っ」
押し当てられた何かが、背中に微かな痛みを走らせる。
「私に気づいたら、私はここで皆を還さないといけなくなるから。駄目、なの」
周囲に人がいたならば、この後ろに立つ人物の姿が、ハヤトと似ていることに気づいただろう。そしてその人物が、泣きそうな表情をしていたことも。
「ここから右に行くとね、美味しいお茶屋さんがあるのよ?私にはもうわからないけれど、美味しいって言ってたからきっと美味しいの。迎えに行ってあげて?」
「それは……」
背中の感触が無くなり振り向くと、そこには誰もおらず、閉店の張り紙が虚しくなびくだけ。先程の感触はまだ残っているのに、なぜかそれは、雨のように流れていってしまった。
「あ。雨、上がった」
ぽかんと空を見上げるゼロと、同じく呆気に取られたハヤトは、しばらく身動きが取れず。駆けてきた馬車は、容赦なく水しぶきを2人に浴びせた。




