憂いの芳香、猛る咆哮。
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中央、ウィンチェスター家、執務室。
積み上げられた書類と、先程受け取ったばかりの報告書の山。まだまだ終わりそうにないその山にため息をつき、ジェッタは伸びをしようと椅子から立ち上がる。窓を開けようとし、ふと何かに気づいたように扉に視線を向ける。
「……レイナ」
低く名前を呼ぶと、悪戯な笑みを浮かべたレイナが扉を開けた。遠慮なく入り扉を閉めると、ジェッタにぶら下がるような形で抱きつき、触れるだけの口づけを贈る。
「お久しぶり、ジェッタ様!元気にしてた?」
「報告書だけ先に送るとは……。ショウとケルンに会っていたのか?」
「あとハーくんにも会ってきたよ?」
レイナを軽く持ち上げ地面に降ろしてやると、ジェッタは心底嫌な表情をレイナに向ける。それを気にも止めず笑い流すと、レイナは懐からあの小瓶を取り出した。
「ジェッタ様のことだから目星はついてると思うんだけど……。まぁ、それとは別件なのよ」
ジェッタの眉が動く。レイナの別件は、大抵嫌な予感しかしない。
「最近、東で幽霊が出るって噂があってね?死んだ人が動き回ってるんだって。その中に……いるらしいのよ、貴方の」
「馬鹿を言うな」
握り締めた拳が震えているのを見て、レイナは少し泣きたい気持ちにもなる。未だジェッタの中を占めているのは、水に愛された彼女なのだから。
それでも気丈に振る舞うのは、最初に交わしたゲームの延長線だからか。そろそろ、それも限界なのだけれど。
「……バカでもなんでもいいわ。でも本当なの。もし彼女がいるのなら……ハーくんは……」
「そもそも、南から持ってきたというのか?いくら南が無干渉を貫くにしてもいい加減に」
そこまで言い、ジェッタは一旦落ち着こうと椅子に座る。肘をつくと項垂れ、少しの沈黙の後。
「報告助かった。今は東に入れないのだったか?」
「そう。ルエちゃんが呑まれかけたみたいで、今は厳重警備ってとこ。出られもしないし、入れもしないわ」
「そうか……」
またいくつかの書類とペンを手にすると、ジェッタは再び目を通す作業に戻る。しかし先程よりも幾分か遅くなったそれは、気になって仕方がないのだろうと。
やはり悲しい気持ちは抑えられないと、レイナは無言で窓を開けた。
※
東、ルドベキアの屋敷にて。
気づけばゼロも寝落ちしていたようで、スノウが呼びに来た声で叩き起こされた。
「主、呼んでる。起きないのはとても失礼」
微かに怒りが感じられる声と、冷たい視線に慌ててルエを起こす。どうやらハヤトは既に起きていたようで、部屋の中を見回してもどこにもいない。
それならば起こしてくれてもよかったのではと思う。後でまたハヤトにどやそう、内心そう決め、ゼロは眠気眼のルエを引っ張り、昨日の部屋へと急いだ。
「あ」
向かう途中の中庭にて、ハヤトの姿を見ることができた。彼は集中しているのか、ゼロたちに背を向けたままで振り向こうとはしない。
疑問に思うルエが声をかけようと手を伸ばし、しかしそれをゼロに掴まれ制止される。静かにとでも言うように口に人差し指を当て、それからゼロはハヤトを示す。疑問に感じつつも、示された通りにハヤトに視線をやり。
突如、ハヤトの足元から炎が立ち昇る。熱風で服が揺れるが、不思議なことにハヤト自身に変化は見られない。しかし、よく見ると額からうっすらと汗が一筋流れているのを見て、やはり熱いのだとルエは不安になる。
「ハヤトくん……」
「やっぱ火は難しいのかねー」
「難しい?」
頭の後ろで手を組みながらゼロが欠伸をする。
「1の章?だっけ。あれくらいなら、あんまそうでもないらしいんだけど。なんだっけな、反発する元素の詞が視えない?視えづらい?って聞いたことがあるような」
正直、ゼロ自身が何も視えていないので、その感覚はさっぱりわからないが。なんでも、宙に浮くように詞があり、それに神力を混ぜ詞として紡ぐと教えてもらった覚えがある。まぁ、わからないのだが。
恐らく、ハヤトは火の神力を操る鍛練でもしているのだろう。無理に行使しようとすれば身を焼くというのに、だ。全く朝から真面目な奴だと、ゼロは感心すると同時に呆れもする。
「大丈夫なんでしょうか……」
「んー」
暴発することはないだろうが、下手するとハヤトが丸焦げになりはするだろう。さすがにそれは避けたいと、念のために腰に差す剣に手を伸ばす。辺りに少し焦げた匂いが漂い、流石に止めるかと剣を抜きかけ。
「ほぅ。俺様の呼び出しを無視して、こんなところで何をしているんだ、阿呆」
少し離れた場所で、柱に背を預け腕組みをしたルドベキアがゼロににやりと笑う。明らかに馬鹿にしている笑みに、ゼロが頬を引きつらせつつも笑い返す。
「いい加減に阿呆をやめろよおっさん」
しかしルドベキアは気に留めることなく、視界にハヤトを入れると「ほぅ……」と顎に手をやり感心したように目を細める。
「なかなかやるな、大したものだ。普通ならば炭焼きになっていても可笑しくない」
「だ、大丈夫なんですか?」
「案ずるな罪人。最悪、そこのスノウが止める」
ルエはちらりとスノウを見るが、その表情は少しも変わっておらず、むしろ逆に興味がなさそうにも見える。それが不安を煽って仕方がない。ルドベキアは柱から背を離すと、ルエたちの前にいるスノウに顎でハヤトを示す。
「まぁ、そろそろ話もしたい。スノウ」
「はい」
返事をし、スノウは手すりを乗り越えると、ひらりと蝶が舞うようにハヤトの元へ走り寄る。その動きは無駄がなく、見る者を釘付けにするようで。
そうしてハヤトの背後まで寄ると、飛び上がり回し蹴りを放った。炎に当たるかと思われた瞬間、その足に当たる間もなく炎は消え、無防備なその身体に蹴りがめり込む。
「容赦ねーなー」
乾いた笑いを浮かべるゼロとは正反対に、ルエは真っ青になり、手すりを乗り越えようと身を乗り出す。それを片手で止めつつ、ゼロは吹っ飛んだ親友の姿を確認する。流石にこれくらいで意識を飛ばしはしないだろうが、一応心配は心配である。
案の定、やはりというのか。彼はとっさに身体と足の間に水を発生させたのか、どちらかといえば無傷なほうで地面に座り込んでいた。もちろん、心底嫌な表情を崩さずに。




