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07.俺、暴かれる

「……これはマズい」


 厨房の隅に広げた寝袋からのそのそと起き上がり、俺は呟いた。

 昨晩、仕込んでおいたスープの状態を確かめ、後は主食となる小麦粉を練って叩いて伸ばして練る。できるだけ無心を心がけないと、本当にどうにかなってしまいそうだ。


「あのマルチアのお下がりって時点で、気付くべきだったんだよな。これは問題だ。大問題だ」


 ビタン、ビタンと調理台に生地を叩きつけながら、できるだけ平静を保とうと試みる。


「……何がだ」

「何がってそりゃ、うぉぅ!」


 囁くような小さな声に応えかけ、俺は驚いて飛び退いた。いつの間にか俺の背後に小さな人影が立っていたのだ。


「えっと、確か……ミモ、さん?」


 俺の問いかけに、その人影はこっくりと頷いた。分厚い眼鏡と自分の視界を遮るほどに伸びた前髪のせいで、その感情が窺い知れない。


「もしかして、今日の食事当番だったり?」


 再びこっくりと頷くミモさん。それならば、と俺は成形した生地をオーブンで焼いてもらえるように指示を出す。

 頷いてくれたミモさんにホッとしつつ、俺は手元の作業に戻ろうとした。


「それで、何がマズいのだろうか?」


 ぞわり、と今までに感じたことのない感覚に、全身鳥肌が立った。ずっとか細い声しか聞いたことのなかったミモさんが普通の声量で話した。それだけなのに。


「マズいと思う理由を聞かせてもらえるな?」


 気付けば、俺の口は勝手に動きだし、起床時の状況とそこに至る経緯をペラペラと語っていた。


――――簡単に表現してしまえば、男の事情、というやつだ。ツンツンしてはいたが、マルチアはまぁ見事な体型の持ち主の異性であって、そんな彼女が愛用していたという寝袋には、何やら甘いような匂いが染みついていたわけで。そんな女の人の香りの残る寝袋で一晩を過ごした俺の、朝の生理現象というか、その、股間のモノがちょっと元気で……あぁぁぁぁ、なんでこんなことをほぼ初対面の人に話すんだ俺は!


「……悪かったな。都合の悪そうな顔をしていたので、無理に聞いた」

「イエ、ワスレテモラエレバ、ソレデ、モウ……」


 どうしよう、お婿にいけない、とばかりに俺は両手で火照った顔を覆う。でも、こんな魔族だらけの場所に来た時点で、どうせお婿に行けないだろうと思い直したら、余計に悲しくなってしまった。


「と、とりあえず、作業に戻ろう」

「あぁ」


 再び蚊の鳴くような声量に戻ったミモさんと一緒に朝食の準備を黙々と進める。

 と、そこで思い出した。そういえば食料調達とか酵母とかについて、ミモさんに聞けってアウグスト殿下に言われてたっけ。

 デザートにと柑橘類をくし切りにしながら、その話をミモさんにすると、口を開き掛け、なぜだかじっとこちらを見つめられた。


「えっと、俺が把握したらマズいことだったり?」

「……待て」


 待てって何を、と思う間もなく、ミモさんの肩に床から何かが飛び上がって来た。ピンクの手足をした丸々としたネズミ、と認識した瞬間、反射的に後ろの調理台から麺棒をひっつかんだ。


『おいおいおい! まさか俺っちを攻撃しようってんじゃぁねぇだろうな』

「しゃべった!」


 害獣・害虫の類が厨房にいることによる忌避感よりも、そちらの驚きの方が勝り、俺の手が止まる。あやうくミモさんの肩に麺棒を振り下ろすところだった。


『俺っちの(あるじ)は事情があって、あんまり声が出せねぇんだ。すぐに声に魔力が乗って相手を支配しちまうからな。そこで俺っちの出番ってわけだ』


 ミモさんの肩でえっへんと胸を張るネズミは、妙に人間くさい。


『それで、酵母と食材の注文についてだったな?』


 ミモさんの肩に乗るネズミが教えてくれたところによると、酵母は氷室ではなく、厨房の棚に保管してあったが、長いこと放置されてダメになっていたので、廃棄したとのことだ。氷室には保管温度の関係で入れられないらしく、発注するしかないとのこと。

 食材の注文については、ミモさんが管理しているそうな。これまでは研究員が作りやすい、または、保存のきく食材を中心に発注していたが、俺がここに来たので、注文内容も変えるらしい。


『ただ、外部とてめぇと接触させるわけにはいかねぇからな。食材が配達されるときは、研究室に引っ込んどいてくれよ』

「でも、注文した食材がちゃんと届いてるかどうかの確認は」

『悪いがな。人間なんぞをここに迎え入れることに前例もなけりゃ、人間を虫けら同然に扱う輩も多いんでな』

「……虫けらかよ」


 そりゃ、俺なんかでご機嫌を取れるなら、ほいほい差し出すわな。それだけの力の差があるってことか。


『そもそもお前を内密に引き入れているからな。バレるのはまずいんだよ』

「了解したよ」


 要は研究員以外に俺という人間がいることが知られると、速攻で命の危険があるかもしれないってことらしい。それならおとなしく従うことに意義はない。俺だって命は惜しいからな。


「あーっ! 主席ってば、こんなとこにいたんだー」


 厨房から頭を覗かせたのは、シンシアだ。扉にかかった指の先は、今日は紅白ストライプに塗り分けられている。


「ミケの実験計画のハンコ欲しいんだけどー?」

『とりあえず見せてみろよ』


 無駄に偉そうなネズミ氏の言葉に、シンシアはツインテールを揺らしながらミモさんに書類を渡す。あれ、もしかして、最初にネズミ氏を連れて来なかったのって、厨房だから遠慮してくれていたのかな。だとしたら、ミモさんって、すごい気遣いの人じゃないか。

 ……って、あれ? 今、シンシアはミモさんを何て呼んでた?


『却下だな。前にも言った通り、被験体の安全確保が甘い』

「って言ったってー、魔力もわかんないんじゃしょうがないじゃーん」


 被験体って、俺のことだよな。安全確保は是非ともお願いしたいところなんだが……。

 おや、ミモさんがこちらを振り向いて、何やら考え込んでいる。


『魔力を感じない? 誰か通魔試験はしたのか?』

「えー? うーんと、誰もしてないかも?」


 俺もそんな謎な試験はしていないと思うので、とりあえずコクコクと頷いてみせる。


『ミケーレ、お前っちは今朝の測定は終わってるか?』

「え? あぁ、朝食の準備が終わったらと思ってたんだが」

『ちょっと、ツラ貸せ』


 ミモさんに手首を掴まれ、引っ張られるように到着した研究室は、まだ半分も仕事を始めていない。室内には8割方いるけれど、寝ぼけ眼だったり、まだ寝袋の中だったりしている。


『おーい、エンツォ。こいつの測定』

「ミモさん!? あ、はい、すぐに」


 やっぱり、俺の聞き間違いじゃなかったんだなぁ。エンツォもまるで上司に仕事を振られたかのような答え方だし。シンシアが「主席」って呼んでたってことは、この研究所の中では偉い方の人なんだろう。子供かと思うぐらいの体格なのに。やっぱり魔族ってよく分からないな。


「……また妙に増えたな。一晩過ぎても増えるときと増えないときの差はなんなんだ」


 エンツォの呟きに、なんだか申し訳ないと思っていたら、両手をミモさんに掴まれた。


『これからお前っちの身体に魔力を通す。違和感があったらすぐ教えろよ?』

「あ、あぁ」


 さっき言っていた通魔試験というのは、文字通り、身体に魔力を通すことらしい。戸惑う俺にエンツォが教えてくれた。本当に配慮の出来る人だよ、エンツォは。


「……?」


 俺の目の前で、ミモさんが首を傾げた。俺と向かい合って両手を繋いでいるから、顔が見えなくても困惑していることは伝わってくる。


『おぅ、何も感じねぇのか?』

「あぁ、悪いがさっぱりだ」


 ミモさんが苛立たしげに舌打ちをして、なんだか俺の手を握る力が強くなった。え、何これ。俺が悪いの?


『あー、ダメだこりゃ。さっぱりだ。エンツォ。もう一度計測』

「はい」


 気がつけば、研究員たちが周囲に集まってきていた。ミモさん自身が何かをしていたからなのか、それとも進展があると期待してなのか、どちらなのかは分からない。

 俺はエンツォさんに促され、測定器の水晶に触れる。すると、集まった研究員たちがどよめいた。なんだろう、この既視感。初日にも似たような状況になった気が。


「主席、これは……」

『予想通りだな。主の流した魔力がほぼほぼ持っていかれた』


 なんか魔力量が半端ないことになっているらしい。それなのに無属性のままなんだとか。そして口々に研究員たちが話している内容を拾い聞きしてみると、ミモさんの魔力の属性がどこにいったのかも不明で問題らしい。

 魔力を水みたいなものと考えれば、右から左に水を通そうとしたら、左から出てこなくてその分が俺の中に溜まっているところまではまだ良い。問題は、色のついていたその水が無色透明になっているということだ。色はどこに行った?


「もしかしたら、吸湿機みたいなもんなのかもねー」


 呟いたのはシンシアだ。ミモさんに顎で促されて、頭の中で立てたらしい仮説を口にする。


「昨日の昼から夕方にかけて、魔力が増えてたじゃん? 昼過ぎにさー、ジジとモイがちょー険悪になってバチバチいってるところに、ミケってば平然な顔して掃き掃除しながら突っ込んでったじゃん?」


 シンシアの言葉に、「あ、あれ怖かったな」「いつ爆発するかと思ったわ」などと同意の声が飛ぶ。っていうか、ちょっと口論になってただけじゃん。確かにジジさんは怖かったけど。

 ちなみに、俺が掃除をしてたのは手持ち無沙汰だったことと、研究室の色んなところにある埃が気になったからだ。


「魔力反発の一つや二つ覚悟してたんだけどー、結局無事だったしー? 今考えてみれば、あれってミケが二人の周囲の魔力を吸い取ってたからじゃん?」


 え、何ソレ。あのとき魔力なんて出てたの?

 困ったように首をめぐらせると、エンツォが小さな声で説明してくれた。

 ジジさんと口論してたモイって人は、魔力の属性が火と氷でまったく逆なんだそうだ。感情の高ぶりによって制御が緩むと、自然に魔力が放出され、空気中で反発し合って、魔力濃度によっては大爆発を引き起こすんだとか。何ソレ怖い。


 俺がエンツォから属性について教わっている間も、研究員の間でああでもない、こうでもないと議論が進んでいく。

 最終的には、殿下の有り余る魔力をちょっくら俺に注いでもらおうというある意味怖い結論になっていた。何が怖いって、マルチアの突き刺さるような視線だよ。きっと「また殿下のお手を煩わせて!」とか思っているんだろうな。

 殿下は今日は午後に来る予定だそうで、俺はひとまず身体の中に溜まった魔力をギリギリまで魔晶石にさせられた。その大半は、供給元であるミモさんに渡るらしい。無属性の魔晶石を取り込むことで、回復に充てるんだとか。



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