06.俺、寝床をゲットする
「アンタに餌付けされる研究員ばかりだなんて思わないでよね!」
朝食の準備中にやってきた美女に、突然、指を突きつけられながら宣言された。
正直なところ、痛いところを突かれたなぁ、というのが本音だ。こうやって炊事掃除を受け持つことで、実験動物以外の利用価値を見せれば命の保証がされやすいんじゃないかと思っていたのは確かだ。というか、今までそのことを誰も指摘してこなかったので、もはや俺の価値は実験動物で固定されたまま不動の状態なのかと心配していたぐらいだ。でも、俺にこうして敵意を露わにしている人がいるということは、逆に俺の脱・実験動物の計画は間違っていなかったということでもある。良かった良かった。
そんなことを、ナッツバターを作るためにナッツをひたすらゴリゴリ擂りながら考えた俺は、うんうん、と頷いて作業に没頭することにした。
「ちょ、ちょっとなんとか言ったらどうなの?」
「別に指摘してくれた通りだから、反論も何もないんだが」
人数が多いだけに細かくするナッツの量もなかなかのものだ。オーツ麦をミルクで煮たポリッジに添えるだけなので、一人あたりは少なめで構わないかもしれないが、欲しい量っていうのは個人差があるからなぁ。
「あぁ、リンゴの酸味もあった方がいいよな。生で食べるにはちょっと鮮度がアレだったし、一緒に煮るか」
「ちょっと無視しないでよ!」
さっきまで厨房の入り口にいた美女は、いつの間にか俺の間近まで来て声を張り上げた。
仕方なく改めて美女を見る。頭のてっぺんに慎ましやかな大きさながらネジのように螺旋状になっている凶悪な角を持っていた。頭突きされたら俺は死ぬ。俺を睨む瞳は黒に近いぐらいに濃い青色だった。なお、白衣を羽織っていても分かるほどボンキュッボンの素晴らしい身体をお持ちだが、完全に敵意を向けられているので、俺としてはささやかな観賞用にするしかない。
「えーと、どちら様?」
「話すのは初めてね。研究員のマルチアよ。今日の食事当番でもあるわ」
「なるほど。それじゃ、リンゴの皮を剥いて摺り下ろしてくれるかな、とりあえず3つ。で、1つは皮がついたままでいいから薄くスライスしてもらえるかな」
「分かったわ。……って違うわよ!」
「え、食事当番なんだよな?」
「それはそうだけど。問題はそこじゃなくて……」
「餌付け云々については作業しながらでもいいだろ? 朝食も早い人は早いから、とっとと作っちゃおう」
「え? えぇ……」
どんだけ怖い人だろうかと思っていたら、意外と素直な人で、俺はほっと胸をなで下ろした。
「なんでアタシがリンゴの皮むきなんて……」
「難しいなら、俺の代わりにナッツを混ぜ続けてくれてもいいよ。オイルをゆっくり足しながら柔らかさを――――」
「皮むきくらいできるわよ!」
横目で確認すると、ちゃんと常識的な薄さで皮を剥いてくれていたので、俺は安心してナッツバター作りに集中する。
「だいたい、どうして誰も何も言わないのよ……。たとえ殿下のためだからって、やっていいことと悪いことがあるわよね……」
ぶつぶつと文句を呟くが、しっかり手が動いているので、俺は擂ってもらったリンゴを鍋に投入してオーツ麦とミルクと一緒に煮る。いい感じにドロっとしてきた。シナモンも振っておこう。
「ねぇ、本当にそれ美味しいの?」
「好き嫌いはあるかもしれないが、普通に美味しいぞ? まぁ見た目は微妙に思えるかもしれないけどな」
蜂蜜で味を調えると、俺は器にポリッジを盛り、スライスしたリンゴとナッツバターを添えてマルチアに差し出す。
「何?」
「何って、味見するか?」
味見って量じゃない、とかぶつぶつ言いながら器を受け取ったマルチアは、匙ですくって一口食べると、その濃紺の瞳を瞬かせた。そのまま二度、三度と口に匙を動かす。
「どうだろう?」
「……! ま、まぁ、悪くないんじゃないの?」
悪くないとか言ったその口で、もぐもぐし続けているので問題ない出来だというのは重々理解できた。味覚に大きな違いがあったらどうしようかと思ったが、魔族も人間も美味しいと感じる尺度はあまり違わないらしい。……というか、今まで聞いた食事当番の作った数々の料理(?)の話を総合すれば、俺程度でも美味しいと思ってくれるレベルだろう。だって、じゃがいもを茹でただけ(+お好みで塩どうぞ)を料理と言っていいのか悩むし。
「それじゃ、俺は魔力測定に行ってくるな。食べ終わった皿は洗っておいてくれ」
「え、うん、……え?」
なんだか困惑した様子だったが、「うん」という了承は含まれていたから問題ないだろう。あのまま厨房に残っていたら絶対になにがしかのイチャモンをつけられそうだったから、俺はさっさと逃げた。
――――まぁ、逃げた先でジジさんの「どうしてこうなるんだっ!?」ていう罵倒が待っていたんだけど。
§ § §
「それにしても、ジャガイモ多いよなぁ……」
使い勝手が良いのか、はたまた保存が利くからなのかは知らないが、やたらとジャガイモが目につく。もしかしたら安価なのか?
人参とジャガイモを蒸しながら、トマトを湯むきする。そういえば氷室の食材が増えていたのはなんだったんだと思いつつ、肉は何を使おうかと考える。
「ちょ、ちょっと、もう作り始めてるわけ!?」
厨房の入り口に姿を見せたのは、マルチアだ。実験の最中に何かあったらしく、その青銀の髪先が焦げていた。
「厨房の掃除が丁度一段落したから作り始めようと思って……。マルチアは研究もあるんだろうし、別に最初から手伝わなくても大丈夫だぞ?」
「アタシが食事当番なんだから、作るのが当たり前じゃない! むしろ手伝いはアンタの方でしょ!」
「いや、なんか、俺がこの先ずっと料理担当になりそうなんだ。ここの設備とか決まり事に慣れるまでは食事当番の人と一緒に作業するが、そこから先は俺一人の予定らしい」
「予定って、誰がそんなの決めたのよ。アタシは聞いてないわよ!」
「殿下にそう言われたんだが」
「……」
すごいな、殿下。研究員とそれほど密にコミュニケーションとってる雰囲気じゃないのに、マルチアが黙った。
「そうだ、マルチア。ミートミンサーがあるって聞いたんだが、どこにあるか分かるか?」
「……ここよ」
昨日教えてもらった空気清浄魔道具がおいてある棚から、マルチアがハンドルのついた機械を取り出す。うーむ、一度分解洗浄しないと怖いな。
「俺がこれ洗ってる間に、氷室から肉を取ってきてもらえるか?」
「……分かったわ」
なんかすっかり元気をなくしてしまったマルチアが、とぼとぼと氷室の方へ歩いていく。殿下の名前、恐るべし。だが、しょげているマルチアを見ていると、なんだか悪いことした気分になるな。
ミンサーを分解してみると、予想に反してきれいなものだった。よく考えれば、あの研究員たちがミンサーを作るとは思えない。まだ料理番を雇っていた頃に使われていたんだろうな。だから綺麗なまましまわれてたんだろう。
戻ってきたマルチアから肉を受け取ると、そのままミンサーのハンドル係に指名する。最初こそ簡単な作業過ぎると文句を言っていたが、もりもり挽肉が出てくるのが楽しかったらしく、俺が切って渡すぶつ切りをニコニコと挽いていた。
それから挽肉と湯むきしたトマトを使ったソースの作り方を簡単にレクチャーすると、マルチアはそういう作業を待っていたとばかりに目を輝かせた。朝も手際は悪くなかったし、きっと簡単な料理ならできるんだろう。
俺はと言えば、ベーコンとキャベツ、オニオンを使ったスープを作りつつ、蒸し上がったジャガイモを潰して小麦粉と卵でまとめる。スープの方は塩味をベースにガーリックスライスと鷹の爪少量でアクセントを加えただけのシンプルなものだ。
「それ、何?」
トマトソースが一段落したマルチアが、まとめられたジャガイモ生地を指差す。
「半分渡すから、細長く伸ばしてくれるか?」
「分かったわ」
細長く伸ばした生地を、今度は輪切りにする。それをフォークの背を使って平たくして見せた。
「これを茹でて、作ってもらったトマトソースに絡めるんだ」
「ジャガイモよね?」
「ジャガイモは嫌いか?」
「別に。ただ、みんな茹でて終わらせるから」
「あぁ、聞いたよ。なかなか手抜きだよな」
あはは、と笑うと、笑い事じゃない、と怒られた。どうやらマルチアにとって、不味い食事は大問題だったらしい。
「……アンタ」
「ん?」
「いつまで殿下に迷惑かけるつもりよ」
「迷惑?」
何のことだろう。思い当たるふしはない。俺が魔力を感知できないせいで研究が進まないという話ぐらいか。
「アンタが殿下の仮眠室を占領しているせいで、殿下がこっちで寝られないじゃない!」
「あー」
そっちか、という言葉はかろうじて飲み込んだ。
「やっぱり、問題だよな、それ」
「当たり前でしょ! あそこは殿下がゆっくり休める数少ない場所なのよ! それを毎晩入り浸るなんてっ!」
「待て。なんか誤解を生みそうな言葉を使わないでくれ」
まるで俺が好んであそこで寝てるみたいじゃないか。そりゃまぁ、確かに寝心地はいいけど。小市民な俺にとっては恐縮しまくりで、起きてすぐ汚してないか確認しちゃうんだぞ。
「あー、でもなぁ。だからといって殿下と一緒に寝るわけにもいかないだろうし」
「論外よ! 料理だけでなく夜伽までする気なの!?」
「それはない!」
とんでもない単語が出てきたのですぐさま否定する。同じ男性相手にそんなことできるもんか。
「だったら別の場所で寝なさいよ!」
ダンッ!とフォークが強く叩きつけられ、生地がペタンコに……どころではなく、フォークが曲がった。
「いや、俺もできればそうしたいんだが、着の身着のままでここに連れて来られて、手持ちの金もないから毛布一枚調達できない状況だし」
「……アンタの事情は分かる。だからといって殿下に迷惑かけてるのは許せないのよ」
分かった。分かったからその曲がったフォークを置いてくれないかな。なんか殺意とか芽生えたらそれでザクッと一突きされそうで恐ろしい。
「あー、だから俺も、研究員のみんなみたく寝袋とかあれば、厨房の隅っことかでごろ寝したいっての」
「はァ!? 寝袋の方が殿下の仮眠室より快適だっていうの!?」
もーやだ。マルチアめんどいな。どう答えれば正解だったんだよ。
「……待ちなさい。アンタ今、寝袋とかあればって言ったわよね?」
「あ? あぁ」
「お下がりで良ければあるわ。それで今日から寝なさい」
「え?」
お下がり? 今、マルチアはお下がりって言ったか?
「な、何よ」
俺の真っ直ぐな視線に気付いたのか、マルチアが少し怯んだ様子を見せた。
「マルチア……、お前、いいやつだったんだな」
「お、おだてたって何も出ないんだから! というか、これは仕方なくよ! 殿下のために仕方なくお下がりをあげるんだからね!」
「あぁ、ありがとう。正直なところ、俺も殿下の仮眠室を使わせてもらってるのは正直なところ気が引けてたし、本当に助かった」
目を見てお礼を言って、しっかりと頭を下げる。すると、頭の上から「殿下のためだからよ!」とツンツンした声が落ちてきた。
うん、やっぱりいいやつだ。
§ § §
「そうか、それは寂しくなるな」
「寂しい……って、むしろ殿下は寝床を取り戻せて安心するんじゃないですか?」
書類作業にやってきた殿下に、とりあえず寝床を確保したことを伝えたところ、惜しむような台詞を吐かれた。何故だ。
「なに、オレがここで仕事に励んでいる間、仮眠室から誰かの寝息が聞こえるのが新鮮だったのだが」
「いやホント勘弁してください。というか、俺、変な寝言を口にしたりとかイビキかいたりとかしてませんでしたよね?」
「……さて、どうだろう」
「すっぱり否定して欲しかったんですけど」
俺が恨めしそうに呟くのを、アウグスト殿下はくすくすと笑いながら眺めていた。いいんだ。どうせ殿下に勝てないし。
「厨房の方は慣れたのか?」
「そうですね。便利な魔道具があるので、随分と楽ができるなぁ、と。……そういえば、氷室の食材ってどうなってるんですか?」
「温度や湿度管理だけでなく、時間経過による劣化を防ぐ術式もあったはずだが」
「時間経過!? なんかすごいですね。想像以上に……って、違う。食材の補充ですよ。今日、見慣れない肉があったので気になって」
そうなのだ。昨日まではなかった肉がころんと置いてあったので、使ってもいいか迷ったのだ。
「定期的に注文したものが納品される手筈になっていたと思うが。ただ、注文書はどうなっていたかな。変更を加えなければ前回と変わらぬものを持ってくることになっていたと思うぞ。――――そうだな、ミモに確認すると良い」
「ミモ……」
どの研究員だろうか。少なくとも、今まで食事当番に当たった人でないことだけは確かだ。
「あぁ、そうそう。言い忘れておった。なかなかの美味であったぞ」
「ありがとうございます。……と言っても、話に聞くこれまでの料理と比べられても複雑なんですけど」
「まぁ、そう斜めに考えるな。純粋に美味であった。ただ、パンを作るのが苦手なのかは気になるが」
殿下の言うことも最もだ。麺類が多かったもんな。
「パンは美味しいパンが焼ける自信がないというか、パンをふっくらさせるのに必要な――酵母って言ってたかな、それが氷室に見当たらなかったんで、避けてるんですよ」
「それもミモに確認すると良い。食材については、あれが詳しいゆえな」
「はぁ……」
とりあえず、明日のミッションはそのミモさんを探すことだな、と思いながら、俺は殿下の前から辞去した。
殿下は権力争いだか跡継ぎ争いで、毒物混入の心配なく食事できるのはここぐらいだとマルチアが言っていたし、それなら俺はできるだけ美味しい料理を食べて欲しいからな。