18.俺、とうとう吐く
「お前が無属性の魔晶石の生成者だということは分かっている」
「……」
俺は無言を貫く。
「どうだ? 第一研究所に勤め先を変える気はないか? 第二などとは段違いの好待遇を用意しているぞ?」
「……」
俺は無言で首を横に振る。
別に黙秘を貫くつもりはない。口を開けば絶対に笑ってしまう自信があるから、開けないだけだ。
だって、どう考えても無理だろ。目の前にいるのは第一研究所の偉そうな魔族……ではなく、カエルだ。丸々と太ったコミカルなカエル。あぁ、だから、髭を摘まんで撫でるんじゃない、余計に笑えるだろうが!
「ほう? 下っ端ながらに忠誠心でもあるというのか? どうせアウグスト殿下はもうすぐいなくなるというのに」
「!?」
俺は耳を疑った。
(アウグスト殿下が、もうすぐいなくなる?)
心臓の辺りがぎゅっと冷え込む。そのくせバクバクと激しい動悸に気が狂いそうだ。せめて深呼吸ができれば落ち着くんだろうけど、今はそれも難しい。
「顔色が変わったな。……そうだ、お前はアウグスト殿下が助けに来るとでも思っているのかもしれんが、残念ながら殿下はそれどころではないからな。お前ごときにかかずらっている余裕などない」
そういえば、第一王子の対抗馬に勝手に持ち上げられてるみたいなことを言っていたな。つまり、対抗勢力に何かを仕掛けられたってことだ。
「ふんっ、まぁよいわ。ここで待っていれば、すぐに情勢も変わるだろう。そうなれば、第二研究所そのものも解体される。戻る場所がなくなれば、お前とて第一研究所で雇ってくださいと頭を下げることになるだろうな」
そうすれば無属性の魔晶石も、そこの精霊もうまく使ってやるわ、と高笑いしたカエルは部屋を出て行った。
カエルの足音が遠ざかっていったのを確認し、俺は息を吐く。
「きつい……」
『大丈夫ですの?』
笑うのを堪えるのがこんなにつらいものだとは思わなかった。危ない。髭を撫でながら腹を揺らす姿に、思わず吹き出しかけた。恐るべしカエル。
「……って、そうじゃない! アン、俺のこの縄をほどけるか?」
『解けませんが、外すことはできますの』
「じゃぁ、頼む!」
アンは影を通じて縄を移動させ、俺はようやく解放される。
「同じようにエンとスイを籠の外に出せるか?」
『できますの!』
どうやら二人を入れている籠は、あくまで二人の属性を封じているだけのようで、アンの闇の属性の前では無力だったようだ。囚われていた二人を、影を通じて助け出すと、二人は半泣きで俺に飛びついてきた。
『ママ!』
『母上!』
両頬にむぎゅっとしがみつく二人を宥めながら、俺はアンに移動を頼む。もちろん、第二研究所へ、だ。
「あ、その前に、……アン、闇属性の持ち主について教えてくれるか?」
『それは、――――ですの』
アンの口にした名前に目眩がした。だが、だからといってどうしようもない。その研究員がそうなのは間違いないんだから。
「……分かった。とにかく移動しよう。第二研究所の所長室へ」
『はいですの!』
第一研究所と第二研究所はそこそこ距離があったのか、8回の移動を経て、ようやくたどり着いた。もちろん、到着した俺はグロッキーだ。目眩と吐き気と悪寒とその他諸々で立っていられないぐらいには。
「ミケーレ!」
到着するなり俺の名前を呼ぶ声に、背筋からぞわぞわとしたものが這い上がる。移動による吐き気でいっぱいいっぱいなのに、そんな感覚まで加わったら……
「うぷっ」
俺は這うようにクズ籠に手を伸ばし、それを遠慮なく抱え込んだ。口から滝のように逆流するのは、半分以上消化された昼食のなれの果て。それを二度、三度と繰り返し、ようやく落ち着いたところで、水の入ったコップを差し出されていることに気がついた。
『おぅ、大丈夫か?』
「あ、あぁ、大丈夫になってきた」
口の中をすすぎ、心配そうに覗き込むネズミ氏……ではなく、コップを渡してくれたミモさんに礼を告げる。
『体調が悪いとこでナンなんだが、てめぇの力が必要だ。ついでにどこに行ってたのかも説明しろ』
「あぁ、そうだ。急いで伝えなきゃと……アン?」
『私のせいですの! 未熟な私が何度も移動を繰り返さなければいけないせいですの!』
俺の服の裾にしがみついたアンが、涙声で叫んだ。
「いや、アンのせいじゃないって。むしろアンがいたから戻って来れたんだから」
『私が至らないせいですわーっ!』
『そんなこと言ったら、エンも役立たずなの!』
『僕もです。母上にご迷惑をおかけして……』
俺は必死に三人を宥める。どうしよう。三人同時に落ち込まれることなんてなかったから、どうしたらいいか分からない。
三人を両腕でまとめて抱きしめ、おたおたしている俺を、ミモさんがひょいっと持ち上げた。いや、抱え上げた? いや、待て。どうして子供並みの体格のミモさんが俺を軽々と姫抱っこしてるんだ……!?
「悪いがこちらも急を要する」
ミモさんの声に、再び鳥肌が立つ。ミモさんがネズミ氏に代弁する手間すら惜しむということは、それだけ緊急なんだと俺はようやく気がついた。
(そうだ。殿下がいなくなるとか言ってたじゃないか、あのカエル!)
第一研究所のカエルのことを話さないと、と思った俺だが、ミモさんによって寝台に転がされ、「ぶぎゅ」と変な声が出た。
「いったい、何を――」
「殿下に抱きつけ」
「はいっ」
ミモさんの命令を頭が理解するより早く、身体が動く。寝台の先客――殿下の身体に密着し、そこでようやく気がついた。
「ひどい……」
全身、火傷のように爛れている殿下に、俺は言葉を失った。もしかして、これって殿下の魔力が強い副作用のやつなんじゃないか? 前に見せてもらったのは腕にちょっぴり広がる火傷っぽい痕だったけど、あれを放置するとここまでになる、とか? いやいや、まさか。
「高濃度の魔力回復薬を飲まされた」
「は!?」
俺は殿下に抱きつきながら、慌てて首をひねらせて発言者――ミモさんを見た。ただでさえ多過ぎる魔力を持て余していた殿下に、そんなものを飲ませたらどうなるかなんて……知っている人は分かるだろう。身体の内に留めておけない魔力は殿下を蝕む害になる。火属性の強い殿下だから、火傷のような形で。
『うっかりしていたんだぜ。まさか、ここでそんなものを仕込むヤツがいるとは。いや、厨房がミケっちに委ねられたと思って油断したって言った方が早ぇな』
「俺が、いない間に……?」
『いつからいなくなってたか知らねぇが、おそらくそうなんだろうぜ』
俺はごくりと唾を飲んだ。
油断していたのが悪い。そう。俺が油断していたんだ。厨房の周辺なら安全だと思っていたせいだ。
「ミモさん。とりあえず、聞いてくれるか。うまくまとめて話せないかもしれないけど、このアンのことも」
俺は先日、闇の精霊であるアンが生まれたこと、昼過ぎに勝手口を出た所で拉致されたこと、拉致された先でカエルに脅され、殿下についても危害を加えるようなことを匂わされたことを話した。
『聞きたくねぇけどよ、ミケっちが闇の精霊のことを誰にも話さなかった理由は何だ?』
「研究員の中に、裏切り者がいたら嫌だなぁ、って思って」
『そう考えたのはなんでだ?』
嫌だな。話したくないな。
でも、話さないわけにはいかないんだろう。事実、ミモさんはじっと俺を見つめている。睨むでもなく訝しむでもなく、その心中は俺には慮れない。
できるだけ淡々と、俺は次に生じる精霊についての賭けから、闇の属性持ちが研究員にいない、もしくは、隠していると予測を立てたことを話す。そして、アンから聞いた闇属性でできることが、あまりにスパイや暗部向きだったことから、そうではないか、とだけ考えていたことを。
「ただ、どうしても踏み切れなくて、アンに直接、闇属性の持ち主について尋ねてみたのは、ついさっきのことなんだ」
アンのせいではないのに、気落ちしたようすを見せるので、俺はアンの頭を撫でる。
「殿下に危害が及ぶ前に、ちゃんと確かめるべきだった。これは俺のミスだ」
「いい。気持ちは、分からないでもない」
ミモさんの声に、俺の全身に鳥肌が立つ。いつもはこうならないようネズミ氏に代弁させるのに、わざわざ直接口にしたことが、ミモさんの紛れもない本心である証拠のような気がして、俺はなんともいたたまれない気分になった。
『で、それでミケっちがここに到着するなりゲロ吐いたのはなんでだ? 変な薬でも飲まされたのか?』
「あー、それは……」
アンのせいじゃない、と宥めてから、俺は影を通じた移動方法に酔ったことを説明する。
『とんだ軟弱者だな』
もしかしたらアンがこれ以上気に病むことのないようにとの配慮なのかもしれないが、それにしても、もっと言いようがあるんじゃないか、ネズミ氏。
「それで、その闇属性の持ち主は……」
「あぁ、第一研究所に俺を連れて行ったのは……」
俺の挙げた名前に、滅多に表情を変えないミモさんが、何とも苦い表情を浮かべた。
§ § §
「仕方ない、もう少し泳がせていても良かったが、動くとするか。今回のことで兄上殿もご立腹のようだ」
「そうなさった方がよろしいかと」
「アレの身柄は?」
「既に確保済みです」
俺の頭の上で、なんだか真剣な話がされている。会話をしているのは、無事に回復したアウグスト殿下と、第二研究所の主席研究員でもあるミモさんだ。
ただし、寝台に腰掛けたアウグスト殿下は、まるで人形のように俺を膝の上に乗せて抱きしめている。そこが問題だ。大問題だろう。
なお、余剰魔力を俺が吸い取ったことで意識を取り戻した殿下は、常備薬――火傷薬を肌に塗りたくっていた。薬なのに魔力が籠もっているというその薬の効果はてきめんで、あれだけ酷かった火傷痕が、今ではうっすらとした痕が残るだけになっている。魔族の薬って凄すぎる、と唖然としていたら、魔族の間でも、すごく希少で高価なものなんだとか。ただ、無属性の魔晶石があればかなり楽に作れるとは言っていたけど。
「あのー……、俺、厨房に行っても?」
「そうだな。アレの確保が終わっているならば……いや、お前、身体に変調はないか?」
「いえ、特には。強いて挙げるなら、エンが――」
俺の視線の先にいるエンをちらりと見て、殿下は「あれはいい」とさらりと無視した。いや、無視できる状況か?
「随分と俺の魔力を吸い取った筈だが、本当に何もないんだな?」
「? はい、いつも通りですけど」
俺の答えに、何故か殿下がため息をついた。ついでにミモさんも呆れた様子で俺を見ている。別にいつも通りで変わらないと思うんだけどなぁ。
『気にしたところで仕方がないぜ。ミケっちはこういうもんだって割り切らねぇとな』
「そうだな。だが、魔力量だけは計測しておくがよい。今後の解析の足しになるやもしれん」
「はぁ……」
そんなに言うほど殿下の魔力を吸い取ったのかな。いや、エンを見れば予想はつくけれど。
俺の中で濾された火属性を吸収したエンは、劇的なパワーアップを遂げていた。率直に言うなら、手のひらサイズだったその身体が、両手で抱えるほどのサイズになっている。丸っこい体型は変わっていないので、かわいらしいことはかわいらしいが、その体格差に、スイとアンは複雑そうな表情を浮かべている。
とりあえず、許可は貰えたようなので、俺は所長室を出て、まず研究室に向かう。それぞれが勝手に研究を続けている、いつも通りの風景なんだが、つい、その人影を探してしまった。確保した、と言っていたから、いないと分かっているはずなのに、俺はまだどこかで信じたくないと思っていた。
「エンツォ、ミモさんから魔力量を測定しておくように言われたんだが、ちょっと頼んでもいいかな」
「あぁ、別に構わない」
俺一人では計測ができないので、一番頼みやすいエンツォに声を掛ける。いつも通りに測定器を引っ張り出し、俺は測定器の水晶に触れる。
「はぁ!?」
エンツォが測定結果に目を丸くした。そういえば殿下も心配していたっけ。そんなにたくさん吸い取ったのかな。
「ミケーレの身体はどうなってるんだ?」
「どうなってるって、普通だけど……」
少なくとも普通の人間のはずだ、と思いながら、俺も測定結果を確認する。
「おぉ、随分とぶっちぎってる。改めて殿下ってすごいんだな」
初めて5桁の数値を見た。余剰魔力だけで5桁とか、本当に殿下の魔力量は半端ない。
「いや、1桁でも5桁でも変わらず平然としてるミケーレも、すごいというか、おかしいからな?」
「ひどいな」
俺の測定結果をこっそり盗み見していた他の研究員の中からは、「やっぱり次は火の精霊に違いない」なんて声を挙げている人もいる。変に驚かれないようにとエンを含む三人を先に厨房に向かわせておいて良かった。……って、賭けの結果出てるじゃん。ただ、それを喋っていいのかどうかは、一応ミモさんと殿下に確認してからにしよう。
俺はエンツォに礼を言うと、厨房に向かう。残念なことに、夕食まで時間はあまりない。色々ぶっこんで煮込んだ麺類で何とか凌ごう。
俺はエン・スイ・アンに手伝ってもらいながら、夕食の支度に集中した。他の余計なことを考えない時間が過ごせるのは、少しだけ、助かった。