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01.俺、進呈される

※さらりと男色表現あり。苦手な方は目を滑らせてください。

ガチャ、ガチャガチャ


 俺が足や腕を揺さぶる度に、重い鉄の擦れ合う音が響く。


(やばい。これやばい! なんとかして逃げないと!)


 焦る俺を嘲笑うかのように、両手両足を戒める鎖は無機質な音を立てるだけだった。

 俺が着ているお仕着せが鎖の黒ずんだ汚れでいくつもの筋を作っているが、そんなこと気にしていられない。いや、少なくとも今朝までの俺だったら、ささいな汚れだけで顔を青くしていただろう。何しろ、このお仕着せは一着しか支給されていないのだから。だが、今は違う。少しでもこの鎖を緩めることはできないかと、必死になって身体を動かすだけだ。

 左足に付けられた足枷は、無骨な鎖の先に杭で地面に縫い止めてある。後ろ手にいましめる手枷は、俺が尻に敷いている石を積んだだけの椅子に鎖を絡めるように一巻きしてある。本当に念の入ったことで。


 なんでここまでして、俺をここに繋ぎ止めようとしているのか。

 俺は決して罪人ではない。

 俺は決して腕が立つわけでもない。


(なんで、こうなった――――)


 この場でもがく俺は、自分がどうしてここに居るのか、まるで現実味のない展開を信じることもできず、ひたすらに手足を動かすことしかできなかった。


(早く。早く逃げないと。あいつらの言う『迎え』が来る前に)


 陽は傾き、夕闇の気配がひたひたと恐怖となって襲い掛かる。鬱蒼うっそうと茂る森の中、かつては武を競う場だったとされる石舞台の上で、ガチャガチャうるさい音を立てる鎖に、きょろきょろとせわしなく視線をあちこちに配る。

 俺が心配しているのは獣なんかじゃない。もっと、もっと恐ろしいものだった。


 薄暗い森の中、自分を見つめる人影があることに俺は気付いていない。臙脂色えんじいろの外套を羽織り、フードを目深に被った人影は、どこか弾むような足取りで石舞台の上に足を乗せる。

 そこで俺もようやく気が付いた。


「お、おい! そこの……人? 悪いんだが、助けてもらえないか?」

「かまわんぞ。何を手伝えばよい?」


 助かった、と俺は胸を撫で下ろした。ここの近辺の住民か知らないが、こんな場所を人が通りがかるなんて幸運にも程がある。


「そこらへんに転がっている石で、この鎖を歪ませられないか? 杭から三番目の輪なんて、緩んでて狙い目だと思うんだが」

「鎖をどうにかすれば良いのだな?」


 こんな場所に、こんな状況で括りつけられている俺に不審の目を向けることなく、フードを被った――声から察するに男性は、スタスタと近寄って来る。妙に外套の仕立てが良いのが気になったが、俺にとっては天からの助けだ。とにかくこの場から逃げるのが第一、と違和感に蓋をした。

 俺の傍らまで近寄って来た男は、石舞台に深々と突き刺さった杭を無造作に踏みつけた。

 それを声もなく見つめていた俺の喉から、ひっ、と小さい悲鳴にもならない吐息が洩れる。

 いや、考えても見て欲しい。それこそ小さな虫を潰す程度の勢いで踏みつけた足の下では、とんでもない荷重がかかったのか、金属製の杭が大きくひしゃげて杭の用を為さなくなっていたんだ。これに恐怖を感じない人間がいるだろうか。いや、いないだろ。

 せっかく自由になったというのに、俺の足は逃げることも忘れてぶるぶると小刻みに震えていた。


「腕にも鎖か。全く、妙な念の入れようだ」


 俺の背中に回った男は、無造作に鎖を掴んだ。大して力を入れたようにも見えないのに、まるで紙屑のように鎖が歪んであっさり引きちぎられる。

 再び俺の正面に戻って来た男を、俺は呆然と見上げるしかなかった。


 どうして気付かなかったのか。

 外套から覗く腕は、肌は、決して「肌色」をしていなかったことに。

 夕闇のせいだけじゃない。俺の恐怖が都合の悪い事実に目隠ししていたのだ。


 涼しげな風が吹き、気付かぬうちに汗の玉を浮き上がらせていた俺の肌が熱を奪われて冷える。それと同時に、目深に被っていた男のフードが風に煽られてぱさり、と肩に落ちた。

 男の頭には、見間違えることのないほど立派な捩じれた双角が備わっていた――――



§  §  §



 俺は主が下女に手をつけて生まれた不義の子だ。邸の主に無理やり手籠めにされた俺の母は、俺を産んですぐ亡くなったと聞いている。外聞を気にしてか外に放り出されることはなかった俺だが、その代わりに都合の良い労働力に仕立て上げられた。育てた恩を傘に、雀の涙ほどの薄給でこきつかわれる毎日を送っていた。

 ただでさえ運の悪い生い立ちの俺だったが、その日は輪をかけて運が悪かった。

 変な夢を見たのか、飛び起きた拍子にギシギシと音の鳴る粗末な寝台から転げ落ちてしまい、したたかに腰を打っただけでなく、左手小指の爪を割るというコンボに朝からへこんだ。

 洗濯をしていた下女と廊下でぶつかり、転んだ拍子に相手の抱えていた洗濯物の、よりによって奥様の下着に爪をひっかけてしまい、繊細なレースの糸をほつれさせてしまうという失態を犯し、延々とねちねち説教をされた。そもそも本当に俺のせいでレースがほつれたのかも分からないというのに、だ。

 罰としてただっぴろい庭園で雑草を抜くことを命じられ、せっせと励んでいたら旦那様の猟犬に吠えられて尻もちをついてズボンが汚れてしまったし、床を磨いていたら奥様付きのメイドが桶につまずいてひっくり返してくれやがった。しかも、人が通る場所に桶を置くなという説教までセットだ。どう掃除しろと言うんだ。

 昼過ぎ、くうくうと鳴る腹を抱えていた俺に声を掛けてきたのは、この邸の坊ちゃんだった。昼飯抜きで坊ちゃんの部屋の掃除をしろと。この時点で嫌な予感しかしない。

 坊ちゃんはいわゆる男色に興味を持ってしまった残念な跡取りで、男娼を買いに行く金がないときは手近なところで済ませようと考えるような下衆だった。不穏な気配を察知するたびに何とか逃げて来たが、今日は逃げる口実も思いつかない。

 午前中、体調が優れないと言っていたので油断していた。どうやら仮病の類だったらしい。

 坊ちゃんの悪趣味を止められる奥様は茶会に出席、そして旦那様は商談で不在。坊ちゃん自身も学友のところに出かける用事があると聞いていたが、体調不良を理由に部屋で寝ていた……はずだった。


(まぁ、この様子じゃ、本当に用事があったのかどうかも疑わしいがな)


 俺はとうとう諦めるときなのかと項垂れた。正直、まだ女を知らないのに掘られるとか勘弁して欲しいんだが。

 俺の諦念を悟ったのか、坊ちゃんがにやり、と口元を歪めたのが見えた。まともにしていれば見られなくもない顔の筈だが、性格が顔に出ると途端に醜い顔になる。

 坊ちゃんの生温かい吐息が、俺の耳をくすぐり、走る悪寒に肌が粟立った。だが、それでも逃げる動きはみせられない。

 決して、好き好んで目の前の男に身体を明け渡すわけではない。ささやかな矜持が無様に逃げるのをよしとしなかったし、今後の保身もあった。ここを追い出されたら本気で行く場所もないし、野垂れ死ぬ未来しか見えない。


ガンガンガン!


 ドアを壊さんばかりのノックの音に、身体を震わせたのは、俺だけでなく坊ちゃんもだった。


「あの下郎はここに居るの? 開けなさい!」


 響いた甲高い声は、紛れもなく奥様のものだ。もちろん、ドアを叩いているのは従僕だろう。

 渋々といった様子で坊ちゃんが部屋の鍵を開けると、悪鬼羅刹のような形相の奥様がそこに立っていた。


「お前! いったい何をしたんだいっ!?」


 ふしだらな男。淫売と罵られることを予想していたが、奥様が叫んだ内容には首を傾げることしかできなかった。

 そこまで怒られることは何もしていないが、反論する間もなく従僕に引っ張られるようにして馬車に押し込められ、向かった先はこの国を治める王の住まう、城だった。

 そこで待ち受けていたのは邸の旦那様だ。父親だなんてこれっぽっちも考えたことはない。

 ピシリと整った姿の旦那様と、茶会に行くために着飾っていた奥様。その二人に連れられる俺は、着古したお仕着せのままで、どうにも城の内観にそぐわない。萎縮する俺を引きずるように向かった謁見の間で待っていたのは、俺も絵姿で見たことのあるこの国の王、その人だった。


「その男か」

「はい、どうぞご確認ください」


 旦那様に背中を押されて前に一歩踏み出すと、王だけでなく、そこに従う宰相、そして護衛の騎士たちの視線を容赦なく浴びる。混乱の極みにあった俺は、愛想笑いを浮かべることもできず、ただひたすら突き刺さる視線に耐えていた。


「短く揃えられた栗色の髪、少しはねた前髪、黒の瞳……」

「艶のない紺のズボン、生成りのシンプルなシャツ……」


 まるで何かを確認するように、外的特徴を一つずつ挙げていく王と宰相に、俺はひたすら身体を強張らせていた。


「間違いない」

「間違いありませんね」


 王と宰相は顔を合わせて頷き合った。


「この男は子爵の邸で……?」

「はい、幼い頃より働いております。母親は亡くなっており、父親は……おりません」

「なるほど、兄弟や親戚などは?」

「おりません」


 旦那様の答えに、王と宰相は再び頷き合った。なんか、仲良いね。


「ならば、貰い受けても構わぬな」

「御意に」


 その言葉に俺の目は丸くなった。

 事ここに至るまで、誰も状況の説明などしてはくれなかった。俺は主夫婦に言われるがまま馬車に乗り、やんごとなき方々に引き合わされたのだが、誰も俺に事情を説明しようという気はないようだ。

 呆然とする俺を無視して、話は進んでいく。


「あちらに急ぎ遣いを。男を見つけたので、すぐに引き渡すと」

「はっ」


 短く返事をした騎士が部屋を出て行く。俺は、どこでどう口を挟んだら咎められないのか、そもそも王というとんでもない身分の方に直接話しかけて良いものかどうかと悩み、ついに声を上げることができなかった。


「その男は、馬車へ」

「はっ」


 別の騎士に腕を掴まれ、俺も謁見の間を背にする。俺を連れ出した騎士は無駄話をする気もないのか、冷たい雰囲気を全身から発して、俺に声を掛けさせる隙も与えない。

 元々、仕えていた邸からお使い以外で外に出ることもなかった俺が、どのように振る舞えば失礼にあたらないのか、さっぱり分からなかった。

 そうしてまた馬車に問答無用で乗せられ、運ばれていった先は鬱蒼と生い茂る森だった。森の入口で下ろされた俺は、騎士数名に囲まれて延々と道なき道を歩かされた。

 そういえば昼飯も食べてなかった、と思い出したのは、何やら崩れかけた石の壁や、床に敷き詰めてあっただろう石畳の残る開けた場所に出てからだ。


「ここで迎えが来るまで待て」

「……あの、お伺いしてもよろしいでしょうか?」


 ようやく事情を聞けるタイミングが来たとばかりに、俺は騎士の一人に声を掛けた。


「なんだ」

「俺はどうしてここに連れて来られているんでしょうか?」


 尋ねた途端、俺の腹がぐぅ、と情けない音をたてた。何とも恥ずかしい。渋い表情を浮かべた騎士が、無言で俺に水筒と干し肉を差し出してくれた。干し肉を噛んで、含んだ水でふやかしながら返答を待っていると、騎士は他の騎士にあれこれ指示を出してから、俺に向き直った。


「残念ながら詳しい経緯は私たちも知らされていない。だが、君を指名で要求されたらしい。何か思い当ることは?」

「……いやまったく、何も」


 貴族の不義の子なんてどこにでも転がっていそうだし、何か有名になるほど外に出ることもない。全くもって不可解過ぎた。


「まぁ、あちらから説明もあるだろう。――――食べ終えたか?」

「はい。助かりました。ごちそうさまでした」

「そうか。ならば礼の代わりに恨まないでくれると助かるよ。――――やれ」


 その騎士の号令とともに、俺は鎖でぐるぐるに巻かれ、石を乱暴に積んだだけの椅子に強制的に座らされ、身動きができないように鎖を杭で縫い止められた。


「ちょっ! なんだよこれ!」


 騎士は俺の前に立って見下ろしてきた。その顔には憐憫の情が浮かんでいる。


「君を要求してきたのは、魔族だ。ここで待っていれば引き取りに来るらしいが、それに我々は付き合う気はない」

「は!?」


 俺が聞き返すも、騎士たちは無視して去っていく。どれだけ喚いても叫んでも、彼らが戻って来ることはなかった。

 そして俺は何とかしてこの鎖から抜け出して逃げようともがき――――現在に至る。


「随分な扱いだが、所望していたのはこちらだ。贅沢は言えぬか」

「所望!? そうだよ、なんだって俺を指名なんてしたんだよ!」

「あまり外で話せるような軽々しいものでもないのでな、落ち着いてから説明しよう」


 そう言って、俺をぐるぐる巻きの鎖から解放した双角の男は外套の下からごそごそと何かを取り出して広げた。それが意味するところを察し、自然と俺の頬が引き攣る。


「人目につきたくないのでな。身動きもせず声を出さぬと約束できるか?」

「……ちなみに、もし、動いたり声を出したりしたら?」

「最悪、命はないと思っていいだろう」


 男の手には、麻の大きな袋が広げられていた。それこそ、俺がすっぽり入るぐらいの。


――――結局、「はい」とも「いいえ」とも答えられなかった俺は、男によって気絶させられた。



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