2話 逆行前(2)
「リシェル様。
北のゴルダール地区の領主からはこれ以上の税は納められないと嘆願書が届いています」
王宮の執務室。執務官含め数人しかいないその部屋でリシェルの補佐をしていたカイチェル伯爵が、ため息まじりで報告していた。
リシェルがガルシャの婚約者として王宮にきてからもう4年が経過している。
あれから、王子がリシェルと結婚を決意することなどなく、後から婚約したマリアが正式に王子の妃となった。
それでもリシェルが何度願っても、彼女はなぜか王宮から解放される事がなかったのだ。
2年前国王が倒れてからというもの、実権を握った王子とマリアの横暴ぶりは目に余るものがある。
マリアは国民の生活を向上させると次々政策をうちだした。
学校を作り平民達も学べるようにしましょう。
老人達のために老人ホームを作りましょう。
貧しくても生活できるように生活保護を作りましょう。
マリアの提案はどれも素晴らしい物だった。
理想だけは。
けれどどんなに崇高な理想も、現実をともわないのでは結局夢物語にしかすぎない。
誰かが富めば誰かが貧しくなる。
マリアの言う福祉施設は、国の財源を圧迫したのだ。
「私の実りの加護があるのですもの。財源など困らないでしょう?」
微笑みながら言うマリア。
その言葉に誰一人として異論を唱えないさまは、リシェルには異常に見えた。
実際国は困窮し始めているのに誰も反論をしないのだ。
確かに聖女マリアの実りの加護でランディリウムは常に豊作だった。
けれど、それが過剰すぎたのだ。
本来なら年2回の実りの作物なら、年5回に。
年に一度の実りの作物なら年4回になり全て豊作に実る。
誰もが最初は喜んだ。
だが、喜びは最初だけだったのだ。
作物が実りすぎておこったことは、作物の価格の暴落。
種まきや収穫などの作業量は増えたのに、作物の価格は暴落し、収穫しても売れなくなってしまったのだ。
農民達は商人に「どこででも手に入る」と買い叩かれて元をとるのもやっとの額しか手に入らなくなってしまった。
他の作物を育てようにも、そんな短時間で土質などを変えられるわけもなく。
作物はどうしても同じようなものになってしまう。
この国が内需だけで回っているのなら食料があるのだから何とかなったのだろう。
だが、ランディリウムは、魔石などがとれるダンジョンなどが存在しない。
今全ての魔道具はダンジョン産の魔石がなければ稼働しない。
そのため外貨も稼がねば国の経済は廻らないのに、それを稼ぐ手段がなくなってしまったのだ。
いままで薬の原料として高値で取引されていた薬草も価格が暴落。
リシェルが実りの力をもう少し抑えてほしいと懇願しても聖女マリアは何で?と小首をかしげるばかりで、止めようとしない。
農民たちに売る量を制限させようとしても、王子派の貴族から横槍がはいり邪魔されてしまう。
素直に国にしたがって売るのを制限した農民たちを尻目に、抜け駆けする農民がでてしまい、結局守っていたほうが損をするとみな売り払ってしまう。
そのせいで作物の価格の暴落は止められない。
それを哀れに思ったのか神殿からは聖女がいる国だからとそれなりの寄付があるのだが、けれども、それもすぐマリアの思いつきで消えてしまう。
国よりも強い権威をもつ神殿に聖女に忠告するようにと頼んだ家臣もいた。
だが、神殿はそれを聞かなかった。
マリアより一つ前の聖女が神殿の厳しい教育の重圧で耐え切れず自害してしまった。
その時の負い目からか、マリアに忠告できる神官が誰もいない。
聖女は20歳の誕生日を迎えたその日。
聖なる聖杯ファントリウムに祈りを捧げ世界に実りを与える。
100年に一度現れる聖女が聖杯に祈りを捧げねば、世界から緑が消え、荒廃してしまうのだ。
前任の聖女が聖杯に力を注ぐ前に自害してしまった。
聖杯に100年聖女の力が注がれていないせいで、神官達も今度は絶対失敗できないという気持ちが強いため神殿の者も聖女を持ち上げるばかりだった。
それがマリアの我侭を増長させ、周りが誰も止められない状況が続いている。
そんな状況にリシェルはため息をついた。
あまり聖女と接点のないものが「貴方が聖女ならよかったのに――」と、リシェルに言う事がある。
光栄なことではあったが、リシェルにとっては迷惑でしかなかった。
それが王子達の耳にはいってしまったのだ。
そのせいか、王子がリシェルにばかり辛くあたるようになってしまった。
本来なら妃候補などの一令嬢がこのような財務を預かる仕事を任される事はない。
けれど、国の財政を憂いて王子に進言した忠臣達はみなマリアと王子に気に入らないと僻地に追いやられてしまったのである。
本当に国を憂いた者はこの国を去り、誰も貧乏くじをひきたくなかったのか。
たかが一令嬢にしかすぎないリシェルが任されたのだ。
「誰かがこの連鎖を止めないと――」
リシェルは書類を片手に、立ち上がるのだった。