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虚構の定理  作者: márkos
1/4

C0 序章

語り部:E

某月8日

夢咲県南東

午前

 私は既に命無き者のように机に突っ伏し、ハイヒールの先まで固まっていた。

 今日は休日である。それは多くのほかの会社の多くの他の人間も同様のことであり、とどのつまりは何らかの祝日であった。何の日かは記憶にない。祭りか記念か、きっとご先祖が愉快なことでもしでかしたのだろう。そんなことはともかく、今不満なのは、多くの連中がこの日を休暇にするものだから、この喫茶店も当然のように少し混んでいたことだ。

 この店はミニサイズのドーナツやそれをトッピングしたパフェ、それに合うコーヒーを、きれいな景色と共に楽しむことが出来るとして、ちょっとした有名店となっている。店内の壁の一部は沼を見下ろせるように全てガラス張りであり、その他の場所は白やブラウンといった落ち着いた色で構成され、見るものにシックな印象を与えていた。私はその大いに気が休まる空間の中に一時間ほど居座り、睡眠欲に身を任せていた。安めのドーナツを一つ平らげたら、急に眠くなったのだ。

 うたたねして今までに何度も椅子から落ちかけ、そのたびに体勢を改める。喫茶店でこんなことをしていないで、すぐにでも落ち着いて寝られる場所に移ろうかと考えていた。だが、いざ移動しようとすると、私の全てがそれを拒否する。この気持ちのいい空間からこれ以上動こうとせず、更にいい環境を目指そうとしないのだ。どうやら私は、どうしようもなく人間であったようだ。

 おもむろに携帯端末のメールの着信メロディーが鳴った。事務的な音に、桃色のそれが震える。私は端末を操作し、半ば眠りながら目の前の画面を凝視する。上司からだ。その画面には目が覚めるほど素敵な連絡が記されていた。すがすがしいほどの悲報だった。息が詰まりそうになる。空想が、詰まりそうに、なる。どうしようもなく、死にたくなった。

 祝日の午前中。全日本がたるんだように横たわる今日の昼前に、上司は会社に来いとほざきやがった。なんでも、会社が使っているサーバまでもが、休みだという具合に優雅に落ちてしまったらしい。わが社にとって致命的な要因となり得るいくつかの問題が発生したため、今すぐ会社に来いとのお達しだった。よくもまあそんなことを平然とつらつら書かれるものですね、と私は感心したとばかりに虚空に向かって大仰に頷いて見せた。負の感情を誤魔化すためである。自分をだますためでもある。せっかくの休日は、久しぶりの休日は、引き裂かれつつ、何か天災めいたものにさらわれていった。どうやら世界は私をこねくり回すことで、地球を平和に回そうとしているようだ。たまったものではない。


  はあ


 私の会社。いわゆるブラック企業。詐欺的な広告に彩られた養豚場。いや、養豚場の方がまだましに見える、燃えないゴミの集積場。社内のカースト上位者共による罪源のるつぼ。愚かな若者の葬式場。無垢な人間の、葬式場。

 増加するノルマの数値。膨らんでいくカルマの師範。君たちは家畜であると家畜が言う。鬼畜が言う。与えられはするものの削られる自由時間。同僚や自身の肉を削り、食らい、食らいあう混沌。捨ててしまえ、人間を。人間を、捨ててしまえ。

 私は洗脳されつくされた。もう私の血管の中には、水銀でも流れているのだろう。私の同僚もそうだ。かく言う上の方々は、もう脳みそまで重い液体に侵されているらしい。早く私もそうなりたいものだ。


   はあ


 内にあるものを息とともに何とか外界に出そうとしてみた。しかし、いくらため息をつけども、それは皮膚の内側に、骨格に、筋肉に停滞し、根を張って一向に出てこない。その感覚に私は、疲労とはカビか何かのようだ、とくだらない妄想をした。


    はあ


 ふらふらと席を立ちあがり、レジへと向かう。途中ですれ違った店員から安堵したような顔でありがとうございましたと言われた。そういえば、私は、少しとはいえども、混んでいる店の中にたっぷり一時間は居座って眠っていたのだ。どう考えても迷惑行為であった。そんな私を店員はどう追い出すべきか考えていたのだろう。きっと店員にいらぬ心労を与えた罰として、天は私に休日出勤を課せられたのだ。私はここで起きたすべてについて、このような有神論的な理屈で納得せざるを得なかった。そうとでも思わないと、これから起きるであろうことに私が耐えられるとは到底思えなかったからだ。


 何かにしがみつかないと、やっていられないのだ。

 それがたとえ、微塵も信じていない『虚構』だとしても。


 店の外に出た。この世全てに引っ張られるように歩き、私の体は会社に進む。移動しながら端末の画面を操作して、短文共有アプリを開く。もうこの動作も慣れたものだ。端末のアプリでゲームでもするかのように、軽い調子でトントンと操作する。胴体は再起不能手前なのに、指はよく動く。まるで別の生命であるかのようだ。私の意志とは関係なしに、馬鹿にするかのように動くその『指』は、周囲の状況を鑑みて判断し、流れるようにすらすらと、私の心内をアホになるほどチープな文言で教えてくれた。無論、これから全世界に発信するであろう、短文の作成中の画面を通してだが。

 世間一般の『カワイイ』はもう指に刻み込まれている。指は、星マークや変なスラングで飾り立て、見飽きた文構造を入力していく。その文章をネット上にアップすると、瞬く間に、面白いように『いいね』が押されていく。最近はこれを見ることだけが楽しみだ。たかが『久々の休日を満喫しようと思っていたのに会社の上司に呼び出され、死にたくなっている。泣きたい』という意味の文章なのに、ここまでの人が見てくれるのだ。人は同情によって救われるというが、最近はこれについて身をもって実感している。潰されたくない私にとっては生活必需品になっていた。

 瞬く間に更新される画面を見て、私はまたくだらない妄想をする。こいつら全員から閲覧料を取れたら、どれだけ稼げるだろう。数百万程度か。いや、今はそれよりも休みたい。金なんてどうでもいいから、休みたい。もうそろそろ、限界が来る。直感で分かった。


    はあ


 空を見上げる。意図的に見上げたのではなく、首筋の筋肉が満足に機能していないことに付随する物理現象だ。私の眼球は白い空を映した。完全に雲が空を覆っている。そのことで、確か今日は快晴であると予報されていたはずだと思い出す。

 私はさらにブルーになった。私は雨になると大体酷い片頭痛を起こす。なので、大体雨の日は頭痛薬を持ち歩くのだが、晴れの気でいた私はそんなもの全然持っていなかった。この感覚は、すぐにでも頭痛が始まる時のものだ。これから活動するためには、一刻も早く薬局に滑り込み、頭痛薬を買わなくてはいけない。そうなると、指定時間への遅刻と上司の怒声を浴びるのは間違いなかった。


    はあ


 私は空から目をそらす。自分の意思で、白いドームから目をそらす。

 蔓延するネガティブ。右に顔を向ける。

 その刹那、

 ひときわ大きな雨粒が、水たまりに落ちるのが、目に入った。


※   ※       ※


語り部:???

 削いでいく。

 削いで、削がれる。

 絶叫なんてもう忘れた。今はうめきさえもない。

 自身の涙腺から無意識が零れ落ち、はじめて思う。ああ、私、今痛いんだ。

 そのことに関する恐怖。感覚などない、究極の客観視。他人事のように済ませることが出来る、それができる自分への恐怖。自分の意識と肉体が、剥がれかけてぺりぺりと音を立てていたのは、どれくらい前だっけ。

 遙か過去から不遇が落ちる。

 間近な箱から奇遇が朽ちる。

 溶けるように、

  溶ける、ように。

 

乖離

 168年

 黒の虹

 ああ、今私は何をしているんだ

 暗い 暗い

 もうやめてくれ

 望んだこと 願ったこと

 ああ ああ ああ

 殺してくれ

 生きていたいから、殺してくれ

 意味が分からない。

 それでも叫ぶ。

 あれ、私、今、叫んでいた。

 のどが痛い。今にも血を吐きそうだった。

 ああ、私、いつも叫んでたんだ。気づいていなかっただけで。

 

 もう恐怖さえもなかった。その姿はまるで動物園のオウムのように。

 指をこめる。力を込める。

 遊泳する黒い眼。最適解を再生する。

 削いでいく。削いでいく。

 べちゃ。がり。ぞぞぞぞぞ。

 

 刃が欠ける、音がした。


※   ※       ※


語り部:百合の花

 心地の良い風が凪いできて、私の葉や花びらに触れ、また消えてゆきました。

 何もない鏡のような地面が広がる世界。そんなところに咲いている私にとって、風は唯一ともいえる楽しみです。今日はどんな風が私を気にかけてくれるのか、いつも心待ちにしています。今日の風はどんな子なのかな、と妄想して、今日も甘いにおいを纏い、ただただじっとしているのです。

 根っこがあるというのは不便なもので、どこかに這って行ったり、歩いて行ったり、かけて行ったり、飛んで行ったりが出来ないのです。最初に生えてしまった場所から逃げることもできず、私は生まれてからこのかた、同じ無彩のモノクロームの景色しか見てきませんでした。前に話したヒバリは、ここを時々通りかかる旅の動物のような『色』でできた景色がこの世にはごまんとあると、まるで哀れなものを見る目つきで話してくれました。私は少し羨みましたが、どうにもできないものはどうにもできないのだと割り切り、相変わらず同じ生活を送っています。

 寂しくはありません。風は何もしなくてもいつも私のもとを訪れてくれるのですから。それに、時々旅に疲れた動物たちが現れて私と話してくれますし、毎日それなりに楽しく過ごしています。不満点があるとすれば、空に浮かぶ大きな瞳くらいのものでしょうか。

 そう、あの瞳。巨大な一つ目のことです。見えるでしょう。人間のような目だと、ヒバリも怖がっていました。私は人間について何も知らないので聞いてみたのですが、二本の足と手をもち、瞳はその一つ目と同じような形をしているそうです。しかし、普通の人間の黒目は、黒だとか青だとかのモノトーンなのに、この大きい瞳は黒目の中に黄色と青でできた三日月模様がある等の違いもあるそうですが、ヒバリは三日月がどのようなものかは教えてくれませんでした。

 そうそう、なんで瞳が嫌なのかは、ここに来てじっとすると分かると思います。ほら、ずっと睨まれている気がするでしょう。冷たく睨まれている気がするでしょう。監視されている気分になるのです。私は昔、これが本当に嫌でした。もう今は慣れてしまいましたが、あれがいなくなったらと考えることは今でもあります。

 あの瞳はなんでこんなところで浮いているのでしょうか。そもそも、あれは何でしょうか。どんな動物に聞いても、どんなそよ風に聞いても、分かりませんでした。


※   ※       ※


語り部:とある『存在』

「やあ久しぶり。元気にしていたかい。

 ああ私かい。もし私を元気だと仮定すると、死にそうなセミはハッスルしていると表現しなくてはいけないだろう。私はそんな状況だ。君はどうだい。ああ、そうか。お前も、やっと『人間社会』に紛れこめたわけだ。

ところで、久しぶりに会うわけだが、どこで落ち合おうか。ああ、またそこか。君はあそこが本当に好きだねえ。じゃあ、いつもの時間にそこで会おう。それじゃあ。

あ、そうそう。一つ忘れていた。

君に一つ、お土産を持ってきてほしいのだ。ああ、飛び切りいいやつだ。そうそう、いつものあれだ。そうだな、今回は、環視し、看視し、監視する世界。居るようで居ず、あるようでない世界。縋り、崩壊する世界。白滅し、暗転する世界。そんな世界を支配する、そう、


虚構の定理


…とでもしようか。ああ、いつも通り。楽しみにしているよ。ああ、長く話しすぎてしまったな。それでは、今度こそ、それじゃあ」


 私は電話を切った。久しぶりの会合に、声無く歓笑を浮かべながら。

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