8.王子様の×××だったのでしょうか。
そうして、アシュリーは、お城に軟禁され…ではなく、滞在させていただくことになった。
オリヴィエに聞いて、なんとなくアシュリーの家庭での立ち位置は察しているのだろう。
クレイディオは、ゴーシュ――アシュリーの父に了解を得たとは言ったが、モンスター家族の話はしなかった。
国王ご夫妻は始終ご機嫌で、その夜は国王ご夫妻とクレイディオ、アシュリーで夕食を囲んだ。
思っていたよりも国王ご夫妻の夕食は質素だったが、それでも十分アシュリーにとっては豪華なもので、久々に食べた自分以外の誰かが作った食事は美味しかった。
アシュリーの部屋はクレイディオの部屋の隣に用意された。
クレイディオが、そんな説明をしながら、アシュリーを部屋へと送ってくれて、ずかずかと室内にまで入ってくる。
クレイディオにとってアシュリーは婚約者であり、こうやって部屋に出入りするのも普通のことなのかもしれない。
「あの、いいのですか?本当に、私で」
気づけば、アシュリーの唇からはそんな問いが零れていた。 振り返ったクレイディオが怪訝そうな顔をしているので、アシュリーは真っ直ぐにクレイディオを見つめる。
「何度も言いますが、私、男です」
わからないのだ。
クレイディオが、アシュリーの何を気に入ったのか。
男だから気に入ったのか。 女性にしか見えない外見を気に入ったのか。 クレイディオや国王夫妻はよくても、国民は果たして、それでよいのか。
クレイディオはアシュリーをクレイディオの【運命】だと言った。
けれど、はっきりとクレイディオの口から、アシュリーの何を気に入ったのか、そのことを聞いていない。
どんな顔をして、アシュリーはクレイディオを見ていたのだろう。
クレイディオは、落とすように静かな微笑を浮かべた。
「…どうして神様は選ばせてくれないのだろうね」
「え?」
唐突な発言に、アシュリーは目を丸くする。
「生まれてくる家も、親も、自分の髪の色も目の色も、顔も、体格も、性別も私たちは選べない。そう生まれただけで、【男の子らしく】【女の子らしく】と強要されるんだ。そこに自由はあるのかな?」
静かに微笑んだままで、紡がれる言葉。 静かな、静かな声なのに、どうしてだろう。
その言葉が、ひとつひとつ、重く、アシュリーの中に沈む。
「だから、私は私の好きなように、君を好きになるよ。君も、好きな格好をして、好きなものに囲まれて、好きなものを口にすればいい」
ここで、赤鉄鉱の瞳が、真っ直ぐにアシュリーを見つめる。
「君がありたい君でいてほしい。男だから、女だからではなくて、君らしい君が、好きなんだ」
この言葉が、アシュリーにとってどれほど嬉しかいものだったか、きっとクレイディオは知らないだろう。
不覚にも、きゅんと来たし、ぐらっと来た。
投げかけた問いに対する、明確な答えを返してもらえていないということにすら、そのときは気づけなかったほどに。
「では、アシュリー。入浴をしようか」
そんなアシュリーでも、クレイディオのこの発言が、前後のつながりを全く無視したものだということには気づくことができた。
クレイディオの発言の意図はわからないけれど。
「…はい?」
なぜかクレイディオは、アシュリーの部屋のバスルームへと足を踏み入れて、アシュリーのためにバスタブにお湯を溜め始めた。 まさか、クレイディオ自身がここで入浴するつもりではないと思いたい。
「あの、貴方のお部屋はお隣ですよね?」
控えめに確認すると、クレイディオはそうだね、と頷きながらバスルームから出てくる。
「今、君につける人間の選定を行っているところだから、君の身の回りのことをする人間が必要だろう?」
君の秘密を口外せず、君のことを崇拝しはしてもやましい気持ちは一切抱かずに命に代えても守ってくれる女性がいいよね、とクレイディオが頷いている。
君の秘密を口外せず、はいいとしても、その後の言葉を何一つおかしいと思わずにすらすらと紡げるこの男の神経がすごい。
「だから、適任が見つかるまで、私が君の身の回りのことをしよう」
微笑んで、それがさも当然のことの――あるいはそれ以外の選択肢は存在しない――ように語っているが、そんなわけがあるはずがない。
アシュリーの身の回りのことをする人間が、仮に、本当に必要だとしても、それが畏れ多くもオキデンシアの王太子殿下であるクレイディオである必要は、どこにもないと思う。
そっとネグリジェを手渡されて思わず受け取ってしまったけれど、アシュリーはこういうときこそ毅然とした態度で臨まねばと姿勢を正してクレイディオを見上げる。
「あの、私、自分の身の回りのことは自分でできます。王子様のお手を煩わせるようなことは」
そこまで言って、ぎくりとする。
見下ろす赤鉄鉱の目が、すっと眇められたからだ。
「クレイディオ」
クレイディオが、名前を呟いた。
これは、自分の名前を呼べという要求に他ならないだろう。
アシュリーは肩を竦めて溜息と共にその名を吐き出す。
「…クレイディオ」
「なんだろう、アシュリー。私の愛しい、【雲英雪の妖精】」
バックに黒薔薇を咲き乱れさせてクレイディオは微笑んでいるが、その微笑みで誰も彼もが無条件に【御意】と従うとは思わない方がいい。
「自分でできます。放っておいていただけますか」
自分でも、割ときっぱりとした響きになったのがわかった。
目の前の赤鉄鉱の瞳が見張られている。 もともとがそんなに悪人ではないアシュリーなので、言い過ぎただろうか、とぎくりとしたときだ。
「ははっ、アシュリーにかかると、兄上も形無しだね」
「オリヴィエ」
いつの間に現れたのか、そこにはオリヴィエがいて、アシュリーとクレイディオのやり取りを見ていたらしく、にやついている。
何事においても例外があるように、王族においては緊急時の避難措置が絡んで移動魔法の使用が禁じられてはいないらしい。 そういうわけで今もオリヴィエは、ここに現れることができたのだろう。
「…オリヴィエ」
そのオリヴィエに、クレイディオは低く、昏く、呟く。
もちろん微笑んではおらずに、甘い顔立ちには表情がない。
「アシュリーのことは、【義姉上】と呼びなさい。それから、彼女は私の婚約者なのだから、無断で部屋に立ち入るのも控えるように。密室で二人きりになるのなどもっての外だ」
呆れて物が言えない、とはこのことだろう。
オリヴィエも心なし、げっそりとしている。
「…義姉上、兄上と結婚するなんて、これから苦労するね」
すぐさまアシュリーを【義姉上】と呼び直したオリヴィエが同情の目をアシュリーに向けている気がするが、気のせいか。
アシュリーは、そっと小声でオリヴィエに願う。
「オリヴィエ、私を逃がしてくれたりは…」
「あいつから逃げられるわけないよ。早めに諦めた方がいい」
「!?」
アシュリーの願いは、オリヴィエによりばっさりと斬り伏せられた。
「だって、こいつやばいよ。君が逃げたら何するかわからない。君にも、君の家族にも。君の継母・継姉はどうなってもいいけど、君、父君は好きなんでしょう」
アシュリーが昨日直感したとおり、アシュリーの父は間接的にだが人質に取られているようだ。
ということはやはり、この話から逃げることは出来ないのか。
「ちょっと気持ちが重いところと常軌を逸しているところとああ見えて気が短いところに目を瞑れば甘やかして大切にしてもらえるよ。かなりお得に自分を叩き売りしてるんだから、もらってもらえれば私たちが平穏」
「オリヴィエ、目の前にその兄がいるのをわかっている?」
控えめにオリヴィエを諫めているクレイディオは、オリヴィエの表している人物像には重ならないけれど、アシュリーはオリヴィエの言こそ真実だと知っている。
けれど、オリヴィエ、その理論で言うと、貴方たちは平穏かもしれないが、アシュリーに平穏が訪れることはないのではないだろうか?
ああ、そう。 オリヴィエたちの平穏のために、アシュリーが生贄というか人身御供にされそうになっている気がする。
「こいつね、本当頭おかしいんだよ。君の身体を他の人間に触れさせたり見せたりする訳にはいかないっていう理由で医学まで極めるし。君が」
「オリヴィエ、少し黙ろうか」
オリヴィエのことはクレイディオが黙らせたが、アシュリーは黙っていられなかった。
「え、ごめんなさい、どういうことですか?私の身体?医学?」
「私も最初は意味がわからなかったけれど、君に会ってわかったよ。君が男性なのに女性としての生を歩んでいたから、兄上は君の身体を誰かに見せられないと思ったんだろう」
つまり、だから、クレイディオは、アシュリーのために医学を極めたと?
とすると、そこからは、もっと重要な真実が導かれる。
アシュリーは、愕然としながら、クレイディオを見た。
「…それって、クレイディオは初めから私の性別を知っていたってことですか?」
クレイディオは、しっとりと優雅に、そして、曖昧に微笑むのみ。
明確な答えが返ってくることはなかった。
王子様の包囲網だったのでしょうか。




