7.サンドリヨンは×××です。
王子様は目を白黒させるモンスター家族を置き去りにし、半ば無理矢理にアシュリーをお城に連れ去った。 モンスター家族はもちろんアシュリーも王子様相手に大っぴらに罵倒したり暴れたりするほど、無謀ではなかったと言える。
そうしてアシュリーはお城で、あのお世辞にも清潔とは言えない衣類を身につけたままで、国王ご夫妻と再びの対面をすることになったのである。
王子様がアシュリーのことを国王ご夫妻に色々と紹介しているが、ほとんど耳に入ってこなかった。
アシュリーの容姿が、昨夜と異なるのは、どうしても舞踏会に行きたかったアシュリーが、継母たちを恐れて目眩ましの魔法をかけてもらっていたという説明がされていた。 魔力を全く持たない【見捨てられし子】のアシュリーに、魔法が使えるわけがないというのに。
クレイディオの狡いところは、真実の中に嘘を織り交ぜてそれらしく語るところにあると思う。 クレイディオの言を100%信じたとも思えないが、国王ご夫妻はそれ以上の追究はしなかった。
今なら、クレイディオが【闇属性】の王子様と表される理由がよぅくわかる。
優美な容姿と優雅な立ち居振る舞いの下にきれいに隠しているが、とんでもなく利己的な生き物だ、この男は。
アシュリーが内心で溜息をついていると、王妃様にぎゅっと手を握られた。
「お嬢さん、ご苦労されたのねぇ」
明るいグリーンの瞳は少し潤んでいて、王妃様が本当にアシュリーの今までを案じてくれているのはわかる。
けれど、王妃様。
例えば本当に、アシュリーがこの男の――もう、王子様なんて呼んでやらない――婚約者になり、妃になるとすれば、これから先の方が苦労する。 断言してもいい。
「灰かぶり、なんて名前は、君には似合わないね。雲英雪の妖精。君の名前を教えてくれる?」
王子様然とした、バックに黒薔薇咲き乱れる微笑みを浮かべながら、クレイディオはアシュリーに強要してくる。 ああもう本当に、強要、という言葉以外にどう表現したらいいのかわからない。
クレイディオと国王ご夫妻からの圧がすごくて、言い逃れができないことだけはアシュリーにもわかった。 適当な名前を口にして誤魔化したい気もするが、身バレもしているところだし、虚偽の証言をした疑いで罰せられることの方が怖い。
「…アシュリー、です」
「あら、素敵なお名前ね」
にこにこと微笑んでいる王妃様に、クレイディオが苦笑している。
「…母上、私の台詞を取らないでいただけますか」
国王陛下も「いい名前だ」と微笑んでいて、名前だけでどうしてこんなに盛り上がれるのかと疑問でしかない。
国王ご夫妻とクレイディオで「式はいつにしましょうねぇ」と始まったので、いよいよアシュリーは困った。 困った、というか、このまま婚約し、結婚することが怖くなったのである。
それは、届出の上でアシュリーの性別は【女】ということにはなっているが、真実は【男】なのである。
このまま何も言わずに婚約し、結婚などしたら、詐欺罪で捕まり、死刑に処されおそれもある。
その累は父にも及び、爵位など剥奪されてしまっては大変だ。
それならば、アシュリーひとりが社会的に死ぬほうがまだ、ダメージが少ないような気がする。 伯爵家には、男なのに女の格好をしているおかしな人間がいる、という噂は立つだろう。
けれど、アシュリーが趣味でこの格好をしていることにすれば、伯爵家の顔に泥を塗っても、爵位が剥奪されることはない。 被害は少ないはずだ。
アシュリーにとっても、男と結婚する必要もなく、今ならばまだ、何かと理由をつけてなかったことにできると思うのだ。 アシュリーは、女性が怖いが、だからといって男性が好きというわけでもないのだから。
そう、アシュリーの脳は働いた。
深呼吸を、ひとつ。 もうひとつ。
意を決して、口を開く。
「あの、」
呼びかければ、三対の目が、アシュリーに向く。
あ、やばい。
決心が鈍りそうだ。
「なんだろう、私の雲英雪の妖精」
ぐっと言葉に詰まったが、クレイディオが微笑んで先を促してくれる。
だからアシュリーはもう一度、なけなしの勇気を振り絞った。
「お城まで連れて来られて、こんなことを申し上げるのもどうかと思うのですけれど」
「他に想う男がいるとでも?そんな戯れ言は聞かないよ」
アシュリーの緊張が伝わったのだろうか。
クレイディオも、国王ご夫妻も笑顔を消して、空気全体が張り詰めているような感じがする。
アシュリーは、ごくりとひとつ生唾を飲み込んで、切り出した。
「あの、私、乙女ではないんです」
瞬間、ぴしり、と、張り詰めていた空気に亀裂が走ったような気がしたのは、気のせいか。
「…アシュリー…」
赤鉄鉱の瞳が全く笑っていないクレイディオが、低くアシュリーの名を呼んだ。
「…同意で合意ならば、許しがたいが、許そう。だが、もしも君が無理矢理に…蹂躙されたというのなら、私はその男を見つけ出して八つ裂きにしてやる」
あ、なんか、とんでもない方向に話が展開していっている。
このままでは、ありもしない嫌疑のために魔女裁判にかけられる誰かが生まれそうで、アシュリーは即座にそれを否定した。
「あの、そういう意味ではなくて」
「では、どういう意味だろう?」
距離を縮められたわけでもないのに、迫られたように錯覚する。
アシュリーはふかふかのソファのアシュリーの隣に座っているクレイディオから、無意識のうちに身を引きながら、暴露した。
「あの!私!男なんです!!」
自分で意図したよりも大きな声が出た。
言ってしまった。
社会的に死んだ。
アシュリーはぎゅっと胸の前で手を握る。
心臓が、心臓が痛い。
怖くて目を開けられずに、ぎゅっと目を瞑る。
社会的に死ぬのなんて大したことない、と考えたのは間違いだったのだ。
どんな反応を返されるのか、どんな目で見られるのか、こんなにも怖い。
握った指先が冷えているし、震えているのがわかる。
この沈黙が辛いので、一刻でも早く誰でもいいから、「では、この話はなかったことに…」と言ってくれないだろうか!
そう、心の中でアシュリーが叫んだときだった。
「…ああ、なんだ、そんなこと」
けろりとしたクレイディオの声が、耳に届いて、アシュリーは目を剥いた。
「はぃっ…!?」
アシュリーが男であることは、「そんなこと」なのだろうか。
ああ、いや、アシュリーが男であることは何もおかしなことではなく、男のアシュリーを女として育てていた母がおかしいのであり、男のアシュリーを妻にしようとしているクレイディオがおかしいのだ。
だから、クレイディオが「そんなこと」と言ったのは間違いではないのだけれど…!
アシュリーが混乱している目の前で、国王ご夫妻とクレイディオは呑気に言葉を交わしている。
「ああ、なるほど、そういうわけか…」
「あらぁ、こんなに可愛いお嬢さんが、男の子なの?でも、大丈夫よ。女の子にしか見えないから。一緒にお出かけしたり、お茶したりしましょうね」
なんだか納得している様子の国王と、もうアシュリーを嫁認定しているらしい王妃様、満足そうなクレイディオに、アシュリーだけが混乱している。
だが、これだけはわかる。
この親子、どうしようもない。
どうして男のアシュリーが、男のクレイディオの嫁になることが問題ないのだろう…。
そう考えて、アシュリーはハッと閃いた。
「もしかして、王子様も男性に見せかけて女性だったり…!?」
「はは、残念だ。私は男だよ」
楽しそうにクレイディオは笑っているし、国王ご夫妻は「面白いお嬢さんだねぇ」「そうねぇ」と微笑み合っている。
ここまでのアシュリーの話を聞いていなかったのではないかとしか思えないほのぼの具合だ。
だから、アシュリーは言葉を重ねる。
「あの、発育不良で少女みたいな形ですけれど、私、本当に男なんです。これから育って逞しくなるとも限りません」
今のアシュリーの見た目が気に入っているのだとすれば、今後変わるかもしれないアシュリーの見た目を、クレイディオが気に入るかはわからない。
それを伝えたかったのだが、相も変わらずクレイディオはバックに黒薔薇を咲き乱れさせて微笑んでいる。
「大丈夫だよ、君の成長は止まっているから。それに、私は逞しい君でも愛せる自信がある」
悪気が全くないであろう、クレイディオの言葉がグサリとアシュリーの胸に突き刺さる。
自分でもわかっていたつもりではあるが、成長が止まっていると断言されるのは割とショックだ。
国王ご夫妻に至っては、「クレイはアシュリーにめろめろねぇ」「クレイがこんなに誰かに執着する日が来るなんて…」と感慨に浸っている様子だ。
このお二方に、助けは期待できない。
相手が男でも何でも、息子が結婚する気になってくれたのならば構わないと思っていらっしゃるのだろうか。
だが、本当に?
この、オキデンシアに住まう国民は、それで、納得するのだろうか?
「ええと…。男が王子様の妻っていうのは、ありなのですか?」
その不安を、遠回しにだが、言葉に換える。
そうすれば、目を伏せるようにしてしっとりと、優雅にクレイディオは微笑む。
「今は理解されないことの方が多いかもしれないね。だから私は、君が女性の格好をしていて、女性にしか見えないことを利用しようとしているんだ」
その言葉で急に、アシュリーは理解した。
この男は同性愛者なのだろう。
けれど、一国の王子が、同性愛者というのはあまり大っぴらにできないことだ。
今の今まで、相手を決めずにいたのはきっと、そういうことだと想像できる。
そこに現れたのが、男に生まれながら、女としての生を与えられ、歩んできたアシュリーだ。
男しか愛せないクレイディオにとって、女性にしか見えない男性というアシュリーは、妻にするに当たってうってつけの人物だったのだろう。
最初、アシュリーを見初めたとき、もしかするとクレイディオは、「女性的でない」と直感で思ったのかもしれない。 クレイディオの好きな【男】でありながら、対外的には女性にしか見えないのだ。
「男か女かは、さほど意味がないことだと思わない?私が好きになったのは、君なのに」
不覚にも、その言葉に聴き入った。 見惚れてしまった。
だって、それはずっと、アシュリーが欲しかった言葉だから。
アシュリーが、男か女かは問題でなく、アシュリーはアシュリーだと思い続けても、それを言ってくれるひとは、今まで誰もいなかったのだ。
何となくだが、クレイディオにアシュリーを手放す気はないだろう。
そんな確信が持てたことが、悲しいけれど、どこかで安堵し喜ばしく感じているのはなぜだろう。
「それに、ゴーシュの了解は取ってあるよ。あんな男でも、父親なんだね。涙ぐんでいたよ」
「!?」
またもや、アシュリーは仰天した。
昨日の今日で、どうやって父に了解を取ったというのだろう。
魔法を使えば、そんなことはちょちょいのちょい、なのかもしれないが。
クレイディオは優美に、優美に微笑む。
とても美しいのに、ゾッとするような微笑みだ。
もちろん、クレイディオのバックに黒薔薇は咲き乱れていない。
「大丈夫だよ、アシュリー。怖れることなど何もない。まずはあの継母と継姉たちを引き回して処刑しないとね…」
「ゴーシュも身ぐるみ剥いでしまおうか」
「そうねぇ、爵位を剥奪してもいいような案件ではなくて?」
穏やかに笑みながら、穏やかでない内容を穏やかに話し合う親子に、アシュリーは青ざめた。
「だめです、そんなことは」
もう、なんか、このひとたち、言ったらやりそうでとっても怖い。
アシュリーが隣に座るクレイディオの腕をはしっと掴むと、クレイディオは微笑む。
身の危険を感じたときにはもう遅かった。 クレイディオにぎゅっと手を掴まれてしまった。
「ねぇ?だったらアシュリー、何も怖れることなどないだろう?私と結婚してくれるね?」
論展開がおかしいし、とっても怖い。
アシュリーが結婚に頷かないのは、継母たちが怖いから→ならば継母たちを亡き者にすればいい。
それから、アシュリーの耳がおかしいのでなく、アシュリーの理解に間違いがなければ、父が人質に取られている。
何も怖れることなど…?
いやいや、今私は一番、貴方が怖い!!!
震え上がるアシュリーには気づかないのか、クレイディオは周囲に黒薔薇を咲き乱れさせて微笑む。 アシュリーの手は握ったままだ。
それからもうひとつ、アシュリーがこの王子様の妃となるにあたっては、大きな障害が横たわっている。
「あの、王子様、私は男だから世継ぎは望めません」
「大丈夫、大切に愛して、君に似た可愛い姫も産ませてあげるから」
「あの、王子様、私の話、聞いていらっしゃいました?姫だからといって望める訳ではありません」
世継ぎ――王子がだめなら、姫、という思考になるのがおかしい。
アシュリーは男だから、王子も姫も産めないというのに、何を言っているのだろう。 目眩がしてきた。
「安心しなさい、アシュリー。これはそのために覚悟をしたのだから、そのうち君に王子も姫も産ませることだろう」
真面目な顔で真面目に語る国王陛下が言っていることもおかしい。
いやいやいや、国王陛下も何を言ってらっしゃるのですか?
豆鉄砲を喰らいまくりの鳩と化しているアシュリーの内心は伝わらないのか、王妃様もにこにこと微笑んでいる。
「大丈夫よ、アシュリー。いざとなったらオリヴィエもいることだし」
「ああ、そうだな。オリヴィエがいれば、クレイに世継ぎを望まなくても問題ないな」
「え?オリヴィエ?」
意外な名前に、アシュリーは目を丸くする。
そうすれば、王妃様は今しがた気づいたように、ぱん、と手を合わせた。
「あら、そうだわ。昨夜はオリヴィエ、いなかったものね。義理のお姉さんになるのですもの、紹介しておかなくっちゃ。オリヴィエ、オリヴィエ」
王妃様がその名を呼びながら若干声を張ると、間を置かずに、その場に黒づくめの美女が現れる。
星屑の化身のようなそのひとは、凜とした立ち姿でとてもクールだ。
「…呼んだ?」
わずかに首を揺らしたその姿は、クールな美貌に反して可愛らしく、アシュリーは初めて【あざとい】という言葉を理解した。
「オリヴィエ、彼女、アシュリーというの。可愛らしいお嬢さんでしょう。クレイの婚約者よ」
すっと立ち上がった王妃がそのようにアシュリーを紹介するので、慌ててアシュリーも立ち上がって礼をした。
「彼女、男の子だから、あなたの守備範囲外でしょう?クレイの婚約者に手を出す心配もないから、安心だわぁ」
にこにこと微笑む王妃の口から色々と飛び出して、アシュリーの脳は一瞬にして飽和状態となる。
アシュリーが男の子だということの暴露は、まだいい。
もう既に、オリヴィエも知っていることだ。
では、何が、守備範囲外なのか。
クレイディオの婚約者に手を出す心配もないから、安心だ、とは何事か。
「えぇと、彼女、は」
アシュリーがおそるおそる、周囲に説明を求めれば、クレイディオが驚愕の事実をさらりと口にした。
「ああ、オリヴィエは私の弟だよ」
「…おとうと…?」
アシュリーは、クレイディオがさらりと口にしたその単語に、目を見開いてオリヴィエを凝視する。
この、クール系の美女が、まさかの【弟】…!? 【弟】、というのは、女性には使わない言葉だ。
アシュリーの知っている範囲では、男性にのみ、限定される。
ということは、まさか。
「同志…!?」
アシュリーはそれぞれの手をそれぞれの頬に当てて、声を上げた。
感激のあまり、瞳はきらきらと輝いていたのかもしれない。
オリヴィエはアシュリーの視線を受け止めるつもりはないのか、顔を背けて肩を竦めた。
「一緒にしないでくれる。私は好き好んでこのような姿でいるわけではないのだから」
「え…?」
思い至らないアシュリーに、苦笑しつつ助け船を出してくれたのはクレイディオだった。
「呪いをかけられた第二王子の話は有名だろう?」
その話に、アシュリーはハッとした。
呪いをかけられたがために、王位継承権を放棄したという、悲劇の第二王子の話。
女泣かせで女好き、女たらしで恋多き第二王子の素行は以前から問題視されていた。 その素行の悪さのために呪いをかけられ、人前には出られないような姿に変えられた第二王子はどこかに姿を消したという話だった。
亡き者にされたとも、国王陛下に放逐されたとも聞いていたが、まさか、人前には出られないような姿、とは女性の姿のことだったのか。
「これの素行は聞いているだろう?女性に悪さをしすぎて、相手のどの女性かに呪われて女性にされてしまったんだよ。真実の愛を知れば元に戻れるらしいけれどね」
「別に、もう男に戻れなくてもいいけどね。真実の愛なんて知りようがないし、女って怖いし。地下に籠もって魔法学の研究が出来るのも気に入ってるし」
言いながら、オリヴィエはソファから離れたところにある椅子に座った。
素っ気ない様子のオリヴィエに、クレイディオは優しい目を向けている。
「強がっているだけなんだよ。可愛いだろう。ああ、もちろん貴方の方が比べものにならないくらい可愛いし綺麗だけれど」
何から口を挟めばいいかわからないアシュリーの目の前で、王妃はにこにことマイペースに微笑んでいる。
「だから、ね。オリヴィエはきっと子だくさんになると思うから、世継ぎのことは気にしなくていいのよ。あなたは安心して、クレイの奥さんになってくれればいいの」
脳が完全に機能を停止しているアシュリーの前で、オリヴィエが慌てている。
「待って母上。私が男に戻ることなんて確約できない。期待されても困るよ」
「あら、そうしたら、あなたが産めばいいのでしょう。アシュリーは男の子でも、あなたは今、女の子なんだから、産めるわよね?」
その瞬間、王妃から得も言えぬ圧がぶわっと吹き出した。
あ、このひと、クレイディオのお母様だ、とアシュリーが納得した瞬間だった。
「どう思う?この親」
「私たちの親だね」
うんざりとした顔のオリヴィエがクレイディオに同意を求めたらしかったが、クレイディオは慣れっこなのか頷くのみ。
ここでアシュリーは改めて確信し、その確信を更に強くした。
絶対に、これから先の未来の方が、アシュリーは苦労することになる。
サンドリヨンは苦労性です。




