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3.サンドリヨンに×××はないようです。

 身体を包んでいたあたたかな光が消えていく。

 今度はアシュリーでも空気の変化を理解した。 単純に、温度差を理解しただけかもしれないと思いながらもアシュリーが目を開けば、そこは狭い個室だった。


 どれくらい狭いかと言えば、アシュリーの身に着けているドレスの裾が、扉の下の隙間から向こう側にはみ出てしまうくらいに狭い。

 アシュリーがいた屋敷ではないどこか別のところに送られたのだけは確かなようだ。 狭い室内で身体を捻ったアシュリーは、目に飛び込んできたものに、この個室が何かを理解した。


「トイレって…」

 思わず、そんな呟きが落ちる。

 そう、アシュリーが送られた先は――恐らくお城の――ウォータークロゼットの個室だったのだ。

 

 ひとまずアシュリーは電光石火の速さで扉に施錠をした。 いきなり個室に人が現れたとあっては、魔法令違反の罪により問答無用でお縄になりかねない。

 心臓が大きな音を立てて、「やばいよやばいよ」とアシュリーに訴えているが、言われなくともやばいことはアシュリーが一番よくわかっている。 どうしてここだった、とは思うが、考えたところで答えは出ないし、説明を求める相手(オリヴィエ)もいない。

 というか、たったあれだけの動作で、移動魔法が完了したというのにも驚きだ。


 アシュリーは内心冷や汗もので、個室の扉に耳をくっつけてそばだてる。

 まずここが、男性用なのか女性用なのかがキモといえばキモだ。


 扉だけでなく、左右の壁にも耳をくっつけて確認したが、物音はしなかったし人のいる気配も確認できなかった。 だが、だからといって安心はできない。

 これは、一種の賭けだ。


 アシュリーは音を立てないようにと細心の注意を払い、更に言うのならば、アシュリーのいる個室以外や個室の外にも誰もいないことを祈りつつ、そっと扉の鍵を外す。 ほとんど音が出なかったことに安堵しながら、そっと扉を開けて隙間から外を覗いた。

 幸いにも、隙間から覗く外の世界、アシュリーの視界に入る範囲には誰もいなかった。


 ほっと胸を撫で下ろしつつも警戒を解かずに扉を開いて身を滑らせる。

 豪奢なドレスが衣擦れの音を立てるのが腹立たしいが、そんなことに腹を立ててはいられない。

 誰にも気づかれないでこの空間から脱出することが先決だ。


 こつ、こつ、と音を立てるガラスのような素材のヒールを恨めしく思いながら、滑るように、を心がけて移動し、今度は恐らく廊下に繋がるであろう扉に耳をくっつける。

 物音は聞こえない。 人の気配があるかどうかは、わからない。

 そろりと扉を開いて、隙間から向こう側を窺う。

 人の姿は、ない。

 そして、個室だけしかないということは、幸運にもここは、女性用のウォータークロゼットのようだ。


 アシュリー、度胸だ!


 そう、自分に言い聞かせて、アシュリーは扉を一気に開いた。

 意気込んで開けたそこには誰もいなくて、ほっと安堵しつつも拍子抜けしながらアシュリーは一歩を踏み出した。


 目の前には、壁。

 微かに音楽が聞こえるのだが、左右のどちらから音楽が聞こえてくるのかは判然としない。 左右のどちらにも道が続いていて、アーチ状になっているのがわかる。

 とりあえず、左に行ってみることにした。


 ぴかぴかに磨かれた漆黒の廊下は、まさか黒曜石ではないだろうが、それに類似するような輝きを放つ。

 まるで、水面か何かのように姿を映せるほどで、床を擦るほどの長さのドレスを身につけていることに安堵した。

 アーチ状の廊下を歩いて行くと、右手に開かれた扉があってアシュリーは思わず足を止めた。 開かれた扉の向こうに見えるのは、切り取られた空間。 外の世界。

 漆黒の闇が支配する夜の空間に、ぼんやりと浮かぶように、王城があったのだ。 城自体が鈍く白い輝きを放っているようにすら見える。

 そんな幻想的な光景を眺めながら、アシュリーは考える。


 どうやら、今、アシュリーがいるところは、城の中ではないらしい。

 城塞の中、その敷地内にある、城とは離れた場所――もしかしたらここは、夜会などパーティの類のための建物なのかもしれない。


 ぼんやりと離れた場所にある城を眺めている内に、アシュリーはふと思い出す。

 そういえば、昔アシュリーは、父と母と一緒に、城に来たことがあったのだった。


 美女――オリヴィエは、アシュリーを知っている者の目に、アシュリーがアシュリーとして映ることはないと言っていた。 それは、アシュリーが舞踏会にいても、継母や継姉たちに知られることはないということだ。

 他にも、母が他界する前に、アシュリーが会ったことのある貴族たちは多いだろう。

 そう考えると、アシュリーがアシュリーと知られないことは有難かった。


 扉の外側で人影が動いたので、アシュリーはハッとして止まっていた足を動かして進んだ。

 きっとあそこにいたのは、舞踏会の案内係か騎士だろう。

 彼らがひとりひとりの顔を覚えているとも思えないが、覚えていないとも断言できない。 入口の扉をくぐっていないアシュリーが建物内にいたのでは不審に思われるだろう。

 かといって、足早に過ぎ去るのもそれはそれで怪しい。


 アシュリーは、軽く会釈をして、いつもより若干ゆったりとしたペースを心がけて歩を進めた。

 壁に掛けられている()や、置かれている調度を観察しながら歩いて行く。 歩いても歩いても緩やかなアーチが続くので、この建物はもしかしたら円形なのかもしれないな、と考えた。

 丸い建物の外側がぐるりと廊下になっていて、その内側がホールというところだろうか。

 ということは、お手洗いを出て右に行っても左に行っても、結局行き着く先は同じだったということだ。


 一歩進むごとに、聞こえる音楽が大きくなっていく。

 廊下に響く足音は、ひとつ。 アシュリーのものだ。

 人の姿を映すのが可能なほど、ぴかぴかに磨かれた床なのだから、他に誰か歩いていたとして足音が聞こえないはずがない。


 無理のないことだ。

 王都に暮らす娘たちであっても、王子様の姿を目にする機会など滅多にない。

 貴族の令嬢方においては、自分が次期王妃になるかもしれないのだ。 のんびり席を外している暇などないのだろう。


 ふと気づけば、アシュリーの視界においてのアーチの終点に、人の姿を認める。

 その人も、アシュリーに…正確には、アシュリーのドレスの腰に添えられた漆黒の薔薇に気づいたらしく、アシュリーに微笑みかけてきた。

「どうぞ、舞踏会の会場はこちらです、レディ」

「あ、はい。ありがとうございます」


 オリヴィエがアシュリーの容姿を、どのように見えるように変えたかはわからないが――残念ながら、アシュリーの目にはアシュリーとしてしか映らない――特に不信感は持たれなかったようでほっとする。

 アシュリーは会釈をして会場に足を踏み入れた。

 踏み入れて、呆気にとられたアシュリーはすぐに足を止める。


 ああ、本当に舞踏会だ。

 当然のことを、改めて思うくらいに、それはきらびやかな光景だった。

 天井に輝くシャンデリアに目が眩みそうだ。 昔、母に読み聞かせてもらった絵本の一頁が、目の前に広がっているのではないかと錯覚しそうなほどに。


 色とりどりのドレスを着た女性たちが…女性ばかりがいる。 アシュリーから見て奥の一段高いところで会場全体を見ているのが、国王夫妻でよいだろうか。 奥にはオーケストラまでいるということは、これは生演奏なのだろう。 もしかしなくても、あれは王立楽団ではないか。

 人生で一度、聴けるかどうかという王立楽団の演奏を聴けるなんて…来て良かった!

 そう、アシュリーは幸せを噛みしめる。


 真ん中のスペースがぽっかりと空いていて、そこでどこかの令嬢と踊っているのが王子様だろう。

 どこかの令嬢、と流し見たアシュリーだったが、何か感じるものがあって二度見してしまった。

 そして、気づく。


 どこかの令嬢と思ったら、アシュリーの上の継姉ではないか――!


 今度こそアシュリーは流し見て視線を下げた。

 王子様、というと、アシュリーは金髪碧眼の美青年を想像するのだが、中央で踊っている王子様は黒髪黒眼だった。 きらきら爽やか王子様系の容貌ではなく、どちらかといえば悪役にいそうな誘惑系の色男。

 遠目にも大きな飾りのついたピアスをしているのがわかるし、洒落者なのかもしれない。 艶を殺したオリーヴよりももっと濃いグリーンの衣装が、嫌味なくらいに似合っていた。


 そういえば、継姉たちが王子様のことを【闇属性】系の色男で美男、と騒いでいた気がする。

 光属性のTHE王子様な容姿は灼光の魔術師ルースくん、正統派王子様な容姿は魔法騎士のヒー様よね、と話していたのを思い出した。


 ここでもアシュリーは左右を確認したのだが、どうやら棲み分けができているらしいことに気づく。

 向かって右側が、貴族など上流階級の令嬢たちのエリアで、向かって左側に王都の平民の娘たちがいるエリアのようだ。

 アシュリーがよく買い物に行く、パン屋の娘さんや、お肉屋の娘さんもいる。


 立食形式でいくつかあるテーブルに置かれた料理にも、給仕の配る飲み物にも、右と左で種類が違うということはない。

 けれど、娘たちの目の輝きが、右と左では明らかに違うのだ。


 左側の娘たちは、王子様をちらちらと気にはしているものの、主には同じ年頃の娘と食事をしながら話に花を咲かせている。 右側の娘たちは、飲み物に口をつける程度。 談笑はしていても目は笑っておらずに、虎視眈々と王子様のダンスの相手を狙っている風だ。

 王子様を手の届くものとして手に入れようとしている者と、王子様を雲の上の存在として夢見ている者、その違いだろうか。

 そう考えながら、アシュリーは足を左へと向ける。


 夕食にラザニアを食べ終えて時間は経っていないが、やはりデザートは別物なのだ。

 大好きな甘いお菓子やデザートだが、それらを口にする機会も、アシュリーにはあまりない。

 見れば、王都の娘たちが皿に取っているのもデザートが大半だ。 アシュリーも、その例に倣った。

 お皿を持って、どれにしようかとデザートの並んだテーブルを見つめていると、不意に音楽が止む。


 思わず王子様と継姉その一の方を見ると、継姉は王子様と繋いだ右手だけを挙げて膝を曲げ、(おもて)を伏せて淑女の礼を取ったところだった。 けれど、横からその光景を見ていたアシュリーなので、継姉の横顔が唇を噛み、物凄い形相になるのにも気づいてしまって、震え上がる。

 その横から、アシュリーの下の継姉がしずしずと進み出て、王子様は彼女の手を取った。 その瞬間、アシュリーは継姉その二がふっと勝ち誇った笑みを浮かべたことにも気づく。 継姉その一が継母の元へと向かう背中が怖い。


 なんだ、一体どういうことだ。

 アシュリーがそっと青ざめていると、娘たちのさざめきが耳に届く。

「また、だめだったのね」

「王子様、ご結婚なさる気、ないんじゃないかしら?」


 よくはわからないが、その意見には同意する。

 あの王子様は、確かに美しい顔立ちをしている。

 王子として見られていることも意識しているのだろう。 常に、微笑みを絶やさない。

 けれど、あの、漆黒の闇のような瞳は、まるで笑っていないのだ。 感情というよりは、温度がない、という言い方が適切かもしれない。

 何となく、笑ったままでひとを切り捨てられるひとなのだろうな、と思って、アシュリーはふるっと一度頭を振った。


 折角のお食事会――アシュリーにとってはもはや舞踏会ではない――なのだ。

 怖いことなど考えずに、美味しく楽しいことだけ考えよう。 そう、テーブルに向き直った。


 何種類ものマカロンに、ケーキ、ビスケット、ショコラ。 心を浮き立たせながら、アシュリーは皿に取り分ける。

 食べるだけ食べたら、そっとお暇することにしよう。 オリヴィエとの約束はそれで果たされるはずだ。


 本当は、踊る王子様と継姉その二には背を向けてしまいたいくらいなのだけれど、いくら何でもアシュリーでも、この場で国王夫妻や王子様に背――というか尻――を向けたまま飲み食いをするわけにはいかないと知っている。

 あまり気は進まないが、踊る王子様と令嬢に顔を向けて、まずは、ピスタチオのマカロンをひとつ、口に入れる。


「っ…!」

 さくり、という歯触りと、口の中に広がる甘味、味わいに、声にならない感動の声が出た。 この、独特の歯触りと、生地とクリームの醸し出すハーモニーがマカロンのいいところだ。

 咀嚼しながらも美味しくて、アシュリーの顔は綻ぶ。

 マカロンなんて食べたのは、母が亡くなって以来かもしれない。


 まずはマカロンを全八種類持ってきて正解だった。

 にこにこしながらマカロンを口に運び、咀嚼し、を繰り返してふと顔を上げたとき、だった。


 目が、合って。 ドキリ、と心臓が跳ねた。

 冷たい何かをそのまま心臓に押し当てられたような、衝撃が走った。


 踊る王子様の漆黒の闇の如き眼に、心臓が射貫かれたような感じがした、と言っても言い過ぎではないだろう。

 ぱっと目を逸らして、口の中のマカロンを飲み込む。

 空いている右手を、詰め物のおかげで少し膨らんだ胸に当てて、呼吸を整える。


 いや、まさか、きっと、気のせいだろう。

 王子様が、アシュリーを見ているかも、なんて、自意識過剰にもほどがあるし、全く嬉しくない。


 気のせいだ。

 それを確かめるために視線を上げて、アシュリーはぎょっとした。

 王子様はやっぱり、アシュリーの継姉その二と踊っているのにもかかわらず、アシュリーを凝視していたのだ。


 止めて、私の身が危ない!


 何となく、嫌な予感がする。

 これは、一刻も早くお皿の上のマカロンを食べ終えて、もう一周くらいマカロンを食べたら、早々に立ち去った方がいいだろう。 サッと視線を走らせれば、まだまだ王子様のダンス待ちの令嬢方はいるようだ。 順番待ちの列らしきものを作っているのが察せられる。


 さて、もう一周マカロンを食べよう。

 思えば、この判断が間違いだったのだ。


 そう、アシュリーが気づいたのは、二周目のマカロンを取りに行き、悩みに悩んでキャラメル味のマカロンをお皿に取ったときだった。

 耳にひとのざわめきが届くまで、音楽が止まっていることに気づかなかった。


雲英雪(きらゆき)の妖精」


 【雲英雪の妖精】、と誰かを呼ぶ声だけが、音として、単語として、認識される。

 呼ばれたのが、誰なのかは、わからなかった。

 けれど、その声の持つ強制力に抗えない。


 アシュリーは緩慢な動きで振り返る。

 まず、落ちたのは、影。

 重厚で、甘い香りが鼻をくすぐる。


 やはり、というか、そこにいたのは、このオキデンシアの第一王子様だった。


 こうして近くで見ると、女性にしては――本当は男なのだから当たり前だが――長身の部類のアシュリーがハイヒールを履いているよりも背が高い。 百八十以上あるのではないだろうか。

 ダンスをしているときから立ち姿が凜としているとは思っていたが、肩幅も広く胸板もしっかりしている。 衣装の上からしかわからないが、きっと惚れ惚れするような【男】の身体をしているのだろう。

 アシュリーでは、持ち得ないような。


 言葉もなく、アシュリーが王子様を見つめていると、王子様はふっと微笑んだ。

 優しく細められた目に、温度が宿ったように見えて、これが王子様の本当の笑みなのだとアシュリーは気づく。 と共に、王子様が視界から消えた。


 少し長い瞬きをしている内に消えたので、大袈裟ではなくそう思ったのだが、また大きく人がざわめく。

 ああ、本当に、嫌な予感しかしない。


 現実逃避のためにもう一度目を閉じたアシュリーの右手に何かが触れて、アシュリーは目を開いて、自分の手を見た。

 見て、気づいた。

 いや、正確には、呆れつつ気を失いたくなった。


 なぜか王子様は、アシュリーの目の前で跪き、左手でアシュリーの右手を取り、右手を自身の胸に当ててアシュリーを見上げていた。

「お相手願えますか?雲英雪の妖精」


 瞬間、凍り付いた、としか言えない。

 自分だけではない。 王子様の向こうに見える、令嬢たちの顔も凍り付いている。


 貴方とのダンス待ちのあの列をご覧いただけないでしょうか!? と言いたいが、この衆人観衆のなかでそれを口にする勇気はもちろん、アシュリーにはない。



サンドリヨンに拒否権はないようです。

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