2.サンドリヨンは×××でした。
「そんなの言われても、本当、困るんだよ。眠らせてでも引き摺ってでも連れて来いって言われてて、本当参る。可愛い女の子に無理強いするのは、私の本意じゃ…」
美女は嫌そうに眉根を寄せて目を伏せ、髪をかきあげながら溜息交じりだ。 若干苛立った様子にも見受けられる。
あまり、アシュリーが男だということに、驚かなかったようで、アシュリーの告白などなかったことのようにされた。
そう思っていたのだが、「じゃ」の形に口を開いたままで、美女が固まった。
美女は、横目に見ていたアシュリーにゆっくりと向き直る。 彼女の黒曜石のような目が、アシュリーの顔から足下まで下りていったかと思うと、同じ道筋を辿って顔まで戻ってきた。
「…待って、男?」
きっと、美女は冗談だと思ったのだろう。
顔が若干笑っているし、鼻で嗤うような音が聞こえた。 馬鹿も休み休み言え、とでもいったところだろう。
「はい」
だから、アシュリーはワンピース風の寝間着をごそごそと頭から脱いで、胸に見えるように綿をつめた自作の胸当てを外す。
現われたのは、真っ平らな胸。
美女が見張った黒曜石の目は、アシュリーが晒した素肌の上半身に、釘付けになっている。
アシュリーは下肢には、ドロワーズを穿いたままだ。 時代遅れと言われるドロワーズも、アシュリーの股間を隠すには丁度よかったのである。 アシュリーはずっと、ドロワーズ愛用者だ。
アシュリーは真っ平らな素肌の胸を晒しながら、内心で安堵する。
これで、アシュリーが男だというのはわかってもらえただろう。 アシュリーは本気の本気で舞踏会にも王子様にも興味がない。 だから、諦めて帰ってほしい。
けれど、彼女は何を思ったのか腕組みをした上でどんっと仁王立ちになり、首を揺らす。
「下を見せてごらん、下を。君は体毛も薄くてどこもかしこもつるつるじゃない。発育不良な女の子だっているよ」
彼女の言葉は、予想の範囲内ではあったが、彼女のような美女が男の下肢を見たがるとはいかがなものだろう。 だが、仕方がないか、とアシュリーは肩を落とす。
彼女の言葉は、一理ある。
自分で言うのも何だけれど、アシュリーの顔は女にしか見えないし、晒した上半身だって彼女の言うように発育不良な女の子に見えなくもない。 筋骨隆々の逞しい身体ではないのは理解しているし、アシュリーは肌も白い。
けれど、下を見せろ、なんて…。
アシュリーが困っていると、美女が一気に距離を詰めてアシュリーのドロワーズに手をかけた。
「あ、だめです、下は…!」
見られるのが、恥ずかしい。
だから、焦ってアシュリーはドロワーズを下げられないようにと抵抗する。 それが美女には、アシュリーが「発育不良な女子」だから、見られるのを嫌がっているのだと思えたのだろう。
彼女は微笑んだ。
「大丈夫だよ、大人しくしていれば、悪いようにはしないから」
美女なのに、男性的な色香が漂う気がして、ドキリとした。
一瞬、アシュリーが動揺して力が緩んだその瞬間に、驚くべき早業で、ドロワーズがずっと引き下げられてしまう。
終わった。 そう思った。
アシュリーのドロワーズを引き下げた美女は、アシュリーの股間を凝視して、呟いた。
「つるつる…」
「言わないでください!恥ずかしいんですから」
というか、そっちに反応するのか!
そこにある、本来女性にはないはずのものには、美女は一切触れない。
美女の呟いた【つるつる】という言葉に、アシュリーは顔を真っ赤にし、さっとドロワーズを引き上げた。 脱いだ胸当てと寝間着をかき集めたはしたが、アシュリーは思わず涙ぐむ。
だから、嫌だったのだ。
アシュリーの下肢の茂みは薄く、ほとんど産毛のようだと言っても差し支えない。
アシュリーには、第二次性徴というものがほとんど訪れなかったのだ。 声変わりだってしたのかしていないのかわからないくらいの変化だったし、喉仏だってあるかないかわからないほどだ。
髭だって剃ったことがないし、体毛だって剃ったことがない。 なのに、どこもかしこもつるつるで、筋肉のつきにくいらしい身体は、目の前の美女が繰り返すように、発育不良の女子と言っても疑う者はないだろう。
普通の男性のように、むきむきのもりもりでもじゃもじゃではない貧相な身体なのがわかっているから、恥ずかしい。
「…そう…。発育不良な男の娘だったか…」
アシュリーを凝視していた美女は、顎に左手を当てて左肘を右手で支えたかと思うと、ひとつ頷いた。
とりあえずは、【男の子】だと納得してもらえたようだとアシュリーはほっとする。 これで、アシュリーを置いて帰ってもらえると顔を上げたのだが、美女の黒曜石の瞳が再びジッとアシュリーの顔に向くのでぎくりとする。
「にしても、君が男だったら、女を辞めた方が幸せな女なんて、どれほどいるか…。全く不公平な世の中だ」
美女はそう呟くが、アシュリーに相槌や返答を期待しているわけではないらしい。
視線はすぐにアシュリーから逸れたし、考え込むような神妙な表情になる。
「あいつ、このことを知っているのか?馬鹿なのか?…ああ、いや、馬鹿だったな…。馬鹿は死ななきゃ治らないと言うけど、死んでも治らない馬鹿だからね、あいつは」
ほとんど独白のようだが、後半は溜息に塗れていて、美女は手で目元を覆ったまま項垂れてしまう。
しばしそのまま固まっていたのだが、美女はぱっと顔を上げてアシュリーに値踏みするような視線を投げてきた。
「…それで?お嬢さんは、女装癖でもあるの?」
その言葉に、アシュリーは納得する。
値踏みするような視線だと感じたが、値踏みではなく若干の侮蔑と嘲りの混じった視線だったのかもしれない。 ぎゅっと心臓が締め付けられるような思いがする。
アシュリーのこれは、女装癖という一言で片づけられるものではない。
だってアシュリーは、分別のつく年齢になるまで自分を【女】だと思って生きてきた。 自分が、【男】だなんて、知らなかったのだ。
綺麗なものも、可愛いものも、甘いものも大好きだった。 否、今でも大好きだ。
その好み・思考はきっと、男だから、女だから、ということではなく、アシュリーがアシュリーだから、なのだと思う。
アシュリーはそんな自分を、否定もしない。
「母が、私を女として育てましたから、ずっと女として生きてきましたし、書類上も私は女になっています。私はこの格好が好きだし、自分に似合うと知っています。だから、私にとって女の格好をすることは普通で自然のことです」
母には魔力はなかったが、もしかすると、未来を読む力でもあったのかもしれない。
こういうふうに考えるようになったのは最近だ。
自分が、男なのに女として育てられていると知ったときは、母は女の子が欲しかったから、アシュリーに女の子の格好をさせているのだと思っていた。
今更男だなんて言い出せない惰性もあったが、単純に女性の格好が好きだったから、母亡き後も女として生きてきた。
それが、結果として、アシュリーの身を守ることとなったのだと思う。
なぜなら。
「私が男だったら、家督を継ぐのは私と決まっていたはずです。魔力なしの男児が跡取りなんて、誰も認めないでしょう」
だから、アシュリーは女として育てられてよかったと思うし、今の自分がそれなりに気に入っている。
今度は、美女の表情が怪訝そうなものになった。
もしくは、アシュリーの正気を疑うようなものに、だろうか。
「そんな大事なこと、私に言ってよかったの?」
「そうですね。でも、女ではない私を、舞踏会に連れて行く意味もないと、わかっていただけるかと思いまして」
あとは、なぜか不思議と既視感を覚えたから。
見ず知らずの人に既視感なんて、おかしいのはわかっているから言わないけれど。
美女はまた思案するような表情でいたが、ちらりと視線をアシュリーに向けた。
「それでも、私は君を舞踏会に連れて行くよう頼まれているんだ。私を助けると思って、一緒に来てはもらえない?」
美女は、頼んではいるけれど、へりくだってはいない。 命じているわけでもなく、真摯にアシュリーに向き合ってくれている。 そう感じた。
即答できずにいるアシュリーに、美女は続ける。
「悪いようにはしないよ。一瞬顔を出すだけでいい。私が移動魔法で君を城まで連れて行くし、君が帰りたいと思ったらすぐに送ってあげる。この家のことだって、私がやっておくよ」
彼女が真剣なことはわかった。
城からの使いであるのならば、もしかしたらアシュリーが行かないことで何かお叱りや罰を受けるのかもしれない。
そのように考えれば、彼女の依頼をばっさりと切り捨てることができなくなる。
よく知らない彼女だけれど、自分のせいで誰かが不幸になるのはもう見たくない。
頷こうか、そう思ったアシュリーの頭に、ぽんっと別の問題が降って湧いた。
「でも、私、舞踏会に行けるようなドレスは持っていませんし」
きょとん、とした美女だったが、手を口元に持って行く。
何をするのかと見ていれば、右手の薬指に嵌まった、シンプルな銀色の指輪に口づけて宙に両手を伸ばした。
一瞬、彼女の両手が消失したように見えて、ぎょっとする。
が、瞬きひとつの間に、ばさりと音を伴って、淡いブルーのドレスを掴んだ彼女の手が現れる。
現れたドレスよりもまず、ドレスが現れたことに、アシュリーは驚き、混乱していた。
今のはもしや、魔法で、【詠唱破棄】というものだろうか。
魔法を使う必要のある職に就いているひとには、魔法陣や式の刻まれた装飾具を身につけることが許可されている。 急務の際に、長ったらしい詠唱を全くせずに魔法や魔術を発動させるためだと聞いた。
父も、指にはいくつかの指輪をつけていたが、それは継母や継姉たちには許可のされていないもの。
父が指輪を媒介に魔法を使う様子も目にしたことがあるが、魔法というより手品のようだな、というのが正直な感想だ。
魔法と魔術の違いも、アシュリーにとっては曖昧ではあるが、どうやら難しい術式等を用意しなくても、魔力を媒介に発動や行使が可能なものを魔法と分類するらしい。
よって、精霊の加護持ちの騎士たちは、魔法騎士と呼ばれるのだ。 基本的に、精霊を使役することは魔法であり、【詠唱破棄】が可能なものは魔法と分類される。
逆に、理論から式を組み立てて一定の原理や原則に従って行使されるものを魔術と呼ぶ。 簡単に言えば、大系の構築は魔術という分類だ。 家全体を囲むように結界を張り巡らすだとか、材料を寄せ集めて何かを作り出すだとか。
今、彼女が披露したのは、【魔法】の方だ。
違いがあるものの、魔力のない人間にとっては、全てが【魔法】で通ってしまうし、取り締まりの法だってわかりやすく【魔法令】という名だ。 その程度のものなので、アシュリーは深く考えないようにしている。 【魔法】の中の一部が【魔術】という認識でいる。 だから、大きな括りとしては【魔法】で間違いないのだ。
「これでどう?」
彼女は、ドレスを掲げながら、微笑む。
まさかとは思うが、これはアシュリーが着るためのドレスだというのか。
こんなドレスまで用意して、王都の年頃の女性をかき集めたいだなんて、王子に妃を選ばせるための部署がつくられたり、そのために予算まで割かれたりしているのだろう。
アシュリーの目は、美女が掲げたドレスに釘付けになる。
綺麗なものや可愛いものは、大好きだ。
きちんとした正装をするのも、何年ぶりだろう。
見せられたドレスに、アシュリーの興味と食指が動いてしまった。
「…わかりました」
そう、ひとつ頷く自分の心が、少し浮き足立ち始めたのを、アシュリーは感じている。
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「それで君は、男が好きなの?女が好きなの?」
アシュリーに淡いブルーのドレスを着せ終えて、髪を梳いてくれながら美女がアシュリーに尋ねてきた。
アシュリーが身につけている、喉元まで隠れるような露出の少ないそれが、クラシックタイプと呼ばれるドレスだということは知っている。 一昔前に流行したスタイルではあるが、時代遅れの印象を与えないのは、どこか流行のスタイルも取り込まれているせいか。 品のある、清楚な感じの仕上がりだと思う。
「どうなのでしょう。父は好きです。母も好きです。…けれど、女性は怖いと思います」
間近に継母や継姉を見てきたから、だろうか。 女性は怖いと思う。
だからといって、男が好きなのかと問われれば、それもわからない。 そもそもアシュリーはまだ、恋をしたことがないのだと思う。
恋をしたこともなければ、恋愛や結婚など、アシュリーに訪れるものとは思えなかったから、考えることすらなかった。 ただ漠然と感じていたのは、このままこの家で一生を終えるのだろうということだけ。
「男に戻りたいとは思わないの?」
アシュリーに問う声は、今までの質問の中で、一番静かだったと思う。
男に、戻りたいか。
戻ったとしても、問題は山積みだろう。
きっと、魔力なしの自分が男児であることは、伯爵家の跡継ぎ問題へと発展する。
女として育てられた自分が男だった、なんて、伯爵家の名に泥を塗りかねない。 そうすれば、困るのは父だ。 亡き母だって、もっと悪く言われるのは目に見えている。
そんなこと、アシュリーが耐えられない。
ただ、確信しているのは、アシュリーが今の自分を気に入っているということ。
装うことは好きだし、自分には男物よりも女物のほうが似合うのも知っている。 不都合や不自由なことはあるけれど、不便ではない。
「…もしかしたら、私には、性別という概念が薄いのかもしれません。どちらでも結果はあまり変わらないように思えますし、むしろ女のままの方が不便はないかもしれません」
「…そう。終わったよ。あとは少し、メイクをしてあげる。目を閉じて」
美女に求められるままに、アシュリーは目を閉じた。
ドレスだけかと思いきや、ドレスに合わせた長手袋や髪飾りも用意されていた。
ハイヒールはまるでガラスでできているようにひんやりとしていたが、ガラスではなく特殊な素材だと美女は言っていた。
微妙に不透明なのに、光を吸い込んで、あるいは反射して、七色に煌めく様をオーロラのようだと思う。 ああ、それよりも、もしかすると、アシュリーの髪の色に似ているかもしれない。
ドレスも靴も、驚くくらいにアシュリーの身体にぴったりだった。 体型に合わせて形を多少補正する魔法でもかかっているのかもしれない、と思う。
髪は美女が結い上げてくれて、お化粧まで施してくれている。
お化粧なんて、するのは初めてだった。
男なら、する必要のなかったこと。
女として生きてきた今までも、アシュリーは化粧をしたことがなかった。
そうやって出来上がって、姿見に映された自分は、本当に自分なのかと信じられないほどだった。
ドレスも、装飾具も、靴も、アシュリーのためだけに作られたかのように、アシュリーに似合っている。
「うん、よく似合っている」
「ありがとう、ございます」
美女の言葉に、素直に微笑むことができた。
美女は、じっとアシュリーを見下ろしていた。
アシュリーは男にしては小柄な方だが、女性としてみると背の高い部類に入る。 だが美女は、ハイヒールを履いたアシュリーよりも背が高かった。
「私は君のことも気に入ったから、あいつには内緒で魔法をかけてあげる」
「え」
思いも寄らない言葉に、アシュリーは目を瞬かせてしまった。
美女がすらすらと紡いでいく言葉は、アシュリーには耳慣れないもの。
何らかの意味は成すのだろうが、アシュリーにとっては意味を成さない。
ああ、そう。 まるで、異国の言葉のようだ。
これが、魔法の呪文。 これが、完全詠唱魔法。
そう気づいたのは、何か薄黒い光の帯のようなものが身体に纏わり付くようにして消えたときだった。
怖れに支配されたのは一瞬。
だが、どこが痛いわけでも苦しいわけでもなく、何も変化が感じられなくて、アシュリーは安堵し緊張を緩めた。
けれど、何かされたことはわかるし、アシュリーにわからないだけで、アシュリーの身に何らかの変化が起きたような気もする。
「あの、…何を、なさったのですか?」
疑われていると知れれば、いい気はしないだろう。
一応、控えめに尋ねれば、美女は気分を害した様子もなく応じてくれる。
「これで、私以外の目に、君が君として映ることはないよ。思い切り舞踏会を満喫してくるといい」
アシュリーは、思わず目を瞬かせてしまった。
それは、継母や継姉たちを含めた知り合いと顔を合わせても、アシュリーがアシュリーではない別の誰かに見える魔法、ということでいいだろうか。
これ以上に有難いことはないというのに、まるで業務連絡でも告げるように、彼女は淡々としている。
あまりに素っ気なく、さっぱりとした言い方だったため、だろうか。 アシュリーの考えすぎかもしれないが、わざと彼女がそのように言っているのではないかと感じた。
アシュリーの為にしてくれたことなのに、不思議なほどにアシュリーの為にしてあげた感が言葉からは窺えない。 それは、きっと、彼女の配慮。
「…ありがとう、ございます」
「礼を言われるようなことは何もしていないよ。私は君に、私の為に舞踏会へ行ってもらうのだから」
あくまで、アシュリーの為のことではなく、自分のためのことだと強調する美女に、アシュリーは確信を強くする。 だから、言った。
「でも、それを貴女は私に言ってくださる。それは、私のためのことでしょう?」
美女の、黒曜石の瞳が、凝らされる。
凝視されたアシュリーは、何かまずいことを言ったのだろうかと不安になる。
美女はまじまじとアシュリーを見つめたまま、右肘に左手を添えるようにして、その右手を顎にそっと当てた。
「…君が女性だったら、惚れていたかもしれないね」
「ぅえっ…!?」
にこりともせずに、真顔で言葉が呟かれるので、アシュリーは思わず声を上げてしまった。 呻きのような声が出た気がする。
アシュリーが脳を空回りさせながら美女を見返していると、美女はやはり表情ひとつ変えずに頷く。
なぜだかわからないが、美女の中では何から何まで納得がいっているらしい。
「でも、君は男だから。私たちはいい友人になれると思うよ」
どうしてこの女性が、本当は男のアシュリーに、アシュリーが女性だったら惚れていたかもしれないと言うのだろう。 そして、どうしてアシュリーが男だから、良い友人になれると言うのか。
何だかもう、全くもって訳がわからない。
「それから、身につけているものは必ず持ち帰っておいで」
おそらく、マイペースなのだろう。
美女は、アシュリーの混乱などおかまいなしで話を先に進める。
うっかり聞き流してしまったが、さて、何だっただろうか。
「身につけているもの?」
耳が拾った音だけを繰り返すと、美女は今一度アシュリーの頭の天辺から足のつま先まで視線を行きつ戻りつさせて、【身につけているもの】に該当するものを挙げてくれた。
「例えば、そうだね。髪飾りとか、靴とか」
「髪飾りと、靴ですか?」
「これは、借り物だから借り主に返さないとね。例えば、返さなかったことを理由に、あれこれと難癖をつけられるのは嫌だろう?」
国庫の補助で、国家予算で用意されたものだ。
それは、自分のものになるとは思っていないけれど、不慮の事故で返せなかった場合にもあれこれと言われるらしい。
上手い話には裏があるというが、やはり本当のようだ。
そう思って、ハッと気づく。
こっそりと視線を上げて、目の前の美女を見つめた。
上手い話には、裏がある。
果たして、この美女には本当に、裏はないのだろうか。
アシュリーの視線をどう受け取ったのだろう。
瞬きひとつの間に、目の前に美女の手の平が現れ、拳が握られたかと思うと開かれる。
その手の中には不思議な光沢の黒い薔薇があった。
「はい、これが君の招待状だ」
言いながら、最後の仕上げとばかりに、美女はその黒い薔薇をドレスに添えた。
そういえば、継姉たちの着ていたドレスにも黒い薔薇があしらわれていた気がする。
コサージュか何かだと思っていたが、これが招待状だったということは何らかの魔法がかけられているのだろう。 魔力のないアシュリーにはわからないが、きっとそうに違いない。
あまり触れないようにしようと誓うアシュリーの耳に、美女の声が届く。
「さて、では行こうか」
差し出された手を見、美女の顔を見る。
伸べられた手は、まさしく白魚のようで、アシュリーのようにあかぎれていたり細かな傷がついていたりはしない。 それを見て、ふと気づく。
アシュリーが着けている肘よりも長い手袋は、これを隠すための効果もあるらしい、と。
何となくだが、美女の手を取ったらお別れなのだろうと思った。
だから、アシュリーは声を上げる。
「あの、貴女は」
誰、と問えばいいのか、その名だけが知りたかったのか、自分でも図りあぐねて言葉は不自然に切れる。
先の言葉を美女が拾ったとも思えない。 それでも彼女は頷く。
「ああ、そうだ。帰りの合図を忘れていたね。オリヴィエ、とそう呼べばいい。私の名だ」
アシュリーがいいとも悪いとも、わかったともわからないとも言わないうちに、美女――オリヴィエはアシュリーの手を取る。
その瞬間、アシュリーは自身があたたかい光に包まれるのを感じた。
サンドリヨンは男の娘でした。