幕間1-6 子供なんだし女湯に入ってもいいじゃないかと思った
雑談のあと、母さんはすぐにあっちに行ってしまうのかと心配してきたが、しばらくはゆっくりしていくつもりだ。それを晴彦さんも快諾してくれた。
そうしたら千冬が、家の使い方を説明すると張り切りだした。
「別に俺が説明するけど」
「私がやる! こんなイベント逃せるわけないじゃん」
さすが異世界小説書き。
しかし大したイベントにはならんと思うが……やりたいなら任せることにしようか。
「あーどうしよう、まずは……うん、ここです!」
三人を連れて千冬が行ったのは、キッチンだった。ウキウキしながら蛇口に手をかける。
「これをこうするだけで……ジャン! 水が出るんです!」
張り切って大袈裟な動きで見せつけた千冬だが、三人の反応は程々でしかない。
「うーん、やはり便利なものだな」
「一般家庭にもこのような設備がありますのね。素晴らしいですわ」
「あれ……? うんと、じゃあ次は……お風呂、は似たようなもんか。じゃあおトイレ!」
残念ながら、それも三人が感心して終わった。
「…………話が違うよ!? 中世ぐらいの発展度じゃなかったの、お兄ちゃん!?」
「そのへんは《研究所》にあるからな」
ちなみに千冬が見たかったであろう三人のリアクションは、ここに来るまで何度も味わった。テレビとかの科学技術の結晶を見ては、あれは魔法ですか、魔法ではないのか、絶対に魔法ですわ、みたいな。
「なんだよぉラボって……」
ションボリする千冬に見せてあげることにした。
「なにこれ魔法!?」
期待通りのリアクションありがとう。
リビングに生じた自動ドアを開き、その先にある空間を見て千冬や母さんたちが目を丸くしている。
「俺のスキルだ」
「こんなスキルがあるのかー。入っていいよね?」
「んー……扉開けとけば大丈夫か。いいぞ」
少しためらったのは、ほぼないとは思ったがちょっとした疑念があったからだ。
こっちの人間が《研究所》に入ったせいで、変に力が身につくようなことがありはしないだろうかと。向こうの世界に行ったときと同じように。
俺の《研究所》というスキルの空間は、一体どういう存在なのかよくわからないんだよな。以前リリスが水晶さんだったとき、扉を閉めたら内部が水晶ダンジョン内だと認知されずに水晶さんが吐き出されたりしたし。
一瞬、晴彦さんを《研究所》に閉じ込めて試そうかとも思ったがやめた。
母さんに殺されそうだし、二人の側にいる晴彦さんが変な力を持つようなことになっても嫌だ。
「うわ、広ーいってなんで富士山?」
リビングには場違いな、銭湯にあるような富士山の絵に千冬が首を傾げている。
「俺にもわからん」
「なんだそれ」
「きっと日本人の魂の象徴だからだな」
はいはいと呆れる千冬に、ルチアが笑いかけた。
「はは、だがあながち間違ってはいないのではないか。私はこの絵を眺める主殿が寂しそうに見えて、なんとしてもこの世界に戻してやりたいと思ったからな。そう考えれば、この絵が今の結果に導いてくれたようなものかもな」
そうだったのか……確かにこれを目にすると、よく日本に思いを馳せてしまっていた。その度に未練がましい自分を情けなく思っていた。
きっとニケにも見抜かれていただろう。二人が無理にでも水晶ダンジョンを攻略しようとしたのは、元を正せば俺のせいだったのか。
「そうだったんですね。じゃあお兄ちゃんにとって、ありがたい絵なんだ」
「みたいだな」
……でももう日本に帰ってきたし何年も同じだし、飽きてきたんだよな────などと考えていたら、富士山の絵は無数の千手観音の絵に変わった。
中学のときに修学旅行で行った蓮華王院本堂、いわゆる三十三間堂の内部だ。
「そうだ、京都行こう」
「おい……魂は」
ルチアからだけじゃなくみんなから色々突っ込まれたが、意図して変えたわけではないので俺に言われても困る。
それから寝室以外の部屋を見て回り、最後に風呂を見たら千冬が今から入りたいと言い出した。
ニケたちが賛同したので俺も服を脱いでたら、千冬に蹴り出されてしまった。なぜだ。
母さんも行ってしまい、残されたのは男二人。マンションの方のリビングに戻り、流れる静寂。
しばらくして、やたらモジモジしていた晴彦さんがそれを破った。
「ええと、凄いんだね、このラボっていうのは」
「これのお陰でなんとかやってこれました」
「そうなんだ…………その、驚いたよね? 響子さんと僕の再婚。やっぱり嫌だったかな」
ああ、それを聞きたくてモジモジしていたのか。
「それは驚きはしましたよ。でも別に嫌とか反対とかではないです。さすがにいきなりお義父さんとは呼べませんが」
「ははは、そこまでは言わないよ……ありがとう」
「こちらこそ母と妹を支えてきてもらってありがとうございます。これからも、僕の分まで母と妹をよろしくお願いします」
「君の分まで……」
「はい」
「そうか……うん、わかったよ」
そしてまた沈黙。
とても気まずいが、ちょうどよかったか。あのことを言っておかなければならない。
「晴彦さん、お願いがあります」
「なにかな。なんでも言って」
「僕たちや娘さんのこと、誰にも言わないでおいてもらえますか。晴彦さんの親兄弟や、元の奥さんにもです」
お願いとは言ったが、これは強制だ。
異世界のことを本気で信じる人はそういないと思うが、もし信じられて広まってしまえば困るどころではない。
俺が直接知っていて信頼できる人にしか、知られたくないのだ。
「うん……わかっているよ。欲を言えば元の妻には伝えたかったけど、彼女にも今の生活がある。信用できる人だけど、どう変わっていくかわからないしね」
酷なことだと思ったが、晴彦さんは初めからそのつもりだったようだ。
俺が拍子抜けしているのを見て取ったか、晴彦さんが笑う……それは少し乾いていた。
「ははっ。君や娘たちがいなくなってから、色んな人から……それこそ親族からも好奇の目で見られたからね。そういったものの怖さは、多少はわかるつもりだよ」
そうか……母さんや千冬もつらい思いをしただろうな……。
とにかく晴彦さんが、話のわかる大人でよかった。これなら脅したりしなくてもいいだろう。
「他にはなにかないかな? 僕にできること」
あら良い人ね。実際誠実そうではあるし。
もちろん全面的に信頼するというのは難しいが、もう巻き込む以外に道がない。
ということで──
「車が何台か欲しいです」
「えっ、それは……」
笑顔が引きつった。
いきなりそんなこと言われても晴彦さんは普通の会社員らしいし、母さんも働いているが金は余ってるわけではない。当然だ。
ただ、別に俺は新車をおねだりしているわけではない。
「廃車とかでいいんです。解体して研究するだけなんで」
爺ちゃんちにも昔廃車があったが、今はどうなんだろう。それをもらえたとしても他にも欲しい。新ダグバを作るために。
「そ、そっか。それならなんとか。知り合いに整備工がいるし」
「ほんとですか、助かります。それとお金のことなら心配ないです……と言いたいところですけど、そのためには宝石とか金貨なんかを売ってきてもらわないといけないんですよね。僕たちではちょっと無理なので。でもそれも信用できる相手でないと怖いですかね」
変に目をつけられたり、吹聴されたくはない。
それに大量に売ったりとか、定期的に売ったりしたときに怪しまれても困る。鑑定書などもないし。
あちこちに少しづつ売ってきてもらうしかないだろうか。
「それなら古物商を友人がやっているけど。僕にとって、そいつ以上に信用できる相手はいないくらいの親友だよ。細かな事情を説明しなくても力になってくれる。絶対に」
ふむ……特別毒にも薬にもならないかと思ったが、この人結構使えるじゃないか。
「なにとぞよろしくお願いします、お義父さん」
「……話には聞いていたけど、君は面白い子だねえ」
そのあとだいぶ経って長風呂から上がってきた女性陣は、晴彦さんにビールをお酌する俺を見て怪しんでいた。
使える人……もとい義父に酌をすることの、なにがおかしいというのであろうか。
そして換金してもらいたい宝石や金塊などニケに適当に出してもらったら、母さんたちは喜ぶのを通り越して引いていた。金持ちだとは聞いたが、ここまでとは思っていなかったそうだ。
これでも遺宝瘤などで得たものの一部でしかないんだけど、取りあえずその中から小粒の宝石と金塊を渡しておいた。
確かに俺たちは金銭感覚が、だいぶおかしいことになってるとは思う。でもいまだに俺は月に金貨一枚のお小遣い制なんだ……。
それにしても──
「キョウコ、手伝います」
「ありがと。じゃあそこのお皿を並べてもらえる?」
「わかりました。キョウコ、これはどこですか」
「それはね──」
風呂から出たらキョウコキョウコと、ニケが妙に母さんに懐いていたのだ。緊張というか思い詰めてた様子があったが、それもなくなっている。
良いことなのだが、ニケがこうも簡単に親しくなるとは思ってもいなかった。
しかもラボだと紅茶を淹れる以外では、皿を運ぶ俺を運ぶくらいしかしないのに、自分から手伝いを申し出るなんて……ジェラシーである。
悔しいので今度、皿になってもらう手伝いをしてもらおう、みんなに。そして夢のようなフルコース盛りを平らげるのだ。
夕飯は、奮発してあれこれ出前をとってもらえることになった。
料理が得意ではない母さんが作る、なんとも言えない愉快なお袋の味も捨て難かったが、やっぱりとにかく醤油を味わいたい。生魚を食べたい。ということで定番ではあるが、寿司メインである。
生魚を三人が食べられるかわからないから、一応他にも注文した。
しかし初めは生魚にちょっとひいてた三人も、俺たちが美味そうに食べているのを見て挑戦しだした。食欲と好奇心には勝てなかったようだ。
そして飯を食いながら聞いたが、俺たちのクラス転移は迷宮入りの失踪事件として、捜査はほぼ諦められているとのことだ。
実際クラス全員が着てたままの状態の服すら残して、突然蒸発したような消え方をしたのだ。捜査のしようもない。
そしてそのような有り得ない事件だったので、特に若者の間では異世界に行ったのだと信じられているらしい。
そんな事件が起こるなど、学校側としてはいい迷惑だったろうなと思ったのだが……そうでもなかった。
それ以降、入学希望者が激増したのだ。異世界行きを望む子供たちが殺到したせいで。
世も末だとは思うが、気持ちがわからないでもない。
しかしみんながみんな俺のように幸運に恵まれて、おっぱいに囲まれることができるわけではない。俺のクラスメイトの死亡率を教えてやりたいものだ。
「千冬もあの学校に転入するって言い出して、なかなか聞き分けてくれなくて大変だったのよ」
もしまたなにか起こってしまえばと思えば、通常親として行かせたくないのは当然だろう。しかもうちは俺を失っているわけだし。
それが理解できない妹ではないはずだが……。
「千冬……悩みがあるならなんでも言うんだ。お兄ちゃんがなんでも解決してやるからな、手段を選ばずに」
「選んでよ。というかなんの話」
「千冬はこの世界が嫌いなんだろう?」
「違うし! 私はお兄ちゃんの手がかりを
、って言わせんなバカァ」
なるほど、やはり神とは妹の形をしているのだな。
しかし実際母さんが止めたのは正解だった。
今のところなにも起こってはいないしそうそう起こるものではないが、色々危険性があるのだ。あっちの神もどきであった水晶さんが、ご褒美スキルを決めるときに教えてくれた。
もっとも危険性の内の一つは、近々俺たちが潰すつもりだが。
「気持ちは嬉しいが、そんなもん素人が出しゃばってもしょうがないだろ」
「そうだけどさー。まあ私は結局諦めたけど、今あの学校にはあの子が……」
千冬がなにか言いかけたが、俺やニケたちを見回して止まる。
「どうした?」
「あー……ううん、なんでもない」
「だから悩みがあるならなんでも」
「ないから。あってもお兄ちゃんには言わないから。どうなるか怖いもん。そんなことよりほら、もっと食べたら……あれ? お寿司もうない!?」
空っぽの寿司桶に驚く千冬から目を逸らすのは、ルチアとニケ、そして……薄々気づいていたがお前もそっち系だったか、セラ。
健啖ちゃんたちが寿司を気に入ったのは良かったけど、俺ももっと食べたかったよ……。
結局俺は、同じ料理を作っても毎回味が激変するお袋の味で腹を満たした。今回も俺の知らない面白い味でした。




