5-34 閑話 男たちの悲哀 〜ああ、青春の淡き慕情よ〜 1
20220408 ソルティア侯爵についての話を少し追記
「侯爵閣下、皆様、この度はご心配をおかけしまして申し訳ありませんでした」
あの一件から十日あまりが経った今日、一人訪ねてきたセレーラが、執務室に入るなり深々と頭を下げた。
「セレーラ……無事で、なによりだ」
胸が詰まり、言葉も詰まりそうになるも、執務椅子から立ち上がった私はなんとか絞り出した。
事件後にタチャーナから詳しく事の顛末を聞いたが、自分のスキルでセレーラを匿っていること以外はどうしても語らなかった。
謝罪し、必ず助けると言っていたあいつをつい責めてしまったが、言葉通りに見事果たしたか。
「姉さん、心配しました……本当に」
クリーグは目を潤ませ、ヴォードフも何度も頷いている。サバスティアーノも然り。
ただシグルだけは、素直に喜びを表せずにうつむいている。
合わす顔がないとでも思っているのだろう。
「顔をお上げください、シグル様」
「ですが……」
「ご覧になって」
片腕ずつを上げ、セレーラは体を右、左と捻る。
「この通り、もうなんの支障もありませんの。ですからどうか気になさらないでくださいませ」
「はい……ありがとうございます。ご無事で本当によかったです」
セレーラの微笑みで、シグルの表情から固さが取れたように見える。
トゥバイを逃してしまったことを悔やむシグルは、冒険者の監視の任を解かねばならなかったほどに根を詰めすぎていたからな。これで私も少しは安心できる。
「それにしても、血痕などから推測すれば重体は間違いないと報告を受けていたのだが……それほどひどい怪我ではなかったのか?」
「ひどかったと思いますわ。なにせ体が上下で断ち切られたんですもの」
「うん……? 断ち切られ?」
なにか聞き間違えたようだ。エリクシルでもなければ、そのような状態から命を繋ぐことができようはずもない。そしてもしエリクシルを使ったのであれば、治療に時間がかかることはないのだから。
聞き直そうとする私を遮り、サバスティアーノが応接用のテーブルに紅茶を置く。
「閣下、まずはおかけになってもらってはいかがですか」
「おお、そうだな。すまんすまん、つい気がはやった」
気にするなと首を振るセレーラと、向かい合ってソファーに腰かけた。
「それで、今なんと? 私は聞き間違えてしまったようでな」
「ですから、体が腰のところで上と下に分かれてしまいましたの」
「……セレーラにしては珍しいな。あまり趣味の良い冗談とは思えんが」
心配する我々をそのようにからかうようなど、らしくない。
そう思ったが……。
「あら、本当ですのに」
平然とした態度で見せた笑みに、ゾクリとする。
なにかが変わった。
もとから肝の据わった女だったが、今まで抑制してきたものを解放し、更にその中にゆとりが生まれたように感じる。
昔のセレーラの不敵さが戻ったような……いや、それだけではない。
美しい女性だったのは間違いないが、そこに艶が上乗せされて、凄みのある美しさに昇華されているのだ。
そういえばさきほどはあれほど喜んでいたヴォードフとクリーグが、妙に緊張感を漂わせているような気がする。
私が感じたこととは関係ないだろうが、一体どうしたというのか。
戸惑う私を置き去り、セレーラが切り出す。
「その話はまたあとでするとして、モリス様はもうお帰りになられたのでしょうか」
なぜあとにせねばならないのかわからないが、私は素直に頷いた。
「……ああ、昨日な。忙しい身だから仕方あるまいが、そなたのことを案じていたぞ」
この国の冒険者ギルドのトップであるモリスが王都から来たのは一昨日のこと。もちろん来た理由は、今回の一件を収束させるためにだ。
せわしないとは思うが、そのような強行軍でモリスが動かねばならなかったほど、大きな問題だったということだ。
「そうでしたの……残念ですわ。最後にご挨拶したかったのですが」
最後、か……やはりそうなってしまったか。
「それで、どうなのでしょうか。上手くことが運びそうなのかしら」
「あれはお前の入れ知恵か?」
「違いますわ。あの人は初めからそのつもりで、彼らを生かしておいたそうですわよ」
「そうか……まさかあのようなことを言い出すとは思わなかったからな。驚いたぞ」
一昨日──この街に来たモリスと、早速ダンドンたちの処罰について話し合った。
冒険者ギルドの幹部と、高ランク冒険者多数が共謀しての不祥事。
武力の高い者が、その武力をもって悪事を成したときは厳しい処罰を与えねばならない。そのようなことが相次いでは困るのだ。
まあ強者同士の揉め事であれば放っておくことも多いが、今回は規模が大きすぎる。
相手が注目されている狂子たちでもあるし、なあなあで済ますわけにはいかなかった。
しかし国防に響くほどの人員。
腕一本を奪うような体罰で、全員を戦えないような体にしてしまうわけにはいかない。財産と地位を没収するような罰で、賊や不穏分子になられてしまえばもっと困る。
頭を悩ませているところに到着した狂子が言い放ったのは──
『全員奴隷にしてください。それ以外受け入れません』
自分がなにかにダンドンたちを使いたいのだと考えた私とモリスは、もちろん反対した。
トゥバイに関しての私刑は許した……というか心情的には褒めたいくらいであったが、これはやりすぎている。
リースの明け星のように、常習的に悪事を繰り返していたわけではないのだ。死だけが解放への道である生涯奴隷にするのは、罰が重すぎる。
だが狂子が意図しているのはそうではなかった。
地位も財産も奪わなくていいから、一定の期間働かせる契約奴隷にしろと言ってきたのだ。
戦闘しか脳のないようなダンドンたちを契約奴隷にしてどうするのかと思ったら、狂子は戦闘をさせることが可能な特殊な契約をやつらに要求してほしいと言ってきた。
契約奴隷は、本人の意思を無視して契約できるものではない。戦闘させることができるような契約を結ぶ奴隷は、ほぼいない。
契約奴隷となるのは、十分に社会復帰が可能な者たちだ。どう使われるかわからないような危険な契約など、そうそう結ぶことはないのだ。
それに主側も使いづらい。契約はいつか終わるので、下手に使って逆恨みされるのも恐ろしいだろう。
今回もそれは難しいと思えた。
逆恨みされたところで返り討ちにできるので狂子たちは気にしないだろうが、ダンドンたちがそれを飲むとは思えない。
狂子に使われる奴隷になる? 期間が終わるまでに、どんな目に遭わされるかわからぬではないか。
私としても、狂子がそこまでの戦力を抱えることを許すわけにはいかない。あまりに恐ろしい。
そう伝えると狂子は、私に対して口を尖らせたのだ。
『僕が主として彼らを使う気はありません。せっかく格安で戦力を貸し出そうと思ったのですが、侯爵様はいらないんですね』
────そして私の意見は裏返った。
喉から手が出るほど欲しい特級戦力。
幸いモリスは話のわかる男だし、私の置かれている状況に同情と理解をしている。
期間については可能な限り冒険者も守りたいモリスと揉めたが、ダンドン以外は五年ということで落ち着いた。ダンドンは働き次第で、最低五年だ。
多少長いが、契約内容はそのぶん緩い。
私を主として、開拓関連に戦闘込みで従事するだけ。その他に関して生活を縛るようなことは一切しない。財産も没収しない。生活できるだけの最低限の金は支給する。
ギルド側も、真面目に勤め上げれば冒険者としての資格もランクも剥奪しないことを確約。
領主である私が簡単に約束を破ったり、無体な使い方をするわけにはいかないということもわかるだろう。
腕一本奪われるのとどちらかいいか問えば、確実にこちらを選ぶはずだ。
そして昨日、モリスが帰る前にダンドンを呼び出し、その旨を伝えた。
すると驚くほど簡単に、他の者に対しての説得役を引き受けた。ダンドン自身も受け入れるつもりのようだ。
私の奴隷となることに苦い顔ながら、どこか愉快そうに笑っていたのが印象的だった。
「狂子の発案だと知ったときのダンドンのなんとも言えない顔は、そなたにも見せたかったがな」
「ふふ、そうですか。あの方も上手く力を発揮できれば名を残したでしょうに……残念なことですわね」
「あれは酔っ払ったイノシシのようなものだろう。たとえ目指すものが正しくとも、どうせ変な方向へ突き進む。こうなることは必定であったと思うぞ」
実の所はそう思っているのだろう。セレーラも失笑を漏らしている。
「ああそうだった。ジジイ繋がりで思い出したが、あっちのジジイもそろそろくたばるかもしれん」
「それは……ソルティア侯爵がですか!?」
「うむ。水晶ダンジョンが消えたと聞いて卒倒したらしい。もう立ち上がることもできずに寝込んでいると報せが来た。卒倒したいのはこちらだというに」
「あの方は本気で水晶ダンジョンを欲していたのですね……」
まああれの息子はまともだし、これで少しは関係も良くなるだろう。
そのあとセレーラが不在の間の話をしたが、しょせん十日程度。絞り出して雑談を続けるのも、すぐに限界がきた。
わかっている。自分がそれを聞くのを恐れているのだということは。
話が途切れ、わずかに沈黙が続いたとき、セレーラが姿勢と表情を改めた。
「侯爵閣下、皆様、大切なお話があります」
そして、それはついにきた。
「今回の一件で私の体に、そしてなにより心に大きな変化がありました。そこで誠に勝手ながら、お暇を頂きたく存じます」
いつかこの時が来るのだろうと思ってはいた。
しかし、実際に来てみると思った以上にこたえる。
「……タチャーナたちと共に行くのだな」
「はい。今まで重用して頂いたことに報いきれているとは思いませんけれど、どうかわがままをお許しください」
「わがままなのはこちらだ。父が、そして私が難しい立ち位置や無理難題を押しつけてきてしまった。だが、そなたは常に望み以上に尽くしてくれた。これ以上そなたに甘えることはすまい。思うようにするがよい」
「ありがとうございます、閣下」
言えた。
引き止める言葉を口にすることなく。
セレーラが皆と言葉を交わす中、私は自分を褒めてやりたい気持ちでいっぱいだった。
シグルなどは言ってしまうかとも思ったが、トゥバイの件で引け目もあるのだろう。時折唇を噛みしめつつ、激励の言葉をかけていた。
一通り話し終えたところで、クリーグが疑問を呈した。
「ところで姉さん、体に変化があったというのはどういうことでしょうか」
「まさか怪我が治りきらなかったということですか?」
クリーグとシグル同様、それは私も気になっていた。
だがどうやら怪我のことではないようで、セレーラが首を振る。
「さきほど言った通り、体に支障はありませんわ。ただ……口で言うより、これを見てもらった方が早いですわね」
どこか嗜虐的に見える笑みを浮かべ、セレーラは続けて発した。
ステータス、開示────と。




